デランジェ ラヴィアンローズ D'ERLANGER= KYO,CIPHER/瀧川一郎,SEELA,TETSU/菊池哲 CRAZE,BUG,BODYの原点
D'ERLANGER SADISTICAL PUNKメインロゴ

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DIZZY/Vo.(2代目)


画像はアルバムnouvelle parfum(1991/03)より
本 名 福井 祥史
(ふくいよしひと)
年月日 1966年4月10日
出身地 京都府宇治市
生まれは兵庫県尼崎市
身 長 169cm
体 重 53kg
血液型 AB型

バンド遍歴 主なメンバー(主なバンド)
D'ERLANGER
STRAWBERRY FIELDS レジーナ(JUSTY NASTY)
SHU-KEN(FIX)
VINYL 臣(黒夢)
SEELA(サポート)

 2代目ボーカル。人気、実力ともに頭角を顕してきたハードロック+メタル時代のD'ERLANGERを支えた功労者です。
 高校でバンド活動を始める。ライブハウスこそ出れなかったものの、コンテストにでたり、自主的にホールを借りるなど、精力的に活動していた。D'ERLANGERの当時のドラム・シドが中学からの友達だったので、
初代ボーカルのデモテープに参加したりして以前からD'ERLANGERと交流があったそうです。高校3年の夏にD'ERLANGERから誘いがあった時「大学受験で自分のバンドも休止してるのにできない」とはじめは断っていた。しかし、憧れていた44MAGNUMそのまんまの音は魅力的。しつこく誘われて根負けする形で加入を決意。
 いざ始めてみると、すぐにデモテープの録音(tonight?)やライブスケジュールが入っており、11月にはライブハウスデビューと矢継ぎ早に話しは進んだ。大学は親に逆らいつつ断念。母親は、翌年父親が亡くなった3日後の東京ライブに送りだしてくれたりと、応援してくれていた。
 当時のD'ERLANGERは完璧に44MAGNUMを追いかけていた。
荒々しい音にハイトーンシャウト。福井の声はバッチリ合っていた。英詩が多いので歌詞がよくわからないのが残念。ライオンのタテガミのようなメタル定番のヘアスタイルが印象的だった。ライブのMCで次回の告知をして「来てくれるかい?!」というのが可愛くみえました。クールに徹したスタイルではなかったかも。
 音を出すだけで楽しかったバンド活動も、4年が経つと心境に変化が生まれはじめる。脱退については「CIPHERがクビにした」とか言われてますが、STRAWBERRY FIELDSのアーティスト本「存在理由」で福井の側から語られています。

「リーダーでありムードメイカーのCIPHERに対して気をつかっているのに違和感が出始めていた」

「もっと自発的にいいメロディーを作りたい」と思いもあった。バンド自体もサウンドチェンジをはかっていた時期で、CIPHERのギターにメロディーをのせる従来のやり方だけでなく、
自発的にメロディーを作る方法を試してみた。が、他の3人との違いもあって更に悩む。当時にサウンド作りで憧れていたZIGGYの大山に相談したり、友人であるリアクションの純也の家には泊まり込みで相談に行った。そして、自分の信じる道を進むことを選ぶ。1988年6月12日大阪枚方ブロウダウンにて脱退。このライブはオムニバスビデオに収録されている(ROCK FILE VIDEO 1988 VOL.3 WARNIN' HARD ATTACK)。
 D'ERLANGERのサウンドチェンジはKYOの加入が要因だという人がいますが、「存在理由」のコメントから、そうではないことが分かります(ホントのところは分からないけど)。LA VIE EN ROSEの何曲かには、福井のメロディーが使われているそうです。さらに
「サウンドチェンジの合宿をして、うまくいったらインディーズでアルバム出して、次はメジャー」と具体的な展望があったことも語っています。デビューが視野に入った段階での脱退は勇気が要ったと思います。
 CIPHERに対して気をつかうというのは、分かる気がすします。すべてにおいて
D'ERLANGERの中心はCIPHERだったので、何かあれば抜けることになるのは自分。ヤンキーだったCIPHERとTETSUに、優等生だった福井が強く言えなかったのもあるかも知れない(笑)。だけどSTRAWBERRY FIELDSでもアルバム3枚目でやっとLEZYNAと腹割って話したそうなので、生来気を使う人間なのかもしれません。
 D'ERLANGER脱退後は「デビュー間近で脱退」という似た境遇を持つLEZYNAとSTRAWBERRY FIELDSを結成します。



福井がD'ERLANGERで残したアイテムは

テープ
・「tonight」
・「the birth of splendid beast!!」
・「BLUE」
・「SADISTIC EMOTION」
レコード
・「Girl」
・「HUNGRY DAYS」
ビデオ
・ROCK FILE ON VIDEO 〜1988 VOL.3 ウォーニングハードアタック