デランジェ ラヴィアンローズ D'ERLANGER= KYO,CIPHER/瀧川一郎,SEELA,TETSU/菊池哲 CRAZE,BUG,BODYの原点
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KYO/Vo.(3代目最終)

本 名 磯野 宏
年月日 1967年2月4日
出身地 千葉県市川市
身 長 172cm
体 重 47kg
血液型 O型

バンド遍歴 主なメンバー(主なバンド)
デッド・ワイヤー TAIJI(X JAPAN・LOUDNESS)
横須賀SAVER TIGER HIDE(X JAPAN)
Ba-Rra 辻剛(EX-ANS・JUSTY NASTY)
八田敦(DEEP・THE HATE HONEY)
D'ERLANGER
DIE IN CRIES 室姫深=児島実(THE MAD CAPSULE MARKET'S)
YUKIHIRO(Zi:Kill・LArc〜en〜Ciel)
ソロ
BUG FURUTON(OBLIVION DUST)
TAKESHI(Valentine D.C)
ASAKI(Guniw Tools)
TAKASHI(FAME)
室姫深=児島実(THE MAD CAPSULE MARKET'S)

 ある日、とある駅で人を待っていたX JAPANのHIDEは、人混みが自分に向かって割れていくので何事かと驚いた。よく見ると皆、誰か1人の人間を避けているようだ。そう、その人こそKYOである。気合いの入りまくっていたKYOは、ライブがあるわけでもないのにステージ衣装なみのバリバリの格好で待ち合わせにやってきたのだ。当時は茶髪にするのは不良だけ、バンドは不良のやるもんだと一般市民が信じきっていた時代である。そりゃあ、みんな逃げる逃げる。さながらモーゼだったそうな。
 この時、KYOとHIDEが在籍していたのが、今や伝説となった横須賀SAVER TIGERである。残念ながら、この時のメンバーでは宣伝用の写真を撮っただけで、音源は残せなかった(後にHIDEのルーツとしてライブ音源がCD化)。宣伝用の写真は、スタジオ一面に紙を張り付けてバックにした。
 横須賀SAVER TIGER解散後は、対バン時に魅力を感じていたこともあって、冗談めかして
「D'ERLANGERならやりたい」と言っていたそうです。しかし現実的には福井がボーカルをとっているので無理。METALブームが終わりに近付いていた時代背景もあり、幅広い音楽を聞くようになっていたKYOは自分の目指すものを見極めるべく、自分のバンドを組もうとした。
 それでもやはりD'ERLANGERが気になるらしく、東京ライブには顔を出してCIPHER達と話しをしていた。
音楽そのものの他に、気持ちの部分での一致が大きかったそうです。CIPHERとは服のセンスも合って一緒に服を買いに行っていた。そういえばKYOも蛇柄着ますよね。CIPHERは「原宿の服は俺のもの」発言をしていたようで、買っていたかは謎。アクセサリージャラジャラしてるKYOが連れでは無理か。
 KYOの新たなバンドBa-Rraが動き始めた頃、過去2回バンドを組んでいて、先にD'ERLANGERに加入していたTETSUから電話がかかってくる。「もしもしKYOちゃん?バンドやんねえ?」。TETSUの横にいたCIPHERもびっくり。いきなりな問いかけに困惑しつつ「じゃあ1回音合わせしてみよう」となって加入となる。
 1stアルバムLA VIE EN ROSEは、
加入後わずか3ヶ月で製作されたのだが、既に「デランジェにこの人あり」といった存在感は実に見事である。これで本格的なレコーディングは初ですよ。理由としては、以前からD'ERLANGERのライブを見ていたことや、加入とほぼ同時期だったサウンドチェンジのタイミング、新たな音とKYOの感覚がマッチしたなど、様々な要素がうまく噛み合ったからでしょう。またこの1stCDの音は、福井時代とはまったく異なっていたので、比べることが無かったのも影響していますかね。
 全曲作詞を手掛けた2ndアルバムBASILISKは全曲恋愛の歌だった。ただの恋愛讃歌ではないのがKYO流。
ロリータタイプが好きだと広まって、そんな格好してライブに行っていたファンと絡めて歌詞を読むと、何とも言えない独特の世界観が堪能できます(笑)。
 
 KYO加入後はさらに攻撃的な色が濃かった。今になって思い返すと「突如ビッグバンドになってしまった中でいろいろな葛藤があり、その裏返しとしてつっぱった態度になっていた」そうです。人気バンドへの途中加入とはいえ、初ライブがSOLD OUTなのは人気先行というしかないですね。

 個人的な感想。
 KYOの歌の特長は二つあると思います。
 
一つ目の特徴はシャウトです。今でこそ誰もがしていることですが、当時のポップな曲があるバンドとしては珍しいと思います。an aphrodidiacでは、単なる合いの手としてではなく、さながら楽器の様に曲に合わせて連続シャウトしてたりします。日本人としては画期的でしたね。
 
もう一つの特長は音程の低さ。ボーカリストが世間に認めてもらう一番単純な方法は、高い声で歌うことですが、それをしなかったのは、そんな理由でしか評価をしない世間に対しての反発なのか?はたまた単に高い声が出せないだけなのか?(正解)

 KYOは、ハッキリいって歌は上手くない。その辺はYOSHIKIにもつっこまれたそうだ。親にも言われ続けて
トラウマだった。顔もCIPHERの方がカッコイイ。にもかかわらず現在も活躍できるのは「心の叫び」を、歌を通して伝える力が秀でているからです。
 一言で言うと、歌に対しての気合いの入れ方が違う。「野性的」そんな言葉が似合うボーカルでもある。
 彼にはバンドとして活動して欲しい。存在感がありすぎるので、それなりの相手が必要だと思うのだ。どんなに激しい音をバックにしても、ソロだとどうしてもバックの音を一歩下げざるをえないし、グルーブの無いバンドサウンドは味気なくバランスがとれない。バンドとしてボーカルに対して一歩も下がらない、挑戦的な楽器隊とグルーブが彼には必要だと思う。

 2007年、D'ERLANGERは復活しました!だた、次のような発言をしています。
「若さの勢いは凄かった。あの時の歌は、今ではもう絶対に歌えないよ」
あの頃はもう戻らない。以前の音は、以前の音源でしか手に入らないでしょう。