デランジェ ラヴィアンローズ D'ERLANGER= KYO,CIPHER/瀧川一郎,SEELA,TETSU/菊池哲 CRAZE,BUG,BODYの原点
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余 話

 CIPHRは、デビュー当時、歳が若いということでも注目されました。22歳ですかね。なんか本人達と関係ないとこで「俺らのほうがデビュー若かったのに、あいつらだけ注目されて」なんて露骨に陰口されてましたが、人気の高さでより注目が集まったのでしょう。ライブデビューが16才、高校へ行く前から44MAGUNAMのローディーをしていたりと、本当に若いうちから音楽に足をつっこんでいました。
 僕は高校時代バンドを始めた時に、ミュージシャンが何歳でデビューしているのか気になって、自分がデビューするとしたらあと何年しかないなんて逆算してました。でもビジュアル系の生年月日って普通隠してあって、当時唯一わかったのがバイセクシャル。で、バイセクってデビューが二十歳にならない位で、凄く早かったんですよね。そんなのを基準にしていたから、かなり焦っていた高校1年の僕。自分で自分がかわいく思う。
 デビュー年齢で必ず思いだすのが、
河村隆一の発言。ルナシーがデビューして間も無い頃に、まだデビューしていないニューボーグとの対談で年齢を25と聞いた河村隆一(23)が「もうデビューしなくちゃいけない年齢でしょ。」みたいなことを言った。この時僕は「ああ、この人はロックではなく、格好つけたいだけなんだな、ルナシーを聞くのはもうよそう」と思った。この頃は、まさかドラマにも進出するとは思わなかったが、発言等から、普通のビジュアル系アーティストとは何か違うと思っていた。案の定、彼のボーカルはうまくなっていく一方で、気持ちのこもらないカラオケのようになっていった。ブレイクする頃には曲調も歌謡ロックになっていて、自分の判断が正しかったと思う。

 何度かテレビ出演していてNHKにも出演したことがあるが、いつも質問に答えずシカトしていたそうだ。いい部分しかとりあげなかったり、受け狙いで事実と違うことを書くメディアに対して不満があったようなので、そこら辺が関係しているのかも。
 テレビ出演の話で、
ディルアングレイのメンバーがミュージックステーションに出た時に、カメラとタモリさんの間を堂々と横切ったのはビックリしたな。1人だけだったので確信犯だと思うけど、何がしたかったのだろう。数年ミュージックステーションを見てきて、初めての出来事だった。後日、番組の方に、お母さんから謝罪の電話があったそうだ。

 CIPHERは高校を一日で辞めてる。一日目に遅刻して行き、髪を先生に注意されて行かなくなった。元々行きたくなかったのを、師匠のジミーに「高校だけは出とけ」と言われて仕方なく行っただけらしい。師匠の言葉に従わなかったのは、これっきりだとか。
 若いうちは、こんなバンドマンの話が意味なく格好よく思えて、真似して高校中退したりしちゃうんですよね。知り合いで、高校卒業式の日に退学届けを出して受理された人がいます。高校中退ってコンビニでアルバイトもできない。逆な話で、
デカメロンてバンドがあって、高校行きなおすためにバンド辞めた人がいました。デカメロンのボーカルは、かまいたちのボーカルの兄さんです。弟(かまいたち)があんなになっちゃったのは、先に音楽にはまっていた兄さん(デカメロン)の悪影響だと親に怒られたそうだ。
 かまいたち知ってますか?。人気先攻の変な売れ方をしたバンドでだった。そんでほんとにハチャメチャだった。解散後にドラムのKENは、豚の内臓まき散らすライブをしたり、遂には
人を死なす(映像作品の目玉シーンで、強制的に橋から飛び降りさせて、事故死の引き金になった)という大事件を起こしてしまうが、「とうとうやったか」と妙に納得してしまったもんなあ。

 「最後のツアーで髪を切ったのも、もう全部イヤになったんです。CIPHERって名乗ってることが自分の中でキツくなってた。2人に思えてしまって。」
 だから髪を切ってメイクも落として、ということらしい。単純に似合ってると思ってたのに、なんだか悲しい発言ですね。髪を立てた状態を格好よくするために、髪を立ててから切っていた人がそんな風になってしまうとは。ダイエースプレー(現在も発売中、
極貧人は砂糖水)も売り上げ落ちて悲しかったでしょう(本当に使ってたかは知らないけど)。
 そしてまた河村隆一の話。彼も髪を切ってキャラクター変えた人です。それまで小難しい発言が多くてミュージシャンっぽかったのに、髪を切ってからどんどん普通の人になっていった。聞くところによると、それまでの小難しい固いキャラが嫌になっていたらしい。アーティストが象徴である
長い髪を切るときは、やはりそれなりの理由があるのでしょうか。

 多田かおるさんの「ミーハーパラダイス」というコミックに簡単なライブレポートが有って、ステージオフのすっぴん眼鏡なSEELAを、誰だか分からなかったそうだ。骨格に特徴あるから解りそうだけどね。見てみたい人は、プレゼントビデオ「KID'S BLUE PYX」にチラっと映ってますよ。しかし、ビジュアル系のすっぴん顔は見たくないな。そのバンド全てを否定したくなる時が…。デュールクオーツのボーカルのすっぴんにはやられた。ビジュアル系はファンタジーであって欲しい。

 KYOはDARLIN’でメジャーデビューした時、レコード店に確認に行ったらバレてサインをねだられて恥ずかしい思いをする。お約束お約束、どんまい。

 KYOはふざけて木登りして、木から落ちて背骨を痛め入院。危うく半身不髄になるとこだった。入院中他の患者が煙草を吸っているのを見て我慢できなくなり、自分も吸っていたら看護婦さんに見つかって、あえなく没収。

 KYOは初印税を受け取った時、まとまったお金を親にあげた。でもそれ一回きりらしい。最初の給料って、使い道わかんなかったりするよね。別に間違った使い方したと言ってるわけじゃないです。

TETSUと元X JAPANのTAIJIは同居の経験有るそうです。一緒にバンドやってた時でしょうかね。男道を貫く者同士、気が合いそうではありますが。

 TETSUは忙しい合間をぬって海へ行き、焼いていた。ビジュアル系が日焼けしてどうする。

 TETSU語録。 CRAZEのボーカルが辞めた時の一言。「シェーのベーかなって
シェーのベー=アースシェーカーのベース=甲斐さん=解散
分かるかっちゅーの。ついていけません。

 京都にいたCIPHERは、44MAGNUMのローディーとして知り合ったジュンヤ(リアクション〜グランドスラム)の東京の家にDIZZYらと遊びに行き、ジュンヤの紹介で関係者にテープを渡して鹿鳴館でライブができるようになる
 何気に社会の縮図です。チャンスって人脈に比例して大きくなるのは企業も一緒。大学の交友関係は仕事に直結することが多く、同業種となった場合は大変心強いものです。今大学生の人は頑張って人脈を増やしましょう。

 CIPHERは、メフィストフェレスと一緒にツアーをしてTETSUのドラムを気に入った。時脱退することを楽屋で聞き、その場ではゆっくり話せなかったが、京都-東京間の月15万の電話代で見事獲得。前のドラムはクビ。DIZZYとSEELAと3人で説得して辞めてもらったそうです。厳しい。ジキルもドラムがYUKIHIROに変わる時、同じように説得して辞めてもらったそうです。厳しい。ハーレムQのさくらも、家庭の事情でドラム辞めると言っときながらすぐラルクに入った。僕も学生時代バンドを組んでいた時に、ドラムを辞めてもらいたかったけど恐い人で言えなくて、もう一個バンドを作ってそちらの活動を多くして、自然消滅させたことがある。

 TETSUの加入やCIPHERのボウイへの興味からメタルから脱却しはじめ、機材を変えると同時にKYOの獲得に乗り出す。DIZZYは前ドラムに続いてクビだったのでしょうか。CIPHERは後に、KYOのマイケルモンローばりの金髪が印象的だったと語っているが、DIZZYがStrrawberry Fieldsで金髪モヒカンにしたのは、ここらへんの事情を知っての反抗か?自分でやったわりにはあんまり気に入ってなかったようで、すぐやめたし。

 大阪バーボンハウスのライブでソールドアウトになり、初めてギャラを貰う。金額は2万円、メンバー大喜び。裕福になると真矢みたいに太って格好悪くなったり、ハングリーさを失ったのが楽曲に響いたりするので嫌。2万円じゃそんなことにはならないだろうけど。

CIPHERの他メンバーの呼び方 KYOちゃん、中尾くん、哲

CRAZEの2005年6月28日原宿 ASTRO HALLライブにてLA VIE EN ROSEが演奏された。ZI:KILLのI4uやCOMPLEXの恋を止めないで も。CIPHERいまだに布袋あたりが好きなんだね。

CIPHERファンは奇麗なお姉さんが多いらしい、という噂は聞いていたが、公開ラジオ聞いてたらDJが予想より多かったらしくビックリしてた。BODY時代だったかな。場所は大宮アルシェで日曜昼間の番組でした。

初代ボーカルの宮平薫は実力不足でクビらしい。CIPHER首切り伝説のはじまり

KYOは実は、加入半年〜1年前に誘いを受けていたが、キーが合わなかったという。福井時代の曲があまり生き残っていないのは単にジャンル変更だけではないかもしれない。加入半年前だと横須賀SAVER TIGER解散直後か? 1年前なら対バンした時に話があったのかもしれない。

1987/08/01鹿鳴館で初ワンマン。まだドラムはSHI-DO

デビュー後の「MOON AND THE MEMORRIESツアー」はデビュー後1年たっていないにもかかわらずホールで9割完売というスゴさだった

福井時代は英語の歌詞が多かったが、KYO時代は日本語を意識している。これはボーカル交代の際に決められていた方向性のひとつ

ネットの無い時代の有力な情報手段として電話サービスがあった。伝言を残したり、聞いたりすることで、情報交換をしていた。今だに番号を覚えている人もいるでしょう。
ユースフルノイズ 5265
E-NET 262

ライブでカバーしていた曲。TELEGRAM SAMは頻繁に演奏されていた。
SHAKES (HANOI ROCKS)
TELEGRAM SAM (T-Rex)