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G-Kill/Zi:Kill/Zi÷Kill/ジキル
1987/11結成、1991/03/06デビュー、1994/05解散
| Vo.板谷祐=TUSK |
Zi÷Kill→THE SLUT BANKS→CRAZE→新宿心音会 その他ユニットAMNESIA、HIDE+TUSK |
| Gu.松平健=KEN |
Zi÷Kill→ソロ→Crybaby |
| Ba.飯田成一=SEIICHI |
Zi÷Kill→CRAZE→中田バンド |
| Dr.MASAMI |
AURA→Zi÷Kill |
| Dr.淡路幸宏=YUKIHIRO |
GUERRILLA→ZI:KILL→OPTIC NERVE→DIE IN CRIES→L'Arc-en-Ciel |
| Dr.菊地哲=TETSU |
ラビット→デッドワイヤー→横須賀SAVER TIGER→MEPHISTOPHELES→D’ERLANGER→Zi:Kill→BODY→CRAZE→D'ERLANGER |
| Dr.EBY |
マグネッツ→Zi÷Kill→河村隆一サポート 他サポート多数 |
まずは概略。
1987年11月にKENとSEIICHIにより「G-KILL」として結成。翌年2月にTUSK加入。8月収録のビデオ「HOLD YOUR LAST CHANCE」に映る様子は、紛れも無いハードなメタル。のちに表記をZi:Kill(もしくはZi÷Kill)に改め、音楽性も変化しはじめる。新人発掘好きなHIDEの目にとまってエクスタシーレコードにお世話になることに。1stアルバム「真世界REAL OF THE WORLD」はレコードだったが、4ヶ月後には配付ソノシート「華麗」を追加してCDに。1年後の2ndアルバム「CLOSE DANCE」は予約に生産が追い付かず発売が遅れた。追加プレスは30,000枚を超え、メジャーチャートにランクイン。さらに1年後にはデビューを果たしたが、レコーディングでドラムのYUKIHIROが脱退して3人でのデビューとなった(もちろんジャケット写真も3人)。デビューツアーよりドラムにTETSUが加入。事務所のトラブルに巻き込まれて1年程活動休止状態になってしまった間にTETSUが脱退。後任にEBYが加入して最終ラインナップが揃う。再びインディーズも経験したが華麗(ジキルダケニ)に復活。2度の武道館公演を成功させるも、惜しまれつつ1994年5月解散。
我らがTETSUがいたのは1年にも満たないです。1991年3月に始まったツアーから加入して、ライブビデオ「DESERT TOWN TOUR1991」とシングル「HERO」を出しますが、バンドが活動休止状態の間に1992年1月に脱退しました。残念です。僕はイベントですがTETSUのZi:Killを見れたので、いい思い出です。
加入はD'ERLANGER解散から間も無かったですが、TUSKと仲が良かったのが一因でしょうね。TUSKは「しがない街の高校生だった頃からTETSUという存在は知っていた」と語っています。また、TETSUがD'ERLANGERデビューで上京した時には、すぐに始発で家へ遊びに行ったそうだ。こういう間柄だからこそ、Zi:Killスピード加入が決まったのだと思います。ライブで、TUSKがTETSUに抱きついていた姿は忘れられない。Zi:Killでしていたバンダナは、TUSKとの友情の証だったのかもしれない。
ドラムセットは、D'ERLANGER解散時の普通のから、再びロートタムに切り替えられました。アルバム2枚を担当した前任のユキヒロがロートタムを多用するフレーズでだったので、普通のでは音が鳴りすぎて合わないと考えたからです。しかし後任のEBYはロートタムを使わないどころか、タムをほとんど置かないシンプル構成で職人のごとくこなしていました。さすがに前のめりの曲では迫力に難があると言われてましたが、それ程違和感ありませんでした。「何が最適か?」というのは、わかならいものです。
余談ですが、TETSUの脱退の本当の理由はKENと合わなかったからだよって人もいますね。確かに、ギタープレイ同様に独特でした。容赦ない発言で、平気で他人を「下手だ」と言い放つ。Zi:Killの解散もKENかな〜と勘ぐってしまいます。
話をバンドに戻すと、1992年のアルバム攻勢が何事かと思う人がいるでしょうが、ここはZi:Killにとって暗黒時代。事務所のトラブルに巻き込まれて活動休止状態になってしまったのです。でもバンド自体に大きなトラブルがあったわけではなく(TETSUは脱退したが後任は割りとすぐ見つかった)古巣エクスタシーレコードから新曲を加えたヒストリーCDを出し、東芝がベスト版を勝手に出し、移籍してトラブルを乗り越えて新アルバムを出し、といった感じです。この辺はビデオ「OPEN THE GATE〜天国への階段〜」でドキュメンタリーになってます。コメントするすっぴんのEBYが髪が短いのも手伝って、ただの近所のアンチャンに。自分が30才過ぎて見返すと、こんなアンチャンに憧れていた自分が恥ずかしい。
僕が軽音楽部に入ってバンド活動を始めた1991年は既にD'ERLANGERは解散していた(存在も知らなかった)ので、現役バンドではZi:Killが一番好きでした。D'ERLANGERに出会う前の数カ月間はZi:Kill一色で、カバンにシングル「LONELY」封入のステッカーを張り付けて学校通ってましたよ。1年後にベースを買い替えた時はSEIICHIと同じモデルを購入しました。10万円くらいで、本人の赤とは色違いの紫。今だに持ってます。生まれて初めて買ったスコアはLONELYのシングルスコアでした。アルバムの方も買いましたが、Zi:Killの楽曲はすごい好きだけどベースラインはなんだか物足りなくて、他のスコアを探していてD'ERLANGERと出会うことになるんです。
ビジュアル系なのに黒髪で通したTUSKに敬意をあらわしつつ(笑)、アルバムごとの感想をば。
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