資料の宝庫 1-15

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0015 re(1):9次元の序列・・・会員番号1番の原久子さんはどうして辞めたのか ?


9次元では早く来た人から上に立つそうですが、幸福の科学では早く来た人から辞めていくようです。

1606 名前: F 投稿日: 2000/05/23(火) 05:49

1602 ナナシーさん
>設立に多大な協力をした原久子さんはなぜ辞めたのでしょうか。
>ご存知の方お教え願います。

フライデー事件が起こった時、ある週刊誌に原さんの母親の談話が載っていました。
母親の説明によれば「普通の宗教団体のようになってしまった」のが辞めた理由だ
そうです。本人は一切取材に応じなかったようで、私の知る限り、本人の談話はど
の雑誌にも見当たりませんでした。これが表向きの退会理由のようです。

一方、93年末、関谷さん(原さんが神託結婚した相手。その後離婚)の書いた「虚
業教団」という本が出版されました。それによると、原さんと親しかったAという
青年が、ある女性と神託結婚をするように大川氏から告げられました。しかしAさ
んは承諾しなかったため、指導局課長を解任され、講師資格を停止され、2週間の
自宅謹慎を命じられます(その後退職)。この事件があってから、原さんは出勤を拒
否するようになっていったそうです。そしてそのまま会を去った、とあります。こ
れが 本当の退会理由ではないのでしょうか。

蛇足ですが、「虚業教団」によれば、結婚するように天上界から命が下ったのは、
この2組以外にも幾つかあったようです。しかし1組を除いて全て破局を迎えてい
ます。そしてその1組でさえ、本を執筆していた頃にはすでに会を去っていたそう
です。

1616 名前: F 轄e日: 2000/05/26(金) 05:40

補足しておきます。これを読めば原さんが辞めた理由が分かると思います。文中で「中原」
とあるのが原さんで「阿南」とあるのがAさんてす。

「虚業教団」p46より転載

>大川は、この阿南を釈迦の十大弟子の一人、アーナンダ(阿難)の生まれ変わりである
と宣言していた。釈迦が亡くなるまで25年間にわたって師につかえ、最も多く教えを聞
いていたことから、「多聞第一」と呼ばれたのがアーナンダである。仏典結集に際しては、
亡くなった師の代わりに教えを語って聞かせたとされている。
 不思議なことに、阿南も霊言集の編集に携わっていた。テープに吹き込まれた霊言を文
字にし、整理する仕事であるが、これは阿南と中原だけがタッチすることのできる最重要
の仕事だった。
 しかし、このアーナンダはある事件がきっかけで、間もなく<幸福の科学>を去った。
もし大川と阿南が、大川主宰の言う通り、真の仏陀とアーナンダだったとしたら、どうし
て袂を分かつなどということがあっただろうか。この事件は、中原と私の心に深い傷を残
した。いや、当時の会員すべてに、言いようのない衝撃を与え、大川主宰に対する疑念を
生じさせたのである。


# 身近にいた原さんには「大川さんの素顔が見えた。だから辞めた」ということでしょう。
 その後も、釈迦の十大弟子と告げられていた幹部たちが次々と還俗していきました。


●記録者 F
●記録日 2000/7/21(金) 06:01

資料の構成図

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0014 9次元の序列は早い者順


9次元の序列は、悟りの高さや救済力などではありませんでした。
驚くなかれ、早く来た者が上に立つそうです。
この文章を読めば、何かを隠そうとしたのは明らかです。


「9次元霊のなかでは、今、エル・カンターレが最高の立場に立っているのです。
そして、高橋信次の霊言がどのようになっていようとも、地球に到着した順序が
9次元の序列なのです。この序列で考え方を統一したいと思います。」(「宗教選択の時代」p175)






●記録者 F
●記録日 2000/7/21(金) 05:59

資料の構成図

<0014>
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0013 re(1):大川氏の略歴・・・大悟も偽り


663 名前: 幸福の科学元会員 投稿日: 2000/03/10(金) 04:33
★「大悟」は「大嘘」大川隆法氏は「81年3月23日、大悟するとともに、同年7月、人類救済の大いなる使命を持つ、永遠の仏陀、エル・カンターレであることを自覚」されたそうです。しかし、以下に転載する「幸福の科学原論・1」(「日蓮の霊言」講義)を読むと「81年3月23日に霊道を開き、以後、数年間は日持、日蓮の指導を受けてい ス」ことは明白です。同様の記述は「幸福の原理」にもあります。霊現象から逃避する人が「大悟」とか「自覚」などできるはずがありません。しかも、個人的な問題すら日蓮たちに相談しています。信じられないことですが、「大悟」は作り話だったのです。ある日、突然「霊能力が与えられた」だけのことでした。繰り返しになりますが、以下は「幸福の科学原論・1」からの引用です。「幸福の原理」ともども、まだ書店で手に入ります。信者の皆様、どうか事実を確認してください。そして考えてください。
***************************「幸福の科学原論・1」***************************

P15>私は、1981年の3月に霊道を開き、高級霊からの通信を受け始めてから、85年夏にこの本が出版されるまでに、約4年半をかけました。この間、私たちがいったい何をしていたのかということは、この本の行間からある程度読み取ることができると思います。

P16>ですから、この本に書かれていない対話もそうとうあったわけです。それは個人的な問題の相談がほとんどでした。やはり最初に霊的現象に出会ったときには、衝撃の連続でありました。理解できないことばかりでしたし、霊的世界について書かれたテキストもなければ、師もいないという情況で、まったく帰納的方法といいますか、実際に体験したり、学んだことのなかから理論を構築していくというステップでありました。

P17>何しろ当初は、この私自身が賛同していなかったのです。私にこ ういう現象が起きなければならない理由はない、と思っていました。私はもともと考え深いほうではありましたが、どう考えてみても、そんなはずはないと思われたのです。宗教家になりたいと願ったことは過去一度もなく、宗教家としての資質があるとも思えなかったし、自己実現の方法としても考えていなかったことでした。最初に日蓮聖人が出て来て話をされ、それだけでなく同じころ、イエス・キリストをはじめとするさまざまな霊人が出て来ておりましたが、とても信じられないというのが私の正直な気持ちでした。

P19>しかも、それほど心の修行をしたかと問われたら、した覚えもないし、それほど心が澄んでいるかと問われても、それほどでもない。考えれば考えるほど、やはりありえ ネいという結論に達したわけです。

P22>私は、何とかしてこの霊の世界から逃げよう、そう決心いたしました。考えないのが一番だと思って、絶対何も考えまい、考えなければ何も答えはこないはずだ。霊にも関心を持つまい、宗教になど関心を持つまい、と念じ続けていたのですが、やはり人間には心があり、考えてしまうのです。そうすると聞こえてきて困りました。そういうわけで、どちらかというと、私はネガティブな考え方を持っていて、結論をいえば逃げたかったということですが、しかし、逃がしてはくれなかったのです。そして3か月から4か月ほど一人で格闘していたわけです。

P23>私はまだこの世に未練がそうとう残っていたものですから、でき たら足を洗いたい、逃げたいという気持ちがありました。

P49>日持上人、日蓮聖人ともに一貫して、この最初の4年、5年の間、 自分の努力ということを強く繰り返して主張されました。私たちはともすれば、答えを、結論を聞きたがったのですが、答えてくれないことが多かったのです。「自分で道を拓け、それが原点である」ということを何度も何度も言われました。

../~sachiko/2_taigo.htm


●記録者 F
●記録日 2000/7/3(月) 05:42

資料の構成図

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0012 大川氏の略歴に偽りがあります


 蜷・≠フ略歴に偽りがあります。

質問者 「エル・カンターレであることを認識されたのはいつ頃ですか ?」

著者紹介「1981年7月」◆「永遠の仏陀」

大川氏  「1986年だと思います」◆「フランクリー・スピーキング」


◆「永遠の仏陀」(著者紹介)より

宗教法人「幸福の科学」総裁。
1956(昭和31)年7月7日生まれ。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、
ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ベルリッツ・ニューヨーク校で上級語学
研修を終了、ニューヨーク市立大学グラジュエイトセンターで国際金融論を学ぶ。
81年3月23日、大悟するとともに、同年7月、人類救済の大いなる使命を持つ、エ
ル・カンターレであることを自覚する。86年10月に仏法真理伝道の機関「幸福の
科学」を設立(91年3月に宗教法人格を取得)。91年には、英「フィナンシャル・
タイムズ」紙等で、「日本の新しい偉大なる宗教家」として紹介された。著書で
ある『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』『仏陀再誕』『釈迦の本心』『幸福
の革命』『繁栄の法』(幸福の科学出版刊)や『愛、無限』『ユートピア創造論』
(幸福の科学経典部刊)などはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。著
書は、英語をはじめ、数カ国語に翻訳され、全世界に多くの読者を持つ。
../~sachiko/1_sensei.htm

◆「フランクリー・スピーキング」(p99〜p102)より

☆ 大悟から「エル・カンターレ宣言」までの背景 ☆ 

質問者  「先生はエル・カンターレである」ということですが、ご自身でエル・カンターレ
        ということを認識されたのはいつ頃のことなのでしょうか。

大川氏  1986年だと思います。もちろん、81年に啓示が降りてきはじめて、81年の
        7月頃に、自分の潜在意識として釈迦の意識というものが出てきたので、そういう
        意味で自分が仏陀の意識であるということはすでに知っていたし、霊言等もとって
        きている間に、ある程度、私自身の教育と言いますか、地上に人間として生きてい
        る私自身の教育を、高級諸霊がやっていたんだと思います。
        そして、86年に実際に会社を退社して独立する際に、辞めた1ヵ月後ぐらいでしょ
        うか、8月頃から『太陽の法』という本を書きはじめたのです。それを書いている
        段階で、はっきりとした確信と言いましょうか、自分自身のこの法の高さ、あるい
        は使命、あるいは何者なのかというところの悟りが、ほんとうの意味で深まったの
        ではないかと、このへんで第二段階ぐらいの悟りに入ったように思いました。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・

        だから、これは釈迦の悟りを超えているものだということを自分自身でも確認がで
        きたし、同じ頃、高橋信次師とかそういう方がたの霊言でも、「あなたはエル・カ
        ンターレという存在であるのだ」ということをはっきりと告げられてきはじめたわ
        けです。その実証としては、やはり法の内容あるいは高さにおいて、実際に過去世
        の釈迦と言われた人を超えているということについて、自分でも自覚があったし、
        あるいはキリストの悟りとかそうした九次元諸霊という人たちが過去に説いた法、
        行動等を見たかぎり、彼らの悟りというものが、私には掌に乗るように見えたわけ
        なんです。だから、そういう立場に立っているのだということを知ったのは86年
        ということです。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・

        実際に86年の10月から会の活動が始まってから、いろいろ運動を重ねてきて、
        「エル・カンターレ宣言」〔編集注〕をするまで、5年間、事実上、私自身は黙っ
        ていたわけです。もちろん活字にはなっていますけれども、言いませんでしたから、
        そういうかたちになったわけです。



    〔編集注〕「エル・カンターレ宣言」・・・1991年7月15日、大川隆法主宰
            「御生誕祭」における講演「信仰の勝利」のなかで、「あなたがたの前に
            立ち、永遠の神理を語るは、エル・カンターレである。我は、この地球の
            最高の権限を握りたるものである」と宣言した。

●記録者 F
●記録日 2000/7/3(月) 05:36

資料の構成図

<0012>
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0011 re(2):14次元神霊・・・「職員限定用」の大川氏のビデオ  


1634 件目  ’96年にはある事情があって...   fredy99    (45歳/女性/梢) 1999年12月16日 21時58分

「具体的な数字」を課しての推進は、取りやめられました。

しかし、支部の壁には大きな「信者マップ」(地図)が貼られました。
三帰誓願者・一般会員・大黒天信者(たくさん献金されている人)・本尊が
ある家...など、会員の住んでいる位置と共にシールで色分けされてい
ました。 そして、シールのない所、数の少ない地域は“光が足りない”
とされて地区長や婦人部長が奔走する状態は何も変わりませんでした。

1716 件目  funaba tufs 様へ(2)   fredy99    (45歳/女性/梢) 1999年12月17日 22時59分

でも「マジで知りたい」と言われるあなたの言葉は“本音”だと感じます。
私がこの“場”で言えることは、当時、「職員限定用」の大川氏のビデオを、
ある本部で見る機会に恵まれ(?)、大川氏の“とっても人間的な姿と言葉”を見、聞いてしまったということだけです。 職員さんたちは、ただひたすら
無表情で固まっていました。
私にとっては、非常に強烈な心の体験のひとつ ナした。
しかし、その時の“恵み”が現在につながっていることを思うと、とても
貴重な体験だったと思っています。
 
1854 件目  際限のない「上昇志向」   fredy99    (45歳/女性/梢) 1999年12月20日 23時25分

「自分たちの地域には、そんな不幸になった人はいない。」
「私は、そのようなひどい状況になった人がいたことは知らなかった。」
この言葉は、’96年に見た“職員限定用ビデオ”(職員の言葉です。一般の
会員には公開されませんでした。)での、大川氏の言葉と全く同じ傾向です。
そして、すべての責任を局長をはじめ幹部のせいにしたのです。その時の,
大川氏の言葉、言い方、声は変わっていました。“教導”の怒り?そんな
詭弁は通用しません。 現場の会員の、生の訴えの声を耳にして初めて会員の
様々な現状を知るに至ったのです。
霊界や全人類の心配をする前に、自分の創った組織・会員の心と生活、家庭
の現実に責任を持って頂きたか チた。素晴らしい発展とか成功とか、上昇志向
ばかりに気を取られて「張りぼてのお城」「砂上の楼閣」になっていたことに
気付けなかったのです。どうぞ、皆様も同じことを繰り返されませんように。

../~sachiko/2_fredy.htm
 
 


●記録者 F
●記録日 2000/6/28(水) 06:15

資料の構成図

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0010 re(1):14次元神霊・・・主宰補佐先生:「大川主宰を裸の王様にしたのは、あなた方(幹部職員)です。」


96年の方向転換

概要
 それまでの目標必達の活動に終止符を打ち、96年の初めからはより会員の自主性を育てる活動へと大きく転換しました。今までの活動はまだ慣れていない会員に活動の方向を教えるための、上からの指導による社会主義的活動でした。しかしこれからはもうやり方も分かったはずなので、より自由主義的な活動を目指し、活動の内容や目標も各地区・チームの会員が自主的に考えるようになりました。

現実
 95年末に大川主宰が極秘に各支部を回り、直接会員から活動内容の聞きとり調査を行いました。そして幹部から上がってくる報告と違い、会の実態がバブルであることを理解し、自尊心を傷付けられるに至りました。そしてそれまでの目標必達主義の活動に大きな軌道修正をかけました。総合本部は主宰の真意は職員のみにビデオで知らせ、一般会員には先の「社会主義から自由主義へ」という表向き(虚偽)の理由しか伝えず、真の問題点と事実を隠しました。

主宰のビデオ内容抜粋(主旨)
大川主宰:「私はこのような組織にするために、今までやってきたんではない。活動するほど会員が不幸になるならば、これでは不幸の科学です。ちゃんとした活動が出来なければ、幸福の科学をつぶしても構わないんです。私はいくらでもやり直しがきくのです。だから、間違いがあれば、ちゃんと言って下さいね。・・・本部長に対して瞑目・・などおかしい。本部長の何が偉いのか、職員に階層を作るのはおかしい。本部(幹部)は目標を作るだけで、何も仕事をしていない。それどころか余計な仕事を作って経費を増やしている。・・・もっと会員サービスをしなさい。…・私もいろいろ「未来予測」をしたけど、私からそう言わなければ、みなさんしないでしょう。みなさんがしなければ、そうならないんですよ。・・・・・」
主宰補佐先生:「大川主宰を裸の王様にしたのは、あなた方(幹部職員)です。」

 これを受けて会では活動修正が行われました。
1 職員の階層をなくす 地方本部を廃止して総合本部からも余剰職員を出し、すべて支部に投入して会員サービスを行う。(しかし最近では再び本部が復活し、会員を脅すS本部長のような人まで現れはじめている)
2 経費節減をする 今まで無差別に行ってきた仕事の見直しを行い、適正な規模に戻す。紀尾井町ビルから撤退。講演会の中止。東京ドームでのご生誕祭・聖夜祭の中止。月刊誌も小さくする。職員の解雇。拠点の整理。支部黒字化のための収支自主管理。携帯の没収…など。
3 目標必達の中止と自主的活動の奨励 これ以降目標を会員に出せなくなる。(しかし後に活動が停滞したので、地区長までは目標を降ろすようになる)

 このように、この年以来会員に対して上意下達による目標の強制ができなくなったため、活動にもブレーキがかかっているようです。

http://www.dab.hi-ho.ne.jp/h-ok/or/orkatudo.htm


●記録者 F
●記録日 2000/6/28(水) 06:09

資料の構成図

<0009>
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0009 14次元神霊の存在でも会員の心境は分からない


[名前] なんじゃこりゃ???

 「大川隆法先生は14次元神霊の存在なので、たとえば、地球のどこかの片隅で木の葉
が一枚落ちる音なども、認識できる」と以前幸福の科学の月刊誌に書かれたことがありま
した。
 方便の時代が終わって、エルカンターレ信仰の強化及び三宝帰依体制の確立した平成7
年に、実際にある支部に突然大川隆法(先生とか敬称をつけるのかそれとも呼び捨てにし
てよいのか、まだ迷っています)が予告なしに訪れ、会員から直接現在の活動状況や心境
などの本音(たとえばノルマが厳しく大変であること)をはじめて聞かされ、驚いて、支
部の職員などを厳しく諭し、それ以後、若干ノルマが緩和されたことを覚えています。
 それにしても、14次元神霊の存在が会員の心境などいちいち聞かなくても、はじめか
ら判っていても当然なのではないでしょうか?

../~sachiko/6_koe.htm 


●記録者 F
●記録日 2000/6/28(水) 05:58

資料の構成図

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0008 re(1):借金は紀尾井町ビル・・・大川氏の発言を収録した、問題のテープから


問題のテープの内容を手に入れました。情報提供者さん、どうもありがとうございました。

********************************************************************************
常勝思考 1989年ウイークデーセミナー   6/28 東京・社会文化会館にて 

第2巻「光明転回の理論」から抜粋したものです。
********************************************************************************
会員向けですから何喋ってもいいと思いますのでちょっと話しますと
具体的 沫痰秩ESに出来るだけ話してみたいと思っているものですから・・
講演に車で通るたびに赤坂プリンスがほしいなぁ〜ほしいなぁ〜と言って2年、(会場は笑い)
具体的に去年の11月頃から赤坂付近に行きたいなぁ〜と
ポロポロ言い始めたら赤阪プリンスの裏に紀尾井町ビルが建ちまして
二十何階建てビルで赤坂プリンスと10m位の差しかありませんが
ここに幸福の科学の事務所を申し込んだのです。
通るはずがないのに通ったのです。(会場は拍手)
今日、契約が実は終わったのです。(会場は拍手)

私が強気ですから幹部も強気なもので向こうでホラ吹いて吹いてして。
気が付いてみたらところでそんな所、入れるのだろうか?(笑い)
本当に話しているんですね。(笑い)
気が付いてみたら4億5000万も保証金があるんですね。
家賃は月2500万円位かかります。(会場は少し、どよめき)
ワンフロアー380坪、800畳弱・・
ワンフロアーがいいと言っていたんです・・皆んなの仕事が全部わかるから
サンガーみたいな感じで修行できるから、小さい所は駄目、広い所がいいと
その通りなったんですけど、ところで契約終わってどうしようかと
言っているんですね。(笑い) 言わないで下さいよ。(笑い)
契約取り消しなったら困るから・・(笑い)
こういう時に考え方がいろいろあると思うんですね。
もっと何故、自分に正直にならないのかと言う説明があるでしょうね。
分相応があるだろう、、、(笑い)西荻の次は中野とか高円寺にしておいて、それから
資金を貯めてから(笑い)(会場も笑い)新宿に移ってからというのもあるけれども、
いきなり日本の一等地を攻め込むとはなんであるか・・・。

それも、契約が第一号なのです。
契約が第一日目で二番目に契約、幸福の科学出版で契約しました。
資本金200万の会社です。(笑い)(会場も笑い)
慌てて資本金増やそうかと言ったけど間に合わないですから。(笑い)(会場も笑い)
そんなに儲かっ トいるか?って言ったら、いやそれが、お金が入ってくるのは6月からです。
5月決算ですからほとんどお金は入っていないです。(笑い)
本というのは出版したら代金回収は6ヶ月かかるんです。
見せてませんけど決算は2ヶ月位かかるって言って・・・。(笑い)(会場も笑い)
契約決まってから聞いたんだけど、そこに入るのは一流企業を超えているんだそうです。
一流企業じゃ入れなくて超一流なんだそうです。(会場は笑いと拍手)
何故、超一流かと言えば家賃が払えないから(笑い)(会場も笑い)
高いんだそうです。そうかもしれません。何故、高いかと言うと
非常に目立ちますから、、、そうなのかもしれません。

何が言いたいかと光明転回ですから次の転回があるわけですね。
オタオタしちゃいけないですね!どうしたらいいか!
会が発展すればそれまでなんですね。ただ、発展が早すぎる。
会員さんが目覚めるよりは、本部の考え方が(笑い)早すぎる。
今年の1月に事務所開けで、3年 ネ内に本部を丸の内に進出しますと宣言しました。
3年でなく半年で(笑い) 来てしまいました。(笑い) 困っています。
早すぎて困っているだけで・・・。
早過ぎるので会をそれだけ早く大きくすれば良いと!それじゃ、しゃないから
開き直ってやろうかなぁ〜と、早くすればいいんでしょ!と、
3年分早めに移せばいいんでしょ!
これから積極果敢に行動を開始するしかなくなりました。
しかし、考えてみれば早いことは悪いことではないですね。
「神様の御心に決してそむいていない!」
牛のごときのろい歩みをしていたら
「神様というのは、高い家賃を払わしてもっと働けとおしゃる!やむを得ない!
働かざるを得ない! 各局、のんびりしておったがもっと働かざるを得なくなった。
そして会員サービスをもっと提供して、もっと多くの受け入れる体制を
作らざるを得なくなった。まことにありがたい!そういうことです。

家賃を払えなくなれば撤退すればいいのですから!(笑い)
借りるというのは安いものですからそう言う意味で、、、。
そして、考えてみると悩みがなくなった。
今日契約ですけど、もうひとフロアー欲しくなってきたなぁ〜(笑い)
横を通っている内に思い始めて、まだ空いているんだって言うんですね。
380坪でも来年位まではもつかも知れないけど、再来年なると
もたないかもしれない。そうするとまたどっか借りなくてはいけない。
そうしたらもう一つ位早めに空いているなら、空けてもらってもいいかもしれないと
いう気がしてきた。もう少し頑張ってもいいのかなって感じがするのですね。
そういう主旨ですから皆さん良く考えてくださいね。(笑い)(会場もどっと笑い)
そういう主旨ですから皆さん良く考えてくださいね。(繰り返し)
早めに頑張ってもらえば、もう一つ位おさえられるかもしれない。
まだ、空いています。ゆっくりすると11月完成、12月から入れますけど
早めに何かいい方法が考えついたら教えて下さい。そうすればもうちょっと
押さえられるかもしれない。早いほどいいです。
こういうのも他人の発想を借りる手もありますね。
何故、そういう所に攻め込むか、幸福の科学の次の段階、政治・経済を
あげていますね。あの辺りが場所的にいいですね。
シンボルのある所で活動するとさらに大きなうねりを起こしていける。
そういう意味で非常におもしろい。


●記録者 F
●記録日 2000/6/27(火) 05:58

資料の構成図

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0007 re(1):借金は紀尾井町ビル・・・K本から転載


[75] 参考までに「K本」から転載 投稿者:F 投稿日:2000/04/21(Fri) 05:26

 西荻窪にしっかり根をおろし、ここを神理伝道の拠点にするというのが、
<幸福の科学>の最初の決意だった。
「場所など問題ではない。素晴らしい教えさえ説きさえすれば、地球の裏側
からでもここへ尋ねてくるようになる。だから、この西荻窪が聖地なのだ。
天理教ができて天理市になったように、<幸福の科学>がこの町の名前を変
える日がきっとくる」
 はじめの頃、西荻窪への大川の入れ込みようは大変なものだった。
 しかし主宰先生の言うことは、すっかり変わってしまった。
「こんな田舎に何でいなければならないんだ。政治家とのコンタクトも、こ
れからは必要になる。中央へ出たい。高級霊からの通信も、それがいいと言
っている」
 大川に何か野心があるなら、便利屋程度にしか見られていない私が、何を
言っても耳を傾けはしないだろう。「高級霊からの通信」という切り札があ
るかぎり、どんな正論も通じない。高級霊の指示だからと、その野心を達成
しようとするだろう。
"どうせなら、何でもしてやろうじゃないか"
 そんな気持ちになっていた。

(中略)

 ついに高級霊からの指示があった。
「高級霊から指示が下り、九次元霊全員が新宿ではなく紀尾井町ビルに移れ
と言っている」
 ある朝、そんな神示が大川から披露された。

(中略)

四月になると、高級霊から大川に「伝道の許可」が与えられ、会員獲得へ盛
んに檄が飛ぶよ 、になった。

(「虚業教団」P165−170)

../~sachiko/Q&A_0051_0100.htm


●記録者 F
●記録日 2000/6/27(火) 05:54

資料の構成図

<0006>
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0006 借金は紀尾井町ビルから始まった


[74] 借金は紀尾井町ビルから始まった 投稿者:F 投稿日:2000/04/21(Fri) 05:23

1988/12(4000)
1989/ 1     
      2
      3
      4      天上界より伝道開始の許可が下りる、誌友会員制度導入
      5
      6      紀尾井町に移転する事を発表
      7
      8      紀尾井町に移転する事を発表(月刊誌にて)
      9
     10      公益法人化発表、関谷さん脱会
     11      仏陀宣言、スタートサンライズ宣言
     12(13300)紀尾井町ビルに入居、原さん脱会
1990/ 1      サンライズ90計画開始
      2
      3      第一回講演会(信仰と愛)
      4(15000)推薦入会制度導入
      5(30000)伝道決起、初めて顔写真を掲載(月刊誌)
      6(60000)
      7(7*000)
-----------------------------------------------------------------------
1989年の6月に紀尾井町ビルに移転する事が決定しています。という事は、
それ以前から計画していたという事でしょう。(4月あたりでしょうか ?)
会員数を見てください。1万人もいないときに入居を計画していたことが分かり
ます。会費は2000円でしたから(記憶では)、どんなに多くても会費収入は毎
月2000万円以下。その時に、家賃だけでも2千数百万円かかるビルに入居し
ようとするのですから無理があります。その上、月刊誌は豪華でしたし、職員の
給与は出さなければいけなかったし・・・。

そのため大川さん個人が銀行から借金をしたそうです。作家ということで可能に
なったようです。会員が順調に増えれば返済できるはずでした。ところが、会員
数は伸びなかった。
会員数を見ると、入居した12月に13300人、翌年4月に15000人です。
つまり入居後、赤字は拡大するのに会員は一向に増えなかった。そしてとうとう
その年の第一回講演会「信仰と愛」で「大川隆法よ、お前にはまだ見栄があった
のか・・・」というような反省ともとれる言葉が自らの口から飛び出します。
(当然、本とテープからは削除されました)
これが本当の反省であったなら紀尾井町ビルを出たことでしょう。ビルから退去
した上で「法を広めてください」と言えば良かった。しかしそうはしなかった。
紀尾井町ビルに対する執着を断つことができなかったわけです。そしてこの執着
が会を借金体質にしてしまいました。

当時こういう法が説かれました。
「組織の拡大に合わせて施設も大きいものに変えていく。これが普通の考え方で
しょう。しかし発想を転換して、施設の大きさに合わせて組織を拡大していくと
いう考え方もあります。だから皆さん頼みましたよ」というような主旨でした。
(このテープも入手できないのでは ? )このあと拡大路線を進む事になります。

../~sachiko/Q&A_0051_0100.htm


●記録者 F
●記録日 2000/6/27(火) 05:49

資料の構成図

<0006>
`--0007
`--0008


0005 図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト


図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト図/表モードのテスト

●記録者 管理人
●記録日 2000/6/26(月) 10:29

資料の構成図

<0005>


0004 re(2):テスト投稿へのレスのレス


テスト投稿へのレスのレス


●記録者 管理人
●記録日 2000/6/26(月) 05:19

資料の構成図

<0001>
`--0002
`--0004
`--0003


0003 re(1):テスト投稿へのレス、その2


テスト投稿へのレス


●記録者 管理人
●記録日 2000/6/26(月) 05:18

資料の構成図

<0001>
`--0002
`--0003


0002 re(1):テスト投稿へのレス


テスト投稿へのレス


●記録者 管理人
●記録日 2000/6/26(月) 05:16

資料の構成図

<0001>
`--0002


0001 テスト投稿


テストです


●記録者 管理人
●記録日 2000/6/26(月) 05:13

資料の構成図

<0001>

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