記事タイトル:JUBILOSOさんこんにちわ 



お名前: JUBILOSO    URL
まっちゃん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、大川隆法先生の霊言集ですが、確かに宗教関係者の方々ばかりとは限りません。
真贋の問題はともかく、坂本龍馬や紫式部、ピカソやベートーヴェン、ニュートン・・etc.
と非常に賑やかです。
質で勝負できないなら量でという戦略でしょうが、ごみはいくら集めてもごみの山にしかなり
ません。
これらの霊言集を読んで何か学ぶものはありましたか?結論を先に言いますと、非科学的かつ
無意味な霊遊びに過ぎない悪霊の自動書記現象の戯れです。学ぶものなど何もない、いや、む
しろ世を惑わす害しか垂れ流していないというべきでしょう。幸福の科学会員さんには悪いで
すが。
「高橋信次霊言集」「高橋信次の新復活」「高橋信次霊訓集」にしても、いまだに太陽系生成
に潮汐説を出してみたり、質量保存の法則を相対性理論と混同した説明をしていたり、物理学
に明るかった真の高橋信次先生であれば決してなさらないであろう誤りを霊言集ではやらかし
ていたりするのです。真の科学人であれば「宗教者の科学的認識はかくも低いものか。」と呆
れてしまう代物なのです。
「大天使ミカエルの降臨1〜3」にしても、真のミカエル様とはとても言えないメッセージの
連続です。ジェイアイの本物のミカエル様のメッセージと比較すると、どうしても稚拙さが目
立ってしまうのです。
それから、ご質問の「大川隆法氏は偶像崇拝を否定しているのですか?」ですが、もし、大川
先生が真の再誕の仏陀であれば、偶像崇拝を否定されるはずです。本物の釈尊がそうでしたか
らね。
エル・カンターレの解釈はジェイアイと幸福の科学とではかなり異なります。
ジェイアイではエル・ランティ様の本名「エル・シャルレア・カンターレ伯」の略称です。
幸福の科学ではエル・ランティとエル・カンターレはあくまで別ということになっています。
また、エル・カンターレについては、幸福の科学では個人の名称というよりも大霊の意識
という捉え方をしているようです。
最後に、人間の不平等についてですが、「平等の不平等」という言葉があります。
これは高橋信次先生の教えに従った場合の考え方なのですが、過去世の蓄積の結果として現在
の自分があるならば、善なる因は善なる結果を、そして悪なる因は悪なる結果を齎す訳であり、
その意味において人類はフェアな状態に置かれているという考え方があります。
善い自分を完成させたいならば、今世において出来得る限り善い種をまくことが肝要です。
しかし、それは御利益信仰のような見返りを求めるさもしい性質のものであってはならず、左
手で成した善を右手に伝えない謙虚さが不可欠です。その意識に当たり前の状態で入ることが
難しいわけですね。(^^)
ところでご参考までに、イエス様も「まいた種は刈り取らねばならない。」というお言葉を残
されていますネ。
[1999年1月5日 22時3分28秒]

お名前: まっちゃん   
JUBILOSOさん
観ちゃんさん
あけましておめでとうございます。

ちょっと質問。
大川隆法氏は偶像崇拝を否定しているのですか?
幸福の科学の霊言集は、偶像崇拝否定の人のものばかりではありませんよねえ?
…確か、坂本竜馬のものもあったよなあ…。
僕は隆法氏の霊言はまったく信じていませんが。

観ちゃんさんは、人類平等は当然のはず、といっていますが、そうでしょうか。
現実にはかなり不平等ですから。
理念としては「平等」と言えるのでしょうが、現実の世界で理念はなかなか力を持たないように思うし。
あと、よくある話、「神のもとでは平等」とか「仏のもとでは平等」とかとありますから、
幸福の科学では、「総裁先生のもとでは平等」なのかも…。
隆法氏はエル・カンターレナのですよね。
エル・カンターレは人間(人類)なのですか?
[1999年1月2日 15時31分47秒]

お名前: 観ちゃん   
偶像崇拝が良いにせよ悪いにせよ、
偶像崇拝を否定している指導者が、偶像崇拝しているというのは、納得いかないことですね!

人類平等が当然のはずなのに、写真を掲げているというのも変に思えます。
それは指導者の神格化を植え付けるものです。
そこに、真理があるのでしょうか?

集まった人々は熱心に研究して、多くの真理を得るでしょう。
他で書いたように、そこには真理がありますが、
神格化された指導者に動かされるのは恐ろしいことです。
[1999年1月1日 22時37分57秒]

お名前: JUBILOSO   
>まっちゃん、こんにちは。
私も猫は好きですよ。(^^)お話が合いそうですね。
猫のことはちょっと置いておきまして、まず幸福の科学のお方が写真による偶像崇拝を認め
られるご発言をなさったことは正直でよいと思います。
しかし、幸福の科学はGLAの故・高橋信次先生やモーセ様の霊言をかつては出されてた団体
です。(これらの霊言集が本物の信次先生やモーセ様からのものか否かは今回発言を割愛いた
します。)お二方とも偶像崇拝を禁じられてた方です。幸福の科学が高橋信次先生やモーセ様
の正当性を継承していると真に言えるのであれば写真による偶像崇拝など起こりようがないの
です。
また、偶像崇拝はそれ相応の霊的存在を実施者に招き、俗に言う御利益をもたらすことはあり
ます。しかし、それは実施者の欲念に応じた現象であり、真の正法に向かって長続きするもの
ではありません。「○○がかなってよかった。」「××が手に入ってよかった。」で終わりで
す。仮に長続きしたとしても低劣な想念に引き摺られた信仰となります。
これのどこに正法があるでしょうか。
ジェイアイが理性と科学的解決を重視し、旧態依然とした従来の宗教と決別している理由がそこ
にあるのです。
新世紀に向けて人類は目覚めねばならず、天上界との共存共栄を目指し、地上世界を調和させる
時代に今あるのです。
私の意見、ご理解いただけましたでしょうか?
[1998年12月31日 15時53分13秒]

お名前: まっちゃん   
JUBILOSOさんこんにちは。
ご無沙汰です。
1998年、今日最後の日、はあ、しかし、僕は今晩も仕事です。がんばろ。

--崇拝対象がGLAのように偶像崇拝をしないという表向きのお話--
というのは幸福の科学のことですか?

けれども、るつぼでの返答によると、
総裁先生のご真影に礼拝、つまり、総裁の写真を拝む、と言っていましたよね。
写真を拝むんだったら、それは偶像崇拝ですよ。

ただ僕は、偶像崇拝を否定しません。
むしろ「祈る」と言う宗教的行為を行うにおいては、有効なのではないでしょうか。

以前、週一回程度僕の家に来てもらって、ものみの塔の方と話したことがあります。
彼らも偶像崇拝を否定して、聖書のみ根本!みたいな事を訴えていましたが、
僕は言葉も一種の偶像だと思っています。

たとえば、「猫」と言う言葉は、そう名づけられている猫「そのもの」、「存在それ自体」を厳密には言い当てていないと思います。
ある特定の猫(猫じゃなくてもいいんですが、僕猫好きなもので)がいたとして、その存在そのものはまったくの一つであっても、
(まあ、一つと言いきるのも実際にはできないかもしれません。いろいろな考え方ができるでしょうし…)
それを言葉で完全に説明できないでしょうし、ある名詞で呼んだとしても、
それを受け取る人によって、その猫に対して持つイメージや観念は違ってくるでしょう。
これは「神」という言葉であってもどんな言葉であっても当てはまると思います。
言葉は大雑把だと思います。
言葉はあくまで(モノそのものを連想させるように思わせる)言葉であって、存在そのものではないでしょう。
言ってみれば言葉も偶像だと思います。

だから、モノそのものというか存在そのものというか真理というか(中原中也風に言えば「名辞以前の世界」ですか)、
そういうものを、知るなり感じるなりするためには(特に肉眼に見えないものの場合)、
宗教的な修行が必要なのかな?とも思っています。
僕の持つイメージでは「祈り」という言葉がぴったりします。

そういう宗教的な行(祈り)を行うときに、
集中力を高めるというか、精神のおきどころを定めるというか、
そういう事をするために、偶像と呼ばれるものであっても、そういう対象があると
やりやすかったり力が出しやすかったりすのでは?とかと思っています。
偶像崇拝を通して、偶像の向こう側へ、偶像以前へ、行くことは可能なような…気がします。
(ただその場合、冷めた目で、「これは偶像だ」と見ては力が出ないでしょう。
 偶像を何物もより神聖なものとする必要はあるでしょう)


そういうわけで僕は偶像を否定しません。
JUBILOSOさんはどう考えますか?
[1998年12月31日 14時46分9秒]

お名前: JUBILOSO   
>まっちゃん、こんばんは。
お疲れ様です。御質問につきましては今日はもう夜遅いですんで、明日以降ゆっくり書こう
かなぁと最初思ったんですが、どうもそうはいかないということが分かってきました。
例えば、崇拝対象がGLAのように偶像崇拝をしないという表向きのお話に対し、某共産主義
国のように大川隆法主宰先生の大写真を飾ってたり、開運グッズを売ってたりするのです。
(言わない方がいいな。やっぱり。私がやると暴露、他宗批判になります。どうしてもジェイ
アイの元七大天使方の純度と比較してしまうのです。悪いけど。)
あんまし私が答えるの意味ないかも知れませんね。本当のことを幸福の科学のお方に正々堂々
と答えてもらった方がいいですよ。
[1998年12月29日 1時41分21秒]

お名前: まっちゃん   
どうも今晩はです。(さっき呑み屋から帰ってきたところです、えへ)
JUBILOSOさんはずいぶん我慢強いというか、温和なひとですね。
僕なんかと間違えようがない。

それであの一つ質問なのですが、
「幸福の科学の信仰形態云々」の話なのですが、
JUBILOSOさんはいくらか知っているようなので、
JUBILOSOさんが知っている範囲でいいのでよろしければ聞かせてもらえませんか…
JUBILOSOさんに聞くも本来筋違いでしょうし、
JUBILOSOさんに対して失礼なことかもしれませんが、
向こう(るつぼ)では誰も答えてもらえそうにもありませんので…

もし、気分を害する質問でしたら、無視していしまって結構です。
それでは。
[1998年12月29日 1時11分14秒]

お名前: JUBILOSO   
>まっちゃん、いらっしゃい。SERAPHIC FIELDへようこそ。(^^)
まぁ、お互いあのサイトに登場した時期が近かったもんですから、深読みし過ぎて誤解
しちゃったって面があったんでしょうね。
でもいいじゃないですか。あそこにいらっしゃる皆様へ深い印象を残せたと思いますよ。
私はbiglobeにHP持っててメールアドレスも公表してますから、身元を知ろう
と思ったらある程度のことは分かるはずなのです。
また、投稿をした地域も分かります。私が東京から発信してて、貴方が全く別の遠隔地
からほぼ同時間に投稿した場合、プロバイダは別人の投稿ということを把握してます。
それ以前の問題として、私の投稿文と貴方の投稿文とでは思考形態や波動による違いが
あります。敏感な人であれば分かることなのです。

さて、当HPはまだまだ品揃えが少なくて恐縮ですが、ゆっくり楽しんでって下さいね。
では。
[1998年12月28日 20時21分17秒]

お名前: まっちゃん   
どうして、僕とJUBILOSOさんが同一人物に間違えられたのでしょうかね。
興味がないとか言って失礼なことを言いながら、
JUBILOSOさんのHPにちょっくら見学に来ました。
ではでは
[1998年12月28日 14時54分2秒]

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