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幸福の科学の大川氏は、フライデー事件の後、大川氏を機関誌や著書で批判されてきた

園頭師を告訴した。

本書は、この裁判に対する陳述書である。

あこぎな宗教裁判に対して、今は亡き光の大天使・園頭先生は、我々残された人類に「こう裁判するのだ」と範を示して下さった。

これは元国際正法協会会員へ小冊子として配布された全容である。勿論のこと、本裁判は先生に軍配は上がった。

 

 

   陳述書     

       元・国際正法協会

         会長  園 頭 広 周

 

 

   請願

 

本訴状は、大川隆法氏は「悟れる者」であり、「神である」ということを前提として提訴されたものである。

しかしそれは、大川氏の自称であって、日本の社会全体に於ては公認されたものではない。 

私は、社会的に公認されていない自称を前提として本審理に入られることを拒否する。

大川氏は果たして「悟れる者」であるか、或は「神であるか」それを認定することから審理を始められるように請願する。

前提が確立していないのでは、その後の審理は無効と認める。

大川氏が、私が大川氏が「悟れる者」であるか、或は「神であるか」を確認したいという要求をしていることに対して、大川氏が出頭

を拒否するならば、本裁判の非は大川氏にあり、裁判に要する費用、裁判に至るまでに私の方で使用した金額は、全部大川氏が負担

すべきある。

私の方では裁判しようなどとは毛頭思っていなかった所に、突然、裁判へ持ち込んで、予期しない日時と金員を使わざるを得ない羽目

になったのであるから、

それを要求するには当然である。

 

 

幸福の科学との関係  経緯説明

 

陳述者 氏名     園 頭 広 周

     生年月日   大正七年二月二〇日

     年齢     七六才

    

  履歴並びに宗教歴                                

 

昭和十三年三月 任陸軍少尉

昭和二〇年八月 陸軍大尉にて終戦

  終戦時の軍歴 独立第百大隊付

昭和二七年 生長の家宗教団体 地方講師

昭和三〇年 生長の家教団 本部講師 

以来 1.熊本 鹿児島 宮崎 三県教化部長

   2.愛知 三重 滋賀 岐阜 四県教化部長

   3.生長の家本部 練成部長

   4.生長の家本部 地方講師教育部長

   5.国民会議委員、建国記念日制定促進委員会として建国記念日制定に尽力

昭和四七年二月 生長の家教団退職

昭和四七年四月 大阪 トールス教団教化部長に任命

昭和四八年九月 トールス教団を辞め、GLA教団西日本本部長となる。

昭和五三年三月 GLA教団を辞める。

昭和五三年九月 正法会(現国際正法協会)設立 会長となり現在に至る。

         同時に、正法出版社設立社長となり現在に至る。           

                                          

   主 な 宗 教 歴

一、10歳の頃より、人間はどこから生まれ、死んでどこへ行くのか、人間はなんのために生きるのかに疑問を持つ。

 

ニ、成長するに順い、仏教、キリスト教を遍歴

 

三、軍隊に行き、将校となって尚人生の目的を探求し、戦争のない世界の平和を実現する方策を探求す。

 

四、昭和十五年六月、中支第一線で中隊長をしている時、「宇宙即我」を体験し、地球の人類は、みな、神の生命の兄弟であり、地上

の人類に人種差別なく、地球には国境線はないことを悟る。

 

五、昭和十八年十月、ソロモンの第一線より、鹿児島の連隊付となり帰還。

直ちに忽ちに、一ヶ月間、霧島神宮に参籠、世界が平和になるためには、「この地球に、一番最初に人類が誕生したときの、そのときの

意識に人類は帰らないと平和にならない」いう神託を受ける。

この時、戦争が終わったら宗教家となって世界平和に貢献することを決意する。

 

六、昭和四八年三月 GLA教団教祖高橋信次先生に会う。

 

七、昭和四八年四月 霊道を開いて、高橋信次先生は過去世で「釈尊」であり、インドに「釈尊」の十大弟子の筆頭「舎利弗」(シャリ

プトラー)であったことを知る。以来、インド当時と同じように人類の救済の貢献することを誓う。

昭和五一年六月 釈尊であった高橋信次先生は四八歳の若さで昇天。

昭和五ニ年三月 高橋信次先生の息女佳子氏は、突如として「われは

ミカエルなり、釈迦、キリスト 高橋信次は、人類の救世主ではない。高橋信次が書いた『心行』も必要はない。

釈迦の説いた『八正

道』も必要ではない。

私が人類の救世主である」「昭和五七年三月までには、世界の全人類は私の前に跪くであろう」と、「ミカエル宣言」をしたために、

GLA会員は混乱し脱会する者続出し数を知れず。

昭和五三年九月、これまでに高橋佳子氏の反省を促したが、反省はなかったので、(高橋信次先生かつて釈尊であ

られた)の教えを正しく継承してゆくために、正法会を設立する。

海外へ布教伝道するために、「国際正法協会」と改称して今日に至る。

GLA高橋佳子氏が、高橋信次先生の教えの正しい継続者でないことは、幸福の科学大川隆法氏が主張している通りである。

 

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   訴状に対する反論

 

大川隆法氏の名誉を毀損した事実なし。むしろ、大川隆法氏自身だけでなく、幸福の科学会員全体を救うための

s為」である。

   理 由

本件だけでなく、大川隆法師が起こした裁判の根本的な争点は、私への「訴状の原因」一、原告および被告について、に書かれている

ように

大川隆法氏が、真の悟れる者(仏陀)であるか、どうかである。」

私は、高橋信次先生が「釈尊」であったことを、私の霊眼で見た。だから常に大川隆法氏の言動は、高橋信次先生との対比に於いて考え

る。

 

一、高橋信次先生を真の仏陀(釈尊)であるとし。

二、大川隆法氏は、仏陀を冒涜している者と見る。

  

私が、大川隆法氏宛に出した親書は、「貴殿が、真の仏陀であるか否か、私の眼で確かめたい。もし貴殿が真の仏陀であったら、

私は貴殿の弟子となることに吝かでない。一対一で私と会って、私の前に仏陀であることを証明して欲しい。」ということで一貫して

いる。

 

 

それに対して幸福の科学は言を左右し、私の言を「脅迫」と受取って、かえって私のことを悪く言っているのである。

依って、本件に対して、私は請願する。

 

請 願

本法廷に大川隆法氏を出頭させ、私と一対一で対決させ、大川隆法氏が真の仏陀であることを証明させて頂きたい。

「真の仏陀」であるか否かを知るためには、いくつかの質問に答えてもらい、また真に霊能があるか否かをテストする方法があるので、そのテストを行いたい。

 

本請願を実現して頂けば、私に対する裁判だけでなく、大川隆法氏が起こしている全裁判が一挙に解決することになる。

 

私が願っているのは、大川隆法氏が「真の仏陀」であるのかどうか、それを確かめたいということにあるのであるが。

大川隆法氏と幸福の科学本部は、その機会を与えてくれないのであるから、一切の非はすべて大川隆法氏と幸福の科学本部側にあるの

であって、私にはない。

 

ここに到る遠因

 

大川隆法氏は、拙者「大川隆法はこう読め」の文章の言葉の端々だけを捉えているが、この本を書くまでに到る時の流れを知らないと、

その是非を判断することにならないのでまず、そのことを述べる。

高橋信次先生こそ、真の仏陀であった。

高橋信次先生著「人間釈迦」を読んでGLA会員になった人々は、みな、「こういう事は、やはりインドに仏陀として、釈尊

として出られた方でないと書けないことである」、といって、高橋信次先生を、みな、仏陀であると信じていた。

 

二、昭和五二年三月、高橋信次先生の長女佳子氏が、その未亡人であり母親である一栄氏とともに、「ミカエル宣言」なるも

のを発して「釈迦・キリスとは、人類が救われる道を説かなかった。高橋信次先生もそうであり、佳子が生れてきた以上、高

橋信次はぬけ殻である」といったために、GLA会員は大部分脱会した。

 

この時に、高橋佳子氏の下に残った人達がいた。その人達のいい分は、儒教の道徳を基準としたもので、高橋信次先生が説か

れた真の仏教即ち正法によるものではなかった。

こういういい分である。

「高橋佳子先生は確かに間違っている。おかしい。しかし私達は高橋信次先生に救われた恩があります。その恩がある以上、

恩人の娘さんを立てないわけにゆきません」と。

この「ミカエル事件」は、日本人に、道徳と宗教の違いを教えてくれる、日本の宗教史上の重大な事件であったのであるが、

多くの人々は、宗教と道徳の違いの判断ができずに、釈迦、キリストを否定する高橋佳子氏について行ったのである。

その佳子氏について行かない人々がたくさんいた。その人達は誰か正しく教えを説いてくれるヒトはいないかを求めて右往左

往していた。

既に高橋信次先生在世中からそうであったのであるが、霊道を開いたと偽証して、高橋信次先生が話されたことを記憶していて、

恰も高橋信次先生の霊が憑ってきたかのように、眼をつむって高橋信次先生そっくりの口真似をして人を欺く、いわゆる”霊能かぶ

れ”という人達が、関東に、関西に何人かいた。

高橋信次先生が昇天されると、その人達が跋扈するのを一番心配していたのが、当時、高橋信次先生の著作を出版していた三宝出版

社長 堀田和成氏であった。

堀田氏や私が心配していた通り、そういう人々が勝手に霊言と称して、元GLAの会員達を迷わすようになってきた。

 

そういう中で私の耳に入ってきたのは、元GLA会員原久子氏が、大川隆法なる青年と結託して、「大川隆法先生に、高橋信次先生の

霊が出てくる」といって、元GLAの講師、幹部であった人々がぞくぞく集まっているという話であった。

ニセモノハそのうちに化けの皮が剥がれると思って無視いていたのであるが、大川氏が「高橋信次霊言集」「高橋信次の新復活」を

出版して高橋信次先生の名を利用し、そのうちに「仏陀再誕」を出版した。

 

ある日、元GLA幹部であった市川市の甲斐通右氏から、テープと手紙が送られてきた。

「大川先生は仏陀です。あなたも大川先生の弟子になって下さい。」と手紙には書いてあり、テープを聞いたら、大川市が壇上から

「甲斐さん、園頭さんを早く私のと所に連れて来なさい」と絶叫している。

大川隆法氏は、「かつての仏弟子、集まれ」と呼びかけている。

この頃、既に大川隆法氏は、私が過去世で舎利弗(シャーリープトラー)であったことを知っていて、私か大川隆法氏の下に行けば、

大川氏は「自分は仏陀であった」ということになると思っていると思ったから、私は、「高橋信次氏こそ、真の仏陀であった」という

本を東明社から出版して多くの人々に警告を与え、、

甲斐氏には

「高橋信次先生の教えをうけたあなたが、大川隆法如き人間に欺されるとは不甲斐ない。あなたが大川氏を信ずるならそれでよい。

私は私の信念で行動する。いずれ、どちらが正しいか、真実が証明してくれるであろう」と手紙をやった。

甲斐氏と行動を共にしていた埼玉県の山田氏(元生長の家相愛会長でGLAに転向した)にも、「大川氏に欺されないように」と手紙

を出したら

「私は大川氏を信じます。あなたこそ間違っています」と返事が来た。

盲信狂言している人達は仕方がないと思った。

 

この頃、甲斐氏によって元GLA講師幹部が、つぎつぎと幸福の科学の会員になったことを聞いて、そういう人達は、高橋信次先生

の話は聞いたことはあっても、正法は少しもわかっていない人達であったことがわかった。

 

それから一年位経ってくらいであろうか。

幸福の科学では金を集め出して、甲斐氏も山田氏も、三千万円位幸福の科学に金を出した後で大川氏はニセモノだと気づいて幸福の

科学をやめたという話を聞いた。

最初から大川氏はニセモノだとわかっていた私が正しかった。

大川氏を「仏陀である」と信じて行って、サラリーマンの身には、とても一生かかっても貯めることはむづかしい三千万円という大金

を、吸い取られた揚げ句にやっと「ニセモノである」とわかった者がえらいのか。

この頃、GLAから幸福の科学に入会した人達は、ぞくぞく幸福の科学を脱退して行ったようである。

ある日、徳島県の戒谷年子さんから手紙が来た。

戒谷さんは元生長の家会員で、私が生長の家本部講師をしていた頃、私の名前を知っていられて、私が高橋信次の教えを正しく継いで

「国際正法協会」をつくっていることを聞かれて、手紙を下さったということである。手紙の内容は、

「私の娘は、大川先生を仏陀だと信じて、一年間に一〇〇名の会員を募集し、東京ドームの大講演会で、「獅子奮迅菩薩」という名を

授けられた一〇名の中の一人でした。金を上げれば幸運につながるといわれて母娘で四○○万円献金した。

どうもおかしいと思い始めたのですが、どうでしょうが。」というものであった。

「大川隆法はニセモノです。真の仏陀であれば「金で救われる」とはいわない筈です。」

「金をあげれば救われる」といっていることはそのことが「仏陀でない証拠です。その金は返してもらいなさい。」と手紙を書いた。

その四〇〇万円は取り返されたようである。

 

この頃、頻々として幸福の科学に疑問を持つ人々の手紙が来るようになった。

これは、幸福の科学批判の一書を書いて、真理を求める人への警告の書としなければならないと思っていて、中々書く時間がなかっ

たのであったが、過労のために三ヶ月入院することになった。

医者や看護婦さんに注意されながら

「大川隆法はこう読め」

「続 大川隆法はこう読め」

「大川隆法は仏陀ではない」

三冊の原稿を書いた。

 

 

大川隆法氏がノイローゼであったか、なかったかということについて

 

 

早川和宏氏が「フライデー」に、大川隆法氏の事を書かれて以来、幸福の科学の行動は非常識極まるものであった。

早川氏から問合わせがあったので、当時のことを知っているであろうと思われる人々に問合わせてみた。その返事は「大川隆法はこ

う読め」に書いた通りで、私は多くの人々がいっている事実をそのまま伝えて、それをどう受取り、どう判断するかは読む人の自由

に委せようと思った。

大川隆法氏の名誉を毀損しようとは毛頭思ったことはない。

  

私が事実を事実のままに伝えようと思った理由

 

宗教家たる者は、現世を超越して悟りを開いている者であるから、過去がどうであったといわれようと、そういうことに心を動かされる

ものではない。

例えば、「ノイローゼであった」といわれようと、もしそれが事実であったら事実のままに「そうでした」というべきである。

問題であるのは、それが事実であったとしたら、そのノイローゼをいかに克服したか、そのことの中から何の悟りを得たかというその宗

教体験が、人を救うことになるのであるから、ノイローゼであったのではないかと疑問を持っていわれたことで、むきになって、名誉毀

損だと裁判によって他人に審いてもらう問題ではない。

「一切は自分の責任である」というのが宗教家の自覚である。

宗教に於いては、過去に殺人犯であろうが、どんな人間であろうが、その人の過去は問わないのである。その人が信仰をして、「今

どうあるか」という現在、その現実を問うのであって、悟ったものの第一条件は、人を赦して責めず、どこまでも深い慈悲と愛を持

つかということである。

自らが悟って「仏陀」となったといい、「神」となったといっている大川氏が、人権を侵害しているとも思われない過去の些事をほ

じくりだして、宗教の次元でなく、法律で規定している一般社会の秩序を維持するという低い次元に問題を持

ち込んで、そこで解決しようとしていることは、大川隆法氏には仏陀の持つべき徳性である慈悲と愛の赦しの

心もなく、自ら悟った者だと口ではいっているが、実際には悟っていないことを自ら証明するものではないのか。

私の「大川隆法はこう読め」は、事実として名誉毀損になっていない。

私がこの本を出版したのは平成三年八月である。この本が大川氏の名誉を毀損し、幸福の科学の発展に大きな阻害を為しているので

あったら、平成三年中に私に対して裁判をかけてよい筈である。

平成三年、平成四年、平成五年、平成六年前年と、幸福の科学からはなんの申し入れ抗議もなく、八月に到り、突如として提訴した

ことは、明らかにそこに作為を感ずる。

「神」を称し、「仏陀」と称し、「悟った」と称する大川氏が、突如として乱心して、裁判に持ち込むという心理は、普通何の信仰

もしてないで良識あると思われる人でもよくしないところの、良識以下の人々のやることである。

 

私は大川氏がそういう心の持ち主であることがわかっていた。だからそういう心を反省してもらいたいと思って、一つには大川氏を

救いたいという、慈悲と愛の心を持ってこの本を書いたのである。

例えば、わが子を愛している慈父は、たとえ子供がまちがったことをしていると思われる時は、「子供よ、お前がまちがったことを

していても、それはそれでよいのだ」と、子供のいけないことを助長するような甘いことはいわないであろう。

大川氏は自らを「神」だと信じ、幸福の科学の会員達は「そうだ」と信じているのであろうが、他の人々はそうは思っていない。

私は大川氏よりも、年令的にも、宗教体験の上からも、悟りの点からいっても先輩だと思っている。先輩が後輩を論ずることは当然

の礼である。自分では”これで正しい”と思っているであろうが、私の眼から見たら幼稚な点がある。それを正しく指導しようとい

う愛の心で欠点を指摘したのであるから、むしろ私は感謝されて然るべきであると思っている。

要するに、私と大川氏では、宗教観、人間観が根本的に違うようである。

 

 

高橋信次先生と大川隆法氏の違い

 

 

私は高橋信次先生の弟子であった。高橋信次先生は昇天される前々月、「私が説いたことを、一から十まで全部わかってくれたのは

園頭さんが一人だった」といって下さった。

私は二十三才で戦地で中隊長をしていた時、「宇宙即我」に到達して悟りを開いていた。

高橋信次先生を師としてきたから、大川氏が、「高橋信次霊言集」を出し、「高橋信次の新復活」と出すに及び、そうして自ら

「釈迦大如来」と称するに及んで、「これはホントかな」と思うのは、弟子として当然である。

この二著を読んだ人達は、「大川先生は素晴らしい霊能力を持っていられる」と信じた人もあったようであるが、高橋信次先生のこ

とをよく知りたかったら高橋信次先生の直接の著作を読めばよい。親鸞上人のことを知りたかったら、親鸞上人著作集を読めばよい。

何も大川氏の「親鸞上人霊言集」を読む必要はない。それよりも比較してみればよいのである。

私は高橋信次先生の教えをよく聞き、本もよく読んでいたから、大川氏の「高橋信次霊言集」「高橋信次の新復活」を見て「これは

おかしい」と思った。

高橋信次先生は一切身辺を飾らない人であった。大川氏が「仏陀」と自称して、チンどん屋が仮装行列するみたいな扮装をしている

のを比較しておかしいと思った。

違うことを違うというのは当然であり、違うと思っていながら、正しいですよということは間違いなのではないのか。

本を出版するということは、自分の所論を一人でも多くの人に知ってもらいたいということと同時に、どこからでも、どんな立場か

らでも自由に批判して下さいと、どんな人からの批判を受けてもよいということで出版するのであるから、私が「高橋信次先生の霊

が出てきて書かせたとは思わない」ということは、私の自由であって、大川氏から何らかの制約を受ける必要はない。

意見が違ったら堂々と論争をすればよい。

私は今まで何回か公開討論会をしようと申込んだが、返事すらもらったことはない。

 

請 願

 

裁判官殿に請願する。

大川氏に、本当に高橋信次先生の霊が出てくるのであるか確かめたいので、大川氏を法廷に出さしていただきたい。

私が審神者(さにわ)となって調べたい。

 

もし、霊査して、高橋信次先生や親鸞上人、キリスト、内村鑑三、谷口雅春等、「〇〇霊言集」と称して出版したものが、正しい

霊言ではなくて、大川氏がそれらの方々の本を読んで、それを記憶していて、眼をつむって、恰も霊が憑ってきたように詐術して、

そうして書いたものだとしたら、大川氏はどうするのか。

私が何人かの人に聞いた事実(ノイローゼであった、あったらしい)をそのまま書いた影響と比較すれば、何百万人という人を欺し

たその罪は大きい。その罪の償いをどうするのか。私はそういう誤りを犯させたくないために「大川隆法はこう読め」を書いたので、

名誉毀損どころか、私は、大川氏の過ちを少なくさせて、大川氏の名誉を守ってやっているのである。そして宗教家としてもっと

学ぶべき事は学んでほしいと励ましの意味で「小学校程度」と書いたのである。

 

 

 

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正しい霊能、霊言減少であるかどうかを判断する基準

 

あの世とこの世との関係 霊界の法則

 

無神論者は、あの世 霊界はないというのがあの世はある。あの世とこの世とを通ずる法則がある。その一つが 類は類で集まる。 と

いう法則である。例えば一万ボルトの電流をそのまま家庭の電気として流すことはできない。流せば爆発する。だから変電所を通し

て電圧を下げるのである。

あの世には、つぎのような段階がある。

 

 人間は、いろいろな霊の段階からこの地上に肉体を持つ、肉体として生まれれば人間はみな同じような格好をしているから、見た

形は同じである。

見た形は同じであっても、持っている魂は一人一人違うのである。

如来界の人の魂が憑ってくるとすれば、その人も如来界の魂の持ち主でならなければならない。

神界というのが、人間としての持つべき標準の魂の世界で、地球全体の平和、調和を考えることが出来、慈悲、愛の尊さもわかる。

しかしそれは頭で知識として分かっているだけで実践がない。いうこととやることが違うのである。口でいうことはりっぱであるが、

やることは自己本位のところがある。新興宗教の教祖となる人達は大抵この段階である。

例えば、口では、宗教は金はいらないというが、実際には金集めをするのである。

 

魂に段階があるということは、宜保愛子氏の例でよく分かる。

宜保愛子氏は、自分で、私の魂はビルの一番高い所位までしか上がれない。それ以上へはゆけないと自著に書いていられる。だから

宜保愛子氏に見える霊は、地上に執着を持っている地獄霊だけであって、天上界の明るい高級霊の世界は見ることはできないので

ある。 

正しい霊能現象というものは、人類を救いたいと念願していられる如来界、菩薩界の高級指導霊、最上級高級指導霊が、肉体を持っ

た高級霊を、小さい時から訓練して、最初は低い段階の霊を憑けて、次第に徐々に高い段階の霊を憑け、肉体的にも人間としても

常識的に成熟した段階で最高級指導霊、上々段界の指導霊が憑ってくるのである。

その事を一番よく書いてあるのが、生長の家教団で発行した「天と地とを結ぶ電話」

アガシャと名乗る最高級指導霊が、リチャード・ゼナしにうつってきた氏に憑って来たことを書いた本である。今この本の版権は私

が持っている。

日本にはこのような例はまだない。

今まで、なんの宗教的な知識もなかった人間に、突如として釈迦、キリストの霊が憑ってきていわせることは絶対にない。

例えば、今までノイローゼでないかと思われていた人間に、釈迦、キリストの霊が出てこられることは絶対ない。

私が「高橋信次霊言集」に疑問を持つのは、果たして、本当に高橋信次先生の霊が出て来て、いわせられたのであろうか、というこ

とである、私はウソだと思っている。これは大川氏が、高橋信次先生の本を何冊か読んで、それを記憶して置いて、恰かも高橋信次

先生の霊が憑ってきたように眼をつむって、記憶していたことを喋っただけにすぎないと思っている。元GLA会員の中にもそうい

う人がいた。

それで私は、果してそれが本当かどうかを確かめたいと思って何回か大川氏に一対一で会いたいという手紙を出したが一ぺんも返事

は来なかった。

 

高橋信次先生は過去世にインドで釈迦であった方である。如来界の方である。そのかってお釈迦さまであった高橋信次先生の霊が、

大川隆法氏如き(失礼かもしれないが)人間に出てこられる筈はないと思った。

本当に高橋信次先生の霊が出てこられるのであるかどうか、それを確かめたいと思うのは弟子として当然であろう。本当のそうであ

ったら大川氏は私を呼ぶべきである。

 

本当に霊が憑ってきたのであるか、それを確かめる方法がある。その方法を取らないで、唯本人が口でいっていることは信用にな

らない。

例えば、大川氏の霊言集

「親鸞です」 「内村鑑三です」 「谷口雅春です」で始まっている。

大川氏の例言集の中で、実際に私が知っているのは元生長家教団教祖谷口雅春先生と、GLA高橋信次先生の二人である。顔つきも、

身体つき、話される言葉のイントネーションもみな知っている。

霊が憑ってくるということは、その霊が完全にその肉体を支配し、声帯を支配することである。

例えば、私が昭和六二年、ロサンゼルスのアガシャ教会に行った。そして降霊界があった。霊に降りてきてもらうためには、そこに

集まって来ている人達がそれぞれに心を浄化しなければならない。そのための儀式がある。

大川氏は、いろいろな方々の霊が出て来るというのであるが、心を浄化するための儀式を持っているのであろうか。私には持ってい

るとは思われない。その心の浄化の儀式もなし二、「それなら親鸞上人に語ってもらいましょうか」といって眼をつむって、霊が

憑ってきたように見せかけるだけではないか、いわゆる詐術ではないかと思っている。だから、一ぺんその状況を見たいと思ってい

るのである。見れば一ぺんでホントかウソか分かる。

 

アガシャ協会では、主宰のサルバット師が霊憑り代になられた。例席した者も全部儀式に順って心を浄化した。

サルバット師の表情が変わった。高級霊が出てくる時は、予め、憑り代となる肉体が、その霊が憑って行った時に霊圧に耐えられる

かどうか、指導霊をまず憑かせるのである。

サルバット師が深い瞑想に入られた。頬がにっこり微笑んだ。口が開いた。言葉が飛び出した。四、五才頃と思われる日本の少女の

霊である。サルバット師は普通は日本語は話せない。しかし、霊が憑ってくると完全に声帯を支配して子供の声になるのである。口

をつぼめて「オホホッ」と笑い出された。

その少女の霊は去った。

サルバット師の表情はきびしく、しかも穏になった。

霊が憑ってくる時は、長いソファーかベットに横たわって、本人の意識はなくなるのである。大川氏はどんな姿勢をしているのであ

ろうか。

声が出た。列席したアガシャ教会の人々はそれがリチャード・ゼナー師の霊であることがわかった。そこにリチャード・ゼナー師の

未亡人が来ていられた。その未亡人が呼ばれた。その時、サルバット師は無意識のうちに眼はつむったまま、リチャード・ゼナー師

になっているのである。

未亡人が「おなつかしゅうございます」とサルバット師のひざをさすり、手を取られる。そして眼はつむったままにこにこして、

「わたしが早くあの世へ帰って苦労かけました」とねぎらわれる。そして、

「わたくしが、やがて日本からソノガシラという人がここに来ると予言をしたのは一九六七年〈昭和四十二年〉でしたね」

「ハイ、そのことはよく記憶しております。今、その方がここに来ていられます。」

 

昭和四十二年、私はその時、成長の家教団飛田給練成部長をしていて講義していた。

突如として天から、「そなたはやがてアメリカに行くことになる」という声が聞こえてきた。その頃の状態で、私がアメリカに行く

などという事は全く考えられなかった。その頃すでに私は、「いづれ成長の家はやめなければならない」と考えていたから、成長の

家の関係で行くことはないであろうと考えると、どうしてアメリカに行くことになるのか、皆目見当はつかなかった。

それが昭和四十七年、成長の家教団をやめて大阪吹田市のトールス教団に移り、昭和四十八年、高橋信次先生に出会い、昭和五十

一年、高橋信次先生が昇天され、昭和五十三年、正法会〈国際正法教会〉を設立し、昭和四十二年の天上昇からの声に順って、昭和

六十一年、ロスのアガシャ教会に行ったら、アガシャ教会の人々は、「やがて日本から『ソノガシラ』という人が来る」ということ

は知っていられたのである。アメリカの人達が、「ソノガシラ」「ソノガシラ」と発音していられると、その内に「Son of

 Agashiya」と聞こえてきて、私が行くということを通知しておいたので、特にゼナー夫人は、「アガシャの息子が帰って来た。」

と抱きついて来られたのであった。

 

そのようにして降霊会、霊が憑ってくるということが、どのようになるのであるか、よく見て知っているから、大川氏が、いろいろ

な方の霊が出てくるといっているその現場を見てみたいと思うのである。

もう一つ大川氏と対決したいと思っていることは、本当に霊が出てきていわせるのかどうかである。

先にロスのアガシャ教会の降霊会のことで書いたように、霊が出てきていわせるという現象は、出てくる霊が、憑る人の全肉体、

全精神を支配することなのである。

 

    高橋信次先生の霊が憑ってくるとどうなるか。

 

高橋信次先生はインドで釈尊であった方であるから、大川氏の心は釈尊と同じような悟りの状態でなければならない。

霊が憑ってくると顔つきが高橋信次先生に似てくる。

そして、声が、そのイントネーションが、その場の雰囲気が、変わって来なければならない。高橋信次先生そっくりになって出るの

である。

例えば高橋信次先生は浪花節が好きであった。ある年の新年宴会で、壽々木米若の霊を入れてみますといわれて「佐渡情話」の一節

を唸なれた。それは米若そっくりであった。

それで大川氏に高橋信次先生の霊を呼び出してもらって、高橋信次先生が得意であった「小諸追分」を歌ってもらうのである。

果たして高橋信次先生そっくりの歌い方になるかどうか。

大川氏が「とても歌えません」といったら高橋信次先生が出て来られるというのは真っ赤なウソだということになる。

 

高橋信次先生は、長野県の佐久の出身であったから、高橋信次先生の言葉の中には信州訛があった。大川氏に高橋信次先生の霊をい

れてもらって話をしてもらう。その時の話し言葉が、大川氏は徳島出身だから、徳島訛りがあったり、関西弁の調子があったらそれ

はウソである。

 

また、高橋信次先生と私との間で、二人だけで話をした、他の誰も知らない話があるのである。その話を大川氏に憑って来た高橋

信次先生の霊にたづねるのである。「そうでしたね、あの時はこうでした」と答えることができなかったらそれはウソである。

さらに大事なことを聞けばよい。

今になってGLAの講師達は、「高橋信次先生は、高橋佳子先生を後継者にといって亡くなられましたといっているのである。」

後継者にといわれた高橋佳子氏は、「ミカエル宣言」をして、「釈迦もキリストも人類を幸せにする法を説かなかった。仏教、キリスト

教はローカル(地方)宗教であって世界の宗教ではない。高橋佳子は高橋信次の心臓部分であって、高橋佳子が出た以上高橋信次はぬけ

殻である」といった。

このことについて、高橋信次先生の霊はどう考えていられるか聞いてみたい。

 

さらに、霊が憑って来た時の状態は、その肉体と精神の支配権を全部委せているのであるから、大川氏の肉体はそこにあっても、

その心を支配し、その口を支配しているのは高橋信次先生なのであるから

「高橋信次先生の霊よ、あなたはこの大川氏に憑られたことがありますか」と聞けばよい。

 

    心霊の法則を全く知らない大川隆法

 

大川氏がいろいろな霊言集を出し始めた時「大川隆法は心霊の法則も知らないので、子供欺しみたいなことをする。また、その他愛

もない手口にひっ掛かる日本人も多いもんだ、いい年をして、大学も出ているというのに、ひとかど社会的な地位もある人が…」

と思った。

多くの人々は、本当に霊が憑ってくる正しい霊能現象と、霊をおもちゃにしている霊媒現象(例えば、青森の恐山の”いたこ”等)

の区別を知らない。

一人の人間にいくつもの霊が出てくるというのは、霊媒現象であって、こういう現象を起こさせるのは動物霊か地獄霊の作用であっ

てわれわれはこういう現象を認めない。

断食したり滝に打たれたりして、”観世音菩薩が現れた。不動明王が現れた”といっているのも、動物霊、地獄霊のしわざである。

こういう現象をじーっと見つめていると姿を見せなくなる。こういう現象を”動物霊が変化”したという。

”観世音菩薩”を拝んでいるといっても、実際は動物霊、地獄霊信仰をしている人が多いのである。

 

いろいろな霊が出てきていわせるという霊能現象に於いては、果たしてそれが正しい霊であるか、動物霊や地獄霊ではないのか、

それを審判する審神者(さにわ)が必要なのである。

 

光の指導霊が人を通じて霊言させようという場合は、一つの指導霊は一人の人を限定して、その人が自分の指導に耐えられるよう

に、子どもの自分から訓練して、自分の指導し易いようにその人を育てる。そうしてもうこれでよいという時になってはじめて名乗

りを上げて霊言をさせるということになる。

大川氏の霊言をわたしがウソというのは、大川氏は小さいときからそのような霊的訓練を受けた形跡はなく、また、一人の人間に

段階の違う霊がつぎつぎに出てきて支配することはないからである。

私のいうことが嘘だといわれるなら大川氏を一人、何人かの前に引き出して。

内村鑑三先生の勉強している人が、内村鑑三先生の霊を出して下さいといって出させて、「内村鑑三先生はどんなことを教えられま

したか。」と質問するのである。そして「内村鑑三霊言集」に書かれていることとそっくりなことをいわれるか。

或いは、成長の家教団の会員は、谷口雅春先生の霊を出して下さいといって出してもらって「谷口雅春先生は何を説かれましたか」

と聞くのである。そして、 「内村鑑三霊言集」と比較してみるのである。

 

大川氏は一連の霊言集を書く時、何人かの側近の前で、霊を浄化する儀式もせずに、瞑想するふりをして、

「ハイ、今度は親鸞の霊を・・」

「ハイ、今度はイエス・キリストの霊を出しますよ」と

遊び半分の気持でいったのだと思う。

そんなふざけた態度の人間に、光の大指導霊といわれる如来界の方々の霊が出て来られる筈はない。

 

日本の心霊学者ではまだやっているということを聞かないが、その霊が正しい霊であるかどうか、その霊が出てくるという人の霊が

果たして同一の正しい霊であるかどうかを確かめる方法をして取っているのが”交叉証明”である。

 

普通、欧米の心霊学会で執っている方法は大抵三人の霊能者〈場所を違えて〉を選ぶ、最初の霊能者に、その人〈霊〉が持っていた

ものを示して、その霊に「これは誰の持ち物であるか」を聞く。そしてぴたっと当てればその出てきた霊は確かに「○○霊」で

あると判定する。その持ち物を、その霊能者とは違った土地にいる、第一の霊能者の全く知らない第二の霊能者に示して、「それは

誰の持ち物であったか」を聞く。そして同一人物のものであるといった場合、第一の霊能者に出てくる霊は、まさしく「○○霊」だと

認定する。こうした交叉証明を得ないものは認めないのである。

 

 

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大川隆法氏に、高橋信次先生の霊が出てくるのは本当かを確かめる実験

 

 

本裁判に於いては、最低、このことだけは法廷で実験してもらいたい。

 

高橋信次先生の生前の持ち物を、例えば、時計なら時計を、それとよく似た同種の時計といっしょに(五ヶ位でよい)並べるのであ

る。

そうして大川氏に高橋信次先生の霊を呼び出してもらい「先生が生前愛用していられた時計はどれですか」と聞いて選ばせるので

ある。一回だけではまぐれ当たりということもあるから、品物を変えて十回くらい実験するのである。その内、一回でもはずれた

らダメ、十回とも全部当たらなければいけない。

 

大川氏が、高橋信次先生の霊が出てくるといったのは、それは、大川氏自信が自分でいっているだけで、誰も果たして、そうである

かと判断する交叉証明を経ていない。

そう言うものは、その人の寝言、狂言としか認めないのが欧米の心霊学会である。

 

そういうことをしなくても、一ぺんでわかる方法がある。

大川氏に高橋信次先生の霊を出してもらって、GLAの高橋一栄氏(未亡人)高橋佳子氏(長女)と対面させるのである。そして、

大川氏のいう声が生前の高橋信次先生の声であるか、そして、生前の夫婦、親子間の限りなくなつかしいという感情が起こってくる

かどうか、実験してもらえばよい。

高橋一栄、佳子氏が出廷しないというなら私が実験する。

私が霊道を開いたとき、高橋信次先生と私とは、釈尊在世当時使っていた古代インドのマガダ語で話をした。

それで、大川氏に出してもらった高橋信次先生に、私がある事をマガダ語で話しかける。それに対する的確なマガダ語で返されるかどうか。

 

日本人はそうした心霊界の約束事を全く知らない。本人が「キリストが出て来られました」といえば、それだけで、「そうか」と信

じてしまう。果たして本当にそうであるかを確かめるということをしない。

高橋信次先生が亡くなられた後、高橋信次先生が出てきて語られるというので有名になった藤原というおばあさんがいた。

巣鴨で石材店をやっていた小島惣吉さんが司会で、その藤原さんといっしょに巣鴨信用倉庫の二階で合同講演をしたことがある。

私は礼を尽くして 重対し、その藤原さんの話をよく聞いた。私が話をする番になったら、何十人か集まっていたその前の講師席

で、会の始まる前に出されたお茶菓子をむしゃむしゃ食べて、食べ終わるとこっくりこっくり居眠りを始めた。

こういう礼儀も知らない常識もないおばあさんに、かつてインドで釈尊であられた方のような、如来界の最高級光の大指導霊が出て

来られる筈はない。

その外、関西に、九州に、高橋信次先生の霊が出てこられるという人間が何人かいたが、その人たちに「私に前で出してみて、わし

が本当であるかどうかを検証する」といったら誰も出てこなかった。

 

大川氏には、「私と一対一であって、それが本当であるか」を証明してほしいと、今までに何通も手紙を出したが返事はない。

「貴様に本当に高橋信次先生の霊が出てこられるのであれば、私も考え方を変える」とまで書いてやったが、返事はない。

 

心霊のことについては冷静な智慧の判断を必要とする。言葉だけで扇動されてはならない。

 

私は、私のところに集団で押しかけてきた幸福の科学の会員に、「幸福の科学の会員はみんな馬鹿だ。低能だ」といった。

その理由はこうである。私は高橋信次先生の弟子であったから、高橋信次先生のことについてここでは述べる。

例えば「高橋信次先生霊言集」は大川氏に高橋信次先生の霊が出てこられて、いわせられたというものである。

ここで錯覚しないようにしてもらいたい。

口で言っているのは大川氏の口であるけれども、霊が憑って来たという状態は、肉体的な支配権も、心、霊的な支配権も全部、その

両方の支配権は、憑って来た霊にすべてを委かしている状態であって、いっているのは高橋信次先生であって大川隆法氏ではない。

このことに注意しなければならない。

いっているのは高橋信次先生であって、大川隆法氏ではない。だから大川隆法氏という独立した人格者は何を教義をしているのか。

そのことを問い訊す必要がある。

 

いろいろたくさんの霊言集を出しているが、「それはそういうことですが」そういうだけのことであって、「ところでいろいろその

ような霊言集を出されて、あなたは何を説こうとしていられるのですか」というまでのことである。大川氏が何を説くかということ

は一向に見えてこない。

卑近な例でいえば、

どこかの霊能者に○○の先祖の霊が出て来るという、その口を通していうのは○○の先祖の霊であって、その霊能者の言葉ではない。

憑ってきている○○の先祖霊とその霊能者とは別人格である。

だから、大川氏の場合、その霊言集はどうでもよい。(どうでもよいということはないが)それはそれとして、大川という姓を持つ

一人の人格を持つ者に対して、

「あなた自身は、どのような教義を説くのか」というのである。

どんな霊言にも依らず、大川氏自身の説く教義はどこにも見出すことはできない。

それは恐山のいたこが、いろいろな先祖の霊が語るといっているのと同じように、先祖たちの霊に代わって、キリスト、親鸞、谷口雅

春、高橋信次等という霊を持って来ただけの話である。

そういう霊媒現象を宗教とはいわない。極言すれば、幸福の科学は宗教団体とはいえない。

 

  人間一代のうちに、霊が入れ代り、人格が代ることは絶対ない。

 

肉体は肉体の法則に従って、幼児から少年へ、青年へ、大人へと変化してゆくが、心、精神、霊も成長することはあっても、その

肉体を支配している霊即ち人格は変ることはない。

十代のとき、借金したのは、五十代になってもその人が借金したからです。人格は変らない。しかし大川氏は何回も人格が変わったと主

張するのである。そういうこと事態が、大川氏は何も悟っていない証拠である。

てっとり早くいうならば、気狂い、精神異常というべきである。

本裁判に於いては、裁判は、人一代のうちに、何回も人格は入れ代るというのか、もしそのように主張されるならば、それが正しいとい

うことを立証してもらいたい。

 

幸福の科学の歴史を見ると、幸福の科学設立の初期、大川氏は次のようにいっている。

「高橋信次先生は、関西講演会で、関西から後継者が現れるといわれた。高橋佳子氏は、”ミカエル”を名乗って自ら後継者じゃな

いといった。自分がその後継者である」そういって

高橋信次先生の後継者であると宣言した。

この場合、高橋信次先生は高橋信次先生であって、大川氏は大川氏であって明らかに人格は違う。

 

しかし、「高橋信次先生霊言集」を出し、「高橋信次の新復活」を出し、「仏陀再誕」を出すに及んで大川氏は自分を「仏陀」で

あり、「釈迦大如来」であると自称するに到った。

釈迦という人格を持たれる方はこの世界に一人しかいられない。

高橋信次先生は釈迦の生まれ変わりであった。即ち釈尊その方でいられた。その高橋信次先生のは話を大川氏は幸福の科学を発足す

る以前に聞いているのである。そのとき大川氏はノイローゼであったらしいと多くの人がいうのである。

すると、同じ時期に釈尊といわれる方が二人いられたということになるが、そんなことは絶対ない。どちらかがホンモノであり、ど

ちらかがニセモノである。

 

大川氏は「釈迦大如来」だといっているが、最初、高橋信次先生の教えを聴きに来た一青年。この時には明らかに釈尊とはいえな

かった。ノイローゼではなかったのかといわれていた青年が、それからどのような修行をして釈迦大如来になったのか。その悟りの経過

は全くわからない。

人類が救われるのは、いかにせば、悟れるのかというその経過であって、釈迦大如来になってしまってからのご託宣だけではない。

釈迦とは全く違う人格として徳島県で生まれた青年が、どのようにして釈迦という人格を持つことができたのか。

一つの人格者として肉体を持った人間が、その肉体を持ちながらどのようにして別の人格者となることができるのか、その点をはっ

きり示して欲しい。

そして、今度は「神だ」といっているのである。釈迦であった生命が、いかにすれば全知全能の神となることができるのか。

 

神は大いなる慈悲と愛の持ち主であり、神はすべてのものの罪を赦す存在である。

その神が、欺しの心、慈悲も愛の心もなく、ノイローゼであったらしいと書かれてなぜ怒って、傷つけられたといって私を裁判にか

けるというのか。

裁判は俗人を裁くところである。自分のことの是非に関する問題を、なぜ俗人の社会秩序を保つためのその裁判に委ねるのか。

裁判に委ねるという行為、そのことが大川氏は「神ではない」ということの証拠ではないのか。

心の広い俗人の人格者は、たとえ、人からいろいろいわれることはあったとしても、それに腹を立てて、名誉を傷つけられたという

ことは全くない。まして裁判に掛けるというようなことをしない。

 

釈尊は、

「小人はせせらぎのようなものである。さらさら音を立てて流れる。

悟った人は深い渕のようなものである。

青く澱んで流れないように見える。」

といわれた。

 大川氏は、自ら悟った神だといわれる。

大川氏から見ると、私は小人だということになるであろう。その小人がいったことを、悟ったと称する。しかも、神だと称する人が

名誉毀損だと騒ぐことは、自ら悟ってはいない、神ではないということを、自ら告白していることにならないであろうか。

 

釈尊は、

「いうことと、やることの違う人間を信じてはならぬ」

といわれた。

大川氏よ、あなたはいうことと、やることが違っているのではないのか。

ましてあなたは「釈迦大如来だ」といっているのであるから、あなたがかつてインドでいったことではないのか。インドではそう

いったが、今生では違うといわれるのか。

しかし、高橋信次先生は、前世インドでもいわれたが、今生でも我々にそのように説かれた。

インドの釈迦、そして高橋信次先生と、今生で「釈迦大如来」とも自称している大川氏と、釈迦と名乗る人物が世界に二人いる。

我々はどちらの釈迦を選ぶべきか。

 

「今なぜ正法か」をなぜ書いたか 

 

 幸福の科学が、正しい宗教団体であるかどうかは、この小冊子を読めばわかる。

幸福の科学を脱会して「虚業教団」を書いた関谷皓元氏は、幸福の科学を脱会した人々全部にこれを読ませたいといっている。

幸福の科学は、この本に書いてあることの方が大打撃をうけるのであって、「大川高法はこう読め」を、しかも時期はづれになってから

問題にしないで、「今なぜ正法か」を裁判にしなかったのか。

 

「今なぜ正法か」を書いたのは、福井県加賀温泉の人から

「私は幸福の科学の会員でしたが、幸福の科学の間違いに気づいて最近脱会しました。

 しかし最初幸福の科学に入会したとき、これこそ正しい教だと思って一〇〇人ばかりの人に大川氏の本を送って入会をすすめました。

しかしその間違いがわかりました。

その一〇〇人の人に、一々脱会の理由を書いて出すことは不可能です。それで幸福の科学のどこが間違っているかを、短くまとめて

小冊子にしていただけませんか、そうすれば手紙といっしょに入れて送られますからといってきた。

 

「今なぜ正法か」は、幸福の科学会員を目標にして書いたものである。だから本裁判の審議に当っては、この小冊子を読んで、宗教

的に私が如何なる立場に立つ者であるか、私の宗教観をしっかり把握理解してから当って欲しい。私は些々たる個人感情で言動した

ことは一回もない。

幸福の科学の間違った教義とその行動によって。何百万という人々が苦しみ悩んでいる。幸福の科学は、表面的には人を救うと

自称していながら、その裏側では沢山の被害者をつくり出している。

高橋信次先生から正しく正法を聞いた私としては、大川氏は高橋信次先生の名を詐称しながら(ということは、大川氏は頭脳知を

利用した宗教的大詐欺漢である。この大詐欺漢に八百万人もの日本人が欺されているということは、それだけ日本人の宗教に対する

知識の程度が低いということであり、経済的には世界一になりながら、日本人の宗教心はまだまだ低いということであり、幸福の

科学に欺されたという経験を踏みつつ、宗教心を深化してゆく一つの段階だと思っている)多くの人を苦しみに落している現状を

無視するわけにゆかず、それらの人々を救わずにはいられないという衆生済度の大慈悲を持って、単に幸福の科学の会員のみならず、

宗教によって被害を蒙っているたくさんの人々、そういう人々だけでなく、何が正しいのかの判断力もなく、人を困らせようと思っ

ているわけではないが、事実として結果的に人々を困らせ悩ませている宗教団体をも救う目的を以って書いたのが、「今なぜ正法か」

である。

 

信仰している人、これから信仰しようとしている人々はぜひ読んで欲しい。

読んでゆかれるならば、ひとりでに「如何なる宗教が正しいか」が判然として救われてゆかれるであろう。

 

 

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     幸福の科学との関係(二)

 

裁判に至った近いと思われる原因

 

ある日,私の方の会員から「幸福の科学5月号」が送られてきた。

表紙は,大川隆法主宰先生スペシャル・メッセージ「方便の時代は終わった」

大川きょうこ主宰補佐先生スペシャル・メッセージ「邪教GLAを斬る!」とある。

大川隆法主宰

方便の時代は終わった。

  一、霊言・霊示集の役割はあの世の証明

  二、誤解から始まった高橋信次の復活信仰

 三、美化された高橋信次の霊言

 四、高橋信次は転生している

 五、高橋信次を指導した仙人たち

 六、仙人教団GLAの実態

 七、仏教教団と仙人教団の違い

 八、方便の時代は終わった

一読してその詭弁に驚いた。理論的に整理されていない、論理的にものごとを考える訓練のできていない、唯感情的にだけでものを

考えるくせのある人達は,支離滅裂、文章といわれない文章を読んで、大川氏がいわんとしていることはどういうことであるか全く

わからないであろう。そして、大川氏が一番最後の「これが正しいのです」といったら、その前に書いてあることがどんなにめちゃ

くちゃであろうとも、そんなことはおかまいなしに、単純に大川氏が言うことを正しいと信ずる。即極めて単純な思考力のない会員

(社会的には軽視されるべき人間)のみが大川氏を信じているという構図である。

 

わかり易くいうとこういうことである。

 

昭和五一年六月二五日,高橋信次先生が亡くなられると、GLAは誰がどのように指導して行くのか去就に迷っていた。

そこへ、昭和五二年三月五日、突如として高橋佳子氏がGLA理事会を収集して「ミカエル宣言」をし、「釈迦も、キリストも高橋

信次も、人類が救われる道を説かなかった」「ミカエルが人類の救世主である。

昭和五七年五月までには全人類はミカエルの前に跪づく」といって,自分は高橋信次の長女である

けれども,法の継承者ではないと宣言した。そのためにGLAの会員は大混乱を来たした。

一、高橋佳子氏は間違っているけれども、高橋信次先生のお嬢さんだからついて

ゆくというのでGLAにとどまった儒教的考え方のぬけ切れなかった

会員

二、私のように宗教と道徳の違いをはっきりと認識してGLAを脱退して「正

法を正しく継いで行く」と宣言したもの、こう言った人達は極めて少なか

った。

三、GLAは脱会したが,誰かよい指導者はいないかと、他の宗教団体にも              

  行くことなしにうろうろしていた。正しい宗教指導霊を求めながら浮浪し

  ていた浮浪者的人間,このタイプの人が多かった。

 

こういう状態の中で,目敏く自分の息子を霊能者に仕立て上げて,一儲けしようと企んだのが,大川隆法氏の父親善川三郎氏で

あった。善川三郎氏は「日蓮上人霊言集」を出版してその中に,「今,ある人物を霊能者として訓練中である。」と書いている。

その訓練している男とは,自分の息子であったわけである。高橋信次先生が,「近いうちに関西から私の跡を継ぐ青年が出て来る」

といわれたことがあって,このことは後に間違いであったと,当時の理事であった私達に訂正されたのであるが,そのことはテープ

に残っているので,善川親子はそれを利用して,ともに霊言を語る霊能者として登場した。

その登場する時、高橋信次先生の霊が出てくると偽った。高橋信次先生の本を記憶していて,恰かも高橋信次先生の霊が出て来られ

たかのように装う。そしていう言葉は,記憶していた高橋信次先生の言葉であるから,高橋信次先生と同じ言葉であった。

その詐欺を見破る人はいなかった。高橋信次先生が説かれた「正法」は全く理解していないで、単に過去世を語るという霊能現象のみ

に興味を持って、GLAには行かず、どこにも行かないでうろうろしていた連中,この中にはれっきとした元GLAの講師,幹部も

いて,そういう人々がどっと大川氏の下に高橋信次先生の教えを求めて走った。

そのときに大川氏と組んで元GLA会員に呼びかけたのが原久子である。原久子は自宅を大川氏に提供して黙想のまね事をやり、

会員がふえてそこが収容し切れなくなると他へ場所を移し、そうして大きな教団となった。

原久子は大川氏に協力して、幸福の科学をここまで大きくした功労者であり、恩人であり、GLAから行った人達も、それぞれ金銭

的にも献金をしているわけであり、大川氏は高橋信次先生の霊が憑ってきていわせるといって欺し、また元GLAの会員達は、高橋

信次先生が復活されたという言葉に欺されて、高橋信次在世当時のような教義と教団の在り方を求めて行った。

大川氏に宗教指導者としての正しい能力があるわけでもないし、まして高橋信次先生の霊が出てくるということも、殊に高橋信次

先生は自分に復活されたということをウソであることがわかって来たので,GLAから行った会員は一人残らず幸福の科学を脱会し

た。

その脱会した人達が、大川隆法はニセモノだったといい出した。そのことが大川氏には打撃であって、幸福の科学はそのことで混乱

をしている。そこで大川氏は自分を正当化して自分の組織を守る必要が生じた。「谷口雅春霊言集」を出したので、谷口雅春総裁死後

の生長の家のあり方にもの足りなく思っていた生長の家の会員達が、さてこそはと谷口雅春先生の教えを求めて大川氏の下に走った。

その人達が知慧が足りなかったのであるが、生長の家から走った人達もみな

大川氏のウソを見てやめてしまった。だから高橋信次先生だけでなく、谷口雅春先生も切り捨てて自分を正当化しようした。

そうして自分のことをエル・カンターレといい、エル・カンターレが正しいので、高橋信次先生の名も,谷口雅春先生の名も,方便

として使ったに過ぎないので、正しくないということは最初からわかっていたが自分はそれを黙っていたというのである。それで今

では方便の時代であって,これからが本当の自分の正しい教義を説く時代になるというのである。そのことをもっともらしく脚色し

ていっているわけである。

大川氏が,自分をノイローゼであったとうわさされたその時から,釈迦大如来、神に昇格して、幸福の科学を発展させた中心になっ

た会員は元GLAからの会員であった。

そこで私は大川氏に質問する。

 

 「釈迦であり、神である人物が,なぜまちがっているということを人にいっ

たのか、人にまちがいを教える人間が、釈迦であり、神であり得るのか」

 

 間違っていることは心の毒である。毒が毒であるということがわかっていながらその毒をのませつづけることが、慈悲であり愛で

あるのか。釈迦、神が、人に毒を呑まされるということをなさるのか。

この「幸福の科学五月号」は,本訴状前提となっている、「悟られる者」 「仏陀」 「神」であったという神霊性を、自ら破棄し

否定する文章であるから、以下のことは名誉毀損には当たらない。

 

大川氏の言動を見ていて感ずることは、道を説く者の欠いてはならないものとして,天地創造、宇宙根源の神に対する敬損さ、すべ

ての人、物に対する謙虚さがない。それがないから東京ドームで見せたような扮装するし、私の所に押し掛けて来た人達、(三十五

才から四十才代)も礼儀もしらず、傲慢横柄な態度を取るのである。

 

それにもう一つ大事な反省がない。

元GLAの会員が全員やめたのはなぜか、という反省をしていない。元GLA会員だけでなく、幸福の科学を脱退した人達は,それ

ぞれにやめた理由があるのである。

関谷 元氏は、そのやめた理由を「虚業教団」という本にした。この本に賛同する人が多いので,関谷氏はさらに第二冊目の本を出

そうとしている。

私の考えるところ,大川氏が反省しなければならない点は,

第一 高橋信次先生の霊が憑って来られたわけでもないのに、憑って来ていわせるとウソをついたこと。

そのために、高橋信次先生の教えを求めていた人達が、真実かと思って集まったのである。

第二 大川氏の出した各遺言集は、すべて大川氏の記憶の所産であって、それぞれの霊が出て来ていわせたのではないこと

大川氏が「谷口雅春霊言集」を出した時、私はその大胆というか、恥知らずというか、彼は気違いになったのではないかと思った。私

は生長の家教団の本部講師をしていて、谷口雅春先生にはいつも接していたから、谷口雅春先生の教義は一番よくわかっていると

思っている。

谷口雅春先生のことを知りたかったら,先生著の「生命の実相」を読めばよい。それと同じように親鸞上人のことは「親鸞上人全集」を、

内村鑑三先生のことは先生の全集を,キリストのことは聖書を,「仏陀再誕」については,今までの「釈迦伝」そして高橋信次先生の

l間釈迦」を読めばよい。

 

幸福の科学の会員も頭の弱い,知性のない人が多いと私がいうのは,前記した様に,高橋信次先生のことといえば,「高橋信次霊言

集」だけを読んで、高橋信次先生の著作全部を読んでいないことで「果してホンモノは何か」という検証を全くしていないことである。

 

私は本裁判で,大川氏に法廷に出てもらい,私の眼の前で,果して,高橋信次先生,谷口雅春先生の霊が出て来られるのであるか

証明をしてもらう。

大川氏が,私の求めに応じて出廷しないならば,彼が霊がいわせたというのはウソであるという証拠である。

 

以下続く 

                                                     

 

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大川きょう子主宰補佐先生 スペシャル・メッセージ

 

  「邪教GLAを斬る」

 

仏教を擬装した仙人教団 GLAと崇り神 高橋信次の正体

高橋信次の本来の使命は教団づくりではなかった。

数々の問題を含んでいる高橋信次の教え

霊的啓蒙は宗教家の第一号                         

霊道現象は「悟りではない」

教えと信仰による救済こそ表側の世界

 

 

 この篇の最初に書いてある高橋信次先生死後の分裂は事実である。

 私は高橋信次先生の弟子であり、霊道を開き、過去世のことを思い出し、高橋信次先生を知る者として、この一文は看過することはで

きない。

 「GLAとは、仏教を偽装した仙人教団であった」という。高橋信次先生はインドの当時のことを思い出して「人間釈迦」を書かれ

た。

 大川氏は「釈迦大如来」と称しているが、高橋信次先生が書かれたと同じような、「釈迦の生誕から悟りに至るまで」を書かれた。

 「GLAは悪霊の生産工場となってしまった」という。確かに現在のGLAはそういえる。しかし、今のGLAは高橋信次先生が創ら

れたGLAと、名称は一しょでも中味は丸っきりちがう。釈迦もキリストも否定してしまったのであるから悪魔といえる。

 昔のGLAの中にも、霊道を開いたという人の中にも、正法がわからずに「高橋信次霊言集」に欺されて幸福の科学に走った人達が沢

山いる。その人達も結局大川氏のウソがわかって幸福の科学をやめた。ところがなぜやめたかということに対する反省がないのである。

 これは私が「今なぜ正法か」に書いて置いた通り、

 「人間が神になることはできない。

 教祖を神格化する宗教は邪教である」

に該当するものである。

 

  幸福の科学が邪教である根本理由 

 

 このことを知るには、まず「神の無謬性」ということを知らなければいけない。

 

 全智全能 一切の善の根源を「神」という。

 神が悪を造ることはない。神が不完全なものを造ることはない。神の創造は一切完全である。

 教祖を「神格化」して「神」にしてしまうと、神は間違ったことをされないから、教祖のいわれることはすべて「正しい」と考える。

 そのために、教祖の言葉に疑問を持ち、疑いを持つ者は、その持った人間が悪いということにされてしまう。

 「神」になった教祖に反省はいらない。反省することはない。

 「神」に歯向うのは「悪魔」しかいないから、反対する者は皆「悪魔」にされてしまう。そのことを如実に現わしているのが、「幸福

の科学五月号」である。

 大川氏に高橋信次先生が出て来られる。或は大川氏が高橋信次先生の再来であると思ってGLAから走った連中が、全部大川氏のウソ

に気づいてやめてしまった。

 そうなると、大川氏は神さまになっているから、神さまは絶対に悪いことはないのであるから、疑問を持ってやめた者が悪魔であり悪

い奴なのであるから、結局は、その人達と同時にその本源である高橋信次先生を悪者にしないと仕方がないということになる。

 そして、「特集し、仏敵を糾弾する!」でやめた人達をみな「仏敵」とし、「ユダ」としている。

 幸福の科学を創立するのに一番功績のあった 原久子、関谷皓元氏が真っ先に「現代のユダ」だとされている。

 

 「幸福の科学五月号」こそは、幸福の科学が「邪教」であることを証明するものである。

 

 こんな月刊誌をよくも国民の前に出したと思う。少し宗教的良識のある人間は、心の中では思ったとしても、文章にして表に出すとい

うことは、恥かしくて、自分の品位を下げることになるのでとてもこんなことは書けないものである。

 それを臆面もなく堂々と月刊誌に書くのであるから、精神異常ではないか、正しい知性・理性を失っていると考えられるのである。

 

  大川きょう子主宰補佐が「邪教GLAを斬る」を書いたことについて

 

 道徳の世界は「夫唱婦随」であるから、夫がいえば妻も同じことを「いう」ということになる。

 しかし、宗教の世界は、一人一人の霊性を問題とするのであり、「悟り」は、夫が悟ったからといって妻も同時に「悟る」ことはあり

得ない。

 私は、妻のきょう子氏は悟っていないと思っている。妻としての教養も知性もないと思っている。

 少しでも宗教のことがわかって知性があれば、夫が間違ったことをしようとする時は、「やめたら」と注意するのが妻の役目ではない

のか。それを「やれ、やれ」とけしかけて、夫と同一口調になって「邪教GLAを斬る」という。だから、

 本裁判に置いては、「大川きょう子主宰補佐」は果して悟っているかを検証しなければならない。

 

  GLAは邪教であるか

 

 高橋信次先生の時のGLAと、現在の高橋佳子氏が主宰するGLAは、名称は同じでも中味は全く違う。 

 高橋佳子氏の主宰するGLAは、釈迦、キリスト、そして自分の父親でもあった高橋信次先生をも否定しているのであるから、明らか

に邪教といえる。

 高橋佳子氏が「ミカエル宣言」をした時、私は驚いた。

 「世界の歴史上、これほどまでに見事に、釈迦、キリストを否定した人間はいない」「二代目は、初代教祖の遺志を固く守って伝えよ

うとするのが例であるのに、これほどまでに見事に、初代教祖を否定した二代目もいない」

 私はこの「ミカエル宣言」を開いて、これで高橋信次先生の教えを開いた人々はみんなGLAをやめてGLAは崩壊すると思った。

   あにはからんや、宗教と道徳の区別のできなかった、即ち本当に正法がわかっていない人が多くて今にGLAが続いている。

 

 GLAの「ミカエル事件」といい、「幸福の科学がひき起こしている事件」といい、このことは日本人の多くが、儒教と宗教、霊能力

と宗教、霊能力と道徳の分別ができていない。

いわば、宗教的にはまだ無知であるということを示すのである。

 多少霊能力のあると思われる人が、何かをいうと、すべてを正しいと思い込むくせが日本人には強い。

 幸福の科学は、現在のGLAが邪教であるといっているのは正しい。

 しかし、高橋信次先生時代のGLAを邪教だといっていることは許せない。

 

  大川氏が正しいか、高橋信次先生が正しいのか

 

 大川氏は、幸福の科学五月号、五「高橋信次を指導した仙人たち」の中で私のことをつぎのように書いている。

 「ちなみに、この高橋信次時代のGLAでたとえば舎利佛 シャーリープトラと称していた園頭という人が九州にいて、いまだにいろ

いろと当時のことを言っていますけれども、この人も天狗です。」

 

 幸福の科学六月号では、

 「仏敵、仙人教団GLAとその亜流の実態を暴く」

    本部講師 細川天舟

 の中で、

  分派その1 霊能信仰の権下となった天狗 園頭広周(正法会)

 の中で、私のことを誹謗している。

 この中で

 「この園頭の批判体質は、幸福の科学から『仏陀再誕』が出版されるに至って、さらにボルテージが上がる。」と書いているがそれは

当然である。

 高橋信次先生を釈尊だと信じている私にとって、大川氏は「自分が仏陀であった」といい、その「仏陀再誕」を読んで幸福の科学に行

く者があるに置いては、「ニセ仏陀に欺されるな」といい、且つ書くのは当然である。

 大川氏が「仏陀再誕」を出したことに、もし私が黙っていたとしたら、高橋信次先生の存在を知らない後世の人々は、大川氏の「仏陀

再誕」を、読んで、「大川氏こそ仏陀であった」と思うであろう。

 高橋信次先生の弟子の中で、大川氏を「ニセモノだ」といっているのは私が一人である。

 外は皆、大川氏に反論できないでいる。

 大川氏の前に「お前こそニセモノだ」といって立ちはだかっているのは私一人なのであるから、なんとかして私を沈黙させよう、排除

しようとしてくるのは当然である。

 しかも、私は過去世でシャーリープトラ(舎利弗)であった意識を持っている。そうであったということを元GLAの会員達はみな知

っているし、また、そのことが本にも書いてある。もし私がここで何らの反論もしなかったとしたら、私も死に、大川氏も死に、現在の

人々も皆死んでしまった時に、本はそのまま残って独り歩きをする。

すると、

 「園頭という人は、釈迦の十大弟子の筆頭シャーリープトラであったと高橋信次先生はいって書いていられるけれども、大川隆法なる

人物が現れて、『自分が仏陀であったといい、高橋信次先生のことを仙人界の天狗だと書いているけれども、園頭というこの人は、釈迦

第一の弟子といわれても、大川氏が生きている時にこの人も生きいられたのであるし、大川氏がそういったことに反論しなかったのであ

ろうが、シャーリープトラーであれば反論しなければならない筈である。

 反論しなかった、できなかったということは、そのことがこの園頭という人はシャーリープトラではなかったのではないか。

 そうすると、園頭氏をシャーリープトラだといった高橋信次というこの人もニセモノだったのではないか。

 そうなると、大川という人が真の仏陀であったということになるが、それにしても、高橋信次という人の書かれた「人間釈迦」その他

の著作と、大川という人の本を読み比べてみると、どうもこの大川という人が仏陀であったとは信じられない」ということになって、今

後何千年、何万年に亙って、後世の人々を混乱させることになる。だから、自分の時代でこの問題のケリをつけて置こうと、そう思って

私は大川氏と一対一で対決しようと思ってつぎつぎと質問の手紙を出したのである。幸福の科学本部に質問に行く、といったら、「来て

くれるな、手紙をくれるな」と安藤氏からいってきたので「そういうことは、大川氏がニセモノだと認めたことになる」といってやっ

た。

 そうしたらいきなり「裁判に持ち込まれた」というわけである。大川氏は安藤氏を通じて、「あなたが私のことをいろいろいわれるこ

とに一切介入しません」といってきたから「あなた方は、あなた方の信ずるところに従って自由にやりなさい。私は私の考えで自由に行

動します。私はあなた方に手紙をやったりしないから、あなた方も私のやることに文句をつけないようにしなさい」といったばかりのと

ころに、全く不意に「裁判」ということになったわけである。

 だから、大川氏の行動は、常識人として守るべき「信義」に反する。まして「自分は仏陀だ」 「自分は神だ」と称する人間が果して

このような常識人すらもしない信義に反する行為をするのであろうか。

 

 大川氏は高橋信次先生を「仏陀ではない」と否定し、高橋信次先生がいわれた「釈迦の十大弟子」も天狗だといって否定したのであ

る。

 そして大川氏は自からを「釈迦大如来」と称している。

 それなら、大川氏の側近で、かつての十大弟子にあたる人物は誰なのか。それはいるのかいないのか、私に対して甲斐通右氏を通して

「園頭さんを早く連れて来なさい」といったのはなぜなのか。もし私は大川氏の下へ行っていたとしたらどうするつもりだったのか。

 

 今になってどうして私を「天狗」であるといい出したのか。

 他のGLAから来た人達でも、大川氏をホンモノかなと思っていた時は「GLAを斬る」とはいわなかったのである。GLAから来た

人達が全部やめてしまったら突如としてそういい出したのである。

 

  私が大川氏に一対一で会って、大川氏が果して「仏陀」であるか、「神」であるかと確かめたいと思っている理由

 

 大川氏は私を、取るに足らない天狗だといっているのであるから、自分が仏陀であり神であったら、私如き人間と会わないという理由

はない筈である。

 私と会って、「かかるが故にお前は仙人で天狗でニセモノである」と、私が納得できるように説明してもらえば「ハイ そうですが」

とすなおに大川氏に服しようと思っている。

しかし文章で平易「天狗」であると書いてあるだけでは、「なぜ、天狗なのか」という理由は一切説明されてない。

 私としては「天狗だ」といい放しにされただけで「ハイ、そうですか」と黙っているわけにゆかない。

 一対一で話をしたいといっても拒否していた大川氏と、法廷で論争することになるとは願ってもない幸いである。大川氏に感謝する。

 

  霊は、人一代のうちに入れ変わることができるのか。

 

 大川氏が自分は悟った考え仏陀 神といっていることに対して、確かめて置かなければならない問題がある。これを解決してかからな

いと本裁判は正しい解決はできない。

 

  霊 魂 説

 

高橋信次先生だけでなく、これまでの世界の歴史上に於ける宗教、また霊能者は、人間が「オギャー」と生まれて

来る前に、個性を持った霊魂はその人間の肉体に入って、その肉体を支配するのであるという。個性を持った霊魂

が肉体の成長とともにいろいろな勉強をし、体験をして、やがて時がくると、死を迎えて肉体を脱ぎ捨て、あの世

へ帰って次の再生の時を迎えるという。

これに対して大川氏は、同一肉体を持っている間に、何回もその肉体を支配している霊魂は入れ替わるのであると

続く。果して、そうなのか。

 

このことを決めてから論議に入るべきである。

 

 

  人間尊重、人間の尊厳、人格権

 

 人間の霊魂が、一代のうちにくるくる入れ変わるのだとしたら、人格権、人間の尊重は何もない。法律も役に立たない。

 大川氏は善川三朗氏の子供として徳島県に生まれた。この時既に大川氏の人格は決まっているのである。

 その大川と名づけられた。誰とも違う個性を持った人間は、成長して東京大学に行き、商社マンとなり、ノイローゼではなかったかと

いわれる時代を通過して、やがて高橋信次先生の教えに触れ、幸福の科学を設立した。

 その大川氏が突如として「仏陀再建」を書いて、「自分は仏陀である。釈迦大如来である。かつての仏弟子よ集まれ」と言いだしたの

である。

 凡夫であった霊魂が、突如として「仏陀」になり、「神」になることはない。

 

 霊魂によって人格は発生する。霊魂が入れ変わることはない。もし霊魂が入れ変わるのだとしたら、霊魂が入れ変わって別の人格にな

りましたということは、何を以って証明するのか。大川氏が「仏陀」になったという証明はどこにもない。「神」だという証拠もない。

唯大川氏が口でいっただけである。

 霊魂が入れ変わって人格がその都度変わるのだということになると、

 例えば二十才の時に借金する。四十才になっても払わないので請求する。すると二十才の時に借りた人間は前の人間で、今四十才にな

っている私は、二十才の時に借りた人間ではありませんということになったら責任の所在がなくなってしまう。

 だから、法律の根拠になっているもには、人格の統一、人格権の確立なのである。

 大川氏が「仏陀であった」といったことが真実であるとしたら、オギャーと生まれてきた時から仏陀の魂を持っていた。しかし幼児は

まだ未開であっても、今になってそれが全開して「仏陀」となったというわけであるが、それで私が、インド時代の釈迦は、幼児等の頃

からのいろいろの修行をされた。だが大川氏はそれに必要する修行をしたことがあるのかと質問したのであるが、それには答えられない

のである。

 まして「エル・カンターレだ」「神だ」ということに措いておや、

 人間が神になることは絶対に出来ない。

 人間が神の意識になることはできない。

 それなら、大川氏は、どのようにしてこの宇宙の全森羅万象をつくったのか、どうして水、空気、太陽など造ったのが、大川氏は神で

あったら答えることができなければならない筈である。

  だから私は大川氏に

 「あなたの魂はいつ入れ変わったのであるか、その時期を示せ」というのである。

 

 法律の前提になるのが人格の一貫性である以上、人格はくるくる入れ変わると主張する大川氏が、人格の一貫性に拠って立つ法律を以

って争うというのは、釈尊がいわれた「いうこととやることの違う人間を信じてはならぬ」という教えによってまず裁かなければならな

い。

  人間は人格、霊魂の統一一貫性を持つ存在であるのか。

  それとも、

 魂がくるくる入れ変わって一貫性、統一性のない存在であるのか。

 それを決めてから審理に入っていただきたい。

 

 

 一時は幸福の科学に功労のあった人達であったのに、その人達を悪魔といって切り捨てている。

 

しかし、私は違う。私は正法を正しく理解していた。

 

     幸福の科学に対する書簡

 

 幸福の科学誌が送られてきた。見ると、高橋信次先生も私もニセモノだと書いてある。

 幸福の科学誌は全国の人が見る、高橋信次先生は既に亡くなっていられる、生きている私がそれを否定し反論しなかったら、読んだ人

はみなこれを正しいと思うであろう。

 そう思って私は大川きょう子氏に手紙を出した。

 「親展」で出したのだから「あなたが返事ください」と書いて置いたのに、返事はよこさずに幸福の科学本部は福岡支部に指示して、

会員六名を私の家によこした。

 その会員の態度たるやまことに非礼、

 私に「あなたの後ろに天狗の霊がついている」、「頭がおかしいのと違いますか」等、私をいらだたせて、私の欠点を掴もうとする作

戦であった。そんな手に乗るような私ではない。

 私が一対一で決着をつけたいのだというと

 「うちの会長先生に会ってどうされるつもりですか」というので、

 「宇宙即我の境地について聞く、それがわからないようでは悟ったとはいえない。君達のような若僧が、わしと宗教論争ができると思

うのか」、といって追い返した。

 

 私は幸福の科学の会員からさまざまな暴言をうけた。わたしに裁判で争う気があるのであれば、この一件だけでも名誉毀損で訴えられ

るほどのものである。

 私は宗教に関する問題を、宗教より低い次元の裁判で争うとは思っていないから、問題にせずに、大川氏に、もっと会員に礼儀正しく

するように教育しなさいと手紙を書いた。

 

 回答を要求したのに回答はしないで、また会員を私の自宅に押し掛けさせた。

 この時は一応おとなしく礼を尽して玄関に来たが、家内は私が若い連中から暴言を浴びせられているのを見るに耐えられなかったらし

く、「部屋へ通しなさんな」といったが、私は通した。話している間、一人でも幸福の科学に疑問を持つ者がいてくれれば、その者救い

になると、慈悲の心であった。

 

 六月二十七日、都内のホテルで、元創価学会顧問弁護士の山崎正友先生、幸福の科学を脱会して「虚業教団」を書いた関谷氏等と、宗

教団体の被害を受けて、その教団をやめた人達が、宗教団体からいわれなき被害をうけている、そういう人達を救済する全国組織をつく

ろうと、秘密に会合を持つことにしていたら、私の泊るホテルの、私の部屋の隣りに偽名で泊った男がいた。摩擦をさけるためにすぐに

ホテルを替えた。そうして偽名で泊った男の身許を洗い出し、監視をつけた。田辺真が本名であることがわかったから、田辺氏に手紙

を出した。

 「貴殿は幸福の科学本部の指令をうけて来たのであろう、幸福の科学と関係がなかったら、関係がないと、我々が認知しうる資料を揃

えて返事をしなさい」

と書いてやったが返事はない。幸福の科学は正々堂々と法論を戦わせることを全くしない。

 姑息な手段を使って反対する者を黙らせようとしている。今まではその手で黙らせることができたかも知れない。しかし私の場合はそ

うならない。

 私は、正法の番人を任じているから、ましてさんざん高橋信次先生の名を利用して幸福の科学を創立していながら、都合が悪くなると

高橋信次先生をニセモノとして切り捨てるということを、高橋信次先生の弟子として後継者を任じている者として見逃して置くわけにい

かないではないか。

 だから、この際その点をはっきりさせたいと思ったのである。

 私が二十七日、紀尾井町の幸福の科学本部に行くから大川氏に会わせよといってやったら、「来てくれるな」と安藤氏からいってき

た。それで「私に会えないということは、大川氏はニセモノであったと認めることにしますよ」という手紙を書いた。

 大川氏が真の釈迦大如来であったら、私如き者の質問に答えられる筈である。そして、

「大川氏が真の釈迦如来であることがわかったら、私は大川氏の弟子になる」といってあるのである。

私がいろいろ質問することに全く答えられないので、私を裁判に掛けると脅してきた。

それが六月二十三日の「通告書」である。

 

 

    通 告 書

 

このような脅しを掛けて相手を沈黙させようとする行為は、常識のある人でもやらない。

それを釈迦大如来、神とする大川氏がやらせるのである。この一事で以て大川氏がニセの宗教家であることがわかるではないか。

 

私は私を「ニセモノだ」といわれたことが納得ゆかないから、なぜニセモノなのか、納得できるまで大川氏の話を聞こうと手紙を出しつ

づけた。

私の質問には何一つ答えることができなくて、突然、幸福の科学は私を裁判に訴えたのである。

通告書をだしてあったから裁判にかけたと幸福の科学側はいうのであろうが、人の悪口を書くだけ書いて、それに反論をゆるさないとい

う考えは横暴である。

もう一つ私が幸福の科学に訊しつづける理由がある。

私の甥、浜崎栄作は、鹿児島の幸福の科学の有力会員である。今まで私は宗教的なことは何も甥にはいってこなかった。

甥は初めて幸福の科学誌上で私の名前を見て、大川氏から天狗でニセモノであるといわれている。甥は大川会長を神だと思っているので

あるから、幸福の科学誌書いてある通りに私をニセモノと信じている。

それが親戚にも伝わって、これまで七十六年の生涯を「園頭さんはまじめな人だ」と通ってきた私の名誉が一挙に傷つけられてしまった

のである。

その名誉挽回のためにも、なぜ大川氏が私をニセモノであるといったのか、その理由を聞きたいわけである。

名誉を毀損されているのは私の方である。

だから徹底して大川氏と一対一で会うことを求めているのである。

私の主張が間違っているであろうか。

 

私は最初、辞を低くして、大川隆法氏へ直接ではなく、大川きょう子氏の方へ穏便に話を進めようと思っていた。

ところが、文章による回答をしないで、不意に多人数の会員をさし向け、悪口雑言の限りを尽して、「罰が当たる」、「死ぬ」、「気が

狂っているのじゃないか」、「天狗が憑いている」、「悪霊がついている」と脅した。恐らく今まで幸福の科学を脱会した人達は、会員

のこうした脅迫に恐ろしくなって、幸福の科学のことは一切関係しないと泣寝入りしきっていたのであろう。

だから、私に対してもこの手紙を使えば私が恐怖を感じていわなくなるであろうと思ったのに違いない。私は一般の人とは違う。幸福の

科学の脅迫に屈するような私ではない。

計三回押し掛けてきた。それでも私が反論するので裁判にかけると脅してきた。

私を脅迫して置いて、私が出す質問に答えることができないので、

「私が幸福の科学を脅迫している」という。こういう心理状態は正に異常ではないのか、一般社会に於てこのようないい方が通用するで

あろうか。

相互の話合いによって解決しないで、宗教とは次元の低い法律を利用して、法の権威の蔭に隠れて自分達の立場を守ろうとする。

こういう宗教家の存在を許して置くことはできないと思って、私は語調を強めて書いた。

幸福の科学は、自分達の非を宗教家に解決する力を持たないので、法の権威をもって自分たちの非を守る。そして善意の人を脅迫しよう

とする。

このような宗教家、宗教団体の存在を許すべきでない。

そして法は、信仰の自由、言論の自由をどの範囲まで認めるのか、善意ある者の発言を法を楯に罪悪であるというのか。

 

日本の司法界の宗教的見解判断を私はこの裁判で聞きたいと思っている。

 

神とは何か、裁判を始めるに当って絶対に決めて置かなければならないこと、

大川隆法は自分を神だといっている。

「神とはなにか」という定義を決めて裁判をしないと、神に対する定義が決められていないと結論は出ないので、裁判を始めるに当って

「神とは何か」という定義を決めてもらいたい。

 

 

前略

「幸福の科学」誌上に於て、私をニセモノであると書いていられますが名前を出された以上私自身の名誉のために反論するところであり

ます。

尚、大川隆法氏が真の仏陀であるならば帰依すること吝かではありません。

大川隆法氏が真の仏陀であるか、

私がなぜニセモノであるか、

私自身、直接確かめ、また、お聞きしたく思います。

依って六月末までに、会見下さる日をお知らせ下さい。回答なき時は、大川氏は、大川氏こそニセモノであると認めます。

私より以上に愛が深く、また真の仏陀であるのなら、私に会われることを、些かも恐れられる必要なしと思います。

       五月二十七日

                      園頭 広周

大川きょう子 殿

 

   「親展」で出したのですから、あなた以外の者の回答は否定します。必ずあなたが返して下さい。

 

 

   私の要求に逃げないようにしなさい、徹底して追求します。

 

 

 前略 貴殿は私をニセモノだと書いた。

私は私の名誉のために貴殿と対決したい。

私は自分の名誉を晴らすまでは、貴殿を攻撃する。

貴殿が私に対してどこがニセモノであるか

私がニセモノであったら私は貴殿を師とする。

幸福の科学の被害者は全国に一杯いて、その人達は私の所に来ている。私は隠れてこそこそするのが嫌いだから、ここではっきり云って

置く。会合の日を指定しない時は、君はニセ仏陀である。

貴殿から名指しされて現代のユダといわれた人、幸福の科学によって被害を受けた人、その人達を集結して、幸福の科学が潰れるまで、

貴殿がニセ仏陀であることを暴露するまで、私は徹底して貴殿を攻撃する。

貴殿に池田大作とともにニセ宗教家であることを鮮明にするまでやる。

貴殿が仏陀なら、何も私に会うのを恐れる必要はないのであろう。私との会合の日を指定しなさい。

     六月四日

                        園頭 広周

大川隆法 殿

 

  さらに第二段の矢を大川隆法に放ちます。私は、邪教を整理するために寿命を与えられると思っております。

 

 

 前略 貴会員の来訪を受けたのでさらに質問します。

今回私が貴殿に手紙を出したのは、貴殿が私の名前を出して色々批難したことに対して、私自身は勿論、私の会員からも色々聞かれたの

で依って何れが正しいかを貴殿と直接合って話したいと思ったまでのことで、六月号にあのことが書いてなかったら、私は幸福の科学は

幸福の科学で、私の正法協会で独自に布教してゆけばよいと思っていた。このことについては私の所に来た会員もそう言っていたが、し

かし、貴殿が書いたことによって黙っているわけにゆかなくなってきたわけである。

貴殿が話合いに来てくれるなといわれることは、私の方では貴殿が私の質問に答えることが出来なくて、全面的に誤りを認めたというこ

とに解釈するが、それで差支えないであろうか。

来た会員たちに私は質問したが答えることはできなかった。さらに次の点を質問する。

貴殿は高橋先生が、関西から青年が出て来るといわれたと、その青年が自分であるということをかいている。GLAの高橋佳子ではない

といっている。これは自分が高橋信次先生の後継者であるという意味に取れる文章を書いている。私の所に来た会員は、大川先生はそう

いうことは書いていないと力説する。

このことについて、貴殿は書いたのか書かなかったのか答えられたい。

初期高橋信次霊言集以外、高橋先生の著から盗用したと思われるものが沢山ある。

今になって高橋先生を否定することは、貴殿は高橋先生の霊が出てくるといって人を騙して人を集めてきたことはどう解釈すればよいの

か。

さらに東京ドームで芝居がかった扮装をすることはそれこそ邪道である。仏陀のすることじゃないといったら、あれは宣伝の為、人を集

めるためですといっていたが、釈迦が人集めのためにあのような仮装行列みたいなことをされたというのか。

最後に私が貴殿に聞きたいのは、貴殿は「宇宙即我」の体験をされたことがあるのか、会員にはそのことを会長に聞いて返事しろといっ

て追い返した。

貴殿はいつ宇宙即我の体験をされたのか、その時の心境を私に直接返事をしなさい。

私は決して貴殿を攻撃、質問することをやめない。正しい仏陀だというなら私の質問に答えられない筈はない。

貴殿は、色々人の本をよんで記憶していて、恰もそれを霊が出てきたようにいっているだけのことだと私が思っている。

私の質問に対して今月末までに答えなさい。答えがない時は、貴殿をニセモノだとさらに公表する。

    六月十五日

                           園頭 広周

大川隆法 殿

 

 

 前略 関谷さんを脅迫することはやめさせなさい。

人類の救世主というには余りにお粗末である。

このことで貴殿の仮面ははがれた。

会員を使って妨害させるとは卑怯である。

講談社とも連絡して、貴殿に対抗する。

尚、やるなら法律問題にする。

右、警告する。

     六月十六日

                           園頭 広周

大川隆法 殿

 

 

 前略 私は貴殿の要求通り、二十七日紀尾井町の本部に行かないことにした。その代わりに書面での回答を求めた。

書面で回答することはせずに、また、貴殿は私の処に会員を寄越した。その会員の言動によって、益々、私は貴殿がニセモノであるとの

認識を強めたその理由を述べる。

一  人を訪問するには礼儀がある。しかし、貴殿の会員は礼儀を知らない。昼食時に押し掛けて来て十五時前までいた。お蔭で私は昼

食も抜き、予定していた仕事も出来ずに計画が狂った。

人を訪問するには必ずアポイントを取って、予め用件をいって相手の承諾を得てから訪問するのが礼儀ではないのか。

その礼儀を知らないことが第一、

二  仏教の知識が全くない

   「色心不二」「諸法無我」「宇宙即我」の意味が全くわかっていない、これは貴殿がよく指導されていないからだと思う。

三  釈尊は「八正道」を説かれた。貴殿は「十正道」といっていられる。「正道」といわれたことが、貴殿の浅薄さを示すものであ

る。なぜかという理由を説明したが、貴殿の会員達は、私のいうことが理解できなかった。

四  貴殿の会員が、貴殿を「神」と信ずるのは自由である。だからといって人にそれを強制するのは間違っている。私はそれを認めな

い。貴殿がニセモノの証拠であることの一つの理由として、東京ドームで仮装行列みたいな扮装をしていることを挙げていた。人類を救

う神がなぜあのような扮装をしなければならないのか。

あのような扮装に驚いて、貴殿を「神」と思うのなら、その人類の頭の程度が推し図られる。

五  私と話しが一向に噛み合わないので、少なくとも高橋信次先生著「人間釈迦」を読んでから来いといったら「人間釈迦」下らぬこ

とばかり書いてあるといった。「人間釈迦」を読めないような頭では、私と論争する資格なしである。

六  大川先生と会って何をするのかというから、高橋信次先生の霊を出してもらう。そして、高橋信次先生の霊に聞いてみたいことが

あると思っている。正しく霊が出てくるのであれば、それが出来るのではないのですか、なぜ私から逃げるのですか。

七  私は少なくとも国際正法協会の会長である。私の所に寄越すのなら、九州の代表者を寄越しなさい。これから、あのような末端の

会員は寄越さぬようにして下さい。屁理屈は時間のムダである。責任のある発言の出来る人をやって下さい。

今度のことで、幸福の科学の体質がよくわかった。創価学会と似た体質がある。私は会員を使って妨害させるような卑怯なことはしな

い。

正々堂々と正否を争う、それが万人のためである。

だから、はっきり云って置きます。

私は講談社の関係の人、そして、最初に貴殿のことを書いた早川氏、そして、貴殿がユダだといった人達と会って、その人達の意見を聞

く。その結果、私がどう判断するかわ私の自由である。

貴殿には関係のないことである。

今日の結果を、貴殿の会員は、事実をゆがめて報告するかも知れないから、私は私の考えをお知らせして置きます。

帰り際に、不穏な言辞があったから、警察に通報するといって置いた。警察問題になったら、貴殿の名誉を傷つけることになるから、注

意して置かれる方がよいと思う。

事は、人類を救うか否かということであって、いい加減に、すませるべき問題ではない。

私は書面での回答を求めているのであるから、書面で回答して下さい。さもなくば私と一対一で話しをしましょう。

私の所に会員を、徒党を組ましてやったら、私は、益々、貴殿をニセモノ、誠意のない人物と認めます。

     六月二十二日

                         園頭 広周

大川隆法 殿

 

 

 

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 前略 私が今回貴殿を追求しているのは、貴殿が私のことを書いたことによって、私は非常に不名誉なことになっているからである。

私の甥、浜崎栄作(歯科医)が鹿児島の貴会の幹部になっているが、貴殿が書いたことによって、私達親戚一同は混乱を来している。だ

から、私はその親戚達に対して、貴殿と私と、どちらが正しいか、申し開きをしなければ決着は着かない状態になっている。

安藤氏は私に通告書をくれたが、この内容は、貴殿が私の質問に答えることができないので、手紙を出すことはやめて欲しいということ

で、私はこの内容は、結局、貴殿が私の質問に答えることが出来ず、私のいっている点に於いて、てっとり早くいえば負けた。すなわ

ち、貴殿は自らがニセモノであると認めたという意味に私は理解している。それでよろしいですか、返事下さい。

私は「親展」で出しているのであるから、貴殿の返事を求めるものである。

     六月二十四日

                           園頭 広周

大川隆法 殿

 

 

宗教の問題を裁判で以て解決しようとすることは、GLA、幸福の科学を以て嚆矢とするもので、創価学会もしなかったことです。

批判を名誉毀損と混同されてはいけません。

私も貴会員から「天狗だ」と名誉毀損されました。

このような書面を出されたことは結局は私の質問に答えることができずに、大川隆法氏の敗北と認めることにいたします。

私が決めた方針は、計画通り実行するだけで、それを阻止する権利は、幸福の科学にはありません。

 

貴会からこういう書面が来たと公表することにします。

     六月二十四日

                          園頭 広周

安藤俊輔 様

 

 

 前略 貴殿が会員を使って、私が云わんとすることを封殺しようとされる行為は、貴殿の自殺行為です。

貴殿の会員達は、貴殿の教えることが間違っていることを、はっきり教えてくれました。その第一は「反省する」ということを知らない

こと、第二は「正信」正しく信ずることについて、それはよいかわるいかの判断力を持たないこと、第三は禅定、瞑想の指導をしていな

いこと、

これらは、私が貴殿を批判した文章に書いたヌミノーゼ心理による盲信、狂信状態である。

真に信仰を求めて実践して悟りを得ようとする者は態度が謙虚でなければならない。貴殿の会員は見せかけは謙虚さを粧っていても、最

後には、本性を暴露した。

「私達は会長先生を守ることに生命をかけているんです。うちの会長を批判することは許しませんよ」半ば腰を浮かして顔を引きつらせ

ていう形相は、正しい信仰をする者の態度ではない。

貴社の会員が、貴殿を神として信ずることは会員達の自由であり、私が貴殿を批判することは、私の自由である。

貴殿の会員の言動は、創価学会の会員が、池田大作氏を守ろうとした言動と同じである。

東京で幸福の科学の会員で、会計の方を担当していたという人が私の会員になっている。その人が、貴会の集金状況について話をしてい

たが、貴殿が「金を出せば幸福になる」と説いていることは間違っている。

貴殿から東京ドームで、獅子奮迅菩薩として表彰された人が、貴会をやめて私の会にきている。

宗教家として、救いに金がいるかどうかは、決定的に論争して置く価値ある問題である。

この一点だけでも貴殿の真意に問う価値がある。

貴殿が甲斐氏に「甲斐さん、早く園頭さんを私の許に連れてきなさい」と叫んでいるテープを私は持っているが、それは、貴殿が「仏弟

子よ集れ」といっていた自分のものである。。

私は貴殿をニセ釈迦だと思ったから、貴殿を批判した。

貴殿が先に私を名指してそういったから、私は「大川隆法はこう読め」を書いたのである。

私がそのことを貴殿の会員達にいったら、「うちの先生がそんなことをいわれたことはない」といい張る。

貴殿の会員達は、完全に判断力を失っている。それで、「君達のいうことは一貫性がない。部分だけを取って屁理屈をいう。そういう考

え方は「断見」とお釈迦さまがいわれて、断見に陥ち入ってはいけないといわれたことだといったが、断見の意味はわからなかったよう

である。

さらに重大なことは、貴殿が釈迦大如来であるのなら、インドをなつかしく思い出して、今までの間に、インドの仏蹟をたずねて行って

いる筈である。しかし貴殿はインドに何らの関心も示さない。カピラ、ルンビニー、竹林精舎、霊鷲山、ブッダガヤ、クシナガラ等なつ

かしい所が一ぱいある。私は既に十五回インドに行った。

私にいわれてあわててインドに行くようでは、貴殿がニセモノであることを自分で証明するようなものである。

私は貴殿が今になって、高橋信次先生を否定してしまったことが承知できないのである。

高橋先生の霊がいわせるといって「高橋信次霊言集」を書いたことは「あれはウソでした」ということにされるのか。

私は高橋先生を信ずる者としてこの点を徹底して貴殿と論争する。但し、高橋佳子氏を否定したことは正しい。

私に論争を挑まれて、貴殿の心は乱れに乱れているであろう。

最後に貴殿の会員は私に、「天狗だ」といった。私が天狗であるかどうか、貴殿と直接会って確かめたい。以上申し入れる。

      六月二十四日

                          園頭 広周

大川隆法 殿

 

 

二伸 貴殿の会員達は、教養も常識もない野盗の集団である。二十二日、これから昼食をしようという時に「正法会のものですが、先生

にぜひ会いたいと青年達が来ていますが」と家内が言うから「うちの会員ならばよし」というので玄関に出た。私の顔を見るなり、私の

許しも得ないうちに「今日は上がらしてもらいます」づかづかと上がり込んできた。礼を失していると先の手紙に書いた。

貴殿の会員達は、貴殿が喜ぶようなウソの報告をするに決まっているから、私は本当のことを知らせる。もっと会員を教育したらどうで

すか。

私が貴殿をニセモノだというから、最後に私に「天狗だ」といった。しかも立ち上がって、ソファーに腰掛けている私を、目下に見てそ

ういう暴言を吐いた。これも年長者の私に対して、また、私は国際正法協会の会長ですよ。こうした年齢も地位も弁えない非常識な言動

をして帰って行った。

貴殿の会員達の言動を見たことは、これから上京して、早川和弘氏、関谷氏、その他貴会によって被害された人達、貴会を脱会した人達

の話しを聞くのに参考になる。

貴会の会員達は、会員数の多いことを以って、幸福の科学が正しいと主張しているが、会員の多少は問題ではない。貴会の会員達は冷静

に人の話しを聞くという態度でなかった、貴会の会員達が言ったことについて多くを答えず「それは違う」とだけ否定してきた。貴会の

会員によって説得されるほど私は愚かではない。

私は貴殿が、幸福の科学を設立される当初から見て来た。

それによって、ニセモノだ、霊言集は芝居だと判断した。

貴殿が釈迦大如来であり、人類の救世主で神があるというなら、一対一で私と会って、その権威を示してもらいたい。その結果、貴殿が

本当に釈迦大如来であると私が認めることが出来たら、私は貴殿の弟子になる。

会員を妨害に寄越さないで、早急に私と一対一で対決しなさい。その方が早く決着がつき混乱を起こさないですむ。

まず、貴殿は貴殿の会員が私に対して暴言を吐いたことを、貴殿は指導者として、責任者として、私に詫びるべきである。それが礼儀と

いうものである。貴殿は私よりも年少であり、宗教体験も短いから貴殿を貴殿という。

礼を正して、貴殿と一対一で話合いをすることを申し入れます。

                       園頭 広周

 大川隆法 殿

 

 

 前略

 私は幸福の科学に反対する者の意見を総合しているつもりで私は言う。

 あなたが仏陀であることを私の前で説明してください。

 その証明と、高橋信次先生を否定した理由を直接聞きたい。

 私も高橋信次先生の後継者であることを任じ、それなりの会員がいるのであるから、簡単にあなたの言うことを信ずるわけにはゆきま

せん。

 私の手紙は、安藤氏が見て取捨するということですが、思想の自由、表現の自由の下に、私は今後大川批判をしてゆきますからご承知

下さい。

     六月二十九日

                        園頭 広周

大川隆法 殿

 

 

 前略 「何れの礼が正しいか」という問題は、その法を説いた責任者同士が対決して決めるべき問題であります。

 予定通りの日程を消化して二十八日帰宅しました。

参考のために、私が行動したことをお知らせします。

二十五日、高輪のホテルで創価学会を脱退した南条白山氏と、幸福の科学の脱会者関谷氏と会合、私より先に、私の部屋の隣りに部屋を

申込んだ男がいることで、急遽ホテルを変更し、申込んだ男を監視しました。

 申込んだのは偽名、早速本名を調査、筆跡人相全部集めました。申込んだのは一名なのに、来たのは二名、一人は眼鏡を掛けて、一人

は眼鏡なし、隣室は私がいないのでうろたえていた。そして缶ジュースを一本のんで翌朝、朝食も取らずに七時二十分頃と、四十分頃と

別々ホテルをでた。

 今、実名によって、警察に身許を調べさしている。

その状況を回りの者に話をしたら、幸福の科学関係の者だという意見が多かった。もし幸福の科学関係の者であったとしたら、その行為

こそが宗教家の行為ではなく、自らが邪教であることを証明するものであるから、会員にそういう行為をしないように注意される方がよ

い。私の周囲の者が、幸福の科学の会員らしいというので以上書いたが、幸福の科学の会員でなかったら失礼お許し頂きたい。

 二十六日講演、私の時にはそうでなかったが、山崎正友先生が講演を始めたら、とたんに妨害電波が発信された。これは明らかに創価

学会の妨害とわかるから、池田大作氏に抗議する。

 二十七日講談社の人と早川氏と会い、早川氏が貴殿をノイローゼだったかもしれないと書いた。そのことについて私の知っている限り

の情報を提供した。貴殿と父親の善川氏が高橋信次先生の話しを聞きに来ていたことを当時のGLA関西本部の幹部で知っている人がい

る。

 甲斐通右氏、原田千裕氏、原 久子氏は高橋信次先生健在の時は、重要視されていた人物ではなかった。その人達におだてられて、乗

せられたと私は見ている。

 幸福の科学発足当初、貴殿の回りはほとんどGLA関係者だった。その関係者達、貴殿の正体がわかったそうで、幸福の科学をやめ

た。そのため「GLAを斬る」といわざるを得なかったそうであろうが、高橋佳子さんを邪教のサタンとして斬ることはよかった、しか

し、高橋信次先生をまでニセモノといったことはいけなかった。貴殿の失敗であった。

 貴殿の会員達が、貴殿を神として尊崇することはそれでよい。私は高橋信次先生の教えの後継者を以って任じているのであるから、そ

の高橋信次先生を無視されては、貴殿の会員が黙っておれないと同様に、私も黙っているわけにはゆかない。貴殿は回りの者に乗せられ

て釈迦大如来になり、エル・カンターレと称していられるのでしょうが、そのように他人を偽っていられることは、心が苦しいことだと

思います。

 私が貴殿に聞きたい点は、なぜ高橋先生がニセモノなのかということであります。

 二十七日講談社の人と早川氏に会いました。

 二人に聞きたかったことは、貴殿が仕掛けられた裁判がどのようになっているかということでした。

 裁判官側では、貴会は危険な宗教団体だと見ているということであり、貴殿がノイローゼであったと書かれたときのことを早川氏から

も聞き、私も知っているだけのことを話して置きました。

 宗教の問題を法律の次元へ引き下げて、そこで争うということは、自ら宗教の尊厳さを破壊することであり、邪教だといわれても仕方

がないでしょう。

 貴会の行動が、創価学会に似ていることは、小沢氏を重用されたからでしょうが、小沢氏のことは山崎正友先生からよく聞いておりま

す。

 部下会員を使って、色々させないで、貴殿が私と一対一で話合いされると、それで話はすむことです。

 幸福の科学という組織は、貴殿にとって重荷にいると思いますし、また貴殿の父親善川三郎氏は、郷里に軟禁されている、それを指示

したのは貴殿の妻君であるという噂が流れていますが、注意された方がよいと思います。

 私は貴殿を救う力を持っています。私の話を聞かれると心はラクになられると思います。ぜひ近いうちに私とお会い下さい。貴殿をお

だてる人はあっても親身になって味方になってくれる人のいないことを、貴殿はさびしく思っていられると思います。

     六月二十九日

                        園頭 広周

 大川隆法 殿

 

 

 前略 貴殿がニセモノであることを暴露するまで反対を続けます。通告しておきます。

神がおかしな扮装をすることはない。

神の救いに金がいらない。

釈迦の「八王道」を否定して「十正道」といい出したことが、正にニセ釈迦である証拠である。

 「仏弟子よ集まれ」といって私に来てほしいといったのはどうなったのか、呼んでいるテープがありますよ。

 貴殿の実家の近くに幸福の科学を脱会した人がいて、その人が実家の状況を知らしてくれています。

 貴殿の父親は上京しても、貴殿の家には泊れない。それは嫁(大川きょう子)が悪いのだと、云い触らしているそうであるが、親を冷

遇するとは、それが神なのか。

 貴殿の兄が精神異常で死んだと聞いているが、自分の身内の者も救えないで「神」であるとは、不遜も甚だしい。これから、貴殿の実

家の様子を問い合わせることにする。

 貴殿のウソの本を真実と誤認して会員になる者はあっても、貴殿の良心は騒ぐだけで、心は安らかになっていない。

 貴殿の会員は良心も反省も知らなかった、それで、宗教を教えていると云えるのか。

 貴殿は安藤という男の甘言に動かされないで私の前に立ちなさい。しかし、言を左右して立てない筈である。立つか、立たないか、十

日以内に返事しなさい。返事できない時は、貴殿をニセモノだと認める。

     六月三十日

                        園頭 広周

 大川隆法 殿

 

 

安藤 殿

 貴殿が大川隆法氏宛の親書を見られるというのでいって置きます。

 私の疑問、質問に答えることができないことは、それこそニセモノの証拠である。

 私の主張を知ってもらうために、この手紙はコピーして、幸福の科学を脱会した人に見てもらうので了承下さい。

信ずるのも自由なら、疑うのも自由である。

私は私の自由に行動する。貴殿の指示を聞く必要はない。

前略 偽名でホテルに宿泊するのは、犯罪者のすることであります。あなたともう一名を不審に見たので、あなた方の写真、人相、筆跡

を手に入れ、あなたの本名も調べました。

幸福の科学の安藤氏に命ぜられての行動と思います。私達が要求する資料をださない場合は、幸福の科学からの回し者と認めます。本状

の到着を入れて、十日以内に回答下さい。

私に会いたければ堂々と本名を名乗って、東京支部宛に申込んで下さい。

     七月二日

                        園頭 広周

田辺 真 殿

 

個人指導をうけられるつもりなら、なぜ二名宿泊されたのですか、その理由もお知らせ下さい。

 

 

 前略 七月二日午後の電話の件、最終結論について念を押します。

幸福の科学が自分の正当性を主張することは自由であること。

それに対して幸福の科学が非宗教的であると認める者達が反対を主張し、反対運動をすることも自由であること。我々が批判するのは、

批判であって、悪口、中傷ではないこと。要するにどちらも自由に主張し運動することを認め合うこと。だからして、我々の批判行動に

対してそれを悪口、中傷と受け取って、宗教の次元の問題を法律で解決しようとするようなことはしないこと。これを以て幸福の科学へ

の文章を出すことは中止します。

双方このことを確認し合ったことを認む。

      七月二日

                         園頭 広周

 

 

安藤俊輔 殿

 

  約束は破らないこと

 

 

 前略 幸福の科学は、創価学会の体質と違うのではないかと思っていたのですが、その体質が同じであるのは、学会を脱会した小沢氏

が組織部長をやっていたせいだと思います。

今後、幸福の科学を脱会した人達の意見をまとめると、必ず幸福の科学の犯罪体質が出てくると思います。その意見を以て対抗し、一会

員を名誉毀損で脅す行為も、一会員で反対することはできないので、それを私がまとめます。

宗教の問題を法律の問題として解決しようとされるのであれば、法務大臣を動かして、

池田大作を国会喚問に引っ張り出す工作をします。その前に政府の法務委員会に私が集めた情報を提供します。以上通告して置きます。

    七月三日

                         園頭 広周

 安藤俊輔 殿

 

 

 幸福の科学が邪教であることを、幸福の科学自身が発表しています。所が幸福の科学は、即ち大川隆法は、自分がいっていることが間

違いであることを自分で気がついていない程、頭が悪いのであります。いわゆる馬鹿者だと見ているのに、「俺は世界一賢い」とわめい

ているのですから滑稽を通り越して、気狂いだといわざるを得ません。

 安藤氏が、「新太陽の法」を読んでみて下さい。大川先生のすばらしいことがわかりますからと云っていましたが、あんななものを読

む必要はない。

 正しい宗教であるか否かの基準に照らして、判断してみればよいのです。宗教とは真理を教えるものです。真理には二つの条件があり

ます。この条件に合致しないものは真理ではありません。

 このことをよく覚えて置いて下さい。

一 永遠不変性があるかどうか。

  このことを釈尊は、「始めもよく、中頃もよく、終わりもよき教を説け」といわれまし 

 た。くるくる教が変わるのは真理ではないのです。

  太陽は神の心の現われですが、太陽が気謙気謙で、照ったり曇ったり、回転を早くし 

 たり遅くしたりすることはない。

  そのように神がつくられた法(真理)は一定不変で変わることはない。大川は釈迦大 

 如来と称しながら、釈尊がいわれたことに反対のことをいっている。

  先に高橋信次先生が説かれたことを利用していて、今は高橋先生を否定している。大 

 川の霊界の十段界説は、高橋信次先生が「大生命の波動」に書かれたことの盗用である

 と私は見る。高橋信次先生の霊は、低い霊だと今はいっている、だが、先に「高橋信次

 霊言集」を出版した時は、高橋信次先生の霊は偉大だと思っていたからであろう。

  前の「太陽の法」は、まちがっていたから今度「新太陽の法」をだしたということは、

 前はウソを正しいと思い、また人にもウソを正しいと思わせて本をよまさせていたとい

 うことである。

  即ち幸福の科学の会員は頭の弱い馬鹿な人達だったということになる。

  そのうちに「新・太陽の法」はまちがいでしたといって「新々太陽の法」を出して世

 の人を欺くことになるであろう。

  大川氏は独りで勝手に「釈迦大如来だ」「エル・カンターレだ」とわめいているだけで、

 それを実証するものは何もない。

  私が大川氏に会ってニセモノであることを暴きたいというのは、釈尊はクシナガラで

 涅槃に入られる時、弟子達に予言されたことがある。それを聞いてみたいと思っている。

 それを答えることはできない筈である。

 「エル・カンターレ」というなら、エジプトに出ていたというなら、アガシャとアモン

 の関係について質問する。これも答えられないであろう。

  説くことがくるくる変わるのは、ニセモノの証拠である。

二 真理の条件のもう一つは、「普遍妥当性」である。

 幸福の科学の会員は、真理が真理である条件を知っていなかった。

 大川氏を人類の救世主だといってみても外国人は信用しない。大川氏は親を粗末にして

 いる。大川氏は、きょう子夫人の尻に敷かれているとは世間の人に、特に幸福の科学を

 やめた人たちのいっているところである。これもどうであるか、大川きょう子夫人に会

 って確かめてみたい。

  ニセモノだから、それがばれるのがこわいから、私に会わないし、また側近が会わせ

 ないのであろう。

  幸福の科学の会員にもっと真理とは何かを勉強させなさい。

  なんなら私がそちらの事務所に行って話をしてもよろしいです。

  幸福の科学の人々のために「今なぜ正法か」を書いています。関谷さんに読ましてあ

 ります。

                         園頭 広周

安藤 様

 

 

 幸福の科学は、創価学会よりタチが悪い。

関谷さんから知らせてきたから通知する。

裁判にするならしなさい。

 私が関谷さんの証人に立つ。そして、元創価学会顧問弁護士山崎正友先生を弁護につける。

 私は今、創価学会、幸福の科学を脱会した人達の全国組織をつくって対抗するための準備中である。

 私の質問にこたえられるように準備して置きなさい。

 幸福の科学の横暴は、無視するわけにはゆかない。徹底してやる。

 貴殿は、私にいってくれるなといったから手紙を出さないことにしていた。その代り、私が幸福の科学について、色々いうことにも、

貴殿は文句をつけないという約束だった。

 しかし、弱い者いじめをするのを見てはおれない。

講談社に対する裁判もみな幸福の科学のマケだったじゃないか。

 これ以上、関谷さんはじめ幸福の科学を脱会した人達を裁判にかけると脅すなら、法務大臣にいい、文部大臣にいって、幸福の科学の

暴走を法的に取り締まってもらう。

 私のことをウソだと思うなら、やんなさい。

徹底して私はやる。文部大臣に幸福の科学の宗教法人資格を取り消すように運動する。

 全国の幸福の科学脱会者の署名を取って文部大臣に請願する。

 関谷氏がやることに対しても、貴殿らは文句をつけるな、

 宗教の問題を、次元の低い裁判の問題で解決しようという考えが、大体非宗教的である。

 堂々と我々と宗教論争をしなさい、

東京ドームで大川隆法の仮装行列をしないで、私と関谷さんとを相手に、宗教論争をしなさい。

 幸福の科学は金を持っているから、そちらでドームを借りて、来年三月頃、宗教論争をやりましょう。

 宗教論争をやるかやらないか、今年十月までに回答をしなさい。

 もし十月末までに回答しない場合は、幸福の科学大川隆法は稀代のペテン師、宗教詐欺漢、宗教ごろつき、宗教やくざであったものと

認む。

 今月中に「宗教やくざ池田大作論」の小冊子を出版するので(目下印刷中)それを見られたい。

この冊子は全国会議員にも配布するのである。

 返事を待つ、腹を据えて私にかかってきなさい。

     八月五日

                         園頭 広周

 安藤俊輔 殿

 

 

 前略 幸福の科学の抜粋が関谷氏から送られて来ました。「方便の時代は終った」を見て高橋信次先生の名を利用し、GLAの元会員

を利用してきた。あなたのこの抜粋だけで、あなたがニセモノであることを立証できます。許せないのは、私をニセモノだと書いている

ことです。

 私はあなた宛に何通も「親展」の手紙をだしました。その手紙は、安藤氏によって開封されあなたの眼には届いていないものと思われ

ます。安藤氏との約束により、あなたが私のことを書かれるのは自由であり、また私があなたのことを書くのも自由であり、反対記事を

書かれたからといって、すぐ名誉毀損で裁判にするという汚い手を使いなさんなといってあります。

 関谷さんをはじめ、全国の幸福の科学脱会者を総動員して、あなたに反論します。

 あなたが神の代理者であるというなら、自分で私の前で出さない。私がニセモノでないかを検証する。 

 あなたへの「親書」を安藤氏に開封さしてというような姑息な手段はやめなさい。

 あなたの名前で回答しなさい。

問い 一

 神がなぜ、まちがった人の説を利用する必要があるのか。

まちがった人の名を利用して人を集めて置いたということは、自分の名では誰も集まる人はいなかったということで、それこそ神ではな

かったということの証明ではないのか。

高橋信次先生の名を利用して、自分の名を出さなかった理由を問う。

二 あなたは私をニセモノといった。

 私がニセモノであることの証明を直接あなたの口から聞いて置きたい。面接日を知らされたい。

 この二つの問いに対する答えが九月十日までにだされない場合は、あなたをニセモノと認める。

      八月十日

                          園頭 広周

 大川隆法 殿

 

 

 安藤氏よ、あなたはこの手紙を大川隆法氏に見せて大川氏の直筆で私に返事ください。

 前略 幸福の科学大川隆法は紳士的ではない、やくざである。

 安藤氏と電話で、「幸福の科学は私のことに関与しない代りに、私もまた大川隆法宛親書は出さない」と約束した。

 その約束を破って、幸福の科学に私のことを書いた。そしていきなり裁判へ持ち込んだ。

 「殴りません 殴りません」といっておいて、いきなり殴ってきたのと同じではないのか。

 こうなったら仕方がないから、弁護士を立てて堂々と争うことにする。そうして幸福の科学を倒すまでつづけるから承知いただきた

い。

 おとなしくしていようと思っていたが、全国の幸福の科学脱会者を結集して対抗する。

 幸福の科学打倒の手はゆるめない。

       九月一日

                          園頭 広周

 大川隆法 殿

 

 私を裁判に持って行ったのは失敗だったと気づくであろう。

 君を法廷に引っ張り出すから承知して置かれたい。

 

    通  告  書

前略 通告人宗教法人幸福の科学(以下「通告人」という)を代表し、被通告人園頭広周殿(以下「被通告人」という)に対し、次ぎの

とおり通告する。

 被通告人は、平成六年五月二十七日付書簡、同月一〇日付書簡、同月十三日付書簡、同月十五日付書簡及び同月十六日付書簡計六通

を、通告人大川隆法主宰ならびに大川きょう子主宰補佐に対して送付した。

 右一連の書簡で、非通告人は大川隆法主宰に対して面談を要求し「回答なき場合はニセモノと認定する」「講談社と連絡して貴殿に対

抗する」等と述べるが、通告人公報局は、この要求に応ずる意思は全くない。これ以上、脅迫的言辞を弄した書簡を送付することは中止

されたい。

 そもそも被通告人は、「『大川隆法』はこう読め」、「続『大川隆法』はこう読め」及び「大川隆法は仏陀ではない」等の通告人等に

関する書簡を出版している(いずれも平成三年発刊)。そして、右書簡中には名誉毀損に該当する記述が多数見られる。

 従って本通告書にも係わらず、不当な行為を反復する場合には脅迫的書簡のみならず、右一連の書籍の名誉毀損を含めて、しかるべき

法的措置を検討せざるを得ないことを予め警告しておく。                          早々

      平成六年六月二十二日

                        東京都千代田区紀尾井町三番一二号

                        紀尾井町ビル四階

                        通告人宗教法人幸福の科学

                         広報局部長  安 藤 俊 輔

 福岡県大野城市下大利益四丁目九番十四号

 被通告人  園 頭  周 殿

 

                      この郵便物は平成六年六月二十二日第八六四一六号書留

                      内容証明郵便物として差し出したことを証明します。

                      麹 町 郵 便 局 長

                               

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