意識というものは、感覚や思考に対して、スイッチ的な役割をする性質がある。
ある程度寒い場所で、「寒い〜」と言って寒さの感覚に意識を向けているとき、
寒くてたまらない。
ところが、別のことに意識が向かっているときには、寒さを忘れている。
その間、寒さを感じていない。
また、何かを考えているときに、
目は開いているが意識上には伝わっていないことや、
すごい騒音がしていても意識上に伝わっていないことがある。
逆に、意識には、いろんなものを同時に受ける性質もある。
何かをしてるときでも電話のベルが鳴ればそれに気づく。
不意に熱いものに触れたりすると、それに気づく。
心頭滅却火もまた涼しとは、この意識の性質のうちの、
スイッチ的な性質を利用した状態だろうか?
寒さやあつさに意識を向けないで
別のことに意識を向けている状態なのだろうか?
「寒くない」「あつくない」と思いつつ、
意識をその感覚以外へ向けることだろうか?
「寒さを逃れよう」「あつさを逃れよう」という考え・意識を捨てて、
立ち向かおうとする状態なのだろうか?
まったく別の状態のことなのだろうか?
痛みに対して、「痛い」と思いながらそこに意識を向けると、
かなり痛みが伝わってくる。
意識というものは、不思議なものだ・・・
また、その痛みを観察しようとすると不思議と痛みが伝わりにくいようだ。
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