美しいもの



 「美しいもの」とは、言いかえると「人が美しいと感じるもの」ということができる。

 美しいと感じられるものそのものは、ただそこにあるだけであり、 それを見た人・聴いた人が、「何らかの仕組み」によってそれを「美しい」と感じる。

 まず、(現象)があり、眼に見えたり耳で聞こえたりと、感覚器官で感受する。 この時点では、それは光景であったり音であったり感覚器官から伝えられた何らかの感覚である。

 さらに、それに対する知識・価値観・思い込み・注目の仕方・類似性・関連性・身体や脳の反応など、 各種の反応が加わり、その結果、「元の感覚」だけでなく「別の感覚」が加わる。 そのようにして、その加わった感覚の1つとして、「美しい」という感覚も感受される。

 感覚器官で感受されるもの、そこから、感覚器官で感受される感覚以外に、別の感覚として、 異世界の不思議な雰囲気を感じたり、元気を奮い起こされたり、かわいいと思ったり、 寂しさや涙を感じたり、美しいと感じたり、手に入れたいと感じたり、のどかさを感じたりする。
 まったく、この反応というものは、不思議で、また時にすばらしく、また時にわずらわしい。


 美しいものを見たとき・聴いたとき、感動を感じる。
 ところがこれを何度も見たり聴いたりしているうちに、慣れてその感動は感じられないようになる。
 美人を3日見ると飽きるというが、このことは音楽についてもいえる。 美人といわれる人にいつも会っているとそのうちに普通の人としてしか感じなくなるが、 感動する曲を何度も何度も繰り返し聴いていると、ただのやかましい音としか感じないようになる。

 また逆に、最初聴いて良いと思わなかった曲を繰り返し聞いていると、 非常に良い曲と感じるようになることがある。
 これは最初聴いたときには聞き慣れないパターンの曲に違和感を感じていたものが、 繰り返し聞いているうちに、聞き慣れて受け入れられるようになり、 曲のある部分のパターンに美を感じるようになるためと思われる。

 感覚は、人により、また環境により、そして時により、移り変わる。
 感覚が変わると、価値観が変わり、考え方や行動が変わる。

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