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管理人のつぶやき
このサイトの管理人は、「よしざわ まさあき」。 「辰年のみずかめ座」生まれである。 血液型は「AB型」。
好奇心にあふれており、その一環か、もう14~5年間にわたり、韓国語をつっつきながら、また幾度となく韓国を旅行しながら、韓国と韓国人に、できる限り深く触れてきた。
決して専門的に研究しようなどという立場でも技量でもないので、独断と偏見に満ちた市民感覚の韓国(人)観であり、私の趣味である。
私が出会った韓国と韓国の人たちは、韓国全体から見れば、ごくわずかである。
どこの国でもそうであるように、わずかな一部から、全体を推察するなどということは、できない。けれども、何か、その中から、この国に横たわる普遍的なものを感じ取ることができれば、と考えている。
これからも、この趣味は、継続していきたいものである。
韓国小説のグローバル化
筆者は、文学の専門家でないから、韓国の文学を語る資格などない。
その素人がざっと考えてみただけでも、韓国の文学は、グローバルな位置付けを確保しているとは、言い難い。それは、決して、ハングル文字のせいではない。けれど、韓国の歴史を振り返ってみると、古くは漢字文化であるが、やがてハングル文字が誕生するや、漢字文化は阻害され、国家レベルで脱漢字の時代がやってくる。
現在活躍している年代層の間でも、まったく漢字教育を受けていない人たちがいる。
現在の若者でも、漢字を読めない人たちが多い。
このような文字の背景の影響は、否めない。
韓国の文学を翻訳して、国際的な場に紹介しようとするとき、ハングルを文学的レベルで共有して、翻訳できる人は、一体、世界中で、どのくらいいるだろうか・・・。 たとえば、ハングルから日本語に翻訳されている韓国の文学を、日本語で読むと、日本語としては、いささか違和感を覚える部分が多いが、翻訳されている小説の数自体は多くはない。日本語を勉強した韓国人によって翻訳されている本が多いことが、大きな理由の一つである。
だが、翻訳の違和感を別にすれば、このことは、大いに評価されるべきであり、韓国文学グローバル化の一翼を担っている。 文学は、”文字文化”ではなくて、”生活文化”なのであるから・・・。
韓国の小説を、日本語のみならず、英語をはじめ、他の主要外国語に翻訳して、広く世界に読んでもらうためには、韓国の中で、そういう文学者が、相応の地位や報酬を得て、活発な活動をすることができる社会の構築を欠かすことができない。

もう一つ考えなければならないのは、歴史的に、中国、日本といった外国との軋轢の問題がある。
最後は、国の分断という形になって、今日に及んでいる。
さまざまな政治的背景もあって、文学として取り上げられる素材が、まったく偏ってしまっている。国家や評価する立場の人たちの関心を引くような素材でなければならないし、また、出身の大学や学科、思想などが、著しく影響する社会であるといってよい。
だから、それが、国際的関心を引くということは、なかなか為しえないことである。
それは、現在でも、なお、受け継がれているといってよいのではなかろうか。

だが、文学的には、なかなか評価できるものも、多いのではないかと思う。古い小説や童話の世界では、いささか儒教的色彩が強いものの、評価されるべきものもあると思う。
6・25以降、大分過ぎてから、韓国社会は、落ち着きを取り戻すにつれて、文学の内容が、少しずつ、変化してきているように見える。
今なお、儒教的制約が、文学の世界にまで、及んでいると考えれば、納得せざるを得ない部分も多いが、次第に、社会が受け入れることができる環境になってきたことも、事実であろう。
社会の顔色を見ながら活動してきた文学者たちが、許容される範囲の広がりを感じたからであろう。
何も知らない若手の作家たちは、そのような束縛をうけることなく、ますます活動を広げていくであろうことを期待している。

そして、その若手の作家たちが円熟期を迎えるころ、世界の文学界で、”韓国文学”が花開く時代も、夢ではないであろう。

韓国の王朝と宗教
1910年、日韓併合条約によって、日本の統治下に入り、韓国最後の王朝”朝鮮王朝”が滅亡し、韓国の歴史上、大きな転換点を迎えた。その王朝の歴史は、実に4000年を超えるといわれる。
日本が弥生時代を送っていたころ、韓国では、三国時代が誕生し、半島のあちこちで、王朝国家が誕生していた。
やがて、新羅時代、高麗時代を経て、もっとも華やかなりし朝鮮時代を迎えるのは、ちょうど、日本で足利氏の室町時代の誕生と符合する。韓国の王朝時代が終焉を迎え、大韓帝国成立をみたのは、日本では、明治時代の末期であった。

その韓国王朝の歴史を文化面で見るなら、中国からもたらされた”仏教””儒教”が、いずれも、それぞれ時の王朝によって、庇護され、あるいは阻害されて、盛衰の道を歩み、多大な影響をもたらしたことを無視するわけにはいかない。
各地に、書院が設立され、寺院がつくられて、華開くのである。

朝鮮王朝によって、中国朱子学に基く思想体系を”儒教”として重んじ、これを徹底して民衆の末端にまで浸透させた。
その思想の中には、現在でも、伝統として、韓国の中に広く、伝えられているものが多い。
たとえば、「お辞儀の仕方」「目上・年配者への接し方、言葉遣い」「祖先への尊敬の念」などである。
これらの基本は、現在の韓国初等教育の中で、教育の一環として受け継がれて、教えられているものも多いと聞く。
書院というのは、儒学で名を残した人々を祀ると共に、その学問を受け継ぐ教育機関であった。
単に儒教を学ぶだけではなく、子供たちが漢字を学ぶ場でもあった。

一方、仏教は、三国時代初期に、中国からもたらされたとされる。
最も、特筆すべきことは、仏教が、国家建設の基本理念としての役割を果たしていたことである。
紆余曲折はあるものの、仏教は、王朝の手厚い庇護を受けて、国内全域に浸透していった。その結果として、全国のあちこちに寺院が建立され、その数は、ざっと10000寺院を超える、と言われている。
だが、朝鮮王朝の時代に入るや、儒教が国教となり、仏教は、徹底して、弾圧されることとなった。
当初、仏教は王朝により保護をうけたものの、士林派の弾圧が強化されて、保護の対象が急速に少なくなってしまった。 最後に残ったのは、100寺院にも満たず、他はすべて、破壊され、韓国の仏教は、悲劇的衰退の坂を転がり落ちるのである。
だが、幸運だったのは、完全なる壊滅的破壊には至らず、最後まで、民衆の間で、信仰として保存されたことである。
王朝末期になって、仏教弾圧が弱まってくると、次第に復興への道を歩むことになった。

王朝崩壊後は、キリスト教の宣教活動が活発化してきた。
もともと韓国にキリスト教が入ってきたのは、임진왜란(壬辰倭乱)(文禄・慶長の役)のときだと言われている。
しかし、王朝の政策として儒教を推進していた当時、キリスト教は邪教として迫害され、布教することができなかった。深くくすぶっていたのである。
そして、王朝崩壊と共に、急速に、広まっていき、韓国独立の先頭にたったのは、実にキリスト教徒であった。
現在、韓国の宗教人口は、約50%強と言われている。その中で、儒教は、1%にも満たない比率であるが、キリスト教と仏教とが、ほぼ拮抗した比率で、ややキリスト教徒が多いようである。

どこの国もそうだが、歴史上、国家権力が宗教を支配したことが、有益であったことがないように見える。

秀吉がもたらしたもの
韓国の人たちに、「きらいな日本人は?」と尋ねると、大部分、「秀吉!」という答えが返ってくる。
韓国でタクシーに乗って走っていると、右手の小高い山の中腹に、石垣の廃墟のような跡が連なっていた。運転手が、「右手の丘の中に見えるものが、何か、知っているか?」と質問した。「知らない」と答えると、運転手はすかさず、「昔、秀吉が破壊してしまった城址なんだよ」と言う。
とことん”悪者”として、嫌われている秀吉だ・・・。

朝鮮王朝の真っ只中、日本では、戦国時代最大の事件である”本能寺の変”で織田信長が倒れ、豊臣秀吉が支配者となる。1582年のことである。
日本国を征服した秀吉が、次なる目標としたのが、中国の”明”の征服であった。
しかし、海軍力が弱い秀吉が考えたことは、朝鮮半島を経由して陸路、明に侵攻することであった。
そこで、朝鮮王朝に協力を要請するが、当時明の冊封体制下にあった朝鮮王朝との交渉が成功するはずもなかった。
ここに、”秀吉”対”明・朝鮮王朝連合軍”による16世紀東アジア最大の7年間にわたる戦争が勃発した。 釜山から侵攻した秀吉軍は、あちこちで、戦いを有利に展開し、一時は평양(平壤)まで進めていく。だが、その間、あちこちで、寺院などの貴重な”文化財”を破壊したり焼失したりして、朝鮮から見ると、史上失ったものは大きかった。
実際には、民衆の手で破壊されたものも多々あるらしい。しかし、それらの破壊行為が、ことごとく秀吉軍の仕業として、汚名を残していることは、もし秀吉が知ったら大いに憤慨するところであろう。
いくら憤慨したといえ、朝鮮から見ると、いわれなき戦いを仕掛けられ、秀吉に対する憤りは、尋常でなかったであろうことは、想像に難くない。
7年間の戦いで、すっかり疲弊・荒廃してしまった国土と人民は、復興のエネルギーさえ失ってしまったのである。
王朝も、秀吉軍の侵攻につれて、逃亡してしまったこともあり、人心から遊離してしまっていたことも、戦後の混乱に拍車をかけたのではないかと、想像する。
戦争は、秀吉の死去であっけなく終結する。一体、この戦争は、何であったのだろうか、と真に、空しい想いがするであろう。お互いに、何も得るものがなく、まさに、朝鮮半島に疲弊・荒廃してしまった国土と人民だけが残された、というのが、現実ではなかったか・・・。
今日韓国を旅行し、あるいは破壊されたまま、あるいは修復された、その当時の姿を垣間見ると、その思いはひとしおである。

一方、日本にとって、この戦争は意外な結果をもたらした。それは、秀吉軍が、捕虜として確保した民衆の中に、朝鮮王朝の朱子学の著名な学者がおり、彼を日本に連行し、この学者を通じて日本が朱子学を学び、吸収したのである。
このことが、日本に儒教を広め、日本人に、その精神を植え付けることとなった。
今日、日本人の中に潜んでいる儒教精神は、実に、この事件に端を発していたという事実は、何とも意外で、にわかには信じがたいものがある。

世界を魅了する韓国人の得意分野
韓国で世界的に秀でた人材や作品を輩出している分野がある。

韓国の伝統舞踊は、世界を魅了する。
ソウルの地下鉄3号線、4号線の충무로역(忠武路駅)のすぐ近くに、한국의집(韓国の家:コリアハウス)という施設があり、ここに入ると、韓国の伝統的な舞踊を鑑賞することができる。
詳細は省略するが、中には、20世紀になってから生まれた舞踊もいくつかあるものの、 부채춤(扇の舞)、장구춤(太鼓の舞)、검무(剣の舞 )、탈춤(仮面劇 )、태평무(太平舞)など各種まことに幻想的かつ審美的な舞踊は、必見である。すばらしいものだ。

次に、陶芸分野について、ふれたい。
韓国の青磁は、高麗時代からはじまったもので、韓国の誇る陶芸である。
青磁釉(せいじゆう)(うわぐすり)は、澄んだ青色、翡翠のような緑色を出すもので、奥が深く味わいのあるものである。しかし、非常に難しくて、一生かかっても成功しないと言われるほどのものである。
韓国の青磁というと、古い高麗時代の青磁を思い浮かべるが、最近でも、유해강(柳海剛)、지순탁(池順鐸)のように韓国の人間国宝に指定された陶芸家もいる。
残念ながら、彼らとて古典には及ばないまま、次の世代に受け継いだ。だが、未だに、유해강(柳海剛)、지순탁(池順鐸)を凌ぐ若手すら出てこないゆえに、かの高麗青磁には到達できていない、と言わざるを得ない。

クラシック音楽の世界では、정명훈(鄭明勳)(チョン・ミョンフン)の名は、誰もが異論をはさむ余地のない世界の指揮者である。
韓国というより、欧米に生活し、欧米を中心に活躍している。兄弟がそろって音楽家という恵まれた環境にあり、当初、ピアニストとして、国際コンクールで2位入賞を果たすが、後に、米国で指揮の勉強を終えるや、指揮者として頭角をあらわしてきた。
日本にも何度か演奏旅行に来ている。円熟味が増して、ますますの活躍が期待される一人である。

個人プレーのスポーツで有名になった筆頭は、フィギュアスケートの김연아(金姸兒)(キム・ヨナ)であろう。
世界の女子フィギュアスケート界にあって、幾多のすばらしい記録を残し、韓国のアイドルとして、一世を風靡したことは、まだ記憶に新しい。
だが、残念ながら、彼女の後継が育っていなかった。
김연아(金姸兒)の才能と努力が生み出した栄光を、国として育てていくという組織的体制と努力とが欠如している、といわざるを得ない。

基礎的な科学研究分野の欠如
いくつかの分野で先進的なものを見せている韓国であるが、 工業技術の分野で、韓国の発展のプロセスを見ていると、まるで、過去日本が歩んできた道を辿っている感じがする。
半導体を筆頭に、幾多の電子技術がそうである。
日本が、アメリカの後を追いかけ追い越せとばかりに、徹底した”真似”の努力を惜しまなかったのと同じように、今韓国は、日本に追いつけ追い越せと突進し、それは、成功しているように見える。
体力だけではなく、資金力がそれを支えている。
ある水準まで完成した技術を”真似”て、さらにその技術を高度化する技術は抜群である。
だが、最大の難点は、基礎技術力の欠如である。
大学の研究部門でも、企業の研究部門でも、基礎研究に対する投資は著しく低調である。
人的投資も弱体であるし、資金的投資も貧弱である。
つまり、次世代に対する自前の研究と、技術開発とが、できていない、ということである。
現在の技術の延長線上に成長していく技術については、強力なパワーを発揮するが、まったく新しい技術は、蓄積されていないように見える。

今、主として科学における基礎研究について述べたが、他の分野でも、同様ではないかと想像される。
国をあげて、ノーベル賞をはじめ、世界の一線の研究分野で、脚光をあびるような研究者を輩出する努力を、進めていけば、と惜しまれる。

日本人にとって韓国語の発音は難しい
韓国の”釜山(プサン)”は、ハングルで”부산”と書き、アルファベットでは、”Busan”と書く。
韓国人が発音すると、「サン」でも「サン」でもなく、「」と「」の中間のような音で発音する。
「釜山」という言葉は、日本人にポピュラーであるから、容易に理解できるが、これが他の耳慣れない単語であれば、「ㅂ」の音は、多分聞き取れないであろう。
逆に、日本人は、明確に「サン」と発音するから、韓国人にとっては、聞き取りにくいのではないかと想像する。
こうして、有声音化しない場合の「ㄱ」「ㄷ」「ㅂ」「ㅈ」の発音は微妙である。
基本的に韓国語の母音の数は、日本語よりずっと多いから、韓国人が音を聞き分ける能力は高いと思われる。日本人には聞き分けられない音の違いを、韓国人は聞き分けることができる。
聞き分けられない音は、当然、発音もできないから、日本人は、韓国語をネイティブのように正しい音で発音することは、絶望的に不可能であろう。(必死になって、数年間韓国の中で生活して、赤ん坊になった積もりで、発音の努力をすれば、あるいは、望みがあるかも知れないが・・・)

こうして見ると、韓国人の発音する日本語の方が、日本人が発音する韓国語より、ずっと、自然できれいに聞こえるであろうと、思われるし、それは、事実でもある。
日本語を母国語とする人間が、外国語を学習することの困難さを、こんなところにも、見ることができる。
韓国語に限らず、英語にせよ、何にせよ、たとえ、流暢にしゃべっているように見えても、ネイティブから見ると、流暢ではあるが、発音はデタラメという感じなのだろう。
哀れである。

韓国の旅を楽しむ
はじめて韓国に旅行したり、2回目、3回目程度の初期のレピートであれば、旅行会社などが企画するパッケージ・ツアーは、比較的便利である。
いささか、味も素っ気もないし、”韓国”を理解するには、ほど遠いツアーであるが、一応最初に行くべきところは網羅されている。
だが、慣れてきて、何か目的をもって旅行しようとするなら、個人旅行をお勧めしたい。
飛行機の予約、ホテルの予約はもちろんのこと、移動手段やスケジュールをすべて自分の都合と好みに合わせて構築する。パッケージ・ツアーと比較すると、金銭的な負担は大きくなるが、しかし、十二分に目的を達成し、満足感を味わうことができる。
ハプニングもトラブルも発生して、その都度、楽しみながら韓国語力を試すことができる。そして、次第に度胸と実力とが備わってくることを実感し、何となく自信のようなものが芽生えてくる。

では、一体、個人旅行で、どんな目的を実現するか・・・
私のお勧めの一番目は歴史を辿ることである。
三国時代に遡って仏教文化を辿る。20世紀初頭まで続いた王朝の栄華と苦闘の跡を辿る。朝鮮王朝時代の儒教文化を探る、秀吉の戦いの跡を辿る・・・ ともかく、たくさんの寺院、書院、史蹟、遺跡が、待っている。その一つ一つに、夢の跡を辿ることができる。

もう一つあげたいのは、豊かな自然との融合を見せる各地の名所・名園である。
いささか人工的ではあるが、韓国には、全国のあちこちで、安らぎと憩の名所・名園が多い。中には、韓国ならではの自然が織りなす風景もある。
その自然の中を、時の流れを忘れて散策することは、まったく至福の時間である。

しかし、何と言っても、各地で韓国の人たちと、稚拙な韓国語で語り、韓国の田舎料理を楽しみ(?)、何が起こっても、すべて一人で解決しなければならない旅こそは、旅の醍醐味ではなかろうか、と思う。
敷かれたレールの上をただ走っていても、何も、得るものはない。
一人個人旅行なればの、貴重な財産をのこすことができることと信じている。
下記のURLも参考にしていただければ幸甚である。
                
「韓国にかける夢」 (http://www7a.biglobe.ne.jp/~kum-kuda/korea/)
 
「全州の史跡を訪ねて」 (http://www.geocities.jp/jeonju09/)

やっぱり不可解な女心
日韓の往来では、女性たちの姿が目立つ。
そして、ふと、不思議なことに気がついた。
日本の若い女性たちは、韓国の女性たちのお化粧に、ひどく憧れに似たものを抱いているらしい。韓国で販売されている化粧品を手に入れて、韓国の女性たちのようなお化粧をしたい、と考えている。
日本から女性たちが、韓国に旅行する大きな理由の一つに、”ショッピング”という項目があげられる。そのショッピングというのはまぎれもなく、化粧品を指しているらしいのである。
だから、彼女らは、韓国に到着するや、まず、ソウルの명동(明洞)あたりに馳せ参じ、韓国化粧品を買いあさる。
そんなにも、よい品物なのだろうか・・・

ところで、不思議とは、このことではない。
実は、韓国の若い女性たちの間では、今度は、日本の女性たちのお化粧に憧れて、日本の化粧品が、実に優れていると評判になっているらしい。
そのため、日本に旅行する韓国の若い女性たちは、まず、銀座あたりのデパートに飛び込んで、高価な日本の化粧品に飛びついているのだという。これまた、ショッピング旅行である。何ということであろうか・・・

どちらの言い分が正しいのか知らない。おそらくは、「隣の芝生は・・・」なのではないかと想像する。
そして、ただただ、哀れなばかりの女心に、国境はないのだなぁ、と感嘆しきりである。