韓国人の心に潜む不思議

ソウル時間

   

韓国の人、特にソウルの人は、実に時間にルーズである。約束時間を守らなければならない、という意識がない、といっても過言ではない。
個人的な約束のみならず、ビジネスでも、同様である。
理由を聞くと、朝寝坊してしまったとか、道路が渋滞して車が遅れてしまったとか、なかなか電車がこなかったとか、女性ならお化粧や着替えに時間がかかったとか、とにかく、理由も千差万別である。
どれも他愛ないもので、日本なら、許されないほどの、不見識なことである。

一方、待たされて、待つ方も、鷹揚である。30分でも、はなはだしいときには、1時間でも、辛抱強く、待っている。
特に時間が問題にならないような待ち合わせなら、まだよい。しかし、約束して一緒に汽車にのるよう切符を買っている場合には、その汽車に乗り損なってしまう。映画の席を予約してチケットを買っておいた場合には、そのチケットは無効になってしまう。
だが、彼らは、平気で遅れてきて、「ごめんなさい」とも言わない。待たされた方も、咎めることもない。切符が無効になってしまっても、気にしない。

ビジネスで、先方の会社を訪問するときでも、平気で30分も遅刻することがある。車が予想外に渋滞してしまったから遅れる、と、一言、電話連絡するだけである。それで、ビジネスが壊れてしまうこともない。
かつて、ある史蹟を見学するにあたって、当市の観光部門の人が案内してくれることになった。史蹟の入口で約束した時間より、結局30分近く遅れて、彼は現れた。それでも、気にする気配もない。

これらは、日本では、「ソウル時間」と呼んでいて、以前から、有名なことである。
だが、ソウルだけの現象ではなく、ほとんど、韓国の全土にわたって、そんな風土が構築されてしまっている。
韓国では、ソウルでの出来事や事象は、次第に、全国的に地方に拡散していく傾向が強い。
余談だが、”ソウル方言”という方言があるが、これが、いつの間にか、地方にも拡散して、単にソウルの方言ではなく、韓国の標準語になってしまっているものもある。
だから、「ソウル時間」は、韓国の不名誉な時間観念だと言わざるを得ない。

韓国に住んで、そこで生活している人間同士なら、”韓国というのは、そういうところだ”との前提で計画すればよいだろう。
だが、海外からの旅行者にとっては、深刻な問題である。少ない、限られた時間で、ぎっしりと計画して旅行しているのだから、1時間も狂ってしまうと、計画した場所に行くことができないとか、時間に間に合わなくて大切なものを見損なったとか、深刻な問題に進展する恐れがある。
「時間を守ってくれ」と頼んでも、「はい」と言うが、ほんとに守ってくれるかどうかは、保証の限りではない。
どうしても、時間を守ってもらわなければならない場合には、約束時間の1~2時間前から、頻繁に電話で確認するとか、そもそも約束時間を前倒ししておくなどの自衛措置を講じなければどうしようもない。

韓国人の名誉のために、付け加えさせていただく。
韓国人のすべてが、時間にルーズだということではない。時間にきわめて厳格な人もたくさんいる。
経験によると、親しい間柄であるほど、時間を守らない傾向があるように感じる。一種の”甘え”なのかも知れない。
だから、目くじらたてて、感情的になると、人間関係を損なう危険もある。なにしろ、当の韓国人は、そんな罪の意識は、ほとんどないのだから、・・・・・・。
そもそも、なぜ、「ソウル時間」などというものが生まれたのか、未だ、わからない。