韓国人の心に潜む不思議

感謝の気持ち

   

日本人は、相手から、何か厚意を受けると、決まり文句のように、「ありがとうございます」「ありがとうございました」と言う。
後日、会ったときにも、「その節は、どうもありがとうございました」と、実に何度も、「ありがとう」を連発する民族である。
ところが、韓国人は、何か、窮地を救ってもらったときとか、ほんとにうれしいことをしてもらったときしか、「ありがとう」の言葉を言わない。このことは、日本人から見ると、若干の違和感を感じさせるものである。
だから、日本人から見ると、失礼だ、とか、礼儀を知らない、などという感情を抱かせる原因にもなり得る。

ところで、韓国語にも立派に、「ありがとう」に相当する言葉はある。
"감사하다"、"고맙다"という二つの形容詞がそれである。"감사하다"は、日本人にもよく知られた「感謝する」という意味の漢字語であるが、いささか固い、公式的な場面で使われることが多い単語である。
それに対して、"고맙다"は、打ち解けた関係の間で用いられる感謝の言葉である。

韓国の友達に何かプレゼントを買ってあげると、女性なら「와~ 예쁘네! 」(わあ、かわいい)と言って狂喜する。そして、「잘 쓸게..」(大切にするわ・・」と言ってくれる。
でも、「ありがとう」という言葉はない。
もし、日本人なら、喜びを前面に出す前に、まず、「ありがとう」と言うことだろう。
韓国人は、「ありがとう」という決まりきった言葉より、最初の喜びの言葉の中に、感謝の気持ちをこめているに違いない。

長らく音信のなかった友に、手紙を書いて送ると、日本人なら、返信の中に、「手紙をどうもありがとう」という一言が入ることであろう。
けれど、韓国人に、手紙やメールを送っても、直接的に、「ありがとう」の言葉が入った返事が来ることは稀である。
最も多いのが、「편지(메일) 잘 받았습니다.」(手紙(メール)、受け取りました)という返事であろう。
しかし、この短い文章は、”受け取った”という意味合いよりは、”ありがとう”の気持ちを込めた意味の方が強い、と理解すべきである。

読みたいと思っていた本を本屋で買おうとしていたら、友達がその本をもっているので貸してくれる、と言われて、借りて読んだ。読み終わって返すとき、日本人なら、やっぱり、「どうもありがとう」というところである。
だが、韓国人なら、単に、「책 잘 읽었어요.」(本、読みました)と言うであろう。どこにも、”ありがとう”の単語は見当たらない。
しかし、 この韓国語の意味は、むしろ、「ありがとう」の気持ちだと解釈すべきである。

日本人が戸惑うのは、韓国の人と、レストランなどで食事をするときである。
食事をして、誰かがご馳走してくれてお金をはらってくれれば、日本人なら、「どうも、ご馳走様でした。ありがとうございました」というような直接的な感謝の言葉を言うのが普通である。
しかし、韓国人と食事をして、ご馳走しても、そんな言葉を聞くことは、ない。
「ごちそうさま」もおかしいし、「おいしかった」も、おかしい。なぜなら、料理を作ってくれたのは、レストランの料理人であるから、という考えによるものだと言う。
韓国では、お金を払うのは、年長の男性とか、誘った人とか、地位が上の人とか、だいたい暗黙のルールがある。最近の若者同士の食事では、”ワリカン”もあるそうだが、普通は見ることがない。
日本人向けの韓国語の教科書には、食べ終わったら、「ごちそうさま」の意味で、「잘 먹었습니다」「맛있게 먹었습니다」などと言えばよい、と書いてあるが、こんことを言う韓国人はいない。
黙って食べ始めて、黙って食べ終わる・・・これが韓国の食事である。
これは、親しい人たちの間なら、だまっていても、気持ちは通じる、という意味だと解釈すればよい。

このように、判で押したように、「ありがとう」の言葉を連発しなくても、韓国人は、基本的には、お互いに気持ちが通じ合って、わかっているのだ、という土台に立っている。 それにもかかわらず、一言、「ちゃんと受け取りましたよ」「ちゃんと読みましたよ」というように、より具体的な内容を表現することによって、感謝の気持ちを強く表現する場合がある、ということだ。
日本人は、「ありがとう」の言葉を、あたかも挨拶言葉のように使うから、うっかりすると、韓国人が、きょとんとする場面もありうる。
ちょっとした便宜をはかってもらった程度では、「ありがとう」(감시합니다/고맙습니다)の言葉をつかわないで、別の表現で感謝の気持ちを伝えるようにした方がよい。

どうするのがよいとか悪いとかいう問題ではなく、これは習慣や文化の違いである。
お互いに、「郷に入ったら、郷に従え」で、相手の国を理解し、それに従うことが大切である。