韓国の中高生が読む近代小説

오세암(五歲庵)

   

この「오새암」(五歳庵)という作品は、 정채봉(チョン・チェボン)が1984年に発表した童話である。
정채봉(チョン・チェボン)は、1946年、전라남도(全羅南道) 승주(昇州)に生まれ、童話作家として活躍し、いくつかの作品を残し、2001年 55才の若さで永眠した。
「오새암」(五歳庵)は、彼の代表的な童話で、現実に、설악산(雪嶽山)の山奥、오세암(五歳庵)に伝わる仏教説話を土台にして、美しい仏教童話にまとめあげたものである。

雪の降りしきる初冬のある日、스님(僧侶)は、村の法事を終えて、설악산(雪嶽山)の寺に帰る途中であった。入り江のところで、話し込んでいる、みすぼらしい姿の弟妹に出会った。
弟の名は、길손(キルソン)、姉の名は、감이(カミ)と名乗った。弟は5才になり、姉は12才だが盲目であった。
弟妹は家もなく、この厳冬の中を野宿をしながら、小さな弟が姉を手を引いて、もう、会うこともできない母を訪ねて彷徨っているのだ。
스님(僧侶)は、話を聞いているうちに、この二人を山の寺に連れて行くことにした。寺に行けば、食事もできるし、暖かな部屋で眠ることもできる。弟妹は、非常に喜んで、스님(僧侶)の後に従って、雪の山を登って行った。

弟妹の山寺での生活がはじまった。
寺では、감이(カミ)は目が見えなくても何かと手伝いをするが、길손(キルソン)は悪戯ばかりしていて、他の僧侶たちから不満の声も出てきた。
ある日、스님(僧侶)は、あした、山奥にある「관음암」(観音庵)へ修業に行くので、길손(キルソン)も一緒に勉強に行こう、と誘った。
길손(キルソン)は、姉の감이(カミ)を一人残していくのは不安だったが、結局、行くことになった。

夕方近く、二人は、「관음암」(観音庵)に到着した。
길손(キルソン)は庵の付近の動物たちや花などの植物を友として、毎日、遊んでいた。스님(僧侶)は、庵の壁面に向かって瞑想の日々を過ごしていた。
길손(キルソン)には、気になっていることが一つあった。
庵の端に、小さな小部屋があった。스님(僧侶)に訊くと、昔、ハンセン病に罹った僧が、ここに隔離されていて、やがて、死んでしまったところだ、と教えてくれた。
길손(キルソン)は、一瞬、慄いたが、中を覗いてみたくて、古い戸をあけた。中には、木枕と火鉢があるだけであった。ぐるりと見渡しても、小さな部屋には、何もなかった。壁にかかっていた蓑を取り外すと、明かり取りの窓があった。
小部屋を出ようとして反対の壁を見ると、一枚の絵がかけられていた。보살님(菩薩様)の幀画(ていが)である。蓮の花のに立って、頭に冠を載せ、微笑みをたたえた보살님(菩薩様)だ。
길손(キルソン)は、この보살님(菩薩様)を엄마(ママ)と呼ぶことにした。
そしてそれから、毎日、この보살님(菩薩様)に会いに小部屋を訪れていた。

ある日、스님(僧侶)は、食べるものがなくなったので、遠く、村の市場まで買いに行って来ることになった。そして、길손(キルソン)に一人でここで待っているように、言った。길손(キルソン)は、一人では怖くていやだ、というと、스님(僧侶)は、怖いときには、「관세음보살, 관세음보살」(観世音菩薩様、観世音菩薩様)と、唱えれば、菩薩様が来てくれるから、と言って励ました。

스님(僧侶)が村で買い物をして帰るころ、大雪に見舞われてしまった。幼い길손(キルソン)が一人、食べ物もない山の庵で待っていることを考えると、気が気でなかった。雪は、どんどん積もり、스님(僧侶)は、人の2倍、3倍の急ぎ足で、雪道を上って行った。まれにみる豪雪であった。
もはや道さえわからなくなって、とうとう스님(僧侶)は雪の中に倒れ気を失ってしまった。幸い、近くの農夫に助けてもらうが、病の床からようやく起き上がることができるまで、農夫の家で、20日近くを費やしてしまった。 「幼い子供が待っている」と言いながら、스님(僧侶)は、ふらふらしながら、やっと寺まで辿り着いた。

寺に戻ると、스님(僧侶)は、姉の감이(カミ)を連れて、길손(キルソン)が待っている관세암(観世庵)に向かった。
마등령(マドゥンニョン)の峠にささかかると、감이(カミ)が、突然、「길손(キルソン)の匂いがする」と言い出した。
しばらく歩くと、감이(カミ)は、何かの声が聞こえる、と言う。
”가만히 들어 봐요. 저 봐요. 관세음보살, 관세음보살 하잖아요. ”
”저.... 저... 저... 소리는... ”
(「静かに聞いてみて。。観世音菩薩、観世音菩薩、と言っているじゃない」)
「そ、そ、その声は・・・・」
스님(僧侶)は、감이(カミ)の手をひいて走った。
관세음보살, 관세음보살 (観世音菩薩、観世音菩薩)という声が、だんだん近づいてきた。

관세암(観世庵)の門をくぐると、스님(僧侶)は、びっくりした。
赤みがかかった素足をした길손(キルソン)が、そこに横たわっていた。 すると、後ろの관음봉(観音峰)から女人が舞い降りてきて、길손(キルソン)を胸に抱き、「この子は、もう、仏様になったのです」と言った。
その時だった。
감이(カミ)が歓喜に満ちた声で叫んだ。
「스님(お坊さん)、青い鳥が飛んで行く。。。」
스님(僧侶)も、それを見て、관세음보살님 (観世音菩薩様)が青い鳥に姿を変えて飛んで行くんだ、と・・・・。
そして、目が見えないはずの감이(カミ)に、どうして、青い鳥が見えるのか、尋ねると、감이(カミ)は、今、全部見えるようになった、と言う。
스님(僧侶)は、「ああ、仏様。。。」と言って、길손(キルソン)に近寄って、拝んだ。감이(カミ)も続いた。
今にも、「お姉さん!」と言って、起き上がり、また悪戯をはじめそうな길손(キルソン)の姿を、ずっと、見守っていた。
길손(キルソン)は、母のやさしい胸に抱かれて、ゆったりと、横たわっているようであった。


(雪岳山 五歳庵)