韓国の中高生が読む近代小説

소나기(にわか雨)

   

소나기・・・韓国人なら、この小説を知らない人はいない、と言っても過言でないほど、有名な短編小説である。 韓国の中学校の国語の教科書に出てくる、という。
황순원(黃順元)の短編で、1959年に発表された。美しくも悲しい”韓流”恋愛小説の原点である。
황순원(黃順元)は、1915年、現在の朝鮮民主主義人民共和国の평안남도(平安南道)にある대동군(大同郡)に生まれる。
地理的には、半島の中西部にあって、평양(平壌)と隣り合わせの位置である。
日本で、早稲田大学英文科を卒業。 その後、1391年、나의 꿈(私の夢)を発表して、文壇に登場する。
最初は、小説や詩を書いていたが、1940年以降は、小説に専念するようになる。
彼の作品は、詩的な豊かな感受性を基にした緻密な組み立てと展開が特徴である。

小説「소나기」(にわか雨)は、少年少女の素朴で純粋な愛を通して、失われた夢の世界を蘇らせ、人間の持つ純粋な世界を再確認させてくれる点で、大きな意義がある。
何度も読み返すうちに、その悲劇的な流れが、ある種宗教的色彩を帯びて、われわれに迫ってくるような不思議な感覚に包んでくれる小説である。断定ではなく、余韻を残してくれる。
簡単にあらすじを紹介しよう。

主人公である少年は、小川の飛び石に座って水遊びをする少女に会う。少女は顔を洗っているのではなく、水の中から小石を一つ拾い上げると、「このバカ!」と言って少年に投げると、秋の日差しがそそぐ葦原に消えてしまう。
翌日、少年は小川に出てみたが、少女の姿は見えなかった。
少年は、その日以来、少女に対する懐かしい想いに憑りつかれている。

ある土曜日、少年と少女は小川で会った。少女は少年に青柳(あおやぎ)を見せながら話しかける。二人は黄金色に染まった秋の野原を走って、山の麓まで来てしまった。そこで、秋の花を折りながら、仔牛に乗って遊んでいたが、やがて夕立に会ってしまう。
二人はモロコシ畑の中に入って、雨を凌いだ。
雨が止んでからの帰り道、小川は水が溢れていて、少年は少女を背負ってわたる。
それ以降、少年は、長い間、少女に会うことができなかった。

そんなある日、少年は、再び少女に会う。しかし、少女は、あの夕立以来、体調が一層悪化し、未だに、よくなっていないことを知らされる。少女は、少年にピンクのセーターの裾の部分を見せて、ここまで、水に浸かったと説明した。水の跡が残っていた。
そして、少女は、朝に採ったというナツメの実を一握り、少年に渡して、間もなく引っ越しをすることになった、と話す。
少年は、近くのおじいさんの家のクルミ畑から、密かにクルミを採って、少女にあげようと決心した。

少女が引っ越しをする予定の前日の夜、少年は家に横たわり、少女に渡すことができなかったクルミの実をいじりまわしていた。
そこへ村に行ってきた父が、ちようど戻ってきて、母に、少女が死んだという事実を伝える話を聞いた。
少女が死んだときに、「今、自分が来ている服をそのまま着せて埋めてほしい」という遺言を残した、という話と一緒に・・・・・。