韓国の中高生が読む近代小説

동백꽃(椿の花)

   

「동백꽃」(椿の花)は、20世紀前半に活躍をした作家、김유정(金裕貞) の短編小説である。
1908年、강원도(江原道) 춘천(春川)に生まれる。家が貧しく、学校も中退してしまう。そして、彷徨生活の末、やがて故郷に戻り、夜学校「금병의숙」(錦屏義塾) を開き、문맹퇴치(文盲の人たちに文字を教えること)など農民啓蒙運動をしながら、いくつかの作品を発表して、作家活動に入ることとなった。
しかし、残念ながら、病気のため、29才の若さでこの世を去ってしまう。
彼の作品の傾向は、土俗的な語彙を多用して、農村の姿や当時の人々の生きざまをユーモラスに描写していることである。つまり、農村の問題点を抉り出し、それを、むしろ笑いに置換させていることが特徴であるといえる。
この「동백꽃」(椿の花)は、そんな彼の代表作の一つと言われている。やはり土俗的な文体と語彙・方言を使用した作品であり、韓国語の言葉が難解である。
農村の若い男女の愛を描いた作品である。若い女性と、彼女の愛の告白を気づかない男性との間の、素朴ながらも滑稽な短編である。

主人公は一人称で書かれていて「ぼく」。ぼくは小作人の一人息子で正直で純朴な青年である。そして、地主のところには可愛い娘がいて、その名前は、점순(チョムスン)という。なかなか積極的で個性的な女性である。
そのぼくが、ある日、昼食をすませて山に薪を採りに行こうとすると점순(チョムスン)の家の雄鶏が、ぼくの家の鶏をつっついて、まだ前の傷が癒えていないのに、また鮮血が飛び散っていた。ぼくは、棒を持って雄鶏を叩こうとして引き離した。

4日前にぼくが家の垣根を作っていると、점순(チョムスン)は、突然、ぼくの後ろから、まだ熱い湯気がたっているジャガイモを差し出した。しかし、ぼくは、彼女の手を押し返してしまった。
そして、ふと異常な気配に振り返ってみると、息をはずませて殺気立った彼女が、ぼくを見つめて、涙さえ流すのを見て、ぼくは、びっくりしてしまった。
その翌日、점순(チョムスン)は自分の家の土間に一人腰を下ろして、ぼくの家の雌鶏を捕まえて殴っていた。
점순(チョムスン)は、誰もいなければ、雄鶏を追い立てて、ぼくの家の雄鶏と闘わせていた。

ある日、ぼくは、雄鶏にコチュジャンを食べさせ、力が出るのを待って、점순(チョムスン)の家の鶏に闘いをしかけた。その甲斐あってか、ぼくの家の雄鶏は、점순(チョムスン)の家の鶏の眼を、足の爪でほじくった。しかし、점순(チョムスン)の家の鶏は、しかえしに、今度は、ぼくの家の鶏をつっついた。

점순(チョムスン)が闘いを仕掛けることを知っているぼくは、家の鶏を捕まえて、閉じ込めたまま、山に薪を採りに出かけた。そして松の枯枝を採りながら、ヤツの首骨を回してしまいたい衝動に駆られた。
점순(チョムスン)は、石を隙間にうずたかく敷き詰めて、その上に座り、哀れっぽく草笛を吹いている。
ぼくは腹が立って、背負子の棒で점순(チョムスン)の家の大きな雄鶏を殴って殺してしまった。
すると、점순(チョムスン)は目を剥いて、ぼくのところに駆け寄ってきた。

次からは、こんなことはしないか、と念押しする 점순(チョムスン)に対し、ぼくは、約束した。
二人は、黄色い椿の花の中に、埋もれた。ぼくは、점순(チョムスン)の香しい匂いで、気持ちがくらっと、なった。
そのとき、점순(チョムスン)の母が呼ぶ声がして、점순(チョムスン)はびっくりして、花の中をこそこそと這い降りて行き、ぼくは、山の中に逃げて行った。