韓国観光行政の陰と陽

歴史を大切にする風土

   
どこの国に行っても、歴史が草むらに埋もれてしまっているところは、あちこちに見受けられる。
しかし、戦争や闘争の犠牲となって永遠に消滅してしまったものもある。「崇禮門」(숭례문)(南大門)焼失のように、心ない人によって失われたものもある。
もちろん韓国も例外ではない。朝鮮半島4000年を超える歴史の中で消え去ったものは枚挙に暇がない。

人が自国を振り返って見つめことができるためには、それなりの安定と余裕が必要かも知れない。
例えば、戦争の真っ只中に、歴史を紐解くゆとりなど、生まれるべくもない。歴史を振り返って、整備し、保存しようとすると、専門的な人材と莫大な費用とが必要であろうから、安定した余裕も必要である。

韓国を旅すると、あちこちで、歴史的産物が整備されて観光化している。
宮廷やその付属物、城・城壁・門・楼閣、寺院やその礎石、昔の学校、歴史に語られた事物、戦場の址、・・・など、あらゆるものが観光の対象となっている。中には、神話の世界や伝説の世界の事物まで含まれているから、それらの価値は、見る人の判断に委ねられるる。
一般に韓国の歴史観光は、漠然と、受け身的に行っては真実が見えなくなる。そのためには、事前に、かなり深く予備知識を詰め込んでおくことが大切である。
どの国でもそうであるように、一般に、自分の国に都合のよい部分だけを抽出して見せているから、それに嵌ることなく冷静に観察する技量が要求されるからである。
特に、韓国には、日韓にかかわる歴史事象が多く、しかも、それぞれの事象に対する日韓双方の歴史的見解が一致していることは少ない。
それゆえ、双方の主張を冷静に分析し、理解する姿勢が望まれる。
韓国で歴史を見る限り、当然、韓国が歴史の舞台になったものである。だから、日本には、その痕跡を見いだせないものも少なくない。もちろん、その逆も、皆無ではあるまい。

韓国が、こうして、歴史を、広く、観光資源化している理由は何であろうか。
第一に韓国人のもつ、強いプライドが作用している、と考えられる。
伝説的であるが古朝鮮時代からはじまる長い歴史の中で、いかに、すばらしい文化・芸術・学問が育まれてきたか、という高い自負心が形を変えて具現化したものと見る。
彼らの祖先は、こういう優れた技術をもっていたとか、こういうすばらしいものを作った、ということを、誇らしげに誇示する狙いがある。
第二には、歴史が、観光を通じて、当該自治体にとって、財源化していると、考えられる。
単に、歴史的事物を見せるだけでなく、それによって、観光客たちは、その地域で食事をし、土産物を買い、更には宿泊をし、交通機関を利用し、かくして、それなりのお金を消費してくれる。
これは、広範にわたる利益をもたらしてくれる。

韓国の学校では、こうした歴史的観光資源を、子供たちの歴史の課外授業の一環として利用している場面も多い。
「百聞は一見に如かず」・・・・子供たちにとって、自らの眼を通じて、直接的に飛び込んでくる情報は、鮮烈である。
やや偏見をもった解説を、そのまま受け入れて、彼らの歴史観に成長していくのであろう。

こうして、良い意味でも、悪い意味でも、韓国は、歴史を大切に考えている。
もちろん、第一義的には、学問的追求の面を掲げないわけにはいかない。
東アジアでは、中国・韓国・日本の三国で、それぞれ、歴史的記述の異なる文献が発見されたり、歴史的産出物の解釈や評価が一致しなかったりする部分が多々ある。
殊に、三国時代以前の、神話的・伝説的事変や人物に関することがらは、依然として議論が多いところだそうである。
したがって、韓国における発掘・整備・復元などの業績が、歴史的な解明に寄与するところ大であることは評価されるべきである。

だから、韓国における、歴史の研究が進み、隠れていた部分が顔を出すにしたがって、歴史的推測から、歴史的真実を見つめた追及に変化していくことを期待したい。
観光客が失望しない真実の推測も大切であろう。
それが、真に、誇るべき、歴史を大切にする風土の醸成につながるものと信じている。