韓国観光行政の陰と陽

外国人観光客への対応の欠如

   
韓国の観光地が、外国人観光客に対して不親切であることは、韓国全国を通じて共通した課題である。
尤も、これは、韓国に限ったことではなく、日本は、もっとひどい。日本の観光地で国際化の欠如は、数限りなくあるから、観光で外国人を呼ぶ、などということは恥ずかしい限りである。
だからといって、韓国まで、こんな醜態を晒す必要はない。観光行政には、かなり注力している様子がうかがえるのだから、一層の配慮を期待したい、と常々、考えている。

第一に、観光客が、交通機関を容易に利用できるような対策である。
窓口で長距離の列車やバスの乗車券を買うためには、発券窓口で行き先を口頭で告げなければならない。だが、外国人にとっては、韓国語の地名の発音が難しいものもある。たとえば、전주(全州)と청주(清州)を間違いなく区別して発音して切符を買うのは容易ではない。外国人が間違えることなく、安心して切符が買える工夫をしてほしいものだと思う。
近距離の路線バスは、きちんとバス停に止まらず、とんでもない離れた場所で止まることがある。だから、バス停で、ひたすら待っていても、乗れないことがあるのだ。
地方の僻地の史蹟などに行こうとすると、適当な交通手段がないことがある。観光案内で、往復の交通手段を周知させ、また、現地に食堂などの店がない場合には、あらかじめ食事の用意をして出かけるように、などという、きめ細かなアドバイスが望まれる。
筆者は、お昼の食事を食べることができなかったこともあるし、午後少し遅い時間に、バスを利用して、ある史蹟に到着したが、すでに帰りのバスがないことがわかり、大変こまったことを覚えている。
むろん、近くに民家もない場所である。
第二には、外国人向けの案内書・説明文・看板などの不備である。
当該施設や、展示物、史跡に対する歴史的、文化的な詳細解説をしたパンフレットが欲しい。単に訪問の記念資料としてではなく、理解を深めることができる、やや専門的記述を盛り込んだ資料がほしい。もちろん、欲しい客に対して、有料で頒布すればよい。
それも、最低限、韓国語の説明資料があればよいが、できることならば、英語、日本語などの外国語の説明があれば、一層うれしい。
また、内部の施設などには、随所に、説明板が立ててある。これは、立派なことだが、書かれている内容が問題である。
たとえば、左の写真は、釜山にある 금정산성 の中の説明看板である。クリックすると、拡大写真をご覧になることができる。
この案内板は4ヵ国語で書かれている。上段の左右が、韓国語と英語、そして下段の左右が日本語と中国語である。
一目瞭然であるが、日本語と中国語の説明は、韓国語の説明に比べて、内容が著しく少ない。結局、何も内容がないのと同じである。それなら、書かなければよいものを、と思う。 各国語で書かれた文の内容は、すべて同等でなければならない。
こういうものを見ると、日本人と中国人に対しては、軽視している感じがして、まったく不愉快な思いがする。

第三には、ガイドの問題である。
一般に、ほとんど予備知識を持たずに、観光施設を訪問しても、そこで提供される僅かな情報だけでは、本質の理解が難しい。
このようなとき、希望すれば、有料でもよいから、ガイドしてくれる人がいると、非常にありがたい。
そうは言っても、경복궁(景福宮)のように、必要もないガイドがつかなければ見学できないのも、いかがなものかと考える。
ソウルを訪問するたびに、10回でも、20回でも、경복궁(景福宮)に行き、その都度、違った角度から、ゆっくりと朝鮮王朝に思いを馳せたいという気持ちは、この不要なガイドのために、吹き飛んでしまうからである。
旅行会社を利用してガイドを依頼すると、営利主義の悪質なガイドもいるから、要注意である。
やはり、その観光地を所管する自治体が、責任をもって、考慮しなければならない問題である、と思う。

韓国の非常にすぐれた政策の一つに、主要地域や駅などには、必ず、”観光案内所”が設置されている点を挙げることができる。
韓国人のみならず、観光目的の外国人にとっても、まさに、唯一の情報調達機関である。
しかも、簡単な観光案内資料や地図を入手することができる。
これは、ある意味、すばらしいことである。
このおかげて、韓国で一人旅の観光を楽しむことができる、と言っても、過言ではない。
ただ、残念なことは、ここで働いている”人”の問題がある。何か質問すると、非常に親切に一生懸命に調査して、対応してくれる人もいれば、まったく素っ気なく「それは、わかりません」と逃げてしまう人もいる。
「わからない」で終わってしまうなら、観光案内所を設置している価値がない。そういう認識が欠如した従業員がいることは、まことに残念なことである。
やはり、その観光地の玄関口に相応しい顔として、好感のもてるすばらしい仕事をしてほしいものである。

韓国にとって、観光は、非常に大きく、かつ貴重な産業のはずである。
行政も、そのような政策をとってきたと思う。
だが、国民が、みな、そのような意識で対応しているか、と考えると、残念ながら、否定的な見方をさぜるを得ない。
道路で、道を尋ねても、きちんと説明してくれる人は、きわめて少ない。韓国語で質問しても、多くの人は、何とか助けてあげよう、という意識に乏しい。
総じて、観光という一つの面から、自治体や住民の対応を見る限り、「自己満足」「身勝手」の域を脱することはできない。
韓国が観光で成果をあげるには、ゴールは、あまりにも、距離が遠いように見える。

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