三国統一を成し遂げた新羅(신라)も、8世紀を過ぎるころから、王位継承争いや身分制度の社会矛盾が表面化し、政争の種になってきた。それと共に、次第に統制力が弱体化し、地方には、いくつかの豪族が台頭してきた。
それらが発展して、後百済(후백제)、後高句麗(후고구리)となり、新羅との新しい後三国時代を迎えることになる。
後高句麗(후고구리)の武将、王建(왕건)は、新羅を滅ぼし、この新しい三国の混乱を収めて、朝鮮半島を再統一し、高麗王朝を建国した。
918年のことである。
この王朝は、以後400年以上続き、34代にわたり王が次々と擁立される。
しかし、1388年武将李成桂(이성계)がクーデターを起こし、1392年、自ら擁立した恭譲王(공양왕)を殺害すると、新たに朝鮮王朝を建国し、自ら初代王につき、高麗時代が終わりを遂げる。
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