朝鮮半島ならびに満州に高句麗(고구려)、百済(백제)、新羅(신라)の三国が鼎立(ていりつ)した時代を三国時代(삼국시대)と呼ぶ。年代的には、BC1世紀~AC7世紀の期間である。
この時代は、三国史記による建国神話に基く歴史学によるところ大であるが、中国、韓国、日本など各国間で差異も見られ、確固たる統一された歴史観に至っていない部分もある。
前漢による朝鮮半島支配が弱体しかけたころ、半島には、数多くの小国体が存在していた。その中で、頭角をあらわしてきたのが、高句麗(고구려)である。
その始祖は、朱蒙(しゅもう)(주몽)という人物である、と言われており、初代東明聖王(동명성왕)となって、BC37年、満州から半島北部一帯にわたって広大な高句麗(고구리)を建国した。
高句麗(고구리)は、668年、宝蔵王(보장왕)のとき、唐と組んだ新羅(신라)に滅ぼされるまで続いた。
高句麗(고구리)の初代東明聖王(동명성왕)の子、温祚(おんそ)(온조왕)が、BC18年に、百済(백제)を建国したとされている。
半島の南西部を支配していた。
百済(백제)は660年、第31代義慈王(ぎじおう)(의자왕)のとき、やはり唐と組んだ新羅(신라)によって滅ぼされた。
半島南東部を支配していたのが、新羅(しらぎ)(신라)である。もともとは、斯盧(さろ)(사로)という小国から発展したものとされており、BC57年に初代王、赫居世居西干(かくきょせい きょせいかん)(혁거세거서간)によって建国された。
第30代文武王(ぶんぶおう)(문무왕)のとき、660年に百済を、そして668年に高句麗を滅ぼし、ここに三国時代は終焉を迎える。
以後、新羅(신라)は、半島全域を支配し、いわゆる統一新羅時代に突入することになる。
現在の韓国では、この時代を、南北国時代(남북국시대)と呼んでいる。
三国統一を成し遂げた新羅(신라)は、華やかな発展を見せていく。
しかし、9~10世紀にかけて、各地に、小集団が群雄割拠し、新羅(신라)は、次第に基盤が縮小していく。
そのため、927年、第56代敬順王(けいじゅんおう)(경순왕)が即位すると、国を高麗(고려)に譲渡することを決心し、935年、高麗(고려)に降伏した。
ここに、900年余りの栄華を誇った新羅(신라)が滅亡することとなる。
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