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전라북도

전라북도 (全羅北道)

전라북도
(全羅北道)
 
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李朝時代(조선이대)の1896年、韓半島の南西部にあった大きな全羅道の行政区分が、北と南に別れ、北側が全羅北道(전라북도)、南側が全羅南道(전라남도)となって、現在に至っている。
道庁所在地は、全州(전주)、6市8郡からなり、総面積は約800万k㎡、人口は約200万人である。

660年百済が滅び、統一新羅時代を経て、後百済から高麗時代に至り、全羅道が誕生する。その後、李朝時代にはいって、現在の行政の基盤が構築されるのである。
幾多の荒波にさらされてきたこの地には、多くの遺跡・史跡が残されている。
そのうちのいくつかを、スライドによって、訪ねてみたい、と思う。
なお、ここに掲げられた写真は、松延紀昭氏のご厚意で提供していただいたものであり、筆者の別のホームページ「全州の史跡を訪ねて」にも、詳しく紹介されているので、参照していただければ幸いである。


全州(전주)の北西部、完州郡(완주군)に威鳳山城(위봉산성)の遺跡があり、全羅北道記念物17号に指定されている。
この山城は、朝鮮太祖李成桂の肖像画を奉安する目的で、1675年に築城されたものである。
長さ16km、高さ4.5m、幅3mの大きさで、東門、西門、北門の3つの門が作られ、城中には、行宮(행군)、真殿(진전)のほか、池や泉があったとされているが、現在は、唯一西門だけが、その原型をとどめているに過ぎない。

全州の南にあって、全州の守りの役を果たしたのが、南固山城(남고산성)であ。長さ5.3km、高さ1.2m、幅3.4mに及ぶこの山城は、901年後百済王、견훤(甄萱)によって作られたものであり、甄萱山城とも言われた。
後に、1811年、이상황(李相璜)によって、改修され、南固鎭 (남고진)が置かれ、戦略的要衝地として、全州を守る重要な拠点と位置付けられていた。
現在は、ほとんどの石垣が崩れてしまっているが、천경대(千景臺)·만경대(萬景臺)·억경대(億景臺)という3つの峰が、巧みに自然の要塞をなしていたことを、物語っている。
史跡第294号に指定されている。

全羅北道の南西部、ちょうど全羅南道と接する位置に、高敞郡(고창군)がある。そこに、秀吉の進入を阻止する目的で作られたのが、高敞邑城(고창읍성)、またの名を牟陽城(모양성)と言い、1453年に完成された。
長さ1.6km余り。高さ4-6mの城壁は、周囲に、東門、西門、北門の3つの門と、いくつかの軍事施設とを備えていた。
全州韓屋村の一角に、全州郷校(전주향교)がある。李朝時代に、儒学を教えるために作られた学校で、史跡第379号に指定されている。
内部は、かなりの広さがあり、16棟の建物がある。なかでも、孔子を含む7人の中国の儒学者と韓国の学者18人の位牌が祀られている大成殿(대성전)は中心的存在である。樹齢1000年を超える銀杏の巨木も見事で、保護樹となっている。

全羅北道の一番北西部に益山市(익산시)がある。
そこに韓国最古・最大の石塔をもつ弥勒寺址(미륵사지)がある。
この石塔は、百済の武王(600-641)(무왕)の時代に建立されたものとされ、国宝第11号に指定されている。
幢竿支柱(당간지주)は、幢竿を支えるために立てた支柱で、彌勒寺址の南側に2基の幢竿支柱が約90m離れて立っている。形態がすっきりと美しくて金堤金山寺にある幢竿支柱に似ており、統一新羅時代に製作されたものと見られる。






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