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안동하회마을(安東河回村)
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洛東川に囲まれて悠久の歴史に生きる藁葺・瓦葺の家々・・・・
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洛東江(낙동강)が緩やかにS字を描いて取り囲む集落・・・それ故に名付けられた、慶尚北道(경상북도)安東(안동)の河回村(하회마을)である。
朝鮮時代の大儒教学者である柳雲竜(유운룡)、柳成竜(유성룡)兄弟を筆頭に、多くの偉人たちを輩出し、朝鮮半島を代表する両班(양반)の村として、位置付けられている。朝鮮時代に作られた建物は、今なお、そのまま残り、その子孫たちが、生活を営んでいる場である。 歴史的に、誠に、価値の高い集落である。 アクセスは、ソウルまたは、釜山から、高速バスが便利である。河回村までの直行バスはないので、高速バスで安東まで行って、そこで、河回村行のバスに乗り換える。 筆者は、今回、釜山から、安東経由で入った。釜山の地下鉄1号線の終点、老圃洞(노포동)駅に直結する総合バスターミナル(부산종합버스터미널)で、安東(안동)行の高速バスに乗る。直行で、約2時間10分くらいである。 50分に1本ずつ運行されており、比較的便利である。 しかし、安東(안동)と河回村(하회마을)の間のバスは、いささか不便である。一日に6〜8便しかなく、運が悪いと2時間近く、待たなければならない。46番のバスに乗って、約1時間で河回村(하회마을)の入口に到着する。 安東(안동)でバスの連絡が悪ければ、タクシーを利用するのがよい。40分くらいで着く。 村の入口には、切符売り場があり、ここで入場券を買う。そのとなりに案内所があるので、ここで、村全体の案内地図をもらうとよい。日本語の地図もあるが、韓国語の地図と両方もらうと便利である。そして、このパンフレットを隅から隅まで熟読して、全部頭の中に入れてから出発することをお薦めしたい。
案内所を出て、道なりにしばらく歩くと、河回村案内板(하회마을안내판)がある。(写真 左)入口でもらった案内地図とこの案内板とをよく見て、これからの順路をよく頭に入れておくとよい。そして、それよりも、ここを訪れる前に、事前調査を十分すぎるほど、しっかりやっておかないと、これからの約2時間の見学が、何が何だかわからないままに、漫然と見て終ってしまう。今回の筆者の訪問は3月という季節で、真冬並の寒風の中で、途中で案内地図を広げる手も氷るほどの冷たさに震え、もっと事前に地図を頭に入れておくべきだったと、いささか後悔している。 いつか、もう一度、行って来たい、と思っている。
案内板のところで、道は左右にわかれるが、左手に順路をとる方がよい。 至るところ歴史的価値の高い建造物で、あたかもタイムスリップして、はるか古の時代にいるような錯覚さえ覚える。
道なりに、河東古宅(하동고택)、南村宅(남촌댁)、主一斎(주일재)、永慕閣(영모각)を見学しながら、洛東江(낙동강)の前を右に曲がると、やがて、養真堂(양진당)、忠孝堂(충효당)である。養真堂(양진당)(写真 右:建て替え工事中)は、柳雲竜(유운룡)の住まいだった建物で、河回村で最も古い家屋である。高麗時代と朝鮮時代の建築様式を兼ね備えた貴重な研究対象であり、宝物第306号に指定されている。
忠孝堂(충효당)(写真 右)は、柳成竜(유성룡)の宗家である。朝鮮時代の建築物で、居間には、”忠”と”孝”を意味する懸板が掛けられている。また、母屋は”ロ”の字型で、外部から簡単には近寄れないほど閉鎖的に作られている。 宝物第414号に指定されている。 この二つは、絶対に見逃すことができない。
養真堂(양진당)の裏には、賓渕精舎(비연정사)がある(写真 左)。1583年に建築されたもので、芙蓉台(부용대)の絶壁と、その下を流れる美しい洛東江(낙동강)とに囲まれた書斎である。貴重な建築物で、重要民俗資料第86号に指定されている。 賓渕精舎(비연정사)を出て、河の方を見やると、すばらしい松林が眼前にひろがっている。
この松林は、万松亭松林(망송정솔숲)と呼ばれ、天然記念物第473号に指定されている。村を風水地理学的に見たとき、西側の地気が弱いので、それを補完するために植えられたものである。(写真 右右)。松林の先には、洛東江(낙동강)の流れがあり、そこを渡し舟(나루터)で渡ると、芙蓉台(부용대)である(写真 上左)。この洛東江(낙동강)の頂きに立つと、村の全景が見事だという。
賓渕精舎(비연정사)を過ぎると、遠志精舎(원지정사)があり(写真 左)、重要民族資料第85号に指定されている。 ここは、柳成竜(유성룡)が父親の没後、都落ちし隠居するために建てられたものである。 隠居後もここで、心身の鍛練をし、休養したそうである。 遠志精舎(원지정사)の裏には、樹齢600年を超えるという欅の古木がある。三神堂神木(삼신당신복)と呼ばれ、子供を授け、成長を助ける神とされている。この村では、欅の木を御神体として祀っており、また各家でも祀られている。
その三神堂神木(삼신당신복)のすぐ横に、北村宅(북촌댁)がある。(写真 右) 1862年に建てられた家で、非常に勇壮な両班(양반)の家屋である。 重要民族資料第84号に指定されている。 三神堂神木(삼신당신복)の周りには、このような家は、いくつか存在する。 北村宅(북촌댁)をあとにして、川沿いに進むと、やがて、最初に見た案内板に到達し、河回村の主要部分を一周したことになる。 1時間半から、2時間の行程であるが、あらかじめ、じっくりと研究して、このすばらしい古建築の数々を極めようとするなら、さらに、時間が必要であろう。 ここから、安東に戻るバスは、一日に6便しかないから、案内所でタクシーを呼んでもらって、戻るのがよい。 村の中には、民宿をやっている家も、たくさんあるから、ここに一泊するのもよいだろう。しかし、漠然と、宿泊するのではなく、十分に事前調査をして、目的をもって、村で一夜を過ごすことができれば最高であろう。 様々なことを考えながら、ここ河回村を後にいた。もう一度、きっと、来たいと思いながら・・・ 2009年3月 | |
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