|
가야산 해인사(伽耶山 海印寺)
| |||
|
八万大蔵経が収められている法宝宗刹・・・・
|
|||
  
韓国の秘境、伽耶山に佇む해인사(海印寺)を訪ねる。韓国三宝寺刹の一つ。
三宝とは仏教で貴いとされる仏宝、法宝、僧宝の三種の宝物をいい、このうち法宝をもつのが海印寺である。 海印寺が「法宝寺刹」と呼ばれる由縁は、お釈迦様の教えを版木8万枚以上に体系的にまとめた経典、팔만대장경(八万大蔵経)を保管していることにある。 海印寺は、新羅の第40代애장왕(哀荘王)のとき、802年に順応と利貞の二人の僧によって、創建されたと言われる。しかし、その後、幾度かの火災に会って焼失し、現在の建物は、李氏朝鮮時代の19世紀はじめ頃、再建されたものである。 海印寺は、ソウル、釜山からのアクセスが極めて悪い秘境にあり、結構苦労する。 最もオーソドックスで無難なルートは、대구(大邱)にある대구서부정류장(西部市外バスターミナル)から、海印寺行のバスを利用することである。 筆者は、부산(釜山)から2時間あまり、합천(陜川)行のバスを利用し、합천(陜川)から、タクシーで海印寺に入ったが(バスもあるが、便数が少ない)、このルートは、お薦めできない。 海印寺で車(バス)を降りると、そこから寺の入口までは、約30分歩くことになる。下の写真のような散歩道を、ゆっくりと散策しながら、入口に向かう。
静かな散歩道を行くと、やがて、일주문(一柱門)に到達する。 ここから、海印寺の一番の奥にある정경판전(蔵経板殿)までは、全部で、108の階段があり、一つ上がるごとに煩悩を消滅させ、悟りに達することができる、と言われている。
ここからは、いよいよ、海印寺の内部に入っていく。 世界遺産の碑(写真 上中)の前の道を、ひたすら進んでいく。 途中に、海印寺創建以来1200年間生きて、今は枯れてしまったという고사목(枯死木)がある。(写真 上右)
やがて、鳳凰門(봉황문)が現れてくる(写真 左)。 ここには、四天王が描かれていて、いわゆる天王門(천왕문)に相当するものである。
更に進むと、続いて解脱門(해탈문)が見えてくる(写真 右)。 これは、いわゆる不二門(불이문)と呼ばれるものに相当する。
解脱門(해탈문)をくぐると、石塔のある広場に出る。左手には鐘楼があり(写真 右)、正面の建物は海印寺総合広報館(종합홍보관)である。この広場には、石塔を中心にして、海印寺曼荼羅回り(해인사만다라돌기)がある。これは石で描かれた四角い迷路のようなものである(写真 下左)。 新羅時代の義湘僧侶(의상스남)が創案した図案で、八万大蔵経(팔만대장경)の真理を示している。
この庭に用意されている用紙に、願い事と名前を書いて、入口から入り、それを手にもち、合掌しながら一回りすると、最後に中心にある石塔にたどり着き、その横にある専用のケースに願い事を書いた用紙を入れると、大きな功徳を積み、願いが叶えられると言う。
この庭から、階段を上っていくと、すぐに庭中塔が見え(写真 左左)、更にその上の階段を上ったところに、いよいよ本殿である大寂光殿(대적광전)が見えてくる(写真 左右)。本殿の裏側を上っていくと、八万大蔵経(팔만대장경)が収められた蔵経板殿(장경판전)がある。
大蔵経(대장경)は、お釈迦様の教えを体系的に集大成したものであり、その版木は全部で81258枚あることから、八万大蔵経(팔만대장경)と呼ばれる(国宝第32号)。高麗23年の1236年から、16年間をかけて完成したものだと言う。その八万大蔵経(팔만대장경)が収蔵されているが故に、この寺を法宝寺刹(법보종찰)と呼ぶのである。 蔵経板殿(장경판전)(国宝第52号)は、南北に配置された大きな二つの建物と東西に並ぶ小さな二つの建物によって、構成されている。
南側の建物は、修多羅蔵(수다라장)と言い(写真 左)、北側の建物は、法宝殿(법보전)と言う。朝鮮時代初期の1488年に建設されて以来、幸いなことに、一度も火災や戦乱の被害を受けることなく、現存する世界唯一・最古の大蔵経板保管建物である。 八万大蔵経(팔만대장경)は、この中に収められており、外からのみ見学が可能であるが、残念ながら写真撮影は、一切禁止されており、その写真を掲載することはできない。 八万大蔵経(팔만대장경)を見て、海印寺を後にする。 岐路は、バスで대구に向かい、동대구の駅から、KTXを利用して、보산に戻った。 やはり、このルートによるアクセスが最善で、ソウルからも、これがよいと思う。 もっと、事前勉強をよくして、また、訪れて見たい寺である。 | |||
|   |   | ||
  | |||