화령전(華寧殿)
정조(正祖)の真影にふれて・・・・

   화성행궁(華城行宮)の北西端にある득중정(得中亭)を出て、右手に広場を見ながら、화성(華城)の西の山裾の小道を北に歩いていく。
やがて、目の前にめぐらされた塀に突き当り、標識にそって進むと、小さな門に導いてくれる。
これが、화령전(華寧殿)に続く、唯一の専用門である。
他には、入る方法がない。

화령전(華寧殿)は、순조(純祖)元年(1801年)、정조(正祖)大王の遺志を受けて、화성행궁(華城行宮)の横に作られた정조(正祖)の영전(影殿)である。
영전(影殿)は、普通、사당(祠堂)とは区別される建物で、亡くなった先王の肖像画を置いて、生存のときと同じように奉安しているところである。
現在、史跡第115号に指定されている。

小さな観覧用の裏門を入ると、そこはもう화령전(華寧殿)の中である。そのまま、まっすぐ進んでいく。
すると、やがて、右手に、古びた大きな門が見えてくる。 一番外側にあるのが외삼문(外三門)(写真 左左)、そして、その内側にあるのが내삼문(内三門)(写真 左右)である。
これらの門が、実は、화령전(華寧殿)の正式な門なのであるが、現在は開閉していないので、残念ながら외삼문(外三門)から、出入りすることはできない。

내삼문(内三門)をまっすぐ進んだところが、운한각(雲漢閣)である(写真 右)。








この운한각(雲漢閣)は、화령전(華寧殿)の正殿で、この中に정조대왕(正祖大王)の肖像画が奉安されている(写真 下)。


운한각(雲漢閣)の右手には、이안청(移安庁)がある(写真 左左)。
운한각(雲漢閣)に火災など、万一の事態が発生したとき、肖像画を一時的に避難する場所である。
운한각(雲漢閣)と、、이안청(移安庁)との間は、복도각(複道閣)と呼ばれる廊下によって、つながっているのがおもしろい(写真 上右)。

화령전(華寧殿)の一番北の端にあるのが、풍화당(風化堂)である(写真 右)。
ここは、재실(斎室)で、祭祀のときに関係者が集まった建物である。
풍화(風化)というのは、社会の風俗や国の規律を正す、という意味である。




화성행궁(華城行宮)から、小さな門をくぐって、화령전(華寧殿)に入ったとき、最初に目の前に現れるのが、この전사청(典祀庁)である(写真 左)。
国家的な제사(祭祀)を行う時に、전사관(典祀官)が、準備の状況を点検する役所である。





전사청(典祀庁)のすぐ西側には、제정(祭井)がある(写真 右)。
화령전(華寧殿)で제례(祭礼)で使われる정화수(井華水)(祈祷などに使うために早朝最初に汲んだ井戸水)を汲む井戸である。
어정(御井)とも呼ばれる。




화령전(華寧殿)は、ゆっくりと全部見ても、30分~40分くらいで見ることができる。
そこには、まさに、정조(正祖)の魂が生きているように感じられる。
화성(華城)にしても、행궁(行宮)にしても、そして、この화령전(華寧殿)にしても、정조(正祖)の수원(水原)に対する並々ならぬ情熱のようなものが感じ取られる。




(2010年11月)

  
 
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