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경기전(慶基殿)
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朝鮮太祖李成桂影幀を奉安した文化財・・・・
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ソウルから、高速バスにせよ、KTXにせよ、約2時間半くらいで、전라북도(全羅北道)の都、전주(全州市)に到着する。
ターミナルでタクシーに乗ると、10分程度で、경기전(慶基殿)につく。市内バスに乗るなら、전동성당(全州殿洞聖堂)前で下車すれば、大通りの反対側が、경기전(慶基殿)である。 ![]() 경기전(慶基殿)(写真 右)は、朝鮮王朝(초선왕조)を開いた태조(太祖)、이성계(李成桂)の肖像画を安置するために、1410年に建てられたものである。 しかし、16世紀末、いわゆる임진왜란(壬辰倭乱:文禄・慶長の役)によって焼失してしまい、その後1614年に再建されたものが今日残っており、史蹟第339号に指定されている。 경기전(慶基殿)が歴史的に高い価値をもつ、もう一つの理由は、ここに、전주사고(史庫)がある点で、朝鮮時代の歴史を、今日に守り伝えてきたものである。 入口を入ると、すぐに、赤い홍살문(紅箭門)が見える(写真上の入口奥に見える)。これは、全州李氏の始祖、이한공(李翰公)と始祖妃の位牌を奉安した조경묘(肇慶廟)があるため、敬虔な気持ちを表すために作られたものである。 ![]() この門をくぐって、更に進むと、正面に、경기전정전(慶基殿正殿)がある。 ここには、태조(太祖)をはじめ、세종(世宗)、영조(英祖)、정조(正祖)など、朝鮮王朝歴代の王の肖像画が展示されている。 ![]() まず正面に展示されているのが、태조(太祖)の肖像画である。(写真 右) 정전(正殿)の左右両側に、展示ブースがあって、そこに歴代の朝鮮王の肖像画や様々な輿が展示されている。 左側には、철종(哲宗)、영조(英祖)の肖像画が展示されている(写真 下左)。
![]() そして、右側には、세종(世宗)、정조(正祖)の肖像画が、それぞれ展示されている。(写真 左右) ![]() 경기전정전(慶基殿正殿)の右手には경기전(慶基殿)の宝物とでも言うべき、전주사고(全州史庫)がある。(写真 右) 韓国では、고려시대(高麗時代)から、춘추관(春秋館)と、예문관(芸文館)とを設置し、사관(史官)を置いて、毎日、施政を記録しておき、次の君主が、前の王の歴史を編纂し、これを실록(実録)と呼んで、特に設置された사고(史庫)に奉安してきた。 この실록(実録)は、朝鮮王朝(1392年−1910年)の公式記録であり、1413年に編纂された태조실록(太祖実録)を始め、25代にわたる歴代国王の実録を次々と編纂し、1706巻に及ぶ実録とし、これをソウルの춘추관(春秋館)ほか、충주(忠州)、성주(星州)、전주(全州)の4ヶ所の사고(史庫)に一部ずつ保管していた。 しかし、1592年の임진왜란(壬辰倭乱:文禄・慶長の役)によって、多くが焼失してしまい、내장산(内蔵山)に移しておいたため難をのがれた、전주사고(全州史庫)の実録だけが残って復元され、各地に分散保管されて、後世に伝えられたものである。 したがって、現在の전주사고(全州史庫)は、文化財としての価値はないが、歴史的には、価値の高いものである。 実録そのものは、国宝第151号に指定され、また、1997年には、ユネスコ世界記録文化遺産に指定されている。
![]() 경기전정전(慶基殿正殿)の北側には、조경묘(肇慶廟)がある。(写真 左) 조경묘(肇慶廟)は、전주이씨(全州李氏)の始祖、이한공(李翰公)夫婦の位牌が祀られている場所である。 内部は、さほど広くないとのことであるが、一般者は立ち入りができない場所であるので、塀の外から、撮影した写真である。 写真上の左は、조경묘(肇慶廟)の入口で、門の手前には、赤い홍살문(紅箭門)がある。 写真上の右は、조경묘(肇慶廟)内部の建物である。 ![]() 경기전(慶基殿)正門の左手には、いくつかの施設が並んでいる。 まず一番手前にあるのは、수복청(守僕廰)である(写真 右)。 ここは、下級役人たちが、祭祀に関する仕事を担当する場所である。主として大きなイベントがあるときに、その準備のために一定の期間、一時的に居住していたところと、されている。 ![]() 수복청(守僕廰)のすぐ右には、경덕헌(慶徳軒)がある(写真 左)。 ここは、수문군(守門軍)と呼ばれる人たちが、門を開閉したり、通行人たちを調べたりする仕事をした場所である。 ![]() 수복청(守僕廰)の北側奥にあるのは、마청(馬廰)である(写真 右)。 마청(馬廰)は、경기전(慶基殿)の儀式や、官憲の交通手段として用いるための施設で、特に、朝廷から儀式に参列するために訪れた官吏たちの馬をつないでおいたところである。
![]() 마청(馬廰)のすぐ先には、西側に서재(西斎)があり(写真 左左)、東側には、도재(東斎)がある(写真 左右)。 いずれも、祭祀のための施設で、재각(斎閣)と呼ばれ、祭事を行う官吏たちが、祭祀に臨むに当たって、身も心も清めて神に会う準備をする재계의식(斎戒儀式)という儀式を行った場所である。 ![]() 서재(西斎)の北側には、누상고(楼上の倉庫)である제기고(祭器庫)がある(写真 右)。 祭祀に使われる各種祭器、器物、器具などを保管した場所である。 特に、祭器は、清潔で神聖なものとして保管しなければならないため、湿度を避けて、地面から離れた床の構造にした倉庫で保管された。 ![]() 도재(東斎)の北側には、어정(御井)がある(写真 左)。 어정(御井)は、君主の食事を作ったり、飲み水のための井戸で、君主が祭祀に参列する際に、使用するものである。 경기전(慶基殿)には、태조(太祖)、이성계(李成桂)の肖像画が安置されているため、この井戸も、어정(御井)と呼んでいる。 어정(御井)は、清潔に神聖に扱われなければならないため、周囲には壁を置き、出入口には、門が設置されている。 ![]() 제기고(祭器庫)の北側にあるのは、용실(容室)である(写真 右)。 中には、臼があって、祭祀に使われる食事を作る場所である。 전사청(典祀廰)にも隣接しており、周囲に不潔な施設があってはならないなど、敬虔かつ神聖なところである。 ![]() 용실(容室)の東側、すなわち어정(御井)のすぐ北側にあるのが、전사청(典祀廰)である(写真 左)。 ここは、国家の祭祀に際して、供え物の食べ物を準備したり、供え物のお膳の準備を担当する전사관(典祀官)が執務して、祭祀の準備をするところである。 ![]() 전사청(典祀廰)の北側奥にあるのが、조병청(造餅廰)である(写真 右)。 この조병청(造餅廰)は、떡(餅)や유밀과(ユミルガ)、다식(タシク)など、祭祀のときの食べ物を作って、保管しておく場所である。 경기전(慶基殿)は、それほど、広いエリアではない。以上の説明で、内部をほぼ全部、紹介した形である。 しかし、その中から、朝鮮王朝時代のさまざまな姿を、窺い知ることができる意味で、貴重な財産である。 観覧に当たっては、やはり、多少の歴史的背景を頭に入れておいた方が、理解がよいだろう。 見終わって、태조로(太祖路)に出ると、何か、ほっと、緊張から解き放たれ、開放感のようなものを、感じ取ることができる。
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