실상사(実相寺)
智異山の北麓に佇む統一新羅時代の九山禅門の一つ・・・・

   전라북도(全羅北道)の남원(南原)バスターミナルからタクシーで約1時間、지리산(智異山)の北麓にある실상사(実相寺)入口に到着する。
南原中心部から、およそ35kmほど東に行ったところであり、智異山の静かな山懐に位置する。
バスを利用することも可能だが、やや不便であるので、タクシーの利用をお薦めしたい。
실상사(実相寺)入口付近の道路脇に、整備されていない駐車場があり、ここでタクシーを降りる。
案内標識に従って進むと、すぐに해탈교(解脱橋)という橋を渡る。渡り終えると、左手に석장생(石長栍)が一体立っている。장생(長栍)というのは、寺の守護神の像のことである。(写真 下)
ここからが、いわば、실상사(実相寺)の参道である。


(案内標識)

(解脱橋)

(石長栍)

실상사(実相寺)は、統一新羅時代の828年、即ち흥덕왕(興徳王)3年、홍척국사(洪陟国師)が創建した最初の禅宗伽藍である。
この寺は구산선문(九山禅門)の一つとして、最も古いものである。
新羅末期に、仏教の一宗派である禅宗の僧たちが中国の留学から戻り、それぞれ門派を形成して、全国に9か所の山門を建立した。これを구산선문(九山禅門)と呼ぶ。
실상사(実相寺)は創建以来、幾度か火災にあい、その都度再建を繰り返してきた。現在の姿は、朝鮮王朝時代の1884年、고종왕(高宗王)のときに、小規模に縮小して再建されたものである。
現在では韓国最多の文化財を保有していることで知られている。

해탈교(解脱橋)を過ぎて歩いていくと、まもなく실상사(実相寺)の入口に達する。

本来なら目の前に천왕문(天王門)が見えるのであるが、たまたま筆者が訪問した2012年6月には、工事のため、すっぽりと覆いがかけられて、残念ながら、何も見ることができなかった。
左の写真は、当日실상사(実相寺)から提供を受けた冊子の中から転載したものであ。


下記をクリックして開くと、실상사(実相寺)の伽藍の全貌を見ることができる。
本図も실상사(実相寺)から提供を受けた冊子の中から転載したもので、ご覧いただきながら、読んでいただくと便利である。

[실상사(実相寺)の伽藍配置図]

工事中の천왕문(天王門)を背にして立つと、まず右手に종각(梵鐘閣)がある。(写真 右)
内部には1991年に作られた지리산실상사호국범종(智異山實相寺護國梵鐘)がかけられている。
1967年に、統一新羅時代の破損した梵鐘が出土したが、동국대학교박물관(東国大学博物館)に保存されており、 現在の梵鐘は、これをモデルにして新たに作られたものである。

천왕문(天王門)の前方真正面には、寺の大雄殿である보광전(普光殿)が建っている。(写真 左)
この伽藍は1884年고종왕(高宗王)のときに、월송대사(大師)によって作られたものとされる。
正面3間、側面3間の小さな建物であるが、元はここに堂々たる金堂があって、大きさも正面7間、側面3間であったと推定されている。
現在の보광전(普光殿)には단청(丹青)がなく、質素な建物である。

보광전(普光殿)の前には二つの삼층석텁(三層石塔)がある。
西塔(左手)(写真 右左)と、東塔(右手)(写真 右右)である。宝物第37号に指定されている貴重な文化財である。
二層の基壇の上に建てられた三層の方形石塔は、新羅時代の石塔の一般的な様式であり、高さは二つとも8.4mある。
홍척국사(洪陟国師)が실상사(実相寺)を創建したのが828年であるから、二つの삼층석텁(三層石塔)もその頃創建されたものと推定されている。
삼층석텁(三層石塔)のすぐ前には석등(石燈)がある。(写真 左)
宝物第35号に指定されている。
화사석(火舍石)は8面になっており、各面に長方形の火窓があいている。
석등(石燈)の前面には、燈火を点けたり消したりするときに使ったと思われる石の階段が残されている。
석등(石燈)の制作時期ははっきりしていないが、統一新羅時代の建立と推測されている。

보광전(普光殿)の東側には、약사전(薬師殿)がある。しかし、伽藍は工事中であり全体が覆われているため、、建物の外面を見ることはできなかった。(写真 左)
1831年の創建とされており、有形文化財第45号に指定されている。

伽藍は工事中であるが、内部に入って、中に祀られている철조 역사여래좌상(鉄製薬師如来坐像)を観覧することは 可能である。(写真 右)
この如来坐像は、약사전(薬師殿)の本尊であり、宝物第41号に指定されている。
日帝時代、両手首が失われ、現在は、木で補修されている。
一般に薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多く、실상사(実相寺)の약사전(薬師殿)にも、祈願の信者たちが絶えることがないという。

약사전(薬師殿)の手前には、명부전(冥府殿)がある。(写真 左左)
명부전(冥府殿)の主尊は지장보살(地蔵菩薩)で、地獄の시왕(十王)を祀っている。(写真 左右)
실상사(実相寺)の명부전(冥府殿)は、正面3間、側面3間の伽藍で、1821年に建造されたものと推定されている。
有形文化財第45号に指定されている。

보광전(普光殿)の西側には、こじんまりと칠성각(七星閣)が建っている。(写真 右)
칠성각(七星閣)は、韓国固有のもので、民間信仰と仏教とが融合して生まれた形態である。
실상사(実相寺)の칠성각(七星閣)は、1032年남성법스님(南性法僧)が建てたもので、1間四方の伽藍である。
内部には、칠성불화(七星幀画)が祀られている。

寺の境内の一番西のはずれに一つの伽藍がある。극락전(極楽殿)である。(写真 右)
正面3間、側面2間で、有形文化財第45号に指定されている。

1684年の創建で、当初名前を부도전(浮屠殿)と呼んでいた。1832年に의암대사(大師)が伽藍を重建して、名前を극락전(極楽殿)とした。
内部には、아미타불(阿弥陀仏)が奉安されている。(写真 左)

境内西方、극락전(極楽殿)の近くに、증각대사 응료탑 (證覺大師 凝蓼塔) がある。(写真 右)
宝物第38号である。
응료(凝蓼)というのは、この碑につけられた固有名称である。
言うまでもなく、実相寺を創建し、初代住職となった홍척국사(洪陟国師)の사리탑(舍利塔)であり、高さ2.42m、新羅時代後半の建立と推定される。

また、증각대사 응료탑 (證覺大師 凝蓼塔)の近くには、증각대사 응료탑비 (證覺大師 凝蓼塔碑)がある。(写真 右)
증각대사홍척(證覺大師洪陟)の부도(浮図)である。
宝物第39号に指定されている。
碑身は早くから失われてしまい、現在では、礎石である亀趺と碑頭である螭首だけが残されている。
やはり新羅時代後半の建造であろうと推定されている。

その北側の先には、수철화상능가보월탑(秀澈和尙楞伽寶月塔)(写真 左左)と수철화상능가보월탑비(秀澈和尙楞伽寶月塔碑)(写真 左右)とがある。
수철화상(秀澈和尙)は、실상사(実相寺)の第2代住職であり、수철화상능가보월탑(秀澈和尙楞伽寶月塔)は수철화상(秀澈和尙)の사리탑(舍利塔)である。
宝物第33号に指定されている。
능가보월(楞伽寶月)というのは、この塔の固有名詞である。
893年ころの建立と推定されており、高さ3mの八角舎利塔は新羅時代の典型的な舎利塔である。

また、수철화상능가보월탑비(秀澈和尙楞伽寶月塔碑)は수철화상(秀澈和尙)の부도(浮図)である。
宝物第34号に指定されている。
新羅時代の893年ころ建てられ、その後1714年に重建された。 碑の高さは約2.9mである。
特徴的なことは、 귀부(龜趺)がないこと、螭首に반룡(蟠龍)2頭が여의주(如意珠)を加えた姿が彫刻されている、などをあげることができる。

약사전(薬師殿)の裏側に細い道があり、これを進むと境内の外に出る。道なりに보광전(普光殿)の裏側をまわるようにして、7~8分歩くと、そこに質素な부도(浮屠)がある。
실상사부도(実相寺浮屠)と言う。(写真 右)
誰の塔であるのか、不明である。
高麗時代の부도(浮屠)と推定され、宝物第36号に指定されている。
きわめて簡素なものであるが、下部の龍と雲模様の浮彫がきわめて強いことが目につく。

再び寺に戻って、工事中の천왕문(天王門)を背に立ち、境内を見渡す。
ふと、종각(梵鐘閣)の右手に広大な礎石らしいものが残っている。(写真 左)
실상사(実相寺)からもらった資料によると、목탑지(木塔跡)と書いてある。
高麗時代に木塔建立が盛んであったころ、ここに巨大な木塔が建てられたものと推定されている。
礎石の数から推測すると、縦5間、横5間の大きさがあったものとみられる。驚きの規模である。

실상사(実相寺)には、多数の付属寺刹がある。
その中で、国宝などの文化財がある、有名な백장암(百丈庵)を訪ねた。
실상사(実相寺)からは北に4kmほど離れており、駐車場に待っていてもらったタクシーに乗って移動する。
10分ほどで到着するが、徒歩では無理だ。

백장암(百丈庵)は、いつ創建されたのかわからないが、最初は백장사(百丈寺)と呼ばれていた。
しかし、何度か火災にあい、とうとう旧実相寺の跡地に小さな建物を建立して、백장암(百丈庵)と呼ぶようになった。
その後も何度か火災にあって、1901年、現在の位置に、重建して、今日に至っている。

백장암(百丈庵)には、昔の古い대웅전(大雄殿)が残っている。(写真 右右)
しかし、昨年、この古くなった建物に代わって、新しい대웅전(大雄殿)が建立された。(写真 右左)

その新しい대웅전(大雄殿)の前には、삼층석탑(三層石塔)がある。(写真 左)
国宝第10号である。
塔身の1層目の各面には사천왕상(四天王像)と신장상(神將像)2体ずつ、2層目には주악천인상(銅製奏樂天人像)が2体ずつ、3層目の各面には、천인좌상(天人坐像)が1体ずつ、それぞれ刻まれている。
この石塔は、基壇部の構造や各部の装飾的彫刻で新羅時代に見られる特異なものをもっている。

삼층석탑(三層石塔)のすぐそばに建っているのが、석등(石燈)である。(写真 右)
統一新羅時代の作品で、宝物第40号に指定されている。
この石燈には、仰蓮の上部にぐるりと欄干が巡らされているのが特徴で、このような装飾を施した石燈は他に例がない。
화사석(火舍石)は八角形であるが、4面にだけ長方形にくりぬいた화창(火窓)があり、他の4面は何の彫刻もない。
この形式は、실상사(実相寺)境内の석등(石燈)と同じである。

帰路は、タクシーが智異山の山越えのコースを辿ってくれた。 ヘアピンカーブが続く山岳ドライブであるが、よい経験であった。
途中の展望台で遠くを臨むと、かすんでみえる。(写真 左)
車は、このまま南に下り、전라남도(全羅南道)に下りて行く。
快適なドライブであった。
秋の紅葉の季節には、すばらしい風景を楽しめるのではないかと想像する。


(2012年6月)

  
 
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