개심사(開心寺)
百済時代に創建された忠南4大寺の一つ・・・・

   아산온양(牙山温陽)から、タクシーで서산(瑞山)に入ってくると、最初に해미읍성(海美邑城)を見て、それから、この개심사(開心寺)に向かう。
개심사(開心寺)は、서산시(瑞山市)の北東部、운산면 신창리(雲山面新昌里)に位置する忠南4大寺の一つである。

駐車場に車をとめると、すぐに大きな門が見える。개심사(開心寺)の일주문(一柱門)である。(写真 左)
この門を潜ってしばらく進むと、森の入口を示す表示石がある。

左側の石には、「洗心洞」、右側には、「開心寺」と、それぞれ、漢字で書かれている。(写真 右)
この石の間をぬけて、やがて、寺に向かう森を歩いて行く。

寺の歴史や沿革について、詳しいことは、わかっていない。しかし、寺の記録によると、この寺は、백제 의자왕(百済 義慈王)14年の654年、혜감국사(彗艦国師)によって創建されたもので、その後、고려 충정왕(高麗 忠定王)2年の1350年に、처능대사(處能大師)によって重建された。

入口の일주문(一柱門)から、寺までは、山道を20分くらい歩く。

やがて、寺の梵鐘が見えてくる。(写真 左)
この梵鐘の横の脇道の坂を登っていくと、ようやく、寺の前面に到達する。

개심사(開心寺)は、寺としては、小さなものである。
この梵鐘のある建物は、안양루(安養楼)である。ちょうど、寺の西側に位置している。(写真 右)

この안양루(安養楼)は、韓国の寺でよく見られる門類形態とは違って、単層で作られた鐘楼であって、珍しい建物である。

안양루(安養楼)鐘楼の南側の脇道を登ると、この안양루(安養楼)と対峙して、ちょうど東側に 대웅전(大雄殿)がある。(写真 下左)

この대웅전(大雄殿)は、보물 제143호(宝物第143号)に指定されている。創建当時の基檀の上に、조선 성종(朝鮮 成宗)15年の1484年に重建した多包式建築様式で、実に美麗で建築芸術の極地に達している。

中には、아미타삼존불(阿弥陀三尊仏)(写真 右)をはじめとして、多数の貴重な資料が保存されている。

こうして、寺の東西に대웅전(大雄殿)と안양루(安養楼)とが位置しているのと対比するように、 寺の南北に、무량수전(無量寿殿)심검당(尋剣堂)とがある。

写真左が무량수전(無量寿殿)で、寺の庭の南側に位置しており、写真右が심검당(尋剣堂)で、庭を中心として北側に位置している。

개심사(開心寺)は、小さな寺であるから、寺の中心にある庭をぐるりと一回りするように見学すると、ゆっくり見ても、30分くらいで、全部を見ることができる。
상왕산(象王山)を北に、その中腹にひっそりと佇む静かな寺で、文字通り、心が洗われる山寺である。


2009年9月9日

  
 
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