화성(水原華城)
朝鮮時代210年余を経た歴代の傑作・・・・

   ソウルから地下鉄1号線に乗り、수원(水原)で降りる。경기도(京畿道)の道庁所在地である。
ここに、世界文化遺産の화성(華城)がある。
駅からは、タクシーに乗るのもよいが、のんびりと歩くのもよい。駅を背にして、直線に伸びる道を、まっすぐ歩いて、標識にしたがって、左に曲ると、팔달문(八達門)に着く。徒歩30分くらいの道のりである。
タクシーを利用するなら、やはり、팔달문(八達門)まで行くのがよい。

수원화성(水原華城)・・・朝鮮時代の、第22代 정조대왕(正祖大王)が、1794年(정조18년)に着工し、2年9ヶ月の歳月を経て、1796年9月に完工したものである。
정조대왕(正祖大王)は、父である사도세자(思悼世子)に対する孝行心と民のための政治改革をし、自らも引退後수원(水原)で余生を送るため、新都市수원(水原)を建設し、ここに행궁(行宮)を新築し、화성を築いたのである。
歴代の傑作とされている。
全部で51ヵ所の施設があるが、7ヶ所は、まだ復元されていない。今尚、復元工事が続けられている。


화성(華城)めぐりは、팔달문(八達門)から出発する。(写真 左)
駅から来ると、この팔달문(八達門)の右側に수원천(水原川)が流れ、市場が並ぶ。
城壁をぐるりと回ってくると、最後に、この市場の場所に辿り付く。

出発は、反対の左側の長い階段を上るところからはじまる。(写真 右)
出発点の右手に観光案内所があるので、ここで、案内図をもらうことを忘れないようにしなければならない。

ここで、はじめに、화성(華城)のいろいろな施設の意味を説明しておこう。
東西南北をめぐる城壁には、同じ目的の施設が、いくつかあるので、その名称の意味を理解しておく方がよい。

★치(雉)・・・・・・・・城壁によじ登る敵を攻撃するために、一定の間隔で城壁を突出させた施設で、全部で10ヵ所の치(雉)がある。
치(雉)というのは、鳥の雉(きじ)のことで、自分の身を隠して、周囲の状況を探る習癖をもっているので、そこから、この名前をとったものである。

★포루(砲楼)・・・・・・敵が城壁に近づくのを防ぐため、火砲を隠しておいて、いつでも攻撃できるように造った施設で、全部で5ヶ所の포루(砲楼)が設置されている。
いわば、치(雉)を発展的に強化した施設である、と言える。

★암문(暗門)・・・・・・人々や家畜が往来したり、軍需品を搬入するための秘密の通路として造られた施設で、城郭の折れ曲がった場所や、木々が茂って、見通しの悪い奥まったところに設置されている。全部で5ヶ所の암문(暗門)がある。

★각루(角楼)・・・・・・城郭の比較的高い位置に設置され、城郭の周辺を監視したり、休んだりするところで、非常時には、軍事指揮所の役割を果たすところでもある。全部で4ヶ所の각루(角楼)がある。

★포루(舗楼)・・・・・・城郭を突出させて造った치(雉)の上に建てられた楼閣で、見張り台と、軍事待機所を兼ねている。全部で5ヶ所造られている。

★장대(将台)・・・・・・城内一帯を見下ろしながら、화성(華城)に駐屯していた壮勇営外営の兵士たちを指揮した、いわば指揮所である。全部で、2ヶ所ある。

★노대(弩台)・・・・・・・弩とは、一度にたくさんの弓を射ることができる強力な武器のことで、このために高く積んだ施設を노대(弩台)という。全部で、2ヶ所に設置されている。

★공심돈(空心とん)・・・・城郭周囲を監視したり、非常時には敵の動きを監視するための見張り台である。全部で、3ヶ所に設置されている。

★적대(敵台)・・・・・城門を攻撃する敵を退けるために、城門の左右にある치(雉)の上に建てられている。全部で2ヶ所ある。

さて、階段を辿って、城壁を南から西に、時計まわりで、見学していくことにする。

階段を上り始めると、すぐに、남치(南雉)がある(写真 左左)。これは、南側にある치(雉)という意味である。
そのすぐ先が、남포루(南砲楼)である(写真 左右)。

更に石段を登ると、まもなく、서남암문(西南暗門)がある(写真 右)
この門の先には、옹도(甬道:両側を塀で覆って見えないようにした道))があり、また、門の上には、唯一포사(舗舎)が設けられているのが特徴である。
포사(舗舎)には、常に兵士がいて、城外に何か危険があれば、すぐに城内に知らせる役割をする。


서남암문(西南暗門)をくぐって、옹도(甬道)を通って行くと、間もなく左右に치(雉)がある。
左側にあるのが、용도동치(甬道東雉)(写真 右右)、そして、右側にあるのが、용도서치(甬道西雉)(写真 右左)である。

옹도(甬道)の突き当たり、つまり南側の端が、서남각루(西南角楼)である。(写真 左)
서남암문(西南暗門)からは、170mの地点である。
写真で見られるごとく、扁額には、화양루(華陽楼)と書いてある。「華」は、華城を意味し、「陽」は、山の南側を意味する。

再び、城壁の小道に戻って辿ると、上り階段が終わり、右手に、大きな塔がある。삼일독립기념탑(3・1独立記念塔)と書いてあるが、화성(華城)の中に、この塔は、やや違和感がある。


その先に進む。
まず、서삼치(西三雉)がある。(写真 上左)
ついで、서포루(西舗楼)。(写真 上中)
そして、서암문(西暗門)と続く(写真 上右)。この서암문(西暗門)では、城門が外側に向いておらず横によじれているので、外から区別がつきにくいことが特徴である。

서암문(西暗門)を越えて、팔달산(八達山)の頂上に達すると、そこには서장대(西将台)がある(写真 右)。
화성(華城)に二つある장대(将台)のうちの一つで、 2階建の構造になっており、2階に上ると、100里が見渡せると言う。
扁額には、화성장대(華城将台)とあり、정조대왕(正祖大王)が自ら書いたものである。
1795年2月、ご陵の参拝を終えた정조대왕(正祖大王)は、この서장대(西将台)に上り、城を守り・攻撃する訓練を昼夜指揮したと言い伝えられている。

서장대(西将台)のすぐ横には、서노대(西弩台)がある(写真 左)。
화성(華城)に2ヶ所ある노대(弩台)のうちの一つである。
서노대(西弩台)は、팔달산(八達山)の頂上に位置するため、四方を見渡すことができる。正八角形の平面瓦と煉瓦を積んで、作られている。


山を下って行くと、서이치(西二雉)(写真 上左)、서포루(西砲楼)(写真 上中)、そして、서일치(西一雉)(写真 上右)と続いている。

팔달산(八達山)の中腹まで下ると、ちょうど北の中腹あたりに、서북각루(西北角楼)がある。(写真 右)
화성(華城)に4ヵ所ある각루(角楼)のうちの一つである。
この楼閣の下には、オンドル部屋が作られており、兵士たちが、ここに宿泊をしながら、昼夜、城を守っていた。


화성(華城)の南端にある팔달문(八達門)を出発して、ここで、ちょうど1/4の地点、すなわち西端に到達 する。ここには、화서문(華西門)がある(写真 左)。
この화서문(華西門)は、城の西側の남양만(南陽湾)、서해안(西海岸)方面につながる通路で、築城当時の建物が、そのまま残っており、韓国の宝物第403号に指定されている。
この門の扁額は、初代の화성유수(華城留守(りゅうしゅ))であった채제공(蔡済恭)が書いたものである。
門の構造は、石垣のアーチ型の門の上に単層の門楼が建てられたものであり、東端の창룡문(蒼龍門)と、ほぼ同じ形式である。

화서문(華西門)の先にある大きな建物は、서북공심돈(西北空心とん)である(写真 右)。
화성(華城)の3ヶ所にある공심돈(空心とん)の一つで、レンガで壁を四角に積んだ3階構造になっているのが、特徴である。
二階と三階には、床に板を張って、開閉式の階段を設けている。三階は、単層望楼になっており、敵を攻撃できるようになっている。

その先に進むと、まず、복포루(北舗楼)がある(写真 上左)。화성(華城)に5ヶ所ある포루(舗楼)の一つである。
次に見えるのは、북서포루(北西砲楼)である(写真 上中)。やはり화성(華城)に5ヶ所ある포루(砲楼)の一つである。
この북서포루(北西砲楼)は、屋根の構造が内側が切妻造りで、外側が寄せ棟造りになっているのが特徴である。
そして、その先が、북서적대(北西敵台)である(写真 上右)。
북서적대(北西敵台)の高さは城壁と同じで、外側に3つの현안(懸眼)を開け、レンガ造りの垣根に청구멍(銃穴)を開けてある。

ようやく、화성(華城)を半周して、出発点の反対側、北側に到達すると、大きな장안문(長安門)が聳えている(写真 左)。
화성(華城)最大の門であると同時に、韓国に残る남대문(南大門)(2008年焼失し復元工事中)より大きい。
장안(長安)というのは、「都」を象徴し、民の安寧を祈る、という意味をもっている。屋根は、寄せ棟構造になっている。
韓国の史跡第3号に指定されている。

장안문(長安門)を抜けると、북동적대(北東敵台)がある(写真 上左)。
북서적대(北西敵台)とほぼ同じ形態・機能をもっている。
その先には、북동적대(北東敵台)とつながるようにして、북동치(北東雉)がある(写真 上中)。
その次に見えるのは、북동포루(北東砲楼)である(写真 上右)。
例によって、城外に約9m突き出ており、屋根の構造は、内側は切妻造りで、外側が寄せ棟造りになっている。

間もなく見えてくる美しい建物が、有名な북수문(北水門)である(写真 右上)。扁額には、화홍문(華虹門)と書かれており、華城の虹という意味をもっている。
화성(華城)の中心には、南北に수원천(水原川)が流れており(写真 右下)、この上に북수문(北水門)と、남수문(南水門)の2ヶ所の水門が建てられた。
북수문(北水門)にある7つの水門から溢れる水しぶきが、虹となって壮観な流れを呈することから、
화홍관창(華城観漲)と言って、수원팔경(水原八景)の一つに数えられている。
しかし、残念ながら、川の水量が少ないため、その壮観な景色を楽しむことは、望めない。
この북수문(北水門)は、花崗岩を積み上げて造った水門で、水が流れる水門には鉄格子を設置して、外部からの浸入を遮断した、と言う。
水門の上を歩いて渡ることが可能である。


화홍문(華虹門)の東の丘を登って行くと、何ともすばらしい동복각루(東北角楼)がある(写真 左)。
화성(華城)に4ヵ所ある각루(角楼)の一つであるが、周囲の美しい景観と相俟って、華城の中で、一番美しいところである。
扁額にあるように、방화수류정(訪花随柳亭)とも言われる。これは、花を追いかけて、柳を付き随う美しい東屋という意味である。
楼閣は2階建てで、2階にあがると四方がよく見え、石とレンガ、そして木材を平行して使うという独特の建築形式をとって、優雅な美しさを湛えている。

방화수류정(訪花随柳亭)を下って、城壁に沿って行くと、북암문(北暗門)がある(写真 上左)。
そして、その先には、동북포루(東北舗楼)が見える(写真 上中)。
隠居した士達が被る頭巾である각건(角巾)と、形がよく似ているため、각건대(角巾台)とも、呼ばれる。
その先に見えるのは、동암문(東暗門)である(写真 上右)。

次の大きな施設は、동장대(東将台)である(写真 右)。
兵士たちの武芸の修練の場としても使われた場所で、扁額に書かれているように연무대(練武台)とも、呼ばれていた。
화성(華城)の東側から城内を見下ろす位置にあり、軍事的には重要なところである。


その先には、珍しい大きな円形の建物が見えてくる。동북공심돈(東北空心とん)である(写真 左)。
화성(華城)の中では、独特の楕円形の建物である。
その内部は、螺旋形のレンガの階段になっていて、別名소라각(法螺閣)とも、言われている。



次に見えるのは、동북노대(東北弩台)である(写真 右)。
ここは、동북공심돈(東北空心とん)と、창룡문(蒼龍門)の間にあって、石垣によって保護されている。




ここで、ようやく、화성(華城)の東端に到達する。ここには、四大門の一つ、창룡문(蒼龍門)がある(写真  左)。
規模と形式は、西端の화서뮨(華西門)と、ほぼ同じ建築物である。
창룡(蒼龍)というのは、青竜の意味で、風水地理上、左青竜、右白虎で、東を意味している。
朝鮮戦争で門楼が破壊されてしまったため、1976年重建されたもので、現在、史蹟第3号に指定されている。

창룡문(蒼龍門)の先には、まず동일포루(東一舗楼)がある(写真 上左端)。
次に見えるのは、동일치(東一雉)(写真 上左2)。
そして、동포루(東砲楼)(写真 上左3)と続く。
その先は、동이치(東二雉)である(写真 上右端)。

その向こうには、不思議な建物が見えてくる。봉돈(烽とん)、すなわち烽火(のろし)台である。(写真 右)
レンガで積み上げられた珍しい城郭様式で、規模や外観は芸術品のように精巧で美しい。
この 烽火台は、華城の警戒と偵察をするもので、昼は煙をあげて合図し、夜は炎をあげて合図する。
ここには、5本の火甕があり、通常は1つの烽火をあげているが、敵が現れると2つ、敵が境界に近づけば3つ、境界に侵入すれば4つ、そして、合戦がはじまれば5つの烽火をあげて、非常事態を伝達したと言われている。

いよいよ、出発点の南端に近づいて来た。
烽火台の先には、동이포루(東二舗楼)がある(写真 上左)。
その先が、동이치(東二雉)(写真 上中)。
そして、最後が、동남각루(東南角楼)である(写真 上右)。
この동남각루(東南角楼)は、丘陵の、ちょうど城郭が折れた角にあり、城外の動きを探るには、好位置に設置されている。平野の遠くまで、見通しがきくようになっている。

동남각루(東南角楼)の前を通って、階段を下ると、そこは、別世界のような喧騒の中である。
目の前に、수원천(水原川)の流れがあって、その川辺の道端は、市場である。
信じられないような急変である。
その市場の中を通り抜けて、橋を渡ると、やがて、팔달문(八達門)に到達する。出発点に戻ることになる。
あの長い石段をのぼりはじめて、ざっと、4時間あまりの時間を費やした。
いささか、疲れたが、夕暮れの冷たい風も、心なしか、心地よく感じられた。


(2010年4月)

  
 
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