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한국민속촌(韓国民族村)
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伝統家屋と朝鮮時代の生活文化を再現する・・・・
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ソウル都心で地下鉄1号線に乗り、천안(天安)方面に向かうと、やがて、경기도(京畿道)に入り、まもなく道庁所在地である수원역(水原駅)に着く。
駅を出ると、前に、バス停が並び、大きなロータリーが広がる。駅を背にして、左の方に歩くと、すぐに観光案内所があるので、そこに立ち寄って、한국민속촌(韓国民族村)の案内書を手に入れるとよい。また、この案内所のすぐそばから、한국민속촌(韓国民族村)とのシャトルバスが出ていて、案内所で한국민속촌(韓国民族村)の入場券を買うと、シャトルバスが無料だと言う。    私は、팔달(八達)付近のホテルから、タクシーで出かけた。駅に出るよりは、ずっと、近いからである。 한국민속촌(韓国民族村)は、용인시(龍仁市)に1974年にオープンし、広さ約30万坪に及ぶ敷地に、韓国各地の伝統家屋260軒あまりがあり、朝鮮時代の生活文化を再現している。 また、各種芸術文化や食べ物を体験することができる。 5〜6時間をかけて、ゆっくりと、見学するとよい。
![]() 入場券を買って、정문(正門)(写真 左左)をくぐると、すぐに、広場にでるが(写真 左右)、ここには、事務室、喫茶店、売店などが並んでいるだけである。
![]() この広場を、まっすぐ進むと、やがて、내삼문(三門)(写真 右)を潜り、民族景観地域に入る。 すぐに目に入るのは、효자문(孝子門)である。(写真 左) 효자문(孝子門)とは、孝行を尽くした者の立派な行いを称え、これを広く知らしめるために建てられた효자비(孝子碑)と呼ばれる石碑を奉納する建物のことである。村の入口など、人通りの多いところに建てられたという。 なお、門の額には、写真に見えるように、「百源門」と書かれている。 ![]() 효자비(孝子碑)のすぐ先に、연아방아(ひき臼)がある。(写真 右) 家畜の力を利用して穀物の殻をひくためのひき臼で、韓国の農村で広く用いられたという。円形の台の上に穀物を載せ、石を牛に引かせて脱穀するものである。 ここから先は、韓国各地方の伝統家屋が並ぶ。 ![]() まず、南部地方の民家がある。(写真 左) これは、南部地方の農家で、たくさんの部屋や마루(板の間)が直線状に並んでいるのが、この地方の家屋構造の特徴である。 縁の下に見える薪は、온돌(オンドル)用の燃料である。 ![]() 次に見えるのは、北部地方の民家である。(写真 左) 半島北部の様式をとった家屋で、数棟の建物から成っている。暖房効率を高くするために、屋根を低くして、部屋を小さく作ってあるのが、特徴である。 ![]() 左の写真は、南部地方の大家である양반(両班)の家屋である。 暑い季節にも涼しく過ごすことができるよう、마루(板の間)が多く配置されいるのが特徴である。 안채(母屋)、사랑채(書斎棟)、문산채(門)、광채(納屋)などが揃った調和のとれた空間構成になっており、余裕のある生活ぶりが伺える。 ![]() その先には、中部地方の農家の家屋がある。(写真 左) 半島北部の家屋配置と南部の家屋構造とが組み合わされた、典型的な中部地方の民家である。 大規模な藁葺き家屋で、양반(両班)階層の士大夫が暮していたものとされている。 この家は、명주길쌈(絹の機織り)をやっていた家で、蚕を煮て細い繊維を採り、これを幾重にもより合わせて織り、高級布地を作っていた。写真の左に見えるのは、繭を煮るかまどである。 ![]() 伝統家屋の中に、한약방(漢方薬房)がある。(写真 右) ここでは、薬草を干して、煮詰め、漢方薬を製造している。 現在でも、行われている方法で、ここでも、実際に、製造販売が行われている。 症状に応じた、さまざまな漢方薬があつて、この建物の近くには、薬草畑もあり、栽培している。 ![]() この한약방(漢方薬房)の脇に、ふと、효열문(孝烈門)と呼ばれる小さな建物がある。(写真 右) これは、親への孝行を尽くし、夫への貞節を守った女性を称え、後世への教訓とするため、国から贈られた記念碑を奉納した建物だという。 ![]() その先に進むと、승마체험장(乗馬体験場)や공영장(公演場)があって、その前に、大きな관아(官衛)がある。(写真 左) ここは、朝鮮時代の地方行政機関で、行政・軍事・刑罰・税金・建設・儀礼などに関する業務を担当する役人たちが駐在したところである。 写真の大きな門をくぐると、その中には、業務を行う정청(政庁)である동헌(東軒)をはじめ、日常生活の場である내당(内堂)、罪人を収監する옥사(獄舎)などが整備されている。 ![]() 관아(官衛)の脇には、細い道があって、ここを辿ると、금련사(金蓮寺)がある。 右の写真は、その入口にある일주문(一柱門)である。 この寺は、阿弥陀如来仏を本尊として、北斗七星と山の神が祀られているという。극락보정(極楽宝殿)をはじめとする建物の配置に、韓国寺院の格式が、そのままに伝承されているものである。 また、관아(官衛)の先に進むと、そこには、大きな양반가(両班家)がある。中庭には、韓国の伝統婚礼式場が設置されていて、公演時間が決まっている。(写真 下@) 家はいくつかの空間で構成されている。 안사랑(内舎廊)は、主婦の地位を嫁に譲った姑や子供たちの生活空間であり、안행랑(内行廊)は、下女たちが暮したところで、乳母や、裁縫・調理を担当する女性たちが起居をともにしたところである。(写真 下A) 내당(内堂)は、主婦をはじめ女性たちの日常生活空間で、主婦の来客接待、学問研修や子供の教育、余暇の活動など社交・文化活動に用いられた。中門を通らずに家長のいる사랑채(書斎)につながる回廊や縁側がある点が特徴である。(写真 下B) 안초당(内草堂)は、部屋と板の間だけからなる小さな建物で、結婚を控えた娘たちが、ここに起居しながら、学問や書道・刺繍などを、いわゆる花嫁修業にはげんだところである。(写真 下C)
사당(祀堂)は、祖先の位牌を奉納した建物で、家のなかで、最も神聖な空間である。家長から見て4代前の高祖父母まで祀られている。(写真 上D) 행랑(行廊)は、下人が起居する空間で、下人部屋・馬小屋・納屋などがある。また、바깥사랑(外舎)は、来客用に作られた建物で、部屋と板の間からなり、男性の空間である사랑채(書斎)の一部である。(写真 上E) さらに、사랑채(書斎)は、家長が日常生活を送ったり、子供たちを教育する空間で、大きな사랑방(書斎)と、건넌방(別室)、それに板の間、書庫、下人の部屋がある。(写真 上F) 最後に、외별당(外別堂)は、家長が社交・文化活動をするための建物で、来客の接待や集まり、趣味活動などに用いられた男性の空間である。(写真 上G) ![]() 양반가(両班家)を出て、突き当りが、내자원(内子院)である。(写真 左) ここは、朝鮮時代の내시(内侍)の私立養成所である。내시(内侍)は、王の側近で、先天的に去勢者が任命されていた。しかし、自らが去勢して내시(内侍)に任命された者も多かったという。 民族村のはずれには、たくさんの食べ物屋や売店などの商店街が並んでいる。ここでは、韓国の伝統的な食べ物を食べたり、お酒を飲んだりすることができる。 簡単な昼食をとる程度の食事である。 ![]() また、民族村の真ん中には、川が流れており(写真 右)、村の中には、4本の橋がかけられているほか、飛び石づたいに、わかることができる場所もある。川の両側は、自由に、行ったり来たりすることが可能である。 商店街から、橋を渡ると、すぐに、제주도(済州島)の民家がある。
![]() 特徴的なのは、3本の棒を渡した門である。(写真 左左) 1本だと、「出かけていてすぐ戻る」、2本だと、「子供しかいない」、そして、3本は、「留守だ」という印である。 泥棒がいないという、この島ならではの門である。 제주도(済州島)は、風が強い島であるから、民家は、風・雨・雪に耐えられるように、独特の建て方をしてある。(写真 上右) また気候が温暖なため、온돌(床暖房)はなく、마루(板の間)が多く、解放的な家である。 ![]() その先に進むと、선비집(士大夫の家)がある。(写真 右) 선비(ソンビ)というのは、양반(両班)の階層に属する学者たちのことで、この家は、彼らが暮していたものを再現したものである。 豪華さを避けて、簡素な造りにした中に、知識人たちの生活様式を伺うことができる。 この선비집(士大夫の家)に隣接して、전통민속관(伝統民族餡)と박물관(博物館)がある。 別に料金を払って、見学することになっている。 ![]() 선비집(士大夫の家)から、更に進むと、충현서원(忠賢書院)がある。(写真 左) 서원(書院)というのは、朝鮮時代の私立教育機関で、学徳の高いすぐれた人物を祀ると共に、青少年を集めて教育し、人材を育成したところである。 서원(書院)の構成は、基本が、先学を祀る사(祠)と、子弟たちの教育をする場である재(斎)とから成っている。 そして、それ以外には、서고(書庫)、판고(板庫)、비각(碑閣)、고직사(庫直舎)などが配置されている。(写真 下)
충현서원(忠賢書院)を最後に、民族村の民族文化施設は、すべて見たことになる。 まっすぐ進むと、広い遊園地などがある家族広場にでるので、ここから、橋を渡れば、正面の広場に戻る。 広大な敷地に、さまざまなものが、展示されており、ゆっくりと見学すると、昼食をはさんで、5〜6時間は、必要である。 しかし、この民族村を、外国人が見学するには、まったく不親切にできている。 案内資料といえば、紙一枚の絵地図しかない。日本語も用意されている。しかし、この絵地図を見ても、各施設についての説明は、何も書いてない。 各建物などには、それぞれ、案内の簡単な説明文が立てられているが、詳しい説明はないし、韓国語・日本語・中国語で書かれた内容は、韓国語が中心で、日本語も中国語も、1〜2行しかない。 事前に、十分、勉強してから行かないと、結局、何も、わからないまま、単に、伝統的なものを見た、ということで終ってしまう。 경기도(京畿道)の観光行政当局に、猛省をうながしたい。 有料でもよいから、それぞれの詳細な説明資料を準備して、観光客を誘致すべきである。 遅ればせながら、何か、対策を検討しているようであるが、真の価値ある「韓国民族村」になるのかどうか・・・・ 何か、満たされない失望感を抱いて、この「韓国民族村」を後にした。
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