心を結ぶ天空の橋--烏鵲橋(오작교)
じゃく
きょう
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韓国と日本とは、遠いようで近い。近いようで遠い。
いろいろな面で、似通っている部分が多いが、しかし古くから伝わる韓国固有の伝統やしきたり・習慣も多く、うっかりすると誤解や無用な混乱の元にもなりかねない。 そういう違いは、日本で生まれ育った人間から見ると、信じられないような面もあり、 お互いの心を理解し合うのは、そう簡単なことではない。
だから、できる限り、お互いがその固有の文化を理解し合い、 少しでも心を通わせることができる部分を持ち合わせていれば、豊かな交流の礎となることだろうと思う。

人はみな生まれたときから、ある特定の習慣やしきたりを身につけているわけではない。
どこの国のどんな人であれ、その人が育っていく環境や、学校教育や、社会の中で、少しずつ身につけていくものであり、選択や判断の範疇を超えたレベルで習得していく。
だから長じては、ごく自然な言動として発現するものである。
ある特定の集団や社会の中では、ある種の善悪の判断が他動的な要因で是正されることがあり得る。それは、その社会の一員として円滑な共存をはかるための必然である。

ところが、国を超えたところで発生する習慣やしきたりの違いについては、まったく違った面をもっている。
二つの国の間でその差異を是正しようという力は働かない。それは国家レベルの問題をもっているからである。
その国固有の歴史や伝統の中で生まれたもの大切に保護して、民族集団としての血を維持し後継に末永く引き継いでいこうという力が作用するからである。
それは、一つの国家を統制し維持していくための自然な姿である。

二つの国の人々がお互いに円滑な関係を維持するためには、最低限、その国の伝統・習性・しきたりなどを正しく理解し、それを認めていくことが大切である。
そうでないと、「あの人は失礼だ」とか、「あの人とは付き合うことができない」などという、いわば誤解に基づいた破綻を起こすことになりかねない。
それが、個人レベルのことであれ、ビジネスなど小集団レベルのことであれ、あるいは国家レベルのことであれ、お互いが相手を理解するというは、相手の習慣・伝統・ならわし・しきたりを知ることであろうと思う。
些細なことの積み重ねが、大きな理解につながっていくものである。

「烏鵲橋(うじゃくきょう)」というのは、伝説上の橋で、七夕の夜、牽牛星と織女星の逢瀬を助けるために、烏(カラス)と鵲(カササギ)とが、連なって天の川にかけた橋である。
本サイトが、日本と韓国とにまたがる烏鵲橋になって、お互いに通い合う助けになれば、幸いである。

なお、合わせて下記のサイトも、せび参照していただきたい。
 
 
 
烏鵲橋の由来
   

中国、韓国、日本などの東アジアに伝わる伝説がある。牽牛星と織女星にまつわる七夕伝説である。その概要を紹介しよう。

天の国の羊飼いである牽牛(견우)と皇帝の孫娘織女(직녀)とが、愛し合って結婚した。結婚すると二人は新婚の喜びに浸り、お互いがなすべき仕事も手につかず怠けるようになってしまった。
これを見た皇帝は激怒し、二人を天の川を挟んで東西に離れて暮らすようにした。牽牛は東端に織女は西端に暮らすこととなり、二人は会いたくとも天の川を渡ることができず、悲嘆の毎日を送っていた。
あるとき、二人の悲しい事情を聞いた烏(からす)と鵲(かささぎ)たちは、毎年七夕の日になると、挙って天に舞い上がり、悲しみにくれる二人が会えるように、連なって長い橋を作って、二人が渡ることができるように計らってくれた。
この橋を烏鵲橋(うじゃくきょう)(오작교)と呼ぶ

韓国全羅北道(전라북도)の南原市(남원)には、有名な広寒楼(광한루)があり、朝鮮王朝時代の有名な恋愛説話「春香伝」の舞台となったところである。
両班の息子、李夢龍(이몽룡)と、妓生の娘、成春香(성춘향)との身分を超えた愛の物語である。
この広寒楼(광한루)にある烏鵲橋(오작교)(トップの写真)は、二人が永遠の愛を誓ったところとして有名である。

  
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