納得できるか、それとも、腹が立つか・・
思わず戸惑いを感じるとき
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人はみな生まれ育った国に従って、さまざまなことを身につけていく。
それぞれに、独自の習慣や風土があって、その国で円満に生きていくことができるように成長していくものである。
それを他の世界から見ると、奇異に感じたり、馴染むことができなかったりすることは多い。しかし、現実を受け入れ理解して、違いを乗り越えていかなければ、この地球上でお互いに仲よく生きて行くことはできない。 そのためには、どんな違いがあって、それが国民性によるものかどうかを知ることは、きわめて重要である。そうでないと、いたずらに腹を立てたり、感情的になったりして、良好な関係を阻害することになってしまう。 その国に暮らしてみなければ、その国の人たちを真に理解することは難しい。観念的に理解できない部分も多いからである。 ここでは、日本人が韓国の人たちの言動に対して、戸惑いを感じることがらについて、一般的なものを掲げてみた。 最近は、日本人の感覚も変化してきているから、必ずしも、これらに違和感を覚えない日本人もいることと思う。しかし、日本人の伝統好きな感覚と、韓国人の伝統的な感覚との間に、本質的な差異があることだけでも知って、納得できるような理解の一助になればよいのではないかと考える。 |
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梨の礫(なしのつぶて)
韓国の知人たちと、よく国際電話をしたり、PCでメールのやりとりをする。大抵、他愛のない内容のやりとりである。
時差がないのは幸いであるが、しかし電話しても、都合悪く、通話ができないこともある。そんなときは、「あとで(좀 이따가)私が電話するから・・」と言って、電話が切れてしまう。だが、後に相手から電話がかかってくる可能性は50%以下であることが多い。 ここで、[좀 이따가](あとで)という言葉が大切で、これが、[나중에](あとで)だと、あまり電話する気持ちがないものと理解した方がよいから、諦めがつく。[좀 이따가]と言われると、今か今かと、ひたすら待ち続けるわけである。 だが、当の韓国人たちは、「あら、そう?]といって、そんな区別があるの、と言わんばかりである。確かに、両者の区別は薄らいでいるようである。 逆の場合はどうだろう。私が、「あとで(좀 이따가)電話するよ」と言って、電話を忘れてしまうと、ずこく腹を立てて怒りまくる。まるで重罪を犯したような感じである。 要するに、それが韓国人の、一つの「自尊心」なのであろうか・・・。 それとも、単なる利己主義の象徴であろうか・・・。
PCのe-メールでも同じようなことが起こる。
メールを送って、すぐに、例えばその日のうちに返事が来ることは、50%以下だと言ってもよい。大抵は、数日も、1~2週間もたってから、返事が来ることが多い。 早く返事が欲しいメールもあるし、どうでもよい内容であることもある。 しかし、何かの理由で忙しいため、返事が遅れるなら、1行だけでも、その旨連絡すれば済むものを、何の連絡もないのである。 尤も、PCにログインしてメールを開かなければ、それまでである。だが、実態は、メールを確認し受信しておきながら、放置しているケースが大部分であるように感じる。
このような梨の礫は、一体、どこからきているのであろうか。
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お礼の感覚
韓国の人と一緒に飲食をし、ご馳走してあげても、最後に、「ご馳走になりました」という類の言葉を聞くことは稀である。
大抵は、ごく当然のような顔つきで店を出ていく。 韓国では、年長者が支払いをすることが習慣になっているというし、”ワリカン”などという習慣もないから、飲食費の支払いについて、とやかく論じるつもりはない。しかし、一言、「ご馳走様でした」程度の挨拶があってもいいではないか、と常日頃感じている。 ましてや、数日後会っても、電話で話をしても、「先日はご馳走様でした」とか「ありがとうございました」という言葉はないのが普通である。 ところで、もし韓国人がお礼の言葉をいうとしたら、何というのか、また難しい問題である。 「ご馳走様でした」という韓国語は、[잘 먹었습니다]と覚える。だが、韓国の人に聞くと、この言葉は違和感があって、普通、韓国人が使うことは稀だ、という。 せいぜい、客が、飲食店を出るとき、特別な場合に限って、お店の人にいう言葉である、という。 日本人が韓国の人からご馳走になったとき、あるいは、お店に対して、「ご馳走様でした」という日本人的感覚で、[잘 먹었습니다]というと、韓国人にとっては、相当に他人行儀で妙な感覚を持つようである。 韓国の人にとって、食事を共にするということは、[情を分かち合う]という強い意味があって、そこに金銭の問題やお礼の問題が絡まることは、そぐわないという感覚である。 しかし、ともかく、決してお礼の言葉を強要するわけではないが、日本人の感覚からいうと、何かお礼の言葉がほしい、という気持ちである。
似たようなケースは、何かプレゼントした場合にも感じる。
さすがに、プレゼントを受け取ったときには、「どうもありがとう」という場合が多いが、それでも、「ああ、どうも・・」と受け取って、それだけ、という人もいる。 そして、後日、「いただいたものは、とても素敵でした。ありがとうございます」などと言う人に至っては、ほとんどいない。 既に、「ありがとう」と言ったのだから、2度も3度もいう必要はない、ということだろう。 |
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