有田川町久野原は河岸段丘上に開けた集落で、
平坦な地形に恵まれ、日照条件もよく、田畑の開墾
が進んだ所です。東西一里二町余(約4km)
南北一里五町余(約4.3km)の村落ですが、
山村特有な急傾斜地の棚田や山腹に階段状に集落を
形成しているような地形ではなく、広くてゆったり
とした明るい風景に恵まれています。 
 

現在のような集落の形態ができてくるのは、近世に入ってからのことで、中世では未開墾地が相当存在していたようです。地形的には恵まれていましたが、灌漑用水の確保が困難でしたから、水田経営が制約をうけていたのです。
鎌倉時代の史料には、久美原(くみのはら)と書かれていますが、いつ頃から久野原と呼ばれるようになったかということについてはよく判りません。江戸時代の史料ではすべて久野原村です。 
寛政十一年(1799)の書上帳(かきあげちょう)によると、家数九十一戸、人数四百人、牛五十頭、作間稼として、鍛冶職二人、大工一人、木挽職一人、桶屋職一人、紙漉職四十二人、奉公稼十七人、高野山へ日々の稼四人、とあります。また、明治三年(1870)の調査によると、家数八十五戸、人数六百九人、作間稼として、紙漉五十人、大工職三人、造酒職一人がいました。

久野原という処

内芝池 (灌漑用水池)

雪の久野原

現在民家が180戸余、住民が520人余の集落ですが、市街地を形成することなく散在し、公的機関としては久野原保育所、久野原小学校、消防車収蔵庫と農協の連絡所があるだけです。最近の少子高齢化はこの地域においても例外ではなく、稲作農家もほとんどが兼業です。ただ、耕作放棄がなされていないのが救いです。 
地域住民の気質は勤勉で堅実です。先祖伝来の耕地を守り、伝統文化を保持していく持久力があり、困難に対応できる忍耐力があることなどが、特徴としてあげられるでしょう。