二千年三月十八日新設

光明真言 

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幽霊の掛け軸が現代に残る… 

右側の軸は京都の曼殊院蔵のものです。 

 

この軸達にも怨念が篭っているのでしょうか… 

 

〔※ 学研社刊「幽霊の本」より、抜粋しました。〕 

みなさん、ゲゲゲの鬼太郎はご存知?では幽霊と妖怪の 

違いは何でしょうか?分かりますぅ…?次に紹介するのは 

百鬼夜行図です。 

 

これも百鬼夜行図です。 

 

〔※河出書房新社刊「 図説 日本の妖怪」より抜粋しました。〕 

幽霊と妖怪とをどこで区別するのか…それは人であるか否か

でしよう。人であるが故、人を恨み、人に執り憑き、人の心

中へ入りこむこの世から切り離され、誰もが振り返らぬ 

為に諦めきれず、未練が募り、妄執に埋め尽くされ、死んで 

いるにもかかわらず、死に切れないのであろう…その後姿は 

限りなく哀しいのではないでしょうか… 

日本の各地に残る幽霊たちが残した 

品々を収蔵する寺院のご紹介… 

訪ねて見ますか…(〇_〇;)  

来迎寺 (らいこうじ)浄土宗 大阪府守口市。 

    建立時期はおよそ650年前で後村上天皇の勅願所でも

    ありました。ここに収められているのは幽霊の足跡

    が残る麻の座具です。幅80センチ、長さ1.2メートル

    で、その真中より少し下の所に約22センチほどの

    足跡がくっきりと残っています。寺伝によれば

    女性のものだそうで、年数回の法要時に開帳

    されます。    

行願寺 (ぎょうがんじ)天台宗 京都市中京区行願寺

    門前町。 

    ここは革堂(こうどう)とも呼ばれています。 

    残されているのは「幽霊絵馬」です。この絵馬の 

    表面には長い髪の女の姿が浮き出ているのです。 

    毎年8月22日、23日に公開されます。 

九品院 (くほんいん)浄土宗 愛知県岡崎市鴨田町字

    山畔。 

    ここに保管されているのは幽霊が持参した着物の 

    方袖で「証拠の肩袖」と言われています。嘉永5年 

    (1852年)の出来事です。幽霊である証拠にと 

    着物の方袖を残していったのですが後に厳重に 

    施錠された蔵の長持ちの中にあった着物より 

    ちぎり取られたものである事が判明し、このお寺に

    奉納され現存しています。しかし残念ながら 

    非公開となっています。 

大念佛寺 (だいねんぶつじ)融通念佛宗総本山 大阪市

    平野区平野上町。 

    ここには寺宝として保存されている方袖約30×50p

    朽ち葉色の絹織物と直径4p高さ3pの精巧な造りの

    蒔絵が美しい香合です。極楽往生できない女性が

    亡霊の証として差し出されたのが、生前その女性の 

    愛用品であった事からここ、大念佛寺にて大法要が

    執り行われて極楽往生を遂げたのです。

    毎年8月のお盆のころに「幽霊まつり」が催され

    「累(かさね)の怨霊」を筆頭に当寺秘蔵の 

    12幅にも及ぶ幽霊画の掛け軸も開帳されます。 

大雄寺 (だいおうじ) 曹洞宗 栃木県那須郡黒羽町

    黒羽田町。 

    ここは現在、牡丹のお寺として親しまれています。

    ですが元々は奇怪な伝承と幽霊の掛け軸のある

    寺として語り継がれてきたのです。 

    一幅の掛け軸ですが一説に円山応挙の作では

    ないかと推測する人もおられるみたいです。

    その掛け軸は本堂奥の間に常時展示されています。

    その画のモデルは作者の病床にあった実の母ですが

    完成直後に亡くなり、形見として自宅に掛けて

    あったのですが怪奇現象が頻発するため、お寺に

    納め供養してもらったのではないかと言う説が

    あります。

全生庵 (ぜんしょうあん)臨済宗国泰寺派 東京都台東区

    谷中。ここは禅者であり剣の達人でもあった

    山岡鉄舟が明治16年に建立しました。

    交流の深かった落語家三遊亭円朝が生前収集した

    幽霊画が実に50幅もあり毎年8月1日から31日までの

    円朝まつりの期間中に、有名な円山応挙や伊藤晴雨

    柳家小さん寄贈の幽霊画30幅などと共に円朝直筆の

    髑髏画や醜怪な幽霊画が展示されます。

松月院 (しょうげついん)曹洞宗 東京都板橋区赤塚。 

    ここは「怪談 乳房榎(ちぶさのえのき)」の

    舞台となった榎が境内に現存しています。

    ただし本来の場所とは異なりますが、石碑ととも

    石碑とともに榎があります。 

    かつてこの付近の住民達はこの榎に触れると必ず 

    祟りがあると非常に畏れていたのです。塚があった

    この辺りは、その昔、高貴な人々の墓地と考えられ

    古くから信仰の対象となっていた。 

無量寿寺 (むりょうじゅじ)浄土真宗本願寺派 茨城県 

       鹿島郡鉾田町鳥栖。 

    ここは親鸞の24人の高弟ゆかりのお寺を二十四輩 

    と呼び、この無量寿寺は第3番目にあたります。 

    鹿島大明神の大宮司、片岡信親(のぶちか)が神託

    により親鸞の弟子になり、順信房信海(じゅんしん

    ぼうしんかい)という名を授かりこの寺を開き

    ました。この時、親鸞もこの地に3年あまり

    留まったといいます。幽霊の話はこの頃のもの

    です。その昔、地頭、平高時(たいらのたかとき)

    の妻が難産の挙句、亡くなりこの寺に埋葬されたが

    夜毎亡霊となって現れ遂には、誰もいない荒れ寺

    と成り果てて荒廃…そして高時の要請を受けた

    親鸞は信海とともにこの寺に入り、人々に小石を

    集めさせて一つ一つに一字ずつ「浄土三部経」

    二万六千六百十二字を書写して、怨霊と化した

    女の墓に埋めて昼夜を問わず、念仏供養を行い

    結果、たちまちの如く女の怨霊は菩薩となり

    成仏したといわれています。そうしてこの地に

    萱と菩提樹を植えて、墓には「女人成仏御経石塚」

    と呼ばれているのです。幽霊さま」と呼ばれて

    いる掛け軸がこのお寺に伝わっています。 

萬念寺 (まんねんじ)浄土宗 北海道空知郡栗沢町万字。

    ここにはある人形が安置されています。 

    お菊人形」と言われています。高さはおよそ40pで

    何故、有名かというと、髪の毛が現在も伸び

    つづけているのです。ある女の子が3歳の時に

    お土産としてもらいました。その女の子は

    たいそうこの人形を大事にしていましたが

    翌年病で亡くなってしまいました。家族は

    樺太に移住する事になったためその少女の遺骨

    と人形は萬念寺に預けられました。終戦後

    寺を訪れてみるとあの人形は、腰の辺りまで 

    髪の毛を伸ばしていたのです。少女の霊が 

    乗り移ったのかもしれませんね。萬念寺本堂内の 

    本尊横の厨子に安置され、今も手厚く供養されて 

    いるのです。随時、公開されています。 

光源寺 (こうげんじ)浄土真宗本願寺派 長崎県長崎市 

    伊良林。 

    このお寺には「産女(うぐめ)」と呼ばれる幽霊の

    木像が伝えられています。これは全国に分布する 

    「赤子塚の話(飴買い幽霊)」と関連付けられて 

    いますが諸説諸々…詳しい事は分かりません。 

    毎年、旧暦の7月に開帳され、その際に「産女」に 

    供えられた飴を授けてもらい、食する事で 

    安産や、乳の出が良くなるとされており現在も 

    厚い信仰を集めています。この木像ですが 

    頭部と胸部だけで腰から下はありません。 

    江戸期の作です。 

永福寺 (えいふくじ)臨済宗南禅寺派 山口県下関市

    観音崎町。

    ここでは毎年7月17日の夜に「十七夜観音祭」が 

    行われ通称「幽霊まつり」と呼ばれています。 

    およそ300年前、結核で亡くなった商家の娘が 

    両親の諍いが絶えない事が気にかかり、成仏

    できないとこの寺の住職の枕元に亡霊となって

    現れ、両親の不仲を説教して欲しいと懇願し

    住職は娘の姿を書写してこれを両親に示し

    諭した結果、父母は深く反省をして終生

    仲睦まじく暮らしたといいます。 

    その娘の命日が7月17日ですが、この寺の本尊 

    観世音菩薩の縁日であった事から菩薩の化身と 

    考えられています。その画は今もこのお寺に 

    現存しています。 

永国寺 (えいこくじ)曹洞宗 熊本県人吉市土手町。 

    ここは通称「幽霊寺」と呼ばれていて親しまれて 

    います。幽霊画の掛け軸が納められている

    ためです。1500年ごろ、武家の側室が正妻の

    嫉妬に苦しみ球磨川に身投げをして亡くなり

    ました。強い怨念を残して亡くなったため

    亡霊となり果てて正妻を責め、苦しめました。

    堪らず正妻はこの寺の住職に法力をもって

    鎮めてくれるよう祈願しました。住職は

    本堂裏の池から現れた側室の醜い姿を 

    書写し、亡霊に示して、怨念を抱く事のあさましさ

    醜悪さを諭しました。そうして、亡霊と成り果てた

    側室の迷いを解き、無事成仏させたのです。 

    その時の、画は掛け軸で現存し毎年8月の第一 

    土曜日に催される「幽霊まつり」で多くの人々に 

    開帳されているのです。

曼殊院 (まんしゅいん)天台宗門跡 京都市左京区 

    一乗寺竹之内町。最澄が開いた天台寺院。 

    幽霊の掛け軸があります。このページの 

    始めの方に紹介した「幽鬼あらわる」の 

    掛け軸から抜け出てきたような画がそうです。 

    「描き表装」と呼ばれる技法ですね。毎年8月 

    1日から31日までの間、開帳されます。 

    かつて、滋賀県の旧家にあったのですが、様々な 

    怪異や祟りが続いた為、ここに納められたと 

    由来があります。 

志明院 (しみょういん)真言宗 京都市北区雲が畑

    出谷町。ここは鴨川の源流としてまた修験道の

    聖地としても知られています。全山、奇岩や

    洞穴が散在していて古来より都の修験者や

    導師、陰陽師らによって追い払われた怨霊や

    物の怪が歳後に逃げ込む異界、異空間として

    認識されており、それゆえこの寺には半端な

    霊能者では太刀打ち出来ない強力な死霊が

    巣食うと信じられているのです。

鳥辺野 (とりべの) 京都市東山区東大路五条阪上がる。

    平安時代より葬送の地として知られ、彼岸への

    入り口として恐れられていたのです。そして

    身重のまま亡くなった女が死後、生まれた赤子に

    飴を与えてあやす幽霊…「飴買い幽霊」が

    現れたと言伝えられています。現在は親鸞の

    廟所として西大谷から清水寺にかけて山腹には

    夥しい墓が立ち並んでいるのです。

金剛輪寺 (こんごうりんじ)天台宗 滋賀県愛知郡

    秦荘町松尾寺。行基が開いたお寺です。

    ここの本尊は聖観世音菩薩で行基が彫った

    ものです。言伝えに完成寸前、血を流した為

    一部分、彫り残しがある事でも有名です。

    そして、「油返そう」と呼ばれている怪談が

    あります。それは…昔、灯明を灯す係りの僧が

    ふと魔が差して、管理している油を盗んで

    売り始め、その金で女遊びや、酒を飲み自らの

    行いを忘れ去ろうとしたが、果たせず以前にも

    増して勤めに励み罪の許しを乞うたが、熱に

    うなされ七転八倒の挙句、死んでしまう…

    その直後から寺の門から本堂へ続く石段を伝い

    か細い声で「油、返そう…油、返そう…」という

    声が聞こえたり、灯明だけがゆらりゆらりと

    石段を登って行くのを目撃した者も多くいた

    のです。この怪奇現象は現在も続いていると

    いわれています。

正心院 (しょうしんいん)真言宗 静岡県静岡市産女。

    産女の夢のお告げにより祭られた子安観音。

    ある武将の妻女が難産の為、産めないまま

    亡くなり、やがて辺りをさ迷うようになり

    村人の夢枕に立ち、武家の秘仏である千手

    観音を探し出し祭って欲しいと懇願した。

    その後、探し出された千手観音を祭ったところ

    霊は黄泉の国で無事、子を授かったという。

    以降、安産守護の秘仏としてそして妻女の霊は

    「産女大明神」として厚い信仰を現代も広く

    集めているのです。

門名寺 (もんみょうじ)浄土真宗本願寺派 富山県

    婦負郡八尾町今町。

    夜な夜な、掛け軸から抜け出してさ迷う幽霊…

    八尾の商家にあった幽霊画で円山応挙の作と

    推測されているのですが、夜になると家の中を

    歩き回り、恐れた主が、ここへ納めたものと

    伝えられています。ですが非公開となって

    います。

大円寺 (だいえんじ)真言宗 新潟県新潟市礎町

    通り。

    様々な怪現象、霊現象が起こるとされています。

    100年前ですから近代ですね。この寺の住職

    観海上人が即身成仏となり衆生を救う事を願い

    そして、7年後に掘り出してくれるよう託して

    自ら境内内の石窟に入定した。ところが

    政情が混乱し、約束は果たされず放置され

    たまま、忘れ去られてしまいました。そのためか

    無人の本堂から読経の声が聞こえたり、上人

    らしき人影を目撃する者が後を絶たず、また

    本堂の畳が人の目の前で浮き上がったりしたとの

    噂が囁かれ、そうしてついに99年後、上人の

    亡骸が完全な形のまま発掘されたのです。

    そして頭蓋骨は複顔術が施され手厚く供養

    されました。現在、8月24日の法会に限り

    この頭蓋骨が開帳されます。

文殊仙寺 (もんじゅせんじ)天台宗 大分県東国東郡

    国東町。役の行者が創建したと伝えられている

    このお寺の境内には五百羅漢像や多くの石仏が

    安置されていて、訪れた人々の亡くなった肉親

    或いは、友人にそっくりの仏像に出会い

    その声を聞くと云われています。最近でも

    数人の参拝者達が石仏の声を聞いたといいます。

    ですが住職の話によると、以前に比べたら

    とても少なくなっているそうです…。 

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株式会社 学習研究社 刊行の幽霊の本より抜粋

しています。