穴路峠・立野峠・大地峠

2005.04.16

中央線の上野原から大月までの間に、桂川と秋山川の谷を隔てるように尾根が連なり、その間を幾つかの峠径が越えています。いつでも行けそうな近場の峠径なのに、随分前から訪ねたいと思いつつも、何故か空白地帯のように踏み入れず、その機会を逸してきたのです。今回はその始めとして穴路峠から順に出かけてみました。

鳥沢8:00〜9:20穴路峠9:30〜9:50無生野〜11:40立野峠11:50〜12;10浜沢〜12:35大地〜12:50さがざわキャンプ場〜14:10旧大地峠14:20〜14:50四方津


穴路峠


 穴路峠は、甲州街道鳥沢の宿場秋山川の無生野の集落を繋ぐ古くからの峠径で、生活物資を運ぶ径だったのでしょう。峠の位地は西の高畑山と東の倉岳山の尾根の鞍部に位地して判りやすく、鳥沢駅からの出発です。鳥沢の街は昔の宿場街の面影を僅かに残しています。しかし、今では狭い国道が街中を抜けて走るため、あまりにも殺伐とした風景で、大型トラックが恐いので早々に脇道へ反れて桂川を渡ります。


峠径が文化かー、いいなー!


 虹吹橋とは、いい橋名ですね!単独行のハイカーを追い越しながら渡り、対岸の小篠集落から南へ小篠谷に沿って登りだすと、直ぐに堰堤にせき止められた小篠貯水池に出ます。深緑の水面には新緑の緑を映して静まり、僅かに水鳥の動きが波紋になって広がります。池のやや先までは径も整備されて走れますが、その先はまるで沢を歩くように岩がゴロゴロして、自転車は押すより担ぐ方が楽なくらい。


高畑山の分岐


 高畑山への径が右へ分岐する角には、地蔵が祀られてあると山地図にも書かれるのですが、何故か来てみると台座だけになっていて、その上には誰が積んだのか無造作に石が積まれています。無くなった地蔵を不思議に思いつつ、そこからほんの僅かに峠へ向かった場所に地蔵が祀られていて、移されたのでしょうか?その先には夫婦杉や、大とちのき、など太い樹木には樹種の標示がされて、谷底が穏やかなのでしょう。


お地蔵様は移されたの?


 やがて九十九折れになると、径はきまって沢から離れ、沢の音も遠くなり、芽を吹き始めた木々の間を飛び交う野鳥の声だけが嬉しそうに聞こえてきます。次第に高度を上げてくれば頭上が開け、右手には高畑山の稜線が見えてきます。路傍には、昔使われていた炭焼き釜の石積みがそのままの姿に放置されているのにで出会えたり、なかなか風情のある峠径は、やがて小さく切り抜いたような峠に着きます。


松林のトラバースを行くと右の穴路峠に着きます


 なお元気なら、更に「今日はあと三つの峠を越えてしまおうか」などと、気勢を上げては見るものの・・・どうなのでしょうか?どっちが根を上げるか?どっちもどっち、相棒のI氏との駆け引きは楽しいものです。休憩を切り上げて無生野に向かいます。北側とは違い、秋山側に降る径は殆ど乗車のまま降れてしまい、疲れを吹き飛ばすように気分よく秋山の街道に出ます。


立野峠

立野峠は、以前では無生野と梁川の立野を結んでいた峠径にありましたが、立野の集落は現在の甲州街道梁川に近いといえども、甲州古道は更に北よりの野田尻を通っていた為に、立野峠は物資の往来は少ない予備的な峠径だったのでしょう。また近年では山歩きのハイカーのルートからも外れ、その為に径型もはっきりしないことから、地理院の地図には記載されていても、山地図には記載が無いのでしょう。無理にでも古道を探し出してもみたくなり無生野から藪を突いてしまいました。

9:50無生野〜11:40立野峠11:50〜12;10浜沢


 無生野の宝積寺と地図に書かれた寺の門前に老婆が二人、日向に腰を下ろしてお話ししています。山地図の取り付き位地と、2.5万図の取り付き位置の違いがあって、地元のおばあちゃんに立野峠(たちのとうげ)の入り径を訪ねれば、「立野峠へは自転車なんか持っちゃ行けないねー!」「歩ったって大変だよー!」と、返ってきます。


 相棒が、以前小学校の裏から登ったと答えれば、登るなら浜沢の小学校のところか、そこの山神さんのところからもいけるけど、「自転車なんか行かれねー」と注意が続きます。お礼をいって、それでも2.5万図を頼りに、石碑と橋の中間から北側へ登り始めます。民家の間を入れば直ぐに小径になり、行く手には砂防堰が見えて径は消滅状態、右へ巻き上げる微かな踏み跡を辿るも、それは岨径のようで、切り倒された松ノ木が放置されたままです。


 お年寄りの話しをちゃんと聞いていればこんな事にはならなかったのですが、二人は諦めつつも、なんとか尾根に出てしまおうと、藪を突いての強行軍に出ます。2.5万図には確かに記載されてあるのですから、尾根に出ればなんとかなるだろうと懸命にもがき、ようやく736mと表記されるピークに近づくと、驚いたことに、そこには老爺が一人ぽつんと腰を下ろして休んでいるではありませんか。


736地点で道普請をしていたおじいちゃん


 老人も、こちらの思わぬ出現にびっくり、目を白黒させて、はじめは熊かと思ったようです。何をしているのかと訪ねれば、なんと、昔あった筈の古道の道普請らしいのです。らしいというのは、おっしゃっている事が良く聞き取れず、持ってる道具を見て、はじめは山芋堀かと思いましたが、さにあらず。立野峠への径を訪ねれば、今はやはり小学校の裏から入るそうで、この径もここから少し降って上り返すと立野峠を越えて、ずっと立野まで続いていたと教えてくれます。


普請されたばかりの古径


 やはり取り付いた径は、2.5万地図を概ね辿ってはいるようですが、使われなくなって自然消滅していたようです。古道復活の為ならお爺さんの道普請を手伝ってあげたいぐらいでしたが、礼をいって、おじいさんの普請したばかりの ま新しい黒土を踏んで先へ進みます。尾根からは峠の位置辺りが見えてはいますがまだまだ大変です。径はやがて尾根の右側へトラバースして行く筈で、お爺さんも確かに径は続いていると言ってましたし、探してみるのですが、ついに踏み跡は確認できず。


立野峠へ倉岳山方向の尾根から着く


 そのまま倉岳山からの主尾根に登り上げて尾根路から立野峠へ着きます。こんなところで約2時間近くもかけてしまい、峠径を走破するどころか尾根径から峠に来るなんて
情けなくもなり、納得が出来ません。おまけに花粉症の身でこんな杉だらけの山径に来て、ロクに話しもできなくなっているのですが、相棒の「やり直しましょうか」の誘いに乗って、この日の峠越えは無かった事にして、この日はつらつらと快適に乗車のままで浜沢の小学校に下ってしまい、しばらく秋山川を下ってから、もう一つ大地峠に回ります。



浜沢の小学校裏に着く


大地峠


 大地では、バス停近くの「さがさわキャンプ場」の入口を入り、峠へ向かうにはキャンプ場の管理棟横の右側へ入る沢を伝って登るのが山径です。キャンプ場の温水シャワーと書かれた階段を上り、右の沢に沿って登れば踏み跡があります。径は心細いほどの細道になっているのは、今では林道を上がる人が多いのでしょうか。季節が変わり、下草の葉が茂れば径は見え難くなるでしょう。


山は木々の芽吹きです


 幸い樹木に取り付けられたブルーの紐がガイドをしてくれますが、鬱蒼とした杉林の中は薄暗く、径も微かに見えるといえば見える程度、勾配がきつく、途中何度も行き先を仰ぎ見てはため息です。悪化する花粉症で鼻がつまり苦しい限りで、何気なく足元を見れば登山靴は既に花粉で粉が吹いていますし、もうそろそろ花粉も終息するかと、来てみましたが、杉林の中には花粉が充満していて最悪です。


陣の函山南手前の鞍部


 なんだか自虐的な1日で、三つの峠を合わせて標高差の合計は千メートル近くも自転車を担いで登り、花粉のおまけつきですから前方の尾根が見えてきた時には前がぼやけて頭はくらくらしてきます。尾根へ辿り着けば、木にぶら下げられた古ぼけた板の道標が旧大地峠を左へ指し示し、尾根上のピーク810mの甚ノ函山をもう一つ乗り越さなくてはなりません。


旧大地峠


 なんとかそのピークも越えて両側の崖下に林道が見える危なっかしい細い尾根路を北へ進めば、旧大地峠へ到着です。ここまで来ればやれやれです。途中で昼食は何処でとったのか、とにかく走り続けて、ほんの僅かな休憩中に少しづつ済ませてしまうので、空復感は無いのですが、残った食べ物を胃の中へ放り込みめば、あとは降り径だけになった喜びで、体力も回復してくるから不思議なものです。


新大地峠近くのお地蔵さん


 旧峠から新峠へ少し降り、トラバース気味の径を過ぎればあとは塹壕状の踏み均された径を四方津に向かって快走します。何が楽しくて千Mもの登りを担ぐのか、これですっきりするのです。幸いと言うべきか、途中で出会ったのは朝方虹吹橋で見かけたハイカーが1人だけ、山径では自転車降りて押して歩き、径を先に譲っていただいたお礼を述べて下ります。


もう直ぐ四方津


 まだ漸く芽吹きだしたばかりの山径はハイカーが多くないのでしょうか。桂川を渡れば四方津駅はもうそこで、花粉症の悪化で、壮快な気分とは言い難い状況ですが、先ずは無事に帰還した事を祝うつもりで途中の酒屋さんで缶ビールを1本づつ買って、車中の人となります。ウイークデーにでも少しまとまった雨が降って花粉を流してくれればなと願うこの頃です。


INDEX 峠路越えて