鎮守大原稲荷神社

 蒼稲魂命を祀る大原稲荷神社は、江戸時代の天明2年(1782)それまで代田村字大原の、北外れを結界とし、村外からの悪霊を祓うため地元の人達らの寄合地としてあった杉林に社を建て、遠く京都の伏見稲荷大社まで出向き、神官羽倉摂津守宿禰信邦の直書を受けて稲荷神社が勧請されたのです。そのことから大原(羽倉)稲荷神社として伝わります。

 羽倉稲荷神社の「はぐら」がなまり「はぐさ神社」とも呼ばたそうですが、地元では普通は大原稲荷神社として節や祭礼に親しまれています。境内の末社には大鳥神社があり11月の酉の日には縁起物の熊手市が立ち、区内唯一の酉の市とあって大勢の人でにぎわいます。その他にも境内には沢山の神様が祭られています。

 京王線の線路が敷かれ、和田堀給水所が建設される以前の境内はもっと広がっていて、全体が杉林に覆われていたそうです。神社の北西は直ぐ菅原村(現松原)に接し、甲州街道が玉川上水を渡る橋が代田橋と呼ばれた橋が架かっていて、鳥居の前は堀の内の妙法寺と池上の本門寺を行き来する人たちも通っていたのです。また参道は東へ延びて鎌倉街道まで達していました。交通機関の発達と伴に参道は寸断され、橋は上水を暗渠にされて消え、今では京王線の駅名として代田橋は残るだけとなりました。


宮神輿

 大原稲荷神社の祭礼は、毎年九月の第二土曜日の次の日曜日に祭神の町内巡幸が行われます。御霊移しを終えた神輿は、秋祭りらしく屋根の鳳皇には豊作を祈願した稲穂を咥えさせて、飾り綱の下には力綱をしっかりと締め直し、明日の渡御を待つばかりです。 神輿の製作は行徳で、昭和七年とありますから、関東大震災の後の大変な時期に、宮総代を始め多くの氏子崇敬者方々のご尽力で奉納された貴重な町の財産です。

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