My Fish Library (第5回 2004 / 06

Metalic Shrimp-Goby
(Amblyeleotiris latifasciata)

はじまり

 

 上の写真、タイトルにあるので隠しようもないのですが、メタリックシュリンプゴビーです。後ろ側からだし、全然寄れてもいなくて証拠写真というにも、いまいちな出来。それでもこの1枚は自分にとっては、思い出に残る大切な1枚なのです。なぜなら、今から思えば、この時を境にマッドダイバーへの道を歩み始めたようなものだからなのです。
 ログブックを見ると1995年12月。もう今から10年近く前になります。初めてマブールを訪れたときのもので、シパダンウォータービレッジができて1年くらいだったと思います。SWVが大々的に売り出されて、当時マクロにはまりはじめていた自分はダイビング雑誌の付録についていたシパダン・マブールの海の小冊子をみて、「こんな海があるんだ・・・」と息をのんでしまいました。パラダイス1や2の生物マップもそうでしたけど、それ以上に、ひかれたのが共生ハゼのページ。そこに並んでいたのが、
 ・メタリックシュリンプゴビー
 ・フラッグテールシュリンプゴビー
 ・ヒレナガネジリンボウ(当時はまだハタタテネジリンボウでしたけど。)
でした。中でもメタリックは、それまで自分が魚に対して抱いていた色彩観をまったく覆すものだったです。こんなに美しいハゼがいるのならということで、年末の予約を苦労して手配し、マブールに乗り込みました。当時のハウジングは初代INON。レンズはCanonの50mmでした。あらかじめ作った「みたい魚リスト」をガイドのテッドさんに見せて、約1週間のツアーでほとんど見せてもらうことができました。

 

 
 カメラはトラブル続き。まず、2日目の早朝セルフダイブで水が入り、その日のボートダイブはカメラを持っていくことができませんでした。今から思うと奇跡のようなことですが、それでもその翌日からはちゃんと動くようになり、いよいよ「ヨシポイント」へ。ここでまたトラブル。ボートの座席の上にハウジングを置いておいたため、エントリーのセッティングをしている時に大きな横波をうけ、なんとハウジングが座席からボートの床(金属です)に落下してしまいました。半ばパニック状態になってハウジングをあけると、レンズのマウント部分のところがぱっくり割れているじゃないですか。頭の中は真っ白。ローカルのボートマンが自分の操船のせいじゃないかと心配そうにしているのをテッドさんが"No, problem. No problem."といって落ち着かせているのがすごく今では印象に残っています。結局、「ヨシポイント」はカメラなしで入ることに。
 あれだけ憧れていたメタリックに会えたのに全然、うれしくなく、ダイビングセンターに帰ってから、もうその日のダイビングはキャンセルしようかと思い始めていました。そのとき、テッドさんがヨシさんにレンズを借りてくれたのです。ヨシさんはその頃、F4を中心に使われていたようですが、なぜかCanonのレンズも持っていました。流石というか、自分にとっては神様の助けでしたが、それまで大人気なく取り乱した自分が情けなく居場所に困りました。
 そして最終日のラスト・ボートダイブでテッドさんがポイント・リクエストを受けてくれ、遂にカメラをもって「ヨシポイント」に潜ることができたのです。レンズが50mmですから、いくらがんばってもフィルム一杯のハゼの写真なんか、そう簡単に撮れるわけがないのですが、その時はそんなこと、考えもせず、初めて自分で見つけたヒレナガネジリンボウに狂喜したりして、最後のダイビングはあっという間に終ってしまいました。上の写真は、その時に撮影したものだったというわけです。
それ以降、伊豆でもどちらかというと東伊豆よりも大瀬崎や土肥にいくことが多くなり、温帯域にもダテハゼやオニハゼ以外にヒレナガハゼなどの共生ハゼがいることを知り、マブール3回目でマングローブに潜って完全なドロのとりこになっちゃいました。

 この写真をみると、まだダイビングセンターの設備は完成していなかったけれど、すごく活力にあふれていたSWVとマブールの海を思い出します。(もちろん今だって素晴らしいスタッフはいるし、海だってすごいのでしょうけれど。)ラストダイブの「ヨシポイント」は水がすごく冷たくて、一緒に潜った人みんな寒かったと思うんですけど、自分に付き合ってくれました。こんな思い出を作ってくれたテッドさんにはいまだに感謝の気持ちで一杯です。
 マブールからバリ、土肥、三保、西表・・・。マッドダイバーとしてのダイビングがつながっていきました。だから自分にとってメタリックシュリンプゴビーは出発点なんですね。本当に思い出の深い大切な「ハゼ」です。