雪がちらちら舞う博多の街
     天神から中州に向かうアーチ型の橋を通りながら
      その家の前で
             あれ?
                 はなちゃんがいないわ

       「和子と花」
            蒲鉾板の表札

      「はな」 そう呼んでいた家の主が和子さんであるのは 確かだった
      犬が一匹 そのダンボールの家の前にいつもいた
      繁華街の町に不似合いなダンボールの家と薄汚れた犬
      それでも きちんと荷物はまとめられ
      賑やかな街の隅っこに 遠慮しながらも その家はあったのだ


    老婆に見える彼女の生い立ちは 想像する事もできない
    実際はもっと若いのかもしれない その汚れた顔の皺には
     どんな秘密があるのだろう

           「汚いな〜」
               「どこか公園にでも行けばいいのにね」
     皆 ひそひそと話をしながら その家の前を通り過ぎる
     手にはクリスマスプレゼントの袋を抱えて・・・

        「ご丁寧に表札だってよ」
     クスクスと笑いながら 侮蔑の表情で見下げる若者

     蹴っ飛ばして歩く人もいる

               先進国日本と言われる中 
           浮浪生活者は増えていく一方だという

       単純に働く気力のない浮浪生活者ばかりといえるだろうか
       失業者が溢れていく現代社会の犠牲者
       社会のストレスに負けてしまった人達
              様々な理由があろう

    秋が深まったある日
    和子さんは家の周りの荷物から何かを出して はなちゃんに声かけていた
           「ほれ 半分こ」
    それは冷たくなった潰れた肉まんのようだった

     いつもはなちゃんは その家の前にいた
      首輪の代りに黄色いリボンをしていた
      繋がれている訳でもないのに 離れない 

      暖かい家に飼われたら良かったのに

     でも はなちゃんにとっては ダンボールの家の住人が飼い主だった
     犬というのは人間に忠実である
      満足な食事と寝床より もっと大きなものがあるのかもしれない

        福岡西方沖地震の視察に来られる 政治家や皇族の方の目に触れないように 
        ホームレス一掃作業も行われた
            どこに掃き出すというのだろう

    和子さんの家も しばらく移動していて心配したが
     いつか 一回り小さくなった家が建て直されていた

             誰だって見たくない汚いもの
            でも 汚いと一言で言えるのだろうか
             もっと汚いものがあるのではないだろうか

        殺伐とした現代社会の現状を思うと
         和子さんの家族のはなちゃんがいる家は 
          ある意味 温かいのかもしれない

      しかし不思議なのは 彼女の家が
      公園や人目に付かないところでなく
      多くの人達が行き交う 綺麗な繁華街にあるという事だ

      女性だから昔は 口紅だってつけていたかもしれない
      着飾って歩いている女性の姿を どういう思いで眺めているのか
      微塵の影もない姿に 心が痛い

     小さな蒲鉾板の表札が 小さな抵抗をしているように思える

      そんな事を考えながら歩いていると
      ひょっこりダンボールの窓から顔をだしている姿が目に入った

           はなちゃん! 元気だったんだ
                 はなちゃん 
                      寒いね  

                   雪が降ってきたよ
                               寒いね

心のままに

    はなちゃんのいる家

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