心のままに

    よし君おっしょい

おっしょい おっしょい
 博多の町に山笠がやってきた

 博多んもんは のぼせもん
 山笠があるけん 博多たい

 舁山笠の台に棒をつける「棒締め」に始まり
 7月15日の早朝 四時五十九分 
 1番山が、太鼓の合図とともに櫛田入りをする
 約五キロのコースを廻り止めに向けて山笠が走って行く
 この「追い山」でフィナーレである

 その間博多の町のあちこちに「飾り山」が建てられ
 行きかう人々の目を楽しませてくれる

 水ハッピ 地下足袋の粋な姿の男衆
 その姿を見ると
 「ああ 博多に夏がやってきた」
 博多っこの合言葉である

 そんな中
 「おっしょい おっしょい」
 手に団扇を持ち 掛け声をあげながら 
 よし君が走っている

 何周も何周も自宅の周りを 走っている

 体格のいい彼に水はっぴが良く似合う

 「よし君 かっこよかよ〜」
   「よか男たいね」

 時には 勢い水をかけてくれる人もいる
 そんな時 よし君は 得意気に
 そして嬉しそうに更に張り切って走るのだ

 彼は森永砒素ミルク事件の被害者である
ヒ素の混入した粉ミルクを飲用したのだ
 昭和30年 西日本を中心として多数の死亡者 
中毒患者を出した事件である

 よし君は たぶん50歳くらいなのであろう
 
 ひかり協会という 被害者を恒久的に支援する団体があって
 よし君は作業所に通っている
 たまには 宿泊もできるという

 しょっちゅう母親に携帯電話がかかってくる
  「お母ちゃ〜ん」
   「傘がなくなったけん 僕 雨に濡れて歩いとるもん」

  「お母ちゃ〜ん」
   「作業所に着いたら お母ちゃんのとこに帰りたくなった」

  「お母ちゃ〜ん」
   「バスが作業所に着かんで 知らんとこに来た〜」

  その度に 80歳近くなる母親は電話を取る
 そして迎えに行くのだ

 よし君はホットミルクが大好きという
 ホットミルクを飲みながら 煙草をふかしている姿は
 何となくアンバランスである
 煙草はどこで覚えたのだろうと 母親が笑っていた

 ミルク ・・・
それは彼女にとって 一番の心の痛みのはずだ
 そしてミルクを好きだというのは 皮肉でもある

 最近は よし君の姿を見かける事が少なくなった
 作業所には親を亡くした被害者が 住み込みで働いている
 そして最終的には よし君も そこが家となるのだ
 しかし 残念な事には全ての被害者が入所できるとは
 限らないそうだ
 泊まる期間を多くして だんだんとそこに住み込むようにして
 いく方法しかないそうだ

 5月に母親が風邪をこじらせ よし君はしばらくお泊りになった
 そして ある日曜日に ふらりと帰って来た
 母親は またか・・・と溜息をついた時
 よし君は1本の赤いカーネーションを差し出したそうだ

  「母の日やもん」
  「お母ちゃん病気やもん」
  「僕 作業所に戻る」

 彼にはきっと 解っているのだろう
 全てを理解しているのかも知れない
 その時の母親の気持ちを思うと
胸がきゅんと痛む

 お泊りは彼にとって 大好きなお母ちゃんに会えない時間
 何よりも辛いことに違いない
 しかし 彼はちゃんとお母ちゃんの気持ちを解っているのだ

 そして 6月 
7月

 博多の町に山がやってきた
  よし君が帰ってきた

   山が走った
    おっしょい おっしょい

夏がはじけた

      よし君の汗が光る
よし君  おっしょい

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