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「国民本位」政権の虚像
(中日新聞 2008年9月11日)

 今、マスコミの関心は、自民党の次の総裁が誰になるかに集中している。福田康夫首相が政権を投げ出したのが、わずか十日前だったことなど嘘のようにさえ思える。だが、それでいいのだろうか。

 福田政権はこの半年間、国民からの「不」支持率が一貫して50%を上回っていた。これほどはっきりと国民から「支持しない」と宣告され続けた内閣は、戦後政治史上、他に例がない。いや、過去に一例だけあった。福田首相の後見人を自任する森喜朗元首相の内閣である。いずれにしても、不支持率の高さと長さを競えるのは、戦後政治ではこの二人だけだ。

 先月一日、福田首相は内閣改造を受けての記者会見で、「政治や行政の在り方を国民本位のものに変えていく」などと語った。「国民本位」や「国民目線」は、この内閣がしきりにアピールしてきたキーワードである。ならば、不支持の高さと長さを「国民目線」で捉えて、もっと早くに辞任の覚悟を固めて然るべきであった。

 結果的に、自公連立政権は二代続けての「内閣放棄」をもたらした。しかも国民は、二代続けての「自分本位」の辞任会見を見せられた。これでは、国民が政治への不信を強めるのも当然だ。こうした政権を樹立してきた連立与党の責任は大きい。

 今月一日の突然の記者会見で、福田首相はまず自分の実績を長々と語った。あたかも福田内閣が役割を全うしたかのような言い方だった。だが、この内閣にはきちんと仕上がった政策はない。道路特定財源の一般財源化も、消費者庁構想も、まだ実績を誇れる段階にはない。

 そもそも辞任の会見で、自分のプライドを守ろうとしたり、野党を批判したりするのは見苦しい。まずは「突然のことで国民には申し訳ないが」などと謝罪から始めるのがスジである。その上で「洞爺湖サミットでも内閣改造でも支持率は高まらなかった。野党はもちろん、与党内でも福田ではダメだという機運が高まってきた。なので、辞める」と素直に言えばよかった。

 また、政権を放り出せば、与党に迷惑がかかる。これが自明である以上、リーダーたる者、「辞任は私の不徳の致すところで、自公両党には優秀な人材がまだ多数いる」などと、自分を支えた組織をかばう発言をしなければいけない。福田首相からは、そうした指導者然としたメッセージはまったく出なかった。

 代わりに、福田首相は記者会見の最後に「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです」と豪語した。質問した記者には「あなたとは違うんです」と侮蔑の言葉まで投げかけた。最後まで「自分本位」を印象づけたこの記者会見は、政治コミュニケーション論の観点から見れば、明らかに落第点だ。

 福田首相は、内閣が誕生したとき、やや自嘲気味に「貧乏くじかもしれんよ」と述べた。一年たってわかったことは、「貧乏くじ」に当たった嘆きは、国民のものだったということだ。

 今後、国民が「貧乏くじ」に当たらないためにはどうすればよいか。それにはまず自分で「くじ」を引くことが大切だ。

 短命に終わった安部・福田内閣は、その正統性を自民党の総裁選挙にしか負っていない。そこに、根本的な弱さがあった。衆議院の総選挙という「国民の審判」を踏まえてこそ、政権の支持基盤は安定する。このさい与野党は、首相が交代したときには必ず早期に衆議院を解散して「国民に信を問う」という暗黙のルールに合意してはどうか。

 前回の総選挙は、郵政民営化をめぐる自民党内の政治闘争に決着を付けるための選挙だった。次の総選挙は、ねじれ国会を舞台にした与野党の政治闘争に区切りを付ける政権選択選挙になる。

 政権選択選挙では、次の首相になりうる人の「人柄」が話題にされやすい。しかし、現下の経済状況は不安定な要素で満ちている。こうしたときに、各党の経済政策を冷静に比較する姿勢が国民の側にないと、文字通りの「貧乏くじ」を引くことにもなりかねない。「政権選択選挙」のあるべき姿は、「政策選択選挙」である。政治選択の時期、この基本原則は忘れないでいたい。


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