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不利益分配時代のリーダー像
求められる世論喚起力
(産経新聞 2012年8月2日)

 現代は「不利益分配時代」である。政治活動の焦点は、「利益のぶんどり合戦」から「痛みの押しつけあい」へと変わっていかざるをえない。

 財源が潤沢にあって利益をどう分けるかが課題である時代と、現在のように財政が逼迫し、不利益を分配しなければならない時代とでは、政治家に求められる能力が異なる。有り体に言えば、公共事業の誘致合戦をする場合と、既得権益を排除したり、増税を実施したりする場合では、違うタイプの政治家が要るのである。

 不利益分配時代の政治リーダーは、議会での多数ではなく、世論の支持率の高さを「民主的」正統性の根拠にするはずだ。議会や官僚機構に影響を持つ既得権益(公務員労組のそれを含む)を排除するには、世論の追い風を政治力として活用するしかないからである。

 実際、支持率が高くて損することはない。テレビのコメンテーターたちの揚げ足取りの危険も、野党の強気も抑えられる。官僚や党内若手への影響力も強まる。世論すらかきたてられない政治家は、ゆえに今の時代と適合していないと私は思う。世論の支持が高い政治家なら「決められない政治」も克服できるように思う。

 政治の手段はカネだけではない。利益政治ではなく不利益政治を動かすには、カネよりもカタリが大切である。言葉を巧みに操って世論を動員する「言葉政治」や、自らのシナリオに沿って劇的な変化を仕掛ける「劇場政治」が、支持率重視政治では「使えてなんぼ」の政治技術となる。

 歴史的に見ても、危機の時代のリーダーや改革期のリーダーは、みな言葉巧みで劇的な振る舞いができた人たちだった。実際、第35代アメリカ大統領のケネディは、就任演説で「国が自分たちに何をしてくれるかではなく、国のために自分たちに何ができるかを問え」と語りかけ、国民の改革機運を高め、奉仕の精神を呼び起こした。

 これまでの言動から見て、橋下徹・大阪市長は行政官というよりも政治家である。不利益を分配する政治の不可避を念頭に、行政機関内部の既得権益を排除しようと支持率動員型の政治を進めている。そして、ケネディの天分があるかどうかは別として、かれには自分の改革政治を後押しするに十分な「言葉政治」や「劇場政治」のテクニックが備わっている。

 たしかに、支持率の動員を図る政治については危険視する人も多い。高い理性を鼻に掛ける人ほど、感情を煽るタイプの政治家をひどく嫌う。そして、すぐにヒトラーを引き合いに出して、政治の感情的側面を「よくないもの」としたがる。

 あるいは、理性を誇る人たちは、カタリに秀でた政治家を見ると、すぐに「ポピュリスト」だと言いたがる。だが、本来、「ポピュリズム」とは、人気のない政治家がする人気取り政策のことだ。人気のある政治家に、人気取り政策など必要ないではないか。

 そもそも政治では感情の動員はむしろ本質である。実際、政治は「まつりごと」であり、国を思う気持ちに支えられている。大衆民主主義だから政治が感情的なわけではなく、政治はそもそも祭と同じで、感情喚起を本質的要素とする社会的営みである。

 大阪市長の振る舞いも、歴史的に見ればなんら珍しい現象ではない。むしろ、こうしたいかにも政治的な振る舞いができる政治家が、日本政界には少なすぎるとは言えないだろうか。


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