「小説 誰も書かないマレーシア」連載第三回  福島 勇一


第4章 集団ヒステリー、そしてBomoh<註0>


赴任する一年前に工場建設が始まり、打ち合わせと事務処理で度々現地入りしていた時に 建設会社(東急建設)の駐在員の鈴木さんがこう云う話をしてくれました。 「福島さん、この国では工場の稼働が始まると、特に女子の従業員の多い会社でお化け騒動が起こるんですよ。 」 「えっ」
「お化けが出ると云う話が広まって、そのうちにそれに取り憑かれた従業員がヒステリーを起こして大騒ぎにな るそうです。」
「へぇーそんな事があるんですか」......
実際に工場の稼働が始まり、地元の日本企業との情報交換ができるようになると、驚いた事に軒並みの日本企業 でこのヒステリー騒動が発生していたのです。そして、大まかの状況はこうです。
----<先ず、夜、血みどろのお化けを見たと云う噂が工場の中に広まり、次に、仕事中にヒステリー状態に なる女子従業員が一人、二人と出てくる。
そして、ある日突然、このヒステリーが集団で発生し工場の中は収拾のつかない状態に陥ってしまう。 正気の従業員は怖がって建物の外に飛び出してしまう為、このまま放置しておくと何日も工場が稼働出来ない 事になる。>----
全くもって前代未聞の話なのですが、もし、これが起こったら工場にとって致命的な出来事になります。そして 、なんとこれを解決できるのは、やはりBomohだと云うのです。 集団ヒステリーが発生したら直ぐにBomoh呼び、ヒステリーにかかっているものから霊を落とし、 次に工場の除霊の儀式を行います。これで一件落着、そしてBomohに法外な除霊代を支払わなくてはならな いのです。
工場の稼働が始まった年(1991年)の10月に、我々も、集団ミステリーの洗礼を受けました。 9月ぐらいから、お化けを見たと云う噂や、生産ラインで急に失神する従業員が出ている事は知っていましたが 、10月12日が当工場の公式の開所式 (オープン・セレモニー)の為に、その準備に忙殺されていました。
開所式が無事に終わり、ほっとしている時に、それは、突然にやって来ました。急に工場の方が騒がしくなり、 慌てて行って見ると7~8人の女子従業員が、泣き喚いたり、金切り声(後で聞くと、取り憑かれた霊の呪いの 言葉を叫んでいたそうです。)をあげて走り回っており、それを男子従業員が2~3人がかりで押さえ込もうと 必死です。そうこうしているうちに別の場所で、また、新たな金切り声が上がり、そして失神する者が出て、 次から次へと伝染して止まりません。
怯えた正気の従業員は全員外に逃げ出しました。がらんとした工場内に金切り声だけが響きます。何とも言え ない虚脱感が襲います。
午後になってパーソナル・マネジャーの呼んだBomohがやって来ました。結局20人ほどに増えた ヒステリーの霊落し、翌日に除霊の儀式、そして法外な料金(RM 10,000)、そして笑ってしまうので すがあまりにも法外な料金を要求するので、無理矢理書かしたBomohの保証書(――この除霊を永久に保証 します。--)、全て揃って一件落着です。
ヒステリー騒動、そして除霊の儀式を入れて二日間の休業でした。
この、あまりにも凄まじいヒステリー騒動に度肝を抜かれたのは確かですが、冷静になって見ると、この騒動が 、事前に聞かされていた話と寸分違わず進行したのには驚きます。 そう、まるで名演出家に演出された舞台劇のようです。そして、この集団ヒステリーなるものは、同じマレー系 人種の国インドネシア、国境を接するタイでも起こった等と云う事は無いのです。 そして、もっと不思議な事に、発生するのが殆ど日本企業で台湾系、韓国系企業では稀に発生する程度なのです 。 もしかしたら、これは仕組まれた騒動ではないのか、そんな疑問がわいてきます。
例えばこうです。この国の女子従業員の精神的な背景を見てみますと、

  1.  自然、又は霊的なものに対しての信仰心が非常に強く、しかも強い恐怖心を持っている。
  2.  戸籍が登録されていないマレー社会の農村で、しかも、個人の名前が一世代前で途切れてしまう (イスラム社会に共通)為、近親相姦の間柄が多い。この結果、割に精神的、情緒的に不安定な者が多い。
  3.  自然に生きている生活様式から、制約的、規律的、そして集団的な会社生活でストレスが蓄積する。

従って私の推理はこうです。
女子従業員を多く使っている企業では、大概、こう云う不安定な状況が醸成 されています。この中に2~3人の「さくら」を送り込んで噂を流し時々ヒステリーの真似事でもすれば、この 不安定な状況を極限まで増幅する事ができるはずです。そしてある日、この「さくら」が一斉にヒステリー症状 を真似し、金切り声で呪いの言葉を発し、精神的に不安定な従業員のヒステリー症状を誘発するのではないだろ うか。
私はこの疑問を何人かの現地に駐在する日本人にぶつけてみました。答えはこうです。
「皆な、そう思ってますよ。」
「貴方の云う様に完璧に仕組まれているかどうか判りませんが、ヒステリーの中の何人かは明らかに正気 ですね。」
「あれはBomohのやらせですよ。」
「狙われる順番、周期までだいたい決まりますね。」.....
結論的に云うと、こうです。この国の人々の構造的な精神面の弱さ、土着の自然信仰、そして、多分何等かの 作為(もしくは悪意)が相乗的に作用した独特の行事。これが集団ヒステリーなのです。
後日談----- 一年程たって、また噂が始まりました。
「食堂を増設した時に、お払いをしないので、霊が怒っている。」
そして、一人、二人とヒステリーです。あまりの馬鹿馬鹿しさにこちらも方針を変えました。ローカル管理職を 全員集めてこう宣言しました。
「今まではヒステリーを霊的なものとして扱ってきたが、これからは病気として扱う。仕事中に二回ヒステリー を起こした者は作業環境の不適格性として解雇する。」
そして、実際、三~四人のヒステリー患者を解雇しましたが、この宣言が効を奏したのか今なお集団ヒステリー は起きず平穏無事に過ごしています。
つい最近(1993年、10月)、TDK、アルプス、そして台湾系のLikom、で大規模な集団ヒステリーが発生 し、二週間も操業を停止したと云うニュースがあります。
やはり、新規の会社、又はMD(マネージング・ダイレクター;代表者)等スタッフの交代のあったところが狙わ れているようです。くれぐれも御用心。

註0--<Bomoh:呪術師、ボモーと発音>--
註1--<RM:マレーシアドル・ドル 1ドル:40~50円/1993年当時>


この文章の、無断引用、無断掲載をお断りします。 「以下次号」-----
バックナンバー
<第一回 序章、第二章 マラッカ州の水飢饉、そして呪術師>
<第二回 第三章 怨み、嫉妬、そしてBomohの呪い>

バックナンバーを読みたい方は、読みたいバックナンバー、名前、E-メールアドレスをゲストブックにお書き下さい。  メールでお送りします。