藤原正彦『日本国民に告ぐ』批判
及び
『日本人の誇り』 読後感
ー黒を白と言いくるめ、国民をダマスな

文藝春秋2010年7月号』94頁〜119頁に藤原正彦お茶の水女子大学名誉教授の
一学究の救国論 日本国民に告ぐ』が掲載された。以下藤原教授の断定について批判したい。

1.
日中戦争と日米戦争は侵略戦争ではなかった(108頁)

@日中戦争

満州事変から始まる日中戦争はまぎれもなく侵略戦争である。
他国の領土に数万人、数十万人の軍隊を送り込んで、戦争を仕掛けることが
侵略戦争である。

特筆されるべきことは、最初の満州事変も、日中戦争泥沼化のはじまりとなった
上海事変後の南京進撃も、共に、現地軍司令官・高級参謀と大本営の高級参謀が、
昭和天皇、日本政府、陸軍大臣、陸軍参謀総長の意向・方針を完全に無視して、
独断で行った軍事行動であったことである。

満州事変を報じた昭和6年9月20日の朝日新聞第1面


旧大日本帝国陸軍の現地軍司令官たち、高級参謀たち、大本営の高級参謀たちは
口先では「お国のため、天皇陛下のため」と唱え続けながら、
昭和天皇の意思や、日本政府の「支那事変不拡大方針」や、陸軍上層部の
「上海で停戦、制令線を越えて南京へ進撃してはならない」という意思、方針、命令を
徹底的に無視して南京へ進撃して大事件(=南京事件)を引き起こした。

この現地軍の方針命令徹底無視の南京進撃日中戦争泥沼化と日米戦争開戦に
繋がった。【人道に反する】中国人の【大虐殺】と合わせて、現地軍司令官・部隊指揮官
たちと高級参謀たち、大本営の高級参謀たちの罪は、文字通り、万死に値すると思う。
彼らを弁護する余地はまったくない残忍極まる歴史事実である。

この時点における日中戦争の拡大は、昭和天皇の意思に反し、A級戦犯の共同謀議も
存在しなかった。従って、日中戦争に関しては、当時の現地軍の司令官・部隊指揮官たち・
高級参謀たちと、大本営の高級参謀たちが、当時の陸軍刑法によって、軍紀違反の罪を
問われるべきであったと思う。しかし、日本中の新聞が「皇軍の赫々たる戦果」を報道して
いた時代においてはあり得ないことではあるが。


上記研究資料出所及び参考資料:06年8月13日NHK総合テレビ放送:NHKスペシャル
『日中戦争〜なぜ戦争は拡大したか〜』
(平成18年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品)

陸軍刑法 抜粋 第2章 擅権(専権)の罪 注:擅権=せんけん=専権


陸軍中央部の方針を無視して行われた彼らの軍事行動は、当然、陸軍刑法の
【せんけんの罪】に該当する行為であり、全員、死刑に処せられるべきであった。
しかし、実際には、かれらは死刑どころか、正反対に異例の昇進を遂げた。しかも、
彼らが陸軍中央部を乗っ取ってしまった。この結果、昭和天皇と日本政府の実質的な
【統治権・統帥権】は陸軍に簒奪され、【法治国家・日本】は崩壊し、軍部専制の
【軍国主義国家・日本】になってしまった。



読売新聞(朝刊)2005年11月9日第16面&第17面『検証・戦争責任A』より転載

読売新聞(夕刊)2007年3月9日第22面より転載  参考サイト:小倉庫次侍従日記



文藝春秋2008年2月特別号第141頁で、半藤一利氏は、
昭和天皇は日独伊三国同盟に反対の意向をつねづね表明していた」、
「昭和天皇は近衛首相に対して「三国同盟は、もう少し、独ソ関係を見きわめた上で
締結したらどうであるか」といい、また「この同盟は非常に重大な同盟で、
同盟を結べば、アメリカは、日本に対して、すぐにも石油やクズ鉄の輸出を停止してくる
かもしれない。そうなったら日本はどうなるか。大変な苦境と暗黒のうちにおかれる
かもしれない」と質問した」と述べている。

同誌第140頁には、「昭和天皇を補佐し、12人の首相を製造した最後の元老として
知られている
西園寺公望は、日独伊三国軍事同盟の締結を知ったとき、
これで日本は滅びるだろう。これで、お前たちは畳の上では死ねないことになった。
その覚悟を今からしておけ」としみじみ嘆いた」とある。


第144頁では、「当時の陸軍中央部においては、昭和天皇の平和への希求など、
どこ吹く風である。
合理的判断を放棄した盛んなる敵愾心のみが陸軍中央部には
充満していたのである。何と、不忠の臣ばかりであったことか」と述べている。

陸軍は満州事変により制圧した地域に満州国を建国した。明白な中国主権の
侵害である。南京進撃・占領後、日本政府は「以後、蒋介石政府を相手にせず」
として、傀儡として南京に汪兆銘政府を作った。明白な中国主権の侵害である。
日中戦争はまぎれもなく【軍国主義国家・日本】が行った侵略戦争である。

A日米戦争
日米戦争は侵略戦争ではないかもしれないが、日本自身が始めた自業自得の
「日本破滅戦争」である。戦争の火ぶたをきったのは、まぎれもなく日本であり、
米英両国が日本を攻撃したから始まった戦争ではない。

陸軍は昭和天皇と日本政府の実質的な【統治権・統帥権】を簒奪した。しかし、
その陸軍は【下克上】がはびこる最高指揮官不在の無責任組織であった。従って、
陸軍が支配した【軍国主義国家・日本】においては、日中戦争の拡大・泥沼化を
だれも止められなくなってしまった。また、愛国者と称する若手将校たちのテロ
横行で、陸海軍の最高指導者や政治家は、身の危険を感じて、だれ一人
体をはって日中戦争の拡大・泥沼化を阻止しようとしなかった。

さらに陸軍は若手将校たちに突き上げられて、昭和天皇の反対を押し切って
ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリアと三国軍事同盟を締結した。当時、
ヒトラーは破竹の勢いでヨーロッパを席捲していた。英国は崩壊寸前であった。



英国の崩壊を防ぐため、米国のルーズベルト大統領は対ドイツ戦への参戦を
決意していたが、米国国民の戦争反対意思が強く参戦できずにいた。
ルーズベルト大統領が、あの手この手で、何とか日本が対米開戦するように画策して
いたのは事実である。日独伊三国軍事同盟が締結されたから、日本が
対米開戦をすれば、ルーズベルト大統領は、堂々と日本の同盟国のドイツとの戦いに
参戦できるわけである。

従って、日本は、日独伊三国軍事同盟の締結をすべきではなかった。さらに
ドイツとソ連との戦争の推移を見守り、対米開戦をしなければよかったのである。
仏印と中国本土から撤退して、満州は守って、時間稼ぎをすべきであつた。

外務省の内部資料によると、1941年6月22日のドイツのソ連領侵攻で始まった
独ソ戦争について、日本の外務省と陸海軍のこの時点での予測は、
ドイツ勝利・ソ連敗北と、スターリン政権の崩壊
ということであった。
→拡大資料

しかしながら、スターリンはこの時までに、あらゆる分野で、数十万人の反対派を
ことごとく殺害して徹底的に根絶やししており、
スターリン政権の基盤は盤石であった。
崩壊する可能性はまったくなかった。

10月時点でも、大島浩駐独大使と建川美次駐ソ大使の状況報告はドイツの勝利を
確信している。日米開戦と符合するソ連軍の12月大攻勢を全く予測していなかった。

1939年のノモンハン事件で日本軍はソ連軍に大敗北した。しかし陸軍はこの大敗北の
事実を徹底的に隠ぺい
した。海軍や外務省に、ソ連軍の実力、特に機械化軍団の実力を
まったく知らせなかった。その結果が、緒戦のドイツ軍の大勝利がそのまま続くという
外務省や両大使の楽観的な希望観測となり、日本政府の判断を誤らせたのである。




旧日本帝国陸海軍の最高指導者たちが対米開戦を決意した最も重要な前提条件は、
「ヒトラーのドイツはスターリンのソ連を打ち負かし、スターリン政権を崩壊させる」
ということであった。この最も重要な前提条件が間違っていたことが明瞭になった
以上、対米英開戦準備が100%完了していても、日本は対米英開戦を躊躇なく止めるべき
であった。

東条英機、伏見宮博恭王、永野修身、嶋田繁太郎、山本五十六など旧大日本帝国陸海軍の
最高指導者たちの、あまりにもの愚かさに、改めて呆れざるを得ない。

旧大日本帝国海軍が世界で初めて開発した航空魚雷による航空攻撃の威力を
試したかった山本五十六連合艦隊司令長官は、「12月初旬を逃すと、海が荒れて
真珠湾攻撃ができなくなる」と強く主張し、12月8日を選んで、
わざわざ真珠湾まで出かけていって、米太平洋艦隊の主力戦艦を全部撃破するという
偉業
を成し遂げた。

英国のチャーチル首相は「これで英国は救われた」と山本五十六の偉業に感動した。

真珠湾攻撃の3日後、ドイツは対米宣戦布告をした。これはヒトラーの大きな誤りと
いわれている。米国議会は対日参戦は承認したが対独参戦は未承認であった。
ルーズベルト大統領の手間が省けたわけである。

もし日本が真珠湾攻撃を行わず、オランダ領スマトラの石油確保のための戦争を
起こしていたならばどうなっただろうか。米国の対独参戦はできず、英国の苦境は
かなり長期にわたったと思われる。米国では開戦権限は議会にあるからである。

ルーズベルト大統領も、予想をはるかに超える戦果をあげ、米国国民と米国議会の
反戦感情を完全に粉砕した山本連合艦隊の航空攻撃の偉業に感銘を受けた。

彼は直ちに、航空母艦と軍用航空機の開発に米国の総力をあげて取り組む方針を
表明、
以後、強力に、この方針を実行した結果、航空機産業は、第2次世界大戦時に
天文学的利益をあげ、米国経済の中心的存在としての地位を不動のものにした。



B『ノモンハン戦争から学ぶべきこと』抜粋

全ての戦車・装甲車のガソリン・エンジンをディーゼル・エンジンに取り替え、ハルハ河に
12本の架橋を行った後、1939年8月20日、ジューコフが指揮したソ連軍は、
515機の航空機による爆撃、ハルハ河西岸の台地にあり東岸の日本軍陣地を見下ろす
コマツ台地からの重砲による約3時間にわたる砲撃の後、
戦車498両、装甲車385両、火砲・迫撃砲634門、機関銃2,255丁を中心に、
兵員5万7,000名
をもって、ハルハ河東岸のモンゴル領内の日本軍殲滅作戦を開始した。

この作戦のために、ジューコフが準備させた弾薬等の物資は、砲兵弾薬1万8000トン
(野砲弾薬換算約280万発)、空軍弾薬6500トン、各種燃料1万5000トン、各種糧食
4000トン、燃料7500トン、その他の資材1000トンで、合計5万2000トンであった。

銃剣による白兵突撃と火炎瓶による肉弾攻撃という戦国時代の原始的な戦術発想で、
装備とか補給など考えたこともないとすら思われる辻政信ら関東軍高級参謀たちや、
関東軍司令官、第六軍司令官、第23師団長などの関東軍の最高指導者たちには、
まったく想像できない圧倒的な量の戦闘物資をジューコフは日本軍殲滅作戦に投入した。

日本軍は兵員こそ2万数千人であったが、それまでの戦闘で戦車の大半を失い、
残った戦車も皆引き揚げており、この時は戦場には日本軍戦車は皆無であった。
火砲はわずか100門であった。

火炎瓶を手に、肉弾攻撃で必死に反撃したが、ディーゼル・エンジンの戦車・装甲車には
まったく効果なく、圧倒的に優勢なソ連軍の火力攻撃により日本軍は壊滅し、敗走した。
大敗北であった。
日本軍はモンゴルが主張する国境線の外へ完全に追い払われた。

シベリア鉄道から数百キロ離れたノモンハンに5万2000トンもの戦闘物資を
送り込むということは、元来、情報音痴の辻政信や、頭がついていたのかと
疑われる植田謙吉関東軍司令官らには想像もできないことであった。
このソ連の驚くべき輸送能力は、1945年8月の日ソ戦争(ソ連の対日参戦)時に
おいてもいかんなく発揮された。

これに対して、日本軍は、カイゼンも、新規補充もなかった。
戦闘にあたって、敵軍に倍加する戦闘物資を補給するという発想は皆無であった。
旧大日本帝国陸軍は、戦国時代のように、占領地の住民の食糧を強奪して自給自足
するということを本気で考えていたのである。
戦闘に当たっては、戦闘物資や食糧を補給するという常識が欠如していた。

太平洋戦争においても、旧大日本帝国陸海軍の最高指導者たちと、
高級参謀たちは、米国が、ソ連の数十倍の、航空機、航空母艦、戦車等の
カイゼン製造能力を持っていることを全く考えなかった。山本五十六でさえ、
緒戦で米太平洋艦隊の主力を撃破すればなんとかなると思っていたのである。

ガダルカナル、北ボルネオ、インパールの惨劇
に具体的に見られるように
食糧を補給するという最低限の常識すら欠如していた。

ましてや、まともな情報を何一つ持っていなかった、5.15事件
2.26事件を起こし、中国侵略を遮二無二進めた陸海軍の若手将校たちは、
彼我の、武器のカイゼン製造能力格差という発想は誰一人持っていなかった。
戦闘物資と食糧の補給能力という発想は誰一人持っていなかった。

日露戦争時の二百三高地白兵攻撃の悲劇を繰り返さぬためには、
どうすればよいのかを、まったく教えなかった陸軍士官学校、陸軍大学、海軍兵学校、
海軍大学での幹部教育に大きな欠陥があったのである。

極論すれば、神州不滅、皇軍不敗、大和魂といった神かがり洗脳教育では
近代戦で勝つことはできないことをまったく教えなかった幹部教育が日本を滅ぼした
とすら言える。



日露戦争の戦死者数25,331人中、15,400人が旅順要塞攻撃で戦死、
負傷者は44,000人にのぼったといわれる。もっとも犠牲者が多かったのが
二百三高地攻略戦であった。




You Tube:ガダルカナル島戦の悲劇@

You Tube:ガタルカナル島戦の悲劇B

2.
魂を空洞化した言論統制
(104頁)

藤原教授は「実はアメリカが日本に与えた致命傷は、新憲法でも皇室典範でも
教育基本法でもなかった。WGIP(War Guilt Information Program)
基づく厳しい言論統制である」と断定している。藤原教授はWGIPとは
「戦争についての罪の意識を日本人に植え付ける宣伝計画」としている。

その上で「GHQ(連合国軍総司令部)が種をまき、日教組が大きく育てたこの
WGIP「国家自己崩壊システム
」は今もなお機能している」と断じている。

これは誤りである。


日本国民が持っている【戦争絶対反対意思】は、
GHQの言論統制や、日教組の教育によるものではない。

戦いや、捕虜収容所での奴隷労働や、無差別焼夷弾爆撃や、原爆投下や、
サイパン戦・沖縄戦等で、最愛の夫、妻、親、子、兄弟を亡くした、
癒される事のない深い悲しみを持っている遺族の方々の
【戦争絶対反対意思】が広く国民に根付いているのである。

戦友たちの悲惨な死が目に焼き付いている兵卒体験者の深い悲しみ
【戦争絶対反対意思】として広く国民に根付いているのである。

兵卒体験者は戦場ソ連の捕虜収容所での地獄体験を忘れることはできない。

引揚者は敗戦国民の無惨な死から辛うじて生き残った幸運を忘れたことはない。

無差別焼夷弾爆撃で家を焼かれ、逃げまどい、どん底生活に突き落とされた人々の
地獄体験による【戦争絶対反対意思】が日本国民に定着しているのである。

これらの悲惨な自分自身の体験による【戦争絶対反対意思】が定着しているのである。

「戦争についての罪の意識」ではない。

いかなる理由があるにせよ、「二度と戦争に巻き込まれたくない」
「戦争を引き起こしたものを許すことはできない」、
「戦争を引き起こすものは人類の敵である」という日本国民の強い意思である。

日本国民の多くは日米同盟の重要性を認識している。しかしながら、
イラク・アフガンに対する侵略戦争を始めたブッシュ前大統領や、
「正しい戦争論」を唱えるオバマ大統領に賛同する人は少ないのではないか?

昭和戦争を引き起こしたが、戦争の惨禍についてまったく責任を追究されなかった
陸海軍の高級参謀たちも、アメリカの猛烈なWGIPにもかかわらず、
「戦争についての罪の意識」
はまったくない。
かれらは昭和戦争の惨禍を目にしていながら、自分たちが悪かったとは思っていない。

たとえば真珠湾攻撃の航空艦隊参謀として著名な源田実氏は、戦後、
初代自衛隊航空総司令、第3代航空幕僚長を務め、参議院議員にもなった。

この源田実氏の強力な推薦で、自民党政府の佐藤栄作首相は、64年12月、
【B29による無差別焼夷弾爆撃】で日本の主要都市を廃墟にし、
数十万人の民間人を焼き殺したカーチス・ルメイ米空軍大将に日本最高の
勲一等旭日大綬章を贈っている。

もし源田実氏が「戦争についての罪の意識」を持っていたならば、到底、
ルメイ氏に、日本最高の勲章を贈るという行為はできなかったのではないか。

昭和天皇は、ルメイ氏に対する勲章の親授を、断乎、拒否された。当然である。

戦前の日本は、官民あげて、軍事最優先の国家であった。この国家体制と、
陸軍による徹底した神がかりの天皇制崇拝思想(国体思想)洗脳教育が
日本を破滅させた。軍部批判は不敬罪にすり替えられて徹底的に弾圧された。

陸軍は、昭和天皇から実質的な統治権・統帥権を簒奪した上に、さらに、
昭和天皇を【詐欺のための道具】として利用したのである。
これに勝る不忠行為はない。

陸軍は、1945年の敗戦まで、神がかりの天皇制崇拝思想(国体思想)という
【詐欺手段】で国民を、洗脳し、騙し、徴兵して日中戦争・太平洋戦争へ駆り立てた。

陸軍は、昭和天皇の【意思=統帥権】を完全に無視しておきながら、
帝国陸軍は【天皇の軍隊(皇軍)である】と唱え続けた。

3.
誰もがモラルを失いつつある国
(95頁)

「誰もが」という断定に強い疑問を感じる。戦前の儒教や【教育勅語】の教えが消滅し、
戦前の家族主義が崩壊したことは事実である。「お上、偉い人長官、社長など)や、
家長、年長者、上司の言うことは絶対的に正しいから絶対服従する」という封建制度の
規範が守られなくなったことは事実である。

これは「モラルを失った」ということではない。民主主義社会においては、
軍隊や警察は別にして、一般社会においては、ルールが変わり、絶対服従という、
封建制度時代の武士軍団に必須の【武士道の掟】は通用しないということである。

戦後、日本では仏教の葬儀宗教化が進行した。【武士道の掟】に代わる宗教や
【自律・自制】を厳しく求める新興宗教も見あたらない。

日教組が実質的に支配した戦後の小学校、中学校、高等学校における
女性教員の比率は、07年(平成19年)度は、小学校61.7%、
中学校40.3、高等学校27.1%である。家庭内における【しつけ】の
主役は母親たる女性である。従って、戦前と戦後の日本国民の
モラル形成は女性が主導してきた。

戦前の女性は、夫の母親、即ち、【姑(しゅうとめ)】に絶対服従を
社会的に強制されてきた。戦後、民主主義社会になり、家族主義が崩壊し、
女性の多くが大学に進学し、卒業後、就職することが当たり前になった。

都市部においては、夫の母親、即ち、【姑(しゅうとめ)】とは同居しないことが
一般的である。万一、仮に、同居しても、絶対服従しなければならないのは
【姑(しゅうとめ)】のほうである。

この歴史的に、まさに革命的に大変化し、極論すれば、女性が支配する
ようになった日本の社会において、どのようなモラルが確立されなければ
ならないのかについての、国民的なコンセンサスができていない。

親孝行のモラルは崩壊している。どうすべきなのか筆者には分からない。

10年8月14日夜、TBSテレビから終戦ドラマスペシャル『帰国』が放送された。
「見たくない・知りたくない」悲惨な、しかし迫力ある親孝行崩壊のドラマであった。

モラルの荒廃については、マスメディアにも大きな責任がある。
欲望自制を求めるメディアは存在せず、代わりに、セックス礼賛劇画・
エロ本・エロ漫画本、エロ雑誌の氾濫で、日本ではイスラム的な
セックス・モラルは全面的に崩壊している。

若すぎる親が子を虐待・殺害する、子が親を殺す、孫が祖父母を殺す、
兄が妹を殺すなどの、怖ろしい、血も凍るような尊属殺害事件が頻発している。
このような尊属殺害事件は戦前はほとんどなかった。

背筋が寒くなる無差別殺人も頻発している。10年6月22日、マツダ本社工場で
刃物を懐に入れた男が、無差別殺人目的で、車を暴走させ、同社社員を殺傷する
事件が起きた。2000年以降、このような無差別殺人は74件も発生している。

駅員や車掌に暴力を振るう乗客があとを絶たない。全国の大手私鉄では9年間
客による暴力被害は3倍にもなっている。鉄道各社は、警備員を配置したり、
防犯カメラを増やしたりするなど対策に頭を悩ませている。

教師や保育士に対する感謝・尊敬の念がまったくなく、些細なことで、学校・教師や
保育園・保育士に、ヤクザまがいのイチャモンをつける身勝手な親がどこにでもいる。

藤原教授がいう「誰もがモラルを失いつつある」ということは認めたくないが、、
「モラルを失った人が、想像できないほど増えた」という事実は認めざるを得ない。
「社会の荒廃が進行している」という事実は認めざるを得ない。

最近、大きく社会問題化した三つの事件、即ち【我が子虐待】【無差別殺人傷害】
【死亡高齢者の年金詐取】は、【モラル喪失】を通り越して、【人間の鬼畜化】現象と
いえると思う。嗚呼!

しかし、それでも、海外旅行を体験した人たちは、皆、帰国後、どの国と比べても、
一般的日本人のモラルは高いと感じていると思う。来日した外国人も、皆、
一般的日本人のモラルの高さと、治安状態の良さを褒め称えている。

4.
集団的自衛権(95頁)

「日米の駆逐艦が並んで走っていて、第三者に日本艦が攻撃されればアメリカ艦は
助ける義務があるのに、アメリカ艦が攻撃されても日本艦は助けない」との
たとえ話を引用して日米同盟の片務的状況としている。

このたとえ話は、「自衛隊を海外で米軍と共に戦わせる」ため、
集団的自衛権論者が、日本国民をたぶらかすために創作した話として知られている。

第三者とはどこの国か? 日本が専守防衛を貫くかぎり、想定されるのは、
中国、北朝鮮、ロシアの3国しかない。どの国も日米の併走駆逐艦を攻撃するほど
愚かではない。仮に、万一、そのような事態が起これば、日本艦はただちに応戦する
ことも明白である。もっともらしいウソ話で、自衛権に集団的と付け加えることによって
日本国民をたぶらかすことはやめてほしい。

米国を攻撃する核ミサイルを日本は撃ち落とせないとのたとえ話も、呆れてモノが
いえない。米国に対して核攻撃を仕掛けることは、イコール、
地球における人類の生存環境を徹底的に破壊すること
なのだから、
中国とロシアの最高指導者たちが、そのような愚かな決心はしないと思う。

北朝鮮が自暴自棄になって、韓国と日本を道連れに、【核による無理心中】
仕掛けてくる可能性は否定できないと思うが。

自衛権に集団的と付け加えることによって、日本国民をたぶらかし、
「米軍と共に海外で戦う」
ことを強力に推進している自民党の米軍出先派に対する
警戒を怠ってはならないと思う。米国の侵略戦争に巻き込まれ、日本人の犠牲者を
出すことは【まっぴら御免】である。

欧米の武器製造会社がブッシュ政権を動かして始めたイラクとアフガニスタンに対する
米国・NATOの侵略戦争泥沼化しており、アフガンのカイザル政権と地方軍閥が
つるんで、莫大な不法所得で潤っている以外にはなんらの建設的成果をあげていない。



日本政府も、米国に脅かされて、アフガン警察官の全人件費を負担しているが
日本国民の税金の浪費以外の何者でもない。

筆者は、アフガン国民のみならず、米欧日の国民が莫大な被害を蒙っており、
この被害が今後も続くという観点で考えると、アフガン戦争は、ブッシュ米前大統領が
引き起こした世界的大詐欺事件、すなわち、サブプライム金融工学詐欺事件を上回る
アフガン戦争詐欺事件ではないかと思っている。

日本は国の安全保障を米国に頼るべきではない。専守防衛の原則を守り、
中国、北朝鮮、ロシアに負けない情報機器、陸海空の防衛武器、特に各種ミサイルの
開発を積極的に行い、侵略に備える報復攻撃力を徹底的に強化し、自主防衛すべきと思う。

ストックホルム国際平和研究所・SIPRI年鑑2010(10年6月2日発表)

国名 09年軍事費支出
米国 6,610億ドル
中国 1,000億ドル
フランス 639億ドル
英国 583億ドル
ロシア 533億ドル
日本 510億ドル
ドイツ 456億ドル
サウジアラビア 413億ドル
インド 363億ドル
イタリア 358億ドル
ブラジル 261億ドル
韓国 241億ドル
カナダ 192億ドル
オーストラリア 190億ドル

5.
何もかもがうまくいかなくなっている(94頁)

本当にそうだろうか? 「危機に立たされている」、「社会の荒廃がすすんでいる」、
「不況がなおらず雇用が大幅に増えない」、「財政赤字が危機的状態にある」ことは事実である。




しかし、戦前の【軍国主義国家・日本】時代には、まったく考えられていなかった
【平和通商国家として生きる】ための基盤が根本から崩れたわけではない。

問題は山積しているが、戦前には、まったくなかった国民全体をカバーする
日本の社会保障制度(年金、医療、介護、生活保護)は、全体としては、北欧と並んで
世界トッブレベルである。ただし、職業軍人、官僚、大学教授など公務員をカパーする
恩給制度は戦前から完備していた。

国会議員・地方議会議員や地方自治体の首長等の選挙も公正に行われている。

国や地方の公務員の汚職・不正も皆無ではないが、非常に少ない方である。
世界全体でみると、アフガンのように、警官・公務員・裁判官の収賄・汚職・不正が
まかり通っている国の方が、数からいえば多いのである。

現在、若者は、ほぼ全員、高校までの教育を受けている。大学以上の高等教育の
普及度も先進国として恥ずかしくないものである。戦後の新制中学・第3期生である
筆者の場合、同期生の中、高校進学したものは約60%、夜間部を含め大学進学
したものは約7%であった。
当時は、中学を卒業すると夜行の集団就職列車に乗って上京するものが多かった。

問題は山積しており、どれもが短期間では解決できないものばかりである。
特に、一般会計税収の長期低落は大問題である。失われた20年といわれる所以である。
しかし、「何もかもがうまくいかなくなっている」と断定するのは誤りである。

公的債務の対GDP比は、正に驚くべき比率である。しかし、幸か不幸か、
対外債務GDP比率というモノサシで見るとは、日本は51.5%で、英国(イギリス)、
オランダ、ポルトガル、ドイツ、スペイン、ギリシャなどの国々よりはるかに低い。
日本の国債の95%は日本の金融機関や日本国民が保持しており、
海外ヘッジファンドの投機に曝される危険度は世界最低である。
日本国民は国債という形で税金を払っているともいえる。




6.
日本人は「敗戦国」をいまだに引きずり小さくなっている
                                                    (118頁)
東京裁判の断固たる否定」が、日本人が「誇り」を回復する必然的第一歩と
論じているが、現在、東京裁判(極東国際軍事裁判)のことを憶えている人は少ないと思う。

もし、日本に「誇り」を持てないという人がいたならば、アメリカ軍B29の徹底した
無差別焼夷弾爆撃で焦土とされた日本の主要都市の写真を見せて、この焦土の中から
立ち上がり、見事現在の日本をつくりあげた日本人のバイタリティーを教えることである。

昭和戦争敗戦後60年間、日本は、国際平和主義を堅持し、
ただの一度も武力行使することなく、武器を他国へ輸出することもなく、
平和通商国家として、奇跡的な経済復興、経済繁栄を成し遂げ、
2011年度は国連の通常予算の12.53%を負担している。
このことは、まぎれもない、日本の人類への世界史的貢献実績である。
日本は国際平和主義堅持と経済発展の世界の鑑
(かがみ)である。

筆者は、戦後日本のこの経済復興実績世界平和貢献実績に大きな誇りを持っている。
「敗戦国だから」という意識を持ったことは一度もない。

2009−11年国連通常予算分担率・分担金     外務省 平成23年(2011年)1月


筆者は商社・コンサルタント会社に勤務後、経営コンサルタントとして働いてきたが、
ビジネスの世界で「敗戦国意識」を持った人に会ったことはない。

積極的に海外市場を開拓し、日本に現在の経済的繁栄をもたらした輸出企業の
第一線ビジネスマンには、「敗戦国」をいまだに引きずり小さくなっている人は
いない。結果を出さなければ生活できない第一線ビジネスマンは、「敗戦国意識」という
感傷に浸っているゆとりはない。


東京・両国国技館一帯

大阪城と旧大阪造兵廠一帯

7.
日本が追求した穏やかで平等な社会(114頁)

明治維新から現代にいたる日本の近現代を論ずる時には、
@明治維新〜満州事変前の期間の立憲君主制・法治国家時代
A満州事変〜昭和戦争敗北の期間の非法治・軍部専制国家時代
B昭和戦争敗北以後の期間の民主主義・通商平和国家時代
と三つに分けて論じなければならないと思う。

渡部昇一上智大学名誉教授は、著書『昭和史 松本清張と私 大正末期〜二・二六事件
 (ビジネス社)第454頁〜第455頁で、
「大正2年(1913年)廃止された軍部大臣現役武官制が昭和11年(1936年)、
廣田内閣によって復活し、これによって
日本の政治は軍部に乗っ取られることになったのです」と述べている。

続いて、渡部昇一上智大学名誉教授は、第459頁〜第460頁で
日本の立憲政治はここに死んだ』との見出しで「廣田内閣が残したものは、
@【軍部大臣現役武官制】の復活(昭和11年=1936年)
A【日独防共協定】調印(昭和11年=1936年)
B軍拡方針を決めた国策の基準設定 など
いずれも日本の命取りになるようなことばかりでした」

「この廣田内閣のときに日本の議会制民主主義の可能性はすべてつぶされたのです」
廣田内閣が日本の立憲政治を葬り、日本を軍国主義の方向に押しやったという
事実
はあまりにも重いといわざるをえません」と述べている。

【軍国主義国家・日本】時代、陸軍は、【言論の自由】が存在する社会では罪にはならない
軍部批判・政府批判を、天皇に対する不敬罪であり、国体(天皇制)変革を目論む
非国民の犯罪行為
であるとの詭弁(きべん)を弄(ろう)して、多数の批判者を逮捕し、拷問し、
投獄して厳しく迫害した。さらには、批判者たちを、平家物語の俊寛僧都のように南方へ
「島流し」にした。

治安維持のためと称する法律を順次強化し、新聞、雑誌、書籍の検閲を行い、
軍部や政府を批判する記事の掲載を一切認めなかった。発行禁止も珍しいことではなかった。
徹底した言論弾圧を行った。戦後のGHQによる言論統制とは比較にならない言論弾圧
行った。この言論弾圧で日本から【言論の自由】が消え去った。【法治国家】の根幹である
【言論の自由】が消え去り、トップクラスの大新聞までもが、連日、中国における
【皇軍の赫々たる戦果(戦禍)】を報道する陸軍の御用機関・宣伝紙に成り果てた。

筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

敗戦前の日本においては、皇族、華族、高級職業軍人、高級官僚、財閥企業の経営者、
大学教授などの特権階級は、現在の感覚では考えられないほどの高額な所得を得ていた。
資本家・地主を含む資産家も現在の感覚では考えられないほどの莫大の所得があった。
現在の日本人の感覚では考えられないほどの【所得格差】があった。

戦前の【所得格差】を現在でも明確に示しているのが軍人恩給の階級別格差である。
2006年度の一般兵士の軍人恩給年額145万円、伍長の年額159万円、軍曹の
年額165万円に対して、大将の軍人恩給は年額833万円、中将は年額743万円、
少将は年額629万円、大佐は年額550万円、中佐は年額517万円、少佐は
年額412万円、大尉は年額343万円である。

ちなみに、07年3月29日の参議院総務委員会において、質問に答えて
総務省の戸谷好秀・人事・恩給局長
は「軍人としての在籍期間が10年以上の
旧軍人及び遺族等の恩給は1953年に復活した。現在まで55年間にわたって
給付が継続されている。軍人恩給費の累計総額は約47兆円である」と答弁している。

自民党政府は 「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」と言い続けてきた。
しかし、これは、「ただし、加害者である高級職業軍人と高級官僚は例外とする」という
注釈が必要な、国民を騙し続けている主張・説明である。

1945年8月の敗戦まで、日本では陸軍士官学校、海軍兵学校など軍の幹部養成の
諸教育機関に自ら進んで志願入校してして職業軍人の道を選んだ者以外は、すべて
成年に達すると徴兵検査を受け、否応なしに徴兵された。満州における【根こそぎ動員】の
ように、日本軍の必要に応じて随時、否応なしに徴兵された。

【徴兵拒否】を認める法律は存在しなかった。

第一、【忠君愛国】精神を骨の髄まで叩き込まれていた当時の日本国民の
頭の中には【徴兵拒否】との発想は一切存在しなかった。

しかし、国民を徴兵した日本政府、特に旧日本帝国軍部は
【徴兵した国民の生命を尊重する】という意識は毛頭なかった。

【徴兵した国民は消耗品である】と考えていた。
この点が、日本の軍隊と米国の軍隊との決定的相違点であつた。

米国政府や米国軍部は常に【徴兵した国民の生命の大切さ】を意識していた。

そのような状況の中でシベリア奴隷労働被害者を徴兵しておきながら、
現在にいたるも、日本政府は、かれらが受けた
【奴隷として虐待・酷使された肉体的・精神的苦痛】に対して、
検証も謝罪も補償も行わないということは到底容認できないことである。

上記のように、2006年4月時点で日本政府は旧日本軍の大将には
年額833万円もの軍人恩給を支給している。中将は年額743万円である。
少将は年額629万円である。これに対して兵士は年額145万円である。

軍人としての在職期間が10年以下のものには軍人恩給は支給されない。

【招集令状】で徴兵された一般兵士のほとんどはは軍人恩給を受給していない。

戦争の惨禍に指導者責任がある大将、中将、少将であった
将軍たち・提督たちはいわば加害者である。

【招集令状】で徴兵された一般兵士は被害者である。

昭和戦争の加害者が、敗戦後も、昭和戦争の惨禍を引き起こした
指導者責任を追及されることなく厚遇され、被害者は無視・冷遇される
という構図は、筆者は納得できない。

海外諸国に多大の惨禍を引き起こし、日本民族を滅亡の淵に陥れた
旧日本帝国軍部の大将、中将、少将という将軍たち、提督たちが
指導者責任を追及されることなく厚遇されていることは
非難されずにいてよいのだろうか。

このことは、たとえていうならば、企業を倒産・破滅させた社長・専務たちが
企業の倒産・破滅後も、倒産・破滅の役員責任を追及されることもなく、
数億円の役員退職金・役員報酬を手にしているのに対して、
倒産した企業の従業員たちは退職金も失業保険も手にできずに
放り出されたままであるという構図である。

筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

『蟹工船』、『女工哀史』、『あゝ野麦峠』、『土』などに描かれているように、特権階級以外の
一般国民にとつては、日本は至宝ともいうべき国柄ではなかつた。松下幸之助さんの
ように、小学校を出たならばすぐに働かなければならなかつた人たちが大部分であった。
経済的な貧しさのため高等教育を受けられなかった人たちが大部分であった。

さらに悲惨なことには、戦前の日本の農村は、地主が支配しており、自作農は少なく、
大部分は小作人といわれる農奴であった。昭和大不況期、貧しい小作人(農奴)の娘が、
当時公認されていた赤線地帯(売春業)へ「人身売買」されるということすら珍しくなかった。
当時の国際連盟が「婦女売買調査団」を派遣するという惨状であつた。


筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

昭和戦争敗戦前は、【徴兵制度】があり、国民は【はがき一枚の招集令状】で
否応なしに徴兵された。招集令状で徴兵された国民は、【軍隊】において
古参兵の【リンチ】で、徹底的にいじめ抜かれた。

陸海軍の最高指導者たちや、高級参謀たちは、兵士の【人命尊重】という考えは
ひとかけらもなく、【おまえたちは1銭5厘(徴兵令状の郵便葉書1枚の値段)
消耗品だ】
(高杉一郎著『シベリアに眠る日本人』第199頁)と言い続けていた。

筆者は、旧日本帝国陸海軍は徴兵令状1枚で徴兵された新参兵にとっては
【奴隷収容所】そのものであったと思っている。

日本経済新聞2004年9月8日第40面の『私の履歴書』で、エコノミストの
金森久雄氏は1944年陸軍に招集され、陸軍二等兵として8ヶ月過ごした体験を
「兵隊の思い出はあまり語りたくない。夜は私的制裁がはじまる。初年兵を並べて、
スリッパでほっぺたを殴るなどは日常茶飯事である」
と述べている。

読売新聞2004年9月28日第13面の『時代の証言者』の中で、漫画家の
水木しげる氏は「日本の軍隊じゃ、兵隊はいつも殴られてるんですから」と述べている。

日本経済新聞2005年5月4日第28面の『私の履歴書』で、
加藤寛千葉商科大学長は「(軍隊では)案の定、苛められっ放しだ。
軍人勅諭が暗唱できない、糧秣の米俵が担げない、あれができない、
これができない。で、【この国賊】と殴られる。口から流れる血の赤を見ると
興奮して凶暴になる上官もいて、本当に痛い目をみた」
と述べている。

読売新聞(朝刊)2006年9月26日第12面で、
山岸章連合初代会長は次のように述べている。
「海軍甲種予科練習生に志願しました。入隊する時に先任下士官が
【おまえたちは第1種消耗品】と言うんだ。第1種消耗品とは3年以内に
戦死する兵隊だな。軍隊は、食事は保障するけれども命を保障しない。
軍人精神注入棒で毎日のように殴られる。暴力と権威で押さえ込むだけ。
自主的な正義感、団結、闘争心などはない。死んだ方がましだと思うまで
追い込むんだ。」

日本経済新聞2006年12月5日第44面の『私の履歴書』で、
渡邉恒雄読売新聞主筆は旧日本帝国陸軍での軍隊生活に
ついて次のように述べている。
「古参兵によるびんたは当たり前。理性的な判断や合理的な思考が
存在する余地すらない。不条理な精神主義と陰湿な制裁が横行していた。
あるとき、一等兵の誰かが丸太を並べた上に何時間も正座させられていた。
江戸時代の拷問のようだった。私も毎日、【上靴(じようか)】と呼ぶ
皮のスリッパで頬を張られた。」

読売新聞(朝刊)2007年3月24日第1面『編集手帳』は
「志願して17歳で海軍に入った城山三郎さんは、朝から晩まで
殴られずくめの絶望を味わった」と述べている。

日本経済新聞2007年5月16日第40面の『私の履歴書』で、
映画監督・脚本家の新藤兼人氏は、「苛酷な私的制裁が待っていた。
隊の玄関には野球バットをひと回り大きくした【直心棒】が掲げてあった。
これで兵隊のケツを殴るのだ。暗闇の営庭で整列し、【軍人は忠誠を
尽くすを本分とすべし】と股を開いてケツを突き出すと上級水兵
(=上官)の【直心棒】が唸りをあげてとんでくる。踏ん張りが悪いと
吹っ飛ぶのである。5回殴られる。殴られたケツは紫色になる。
【直心棒】による私的制裁は毎夜続いた。
私たち海軍二等水兵は、アメリカと戦争するのではなく、
日本帝国海軍と戦争だと思っていた」と述べている。

筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

【戦陣訓】なるものがあった。日本陸海軍は、兵卒たちに対して、
「捕虜になることは絶対に認めない」、万一、捕虜になって生きて日本に帰って
きても、日本の社会や家族は、捕虜になったものを受け入れない。
だから、「降伏して捕虜になるより、いさぎよく死ね」と徹底的に洗脳した。

こうした事情を共通認識していたカウラ捕虜収容所にいた日本人捕虜たちは、
「戦争が終わり、万一、幸運にも、日本に帰国できたとしても、家族に迷惑をかけ、
社会からは迫害されるだろう。それよりも、いさぎよく死のう」という悲壮な絶望感から
「死ぬこと」を目的に集団脱走したのである。実に悲惨な事件であった。

筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

東京裁判で「生きて虜囚の辱め」を受けた陸海軍の最高指導者は、
【戦陣訓】の産みの親である東条英機元首相兼陸相を筆頭に18人であった。
戦争被害受忍と同じく、「ただし、高級職業軍人は例外とする」ようである。


日中戦争が泥沼化し、まったく解決の目途がなかったのに、
あまりにも、愚かで、無知であった旧大日本帝国陸海軍は、
無謀にも、新たに太平洋戦争を始めた。

兵力の大量動員を余儀なくされた。

1940年(昭和15年)には157万人であった陸海軍現役軍人数は、
1944年(昭和19年)には540万人へと急増する。
太平洋戦争を始めたため、新たに383万人の徴兵を余儀なくされたのである。



一方で、軍需物資の増産を迫られた産業界では、徴兵による労働力不足が
深刻化した。旧大日本帝国陸海軍は「国民徴用令」なる法律を作って、
女性・学生を勤労動員して、産業界の労働力不足を補おうとした。

朝鮮人の強制連行は、産業界の労働力不足対策の一環として行われた。

1942年(昭和17年)の国民動員計画196万人のうち、13万人の、
1943年(昭和18年度)の国民動員計画239万人のうち、20万人の
朝鮮人強制連行が、計画に織り込まれた。

1944年(昭和19年)には、国民徴用令を朝鮮にも適用し、1945年の
敗戦までには、80万人にものぼる朝鮮人を、日本国内の炭鉱、鉱山、
建設現場などに強制連行して労働させた。

8.
美的感覚さえあれば、
わが国が直面するほとんどの困難が
自然にほぐれていく
(119頁)

藤原教授の結論は、「美的感覚を原理としてやってきた日本は、治安は最も良かった。、
倫理道徳も高かった。美的感覚は論理、合理、理性を補完し、混迷の世界を救う。
この美的感覚を取り戻すことで、わが国が直面する困難を解決できる」である。

封建制度時代、日本の特権階級が享受していた美的感覚を体得することは
現代においても重要とは思う。しかし、現代の情報化・グローバル化が日々進展し、
否応なしに異文化が混在し、異文化と共存せざるを得ない国際社会においては、
美的感覚困難な問題を解決することはできないと思う。

日本のみならず、現在、国際社会が解決を迫られている問題は、数限りなくある。
しかも、各国、各宗教、各地域、各民族等の価値観はあまりにも多様である。
経済的には、現在の国際社会は、高度にグローバル化・複雑化・多様化した
分業体制
に支えられている。

アフガン戦争の泥沼化とユーロ危機は、米国とEUを大きく揺るがせている。
米国の軍事費と財政赤字のとめどない膨張が無限に続くとは思われない。
ギリシャ、スペイン、ポルトガルの財政破綻はユーロに対する信頼を傷つけた。
ドルとユーロの危機日本に大きな影響を及ぼすことを避けることはできない。

イランと北朝鮮の核暴走は終わりそうもない。メキシコ湾で起きた原油流出事故は、
世界に環境汚染の恐ろしさを見せつけた。

尖閣諸島を中国領と称して、西沙諸島、南沙諸島の場合と同じように軍事制圧し、
東シナ海での海洋権益拡大を画策している中国にどう対処すべきかの問題もある。

ロシアの
メドベージェフ大統領は「日本は仮想敵国」として北方領土の軍事基地化
進めると宣言した。

筆者は、常々、英邁な昭和天皇を頂点としていた昭和初期の日本が、なぜ、
中国侵略戦争にのめり込み、愚かにも日独伊三国軍事同盟を締結し、無謀以外の
何者でもない対米開戦に踏み切り、海外国内に筆舌に尽くせぬ惨禍を引き起こし、
あげくのはてに、破滅したのかの原因を考えている。

大きな原因の一つは、陸軍士官学校と海軍兵学校での教育が根本的に間違って
いたことであると思う。軍隊の指導者を養成する教育機関での誤った教育が
戦争の惨禍を引き起こしたのである。その意味で、国の指導者層を養成する
大学の教育のあり方は国の運命を左右すると思う。

第二次大戦中、日本陸軍の主力である歩兵の訓練の最重点は、射撃・銃剣術・
行軍
の三つであった。射撃は三八式単発歩兵銃をポツン、ポツンと撃つことであり、
銃剣術は、その小銃さえ撃たずに、小銃の先に付けた小さな銃剣で敵を突き刺す
白兵戦のためのものであり、行軍は文字通りただただ歩くことである。

ガダルカナル島のバンザイ突撃の悲劇に見られる通り、「戦争・戦闘の勝敗は
武器の性能差と数で決まる」という常識中の常識がまったく欠けていた幹部将校を
量産した陸軍士官学校は、いったい何を教えていたのだろうか?

You Tube:ガダルカナル島戦・三連続奪回失敗・敵も己も知らず

陸軍士官学校と海軍兵学校は、視野が狭く、情報の重要性を考えず、愚かで、
偏ったものの見方・考え方しかできない上に、派閥抗争を悪と考えない陸海軍将校を
量産し、彼らが暴走したことが日本を破滅させたのではないだろうか。

藤原正彦『日本人の誇り』 読後感
−日本国民が世界に誇るべきことは、戦後66年間に成し遂げた
国際平和貢献国家建設民主主義国家建設・社会保障制度構築
である−

超ベストセラー『国家の品格』の藤原正彦お茶の水女子大学名誉教授の
『日本人の誇り』が、わが国雑誌業界のトップに君臨する文藝春秋から出版された。

藤原正彦教授は第4頁で、「戦後66年にもなるのに、いつまでも右と左が五分に組んで
不毛な歴史論争を続けているという状態は、日本人が歴史を失っている状態とも言え、
不幸なことと思ったからです」と述べている。

歴史を失った民が自国への誇りと自信を抱くことはありえません」と断定している。

「この誇りと自信こそが現代日本の直面する諸困難を解決する唯一の鍵なのです」と
断定している。

これは間違った現状認識であり、
             藤原教授のこの二つの断定は間違いである。

間違った誇りと、間違った自信を持っても、情報化・国際化した社会においては、
諸困難を解決することはできない。

右翼にせよ、左翼にせよ、立場が異なり、視点が違い、意見がまったく異なる者たちが、
暴力を振るって相手を屈服させるのではなく、暴力を振るわずに論争を続けている状態は、
不幸なことどころか、最高に健全な状態である。




2.26事件





中近東とアフリカにおけるConflict,Uprising


中近東や北アフリカの国々における反政府勢力の武装蜂起・暴力抵抗や政府の武力弾圧の
映像を、毎日、BBC放送で見ている。つくづく、暴力による殺戮・傷害・破壊は怖ろしいと思う。

服装は、政府側は戦闘用迷彩ユニフオーム、反政府側は、女性を含め多彩だが、
手にしている武器だけは、双方とも最新と思われる

2012年6月現在、ソ連のスターリンの再来と思える、シリアでの極悪非道なアサド大統領は、
戦車とロケット砲を使って凄まじい反体制派殲滅攻撃、自国民の大量虐殺を行っている。
反体制派の拠点と思われる地域にを、無差別砲撃し、ヘリから銃撃し、皆殺し作戦を行っている。

ホムス市では反体制派の武装勢力が壊滅し、アサド政権軍による、反体制派の大量逮捕と
処刑(虐殺)が行われた。




シリアのアサド政権の国民大量虐殺

これらの非民主主義・独裁者支配国家においては言論の自由はない。

旧大日本帝国陸軍が日本国を占領していた時代と同じように、治安部隊、公安警察、
あるいは秘密警察とよばれる反対派を徹底的に弾圧する特殊警察網が国の隅々にまで
張り巡らされており、独裁者の政府を批判・反抗する不心得者は、直ちに逮捕・拷問され、
死刑になるか無期重労働を課されてしまう。

典型的なのは餓死者が続出している北朝鮮である。「生活が苦しい」というだけで投獄される。
ましてや、独裁者・金正日を批判する言葉を一言でももらせば、本人だけではなく、
家族全員が強制収容所に送られ、一生、日の目をみられなくなる。

これほどではないが、経済大国となった中国でも言論の自由はまったくない。
中国共産党政府を批判・非難することは認められていない。6万人以上といわれる
サイバー・ポリスがいる。インターネットを完全監視している。政府を批判するサイト・ブログは
すぐ閉鎖される。昨年10月にインターネットを使って行われた日本を非難した若者たちのデモは、
すべて、中国共産党政府公認の官製デモであった。



藤原正彦教授は米国のGHQ(連合国軍総司令部)が日本占領後間もなく実施した、
罪意識扶植計画
に基づく、新聞、雑誌、放送、映画などに対する厳しい言論統制が、
日本人に、日本の歴史を否定させ、日本人の魂を空洞化させた元凶であると非難している。

しかしながら、敗戦前、日本国を乗っ取った旧大日本帝国陸軍が行った言論弾圧は、
戦後、GHQが行った言論統制とは比較にならないほど徹底したものであった。

治安維持法を次から次へと強化して、旧大日本帝国陸軍を批判・非難する言論は、
不敬罪、あるいは国家転覆罪であるとし、発表・出版を禁止するに止まらず、
執筆者や出版社の責任者を容赦なく逮捕・投獄・拷問・殺害した。



この旧大日本帝国陸軍の徹底した言論弾圧の結果、大手新聞を含め、日本のすべての
新聞・ラジオ・雑誌・映画等のマスメディアは、旧大日本帝国陸軍の御用機関に成り果てた。

インターネットとケータイで高度に情報化し、情報が氾濫している民主主義社会においては、
さまざまな問題について、国民の意見が一致するのは極めて異例のことである。政治的・
社会的立場や利害関係や宗教・文化・伝統が異なる場合、論争が続くのは当然である。

満州事変はクーデター

筆者は日本国民は歴史を失ってはいないと思っている。藤原正彦教授の、
日本人は歴史を失っている状態という現状認識は間違いである。

旧大日本帝国陸軍は、満州事変を契機に、昭和天皇と日本政府から
実質的な統治権・統帥権を簒奪した。

立憲君主制・法治国家を、軍部独裁・軍事国家に変えてしまった。

満州事変は、旧大日本帝国陸軍の関東軍(満州に駐在していた日本軍)が、
昭和天皇と日本政府の統治権・統帥権を奪ったクーデターでもあった。

日本政府を無視し、議会の承認も、昭和天皇の裁可も受けず、まったくの
独断で満州事変を実行した旧大日本帝国陸軍の関東軍と朝鮮駐屯軍と
陸軍参謀本部の高級参謀たち、及び、司令官たちに対しては、
日本が法治国家であるならば、

当然、陸軍刑法・第2章の【せんけんの罪】で「死刑に処す」が適用されなければ
ならなかったはずである。その他の関係者も、全員、【せんけんの罪】で
厳しく処罰されなければならなかったはずである。



しかし、旧大日本帝国陸軍の陸軍参謀総長・陸軍大臣などの最高指導者たちは、
独断で満州事変を実行した高級参謀たち、司令官たちを処罰しなかった。
処罰するどころか、逆に、彼らの行為を追認し称賛した。彼らは異例の昇進をした。
陸軍参謀総長と陸軍大臣は、実質的には、昭和天皇と日本政府を徹底的に無視した
のである。

これらの、本来、陸軍刑法によって処罰されなければならなかった高級参謀たちは
実質的に、日本国を乗っ取った。日本国は旧大日本帝国陸軍に占領されてしまった。

1931年9月以後、日本政府国の進路を意思決定する機能を喪失した。

旧大日本帝国陸軍の高級参謀たちと最高指導者たちが、実質的に、
昭和天皇と日本政府の統治権・統帥権を簒奪し、日本国を
軍部独裁・軍事国家に変えてしまった
ことが、
昭和戦争(日中戦争・日米戦争・日ソ戦争)の惨禍を引き起こしたのである。

中国侵略の拡大が日米開戦を必然的にした

旧大日本帝国陸軍の高級参謀たちと最高指導者たちには、
【中国の主権を尊重する】
という意識がひとかけらも無かった。

関東軍や支那派遣軍(中国に侵攻した日本軍)の高級参謀たちや指揮官たちは、
ワシントン体制の核心である【中国の主権を尊重する】ということを
頭から無視していた。

【中国の主権を尊重する】ということは、彼らの意識のなかには存在しなかった。

19世紀の帝国主義の影響で、旧大日本帝国陸軍は、中国の領土を武力占領
することに何らの罪悪感も持っていなかつた。

満州で中国人の農地を強奪することに何らの罪悪感も持っていなかつた。

昭和戦争の惨禍を目にした敗戦後も、東条英機はこの意識を変えていない。
(渡部昇一著『東條英機 歴史の証言−東京裁判宣誓供述書を読みとく』
(祥伝社 2006年8月発行 第56頁〜第66頁、第71頁〜第74頁、第89頁〜第90頁)

昭和天皇も日本政府も無視した旧大日本帝国陸軍の高級参謀たちは
国際条約をまったく無視して、なんら顧みることがなかった。

世界の主要国は、このような旧大日本帝国陸軍の国際条約を無視した
思い上がった態度侵略行動の果てしない拡大に強く反発した。

あわせて、日本の侵略行動から、中国における自国の利益や自国民を守るため、
こぞって中国を軍事支援した。

ヒトラーが政権掌握する前のドイツは、中国へ大量の武器支援を行っていた。
ゼークト元陸軍参謀総長を団長とする強力な軍事顧問団を中国に派遣して
中国軍の強化育成に注力した。ヒトラー政権下でも対中武器輸出は継続された。

ソ連は1937年8月、中ソ不可侵条約締結を契機に中国に大々的な軍事援助を
開始した。輸出・供与合わせて、航空機985機、戦車82両、大砲1300門以上、
機関銃1万4000丁以上を供給した。

米国は、大量の武器や軍事物資のみならず、操縦士付きの戦闘機部隊から成る
中国支援義勇隊を派遣するほど、強力に中国を軍事支援した。

日本国は旧大日本帝国陸軍に乗っ取られた

渡部昇一上智大学名誉教授は、著書『昭和史 松本清張と私 大正末期〜二・二六事件
(ビジネス社 2005年12月発行) の第454頁で、
「大正2年(1913年)廃止された軍部大臣現役武官制が
昭和11年(1936年)、廣田内閣によって復活し、
これによって日本の政治は軍部に乗っ取られることになったのです」と述べている。

渡部名誉教授は第459頁〜第460頁で「廣田内閣が残したものは、
@【軍部大臣現役武官制】の復活
A【日独防共協定】調印
B軍拡方針を決めた国策の基準設定 と

いずれも日本の命取りになるようなことばかりでした」「この廣田内閣のときに
日本の議会制民主主義の可能性はすべてつぶされたのです。」
「廣田内閣が日本の立憲政治を葬り、
日本を軍国主義の方向に押しやったという事実

あまりにも重いといわざるをえません」と述べている。

日本国民の洗脳に狂奔した旧大日本帝国陸軍

昭和天皇を傀儡化し、昭和天皇の意思をことごとく無視しておきながら、
不忠きわまる旧大日本帝国陸軍は、天皇崇拝、「天皇陛下のために死ね」教育、
神州不滅論、皇軍不敗スローガン、暴支膺懲(ぼうしようちょう)主張
(暴虐な
支那=中国を懲らしめる)「生きて虜囚の辱めを受けるな」洗脳等、
日本国民に対するさまざまな洗脳教育に狂奔した。

「生きて虜囚の辱めを受けるな」洗脳の先頭に立っていた東条英機など、
旧大日本帝国陸海軍の最高指導者たち18人は、
昭和天皇の意思をことごとく無視して、
日中戦争を拡大
し、
日独伊三国同盟を締結し、
あまりにも無謀な対米開戦に踏み切り、
筆舌に尽くしがたい
昭和戦争の惨禍を引き起こし、
挙げ句の果て、敗戦した。

しかるに、切腹して無謀な意思決定の責任をとることもなく、
おめおめと米軍に捕らわれて、
東京裁判に引き出され、
「生きて虜囚の辱め受け」言行不一致、すなわち、
日本の最高指導者として国民に教え込んだことと、
実際に自分たちがやったこととは、
まったく異なることを実証して、恥を全世界に晒した。



【戦陣訓】なるものがあった。
旧大日本帝国陸海軍は、徴兵した召集兵士たちに対して、
「捕虜になることは絶対に認めない」
万一、捕虜になって、生きて日本に帰ってきても、
日本の社会や家族は、捕虜になったものを絶対に受け入れない。
だから、「降伏して捕虜になるより、いさぎよく死ね」と徹底的に洗脳した。

この洗脳教育が徹底していたカウラ捕虜収容所にいた日本人捕虜たちは、
「日本が勝利して、戦争が終わり、万一、幸運にも、日本に帰国できたとしても、
家族に迷惑をかけ、社会からは迫害されるだろう。
それよりも、いさぎよく死のう」という絶望感から
「死ぬこと」を目的に集団脱走したのである。実に悲惨な事件であった。

筆者には、このようなことが徹底していた旧大日本帝国陸軍の
軍部独裁・軍事国家の時代が「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

旧大日本帝国陸軍は、無知で愚かな若手将校たちにテロを行わせ、
首相経験者を含む視野の広い良識ある政治家を多数殺害した。

旧大日本帝国陸軍は、
日中戦争(中国に対する侵略戦争)を止めず、
反対に、遮二無二拡大して、ついには日米開戦に追い込まれ、
日本国民を塗炭の苦しみに追い込んだ。

藤原正彦教授は旧大日本帝国陸軍は「日中戦争拡大を望んでいなかった」と述べ、
蒋介石やスターリンの挑発・陰謀に乗せられて日中戦争が泥沼化したと書いている。

戦争拡大を望んでいなかったならば、なぜ、昭和天皇・総理大臣・陸軍参謀総長・
陸軍大臣は、支那派遣軍軍司令官に完全停戦を命令し、日本へ帰還させなかったのか?

真相を歪曲する藤原正彦教授の「黒を白と言いくるめる」論理と記述に呆れざるをえない。

真相は、昭和天皇も、旧大日本帝国陸軍の最高指導者たちも、日本政府も、
現地軍の高級参謀たち・中堅将校たち、及び司令官たちと、それを支持する
陸軍参謀本部内の高級参謀たちの【方針命令無視・戦争拡大暴走】を止められず、
はてしない泥沼化となったのである。

高級参謀たちは、口では「天皇陛下バンザイ」と唱え、直立不動の姿勢をとりながら、
昭和天皇の意思・意向を完全無視した。文官総理大臣を完全にバカにしきっていた。
当然、高級参謀たちの行動を制約する文官総理大臣の方針・政策を完全無視し、
なんら顧みることはなかった。

【統帥権】の大本(おおもと)である昭和天皇の意思・意向を完全に無視していながら、
【統帥権の独立】と称して、自分たちのやりたいことを、勝手気ままにやっていたのである。

さらには、高級参謀たちは、旧大日本帝国陸軍の組織のトップである陸軍大臣や
陸軍参謀総長の方針・命令についても完全無視に徹していた。

旧大日本帝国陸軍は、最高指揮官不在で、下克上がはびこっていた退廃組織
であった。

東条英機を始め、旧大日本帝国陸軍の最高指導者たちは
高級参謀たちや中堅将校たちの反乱テロで殺害されることを恐れて、
殺されてもよいからと身をはって、彼らの戦争拡大暴走を止めようとしなかった。

東条英機を始め、旧大日本帝国陸軍の参謀総長を頂点とする最高指導者たちは、
誰一人、命令無視の高級参謀たちや中堅将校たちを、断乎、処罰するという
毅然たる態度を明確にしなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
森近衛師団長殺害事件

1945年8月14日深夜、ポツダム宣言受諾に反対する陸軍省軍事課の畑中少佐、
椎崎中佐らは、森近衛師団長に面会を強要し、陸軍将校たちによる戦争継続のための
反乱(クーデター)に参加を求めた。森師団長に強く拒否されると、畑中少佐は部屋を出て、
航空士官学校の上原大尉、陸軍通信学校の窪田少佐を引き連れ再度入室し、
無言のまま森師団長を拳銃で撃った。さらに上原大尉が
軍刀で森師団長を斬殺した。
同席していた森師団長の義弟・白石中佐も上原大尉と窪田少佐に
軍刀で斬殺された。

森近衛師団長殺害後、師団参謀の古賀少佐は、畑中少佐が起案した
偽造師団命令書
「近作命甲第五八四号」を各部隊に口頭で命令した。

近衛師団の反乱部隊は、昭和天皇のポツダム宣言受諾放送を阻止するため、
皇居内の宮内省を襲撃した。宮内省の電話線を切断した。
皇宮警察官たちの
武装解除を行った。昭和天皇のポツダム宣言受諾放送録音盤を
奪取するため、近衛師団の反乱部隊は宮内省の部屋部屋を徹底的に
暴力探索した。
しかし録音盤を発見できなかった。反乱部隊の将校たちは、録音盤を破壊するため
宮内省建物を砲撃することを考えていた。
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旧大日本帝国陸軍は最高指揮官不在で、下克上がはびこっていた
退廃組織であった。


旧大日本帝国陸軍は、徴兵令状で否応なしに召集された一般兵士たちにとっては、
奴隷収容所そのものであった。リンチ地獄そのものであった。

旧大日本帝国陸軍の陸軍大臣・参謀総長・軍司令官などの最高指導者たちや、高級参謀・
中堅将校たちには、召集兵士たちの【人権を尊重する】という意識はひとかけらもなかった。

日本の知性を代表する渡邊恒雄氏、金森久雄氏、水木しげる氏、加藤寛氏、小堀宗慶氏、
山岸章氏、新藤兼人氏、城山三郎氏などが、日本経済新聞の【私の履歴書】等で
口を揃えて語っているように、召集兵士たちは、入隊したその日の夜から、古参兵による
苛酷なリンチ(暴力による私的制裁)を受けた。殴られ続けた。
大和魂注入棒
や上靴でケツが紫色になるほど強くひっぱたかれ続けた。

遠州茶道宗家の小堀宗慶氏は「軍隊とは、ここまで人の道とかけ離れた蛮行がまかり
通る世界
なのか」と語っている。

渡邊恒雄読売新聞会長・主筆は「古参兵によるリンチは江戸時代の拷問のようだった」と
語っている。

「穏やかで平等な社会」どころではない。まさに「リンチ地獄」であった。

敗戦が避けがたい状況になると、旧大日本帝国陸軍は、「本土決戦、
1億総玉砕」
と叫んで、1億国民を道連れに無理心中することを本気で考えていた。

しかしながら、前述のように、戦争が終わると、おめおめと米軍に捕らわれて、
東京裁判に引き出されて、「生きて虜囚の辱め受けた。」

戦後、言論の自由が回復し、さまざまな情報収集が可能となったので、
日本国民の多くが、冷静に歴史事実を検討できるようになり、
旧大日本帝国陸軍によるさまざまな洗脳教育による悪夢から覚醒したのである。

歴史を失ったのではない。

藤原正彦教授は、誇りと自信が現代日本の直面する諸困難を解決する唯一の鍵
断定しているが、情報音痴・戦略不在では、伝統的に、「戦争で領土拡張することは善」とし、
帝国主義侵略強奪戦争による他国の領土と財貨の強奪を誇りとする軍事侵略強奪大国
ロシアに対しては、間違った誇りと、間違った自信は、まったく通用しない。

情報音痴・戦略不在では、間違った誇りと、間違った自信を持っても、情報化・国際化した
社会においては、諸困難を解決することはできない。国際社会からまったく孤立していても、
なんとか生きていけた江戸時代の特権階級の美的感覚、美感、美意識、美風は、
原発震災という国の存亡に関わる深刻な問題の解決にはまったく役にたたない。

2011年3月11日の東日本大震災の巨大津波と大地震は岩手・宮城・福島の3県を中心に
東日本各地に甚大な損害をもたらした。さらに巨大津波と大地震は福島第1原発の原子炉の
メルトダウンを引き起こした。陸海空にわたる広い範囲での放射能汚染は、それこそ、
日本に致命的な打撃
を与えかねない。

情報音痴・戦略不在ならば、間違った誇りと、間違った自信を持っても、この未曾有の困難を
解決することはできない。昭和戦争時における旧大日本帝国陸軍・海軍の数えきれないほどの、
多大の犠牲が伴った、悲惨な失敗が実証している通りである。

「平和の毒」から脱し・・・・・』

出典:『文藝春秋』 平成23年8月号 第94頁〜第103頁
石原慎太郎(作家・東京都知事)・藤原正彦(数学者・お茶の水女子大学名誉教授)
対談語録抜粋:『今こそ「平和の毒」から脱し・・・・・』

石原:
実は、いま日本人に誇れるものなんて、何一つないと僕は思っているんですよ。
日本人のアイデンティテイは「平和の毒」に侵されて、芯から腐ってしまった
のではないかと思うんです。
国民は金銭欲・物欲・性欲にまみれ・・・・みんな「我欲」のかたまりと化してしまった。

藤原:
日本人の質は史上最低ですね。日本人のモラルはとことん低下しました。
日本は十数年前から何もかもがうまくいかなくなっていますね。
教育から政治、経済、社会、と全面的な困難にぶっかっています。
こういう複雑に絡まりあった問題は、一つ一つ直そうとしてもダメで、
一挙にガラっと変えなければどうにもならない。

石原:
まったく同感です。日本も一気に困難な玉(ぎょく)をバサっと切ることが必要なんですよ。
そうなるともう、軍事政権しかないんですが。絶対権力を以てしないと、
この末期的状況から脱却できない。日本は核開発をやったほうがいい。

藤原:
日本の国難は中国の存在です。日本は、少なくとも、中国の攻撃に一ヶ月は
耐えられるくらいの軍事力は備えておかないと、外交すらうまくいきません。
アメリカの属国であるのもまさに国難です。

石原:
アメリカの妾としてして浸透してきた「平和の毒」が、平和に関するセンチメントを
日本人に植え付けてしまった。これは理念ではなく、ただのセンチメントですよ。

筆者注:
「立場を変えて考えてみる」というのが筆者のモットーだが、
右翼のチャンピオンである東京都知事4期目の石原慎太郎氏の意見と、
日本最高の女性教員養成機関・お茶の水女子大学の教授であった藤原正彦氏の
意見には、
背筋が寒くなる思いがする。

石原氏と藤原氏の発言から連想されることは、ヒトラーのドイツであり、
スターリンのソ連であり、毛沢東の中国である。

毛沢東は文化大革命で、スターリンは大粛清で、自分の意見に逆らう不心得者を
数千万人
(数百万人ではない)死に追いやった。

藤原正彦教授は、「日本には貧困は存在しなかった」、「日本が追究した平等な社会」、
「百年戦争」、「恥ずかしい国」、「罪意識扶植計画」、「国家自己崩壊システム」とかの、
もっともらしい断定フレーズを多用して、数多くの歴史事実・現実・情報を直視せず、
無視・軽視して、「黒を白と言いくるめる」論理を展開している。

軍部と特権階級が完全支配していた昭和戦争敗戦前の日本は、
「貧困は存在しなかった」どころか、農村の小作人と、都市の労働者は、
「貧困そのもの」といえる状態であった。

旧大日本帝国陸軍が日本国を乗っ取り、日本が軍部独裁・軍事国家であった時代、
諸政党はすべて解散させられた。大政翼賛会なる御用機関が諸政党にとって代わった。
言論の自由がなくなり、すべてのマスコミが旧大日本帝国陸軍の御用機関に成り果てた。

その結果、日本国民は大本営発表なるデッチアゲ・捏造情報しか知らされなかった。
いずれも、厳然たる事実であるが、これらの事実について藤原正彦教授は一言もふれず、
「黒を白と言いくるめる」論理を展開している。

北方領土返還要求国民運動に代表されるように、歴史事実・現実・情報を無視、軽視して、
相手の状況・状態を無視・軽視して、手前勝手な、思いこみによる偏見・独断で、
「黒を白と言いくるめる」論理を展開し、洗脳する手法こそが、旧大日本帝国陸軍が使った
手法である。

藤原正彦教授は第10頁〜第11頁において、
「日本は十数年前から何もかもがうまくいかなくなっています」と断定している。

第26頁においては、「漂流し沈下しつつある日本はどうなるのか。日本人は今、
深淵に沈み行くことを運命と諦めるか、どうにかせねばと思いながら
確たる展望もないまま、ただ徒に焦りもがくばかりです」と断定している。

現実・情報を直視せず、無視・軽視して、「黒を白と言いくるめる」論理を展開している
藤原正彦教授の偏見と独断による断定呆れるばかりである。

ここ20年来、一般会計税収の低落状況から見れば、日本経済の成長が停滞している
ことは事実である。

防衛庁を省に昇格させ、教育基本法を改正した自民公明政権が、強力に推進してきた
自衛隊の海外派遣随時可能化、すなわち、憲法を改悪しての海外で米軍と共に戦う
体制づくりが、アフガン戦争の泥沼化と日本国民の強い反対で頓挫したことは事実である。

鳩山元首相の、あまりにも愚かな言動と軽率な意思決定で、沖縄の普天間基地の
移転問題に解決の糸口がまったく見えなくなったことも事実である。





しかしながら現在、日本は2011年度世界平和度指数ランキング第3位である。
国際社会における模範的な国際平和貢献国家であり、
模範的な民主主義国家であることも疑う余地のない事実である。

ここ10年間、日本は国連通常予算の第2位分担国として、
累計約29億5000万ドル(約2360億円)分担している。

全世界の162にも上る国際機関への分担金・義務的拠出金の
総額は年間2353億円を超えている。(本稿末の付記2の表参照)

きわめて当然のことながら、個人や企業と同じく、国連やこれら162の
国際機関
も、カネがなければ運営できない。日本はこれらの国際機関を
支えている大黒柱の一つであり、日本が誇るべき国際平和貢献である。

2001年の日本のODA(政府開発援助)は98億4700万ドルであった。
2010年は110億4500万ドル(約8836億円)である。2005年の
ピーク時より少ないが、110億4500万ドル(約8836億円)という援助額は
国際平和貢献国家として誇るべき金額である。

この10年間で米国国債が中心の外貨準備高は5兆5366億円以上も増加
している。日本は2001年からの米国とNATOのアフガン侵略戦争に資金面で
多大の貢献をしている。

世界各国の政治情勢、軍事情勢、財政事情、経済状況、社会構造、貧富の格差、
言論の自由度、教育普及度、民主主義浸透度、社会の不安定状況、衛生状況、
行政担当官僚・警察官の腐敗・堕落・汚職収賄程度などの倫理観喪失度を仔細に
観察し続けるならば、紛争中のアフリカ諸国や中近東諸国のみならず、米国、EU、
中国、ロシア、インド、パキスタン、東南アジア諸国など、どの国をとってみても
日本の数倍の困難な諸問題に直面し、それこそ「お先真っ暗」状況の国が多い。

先進国については消費税率と国民一人当たり軍事費額、発展途上国については
国民一人当たりGDP、インフラ、特に衛生施設の整備状況、公的医療保険の有無を
調べれば、各国が日本の数倍の困難に直面していることがすぐ分かる。



オバマ大統領の議会における一般教書演説、温家宝首相の全国人民代表大会における演説という、
最高の公式の場で、国家の最高指導者が、国が直面している困難を明確に述べている。

侵略戦争の泥沼化、武力紛争・武装蜂起・武力弾圧等の拡大によって、武器製造輸出国、
各国の武器製造企業はボロ儲けしている。

米国、ドイツ、フランス、韓国、中国、北朝鮮、ロシア、インドなど、すべて、軍事費を大幅に
増やして最新鋭の武器製造・輸出に血眼(ちまなこ)になっている。

密貿易を含めて、なんら臆することなく、武器輸出を積極的に拡大している。

武器輸出の拡大は、世界各国・各地における殺戮・傷害・破壊を助長することになる。



2003年以来、武力紛争が続いているスーダンでは、国連武器提供禁止措置を、
国連・安全保障理事会
常任理事国である中国とロシアが、無視して提供し続けている。
戦闘機、戦車、装甲車、攻撃用ヘリ、ロケット砲などの中国製・ロシア製の最新兵器で武装し、
アフリカ最強と謳われるスーダン政府軍とジャンジャウィード(政府系暴力団的民兵組織)が、
2011年6月現在にいたるも、反抗する非アラブ系住民を殺害し続けている。

出典:CNNニュース 2011年7月10日配信
メキシコ 麻薬組織犯罪グループ間の抗争で24時間で40人死亡

国営メキシコ通信は7月9日、モンテレイ市のナイトクラブで8日深夜、
麻薬組織犯罪グループによる乱射事件が発生、20人が死亡したと報じた。

治安当局は、ナイトクラブの支配権をめぐる麻薬組織犯罪グループ間の抗争が背景にあるとの
見方を示した。このナイトクラブでは麻薬が売買されていた。武装した麻薬組織犯罪グループは、
車2台に分乗して乗り込み銃を乱射した。死亡者の大半は同クラブの従業員だった。

北部のトレオン市では、トラックの後部に切断された遺体10体があるのが発見された。
男性7人、女性3人の遺体で、数日前に市内外各所で殺害され、トラックに載せられたらしい。
さらに、同市では各所で人間の頭部が発見された。

一方、首都メキシコ市の東部郊外では8日午後、男女10人の遺体が見つかった。
治安当局によると、遺体は全員、手錠をかけられ、テープで縛られて射殺されていた。

メキシコのカルデロン大統領は2006年12月、
国内の麻薬カルテルの掃討作戦を宣言、
軍の兵士を各州に派遣し取り締まりに当たらせている。
麻薬カルテルの報復攻撃も激化し、
麻薬犯罪絡みの死亡者は、巻き添えに遭った住民も含め約3万5000人に達している。



主要国中、唯一、日本だけが武器輸出を行っていないのである。
この国際平和貢献実績こそ、日本国民が最も誇るべきことである。

もし、万一、仮に、平和通商国家として固い産業基盤を築き上げてきた
模範的な国際平和貢献国家模範的な民主主義国家である日本が
深淵に沈む事態が生じる日が来るとするならば、その日は、
地球上から希望が失われ、世界のすべての国も破滅する日である。

昭和戦争敗戦後の66年間、
B29により徹底的に破壊され廃墟と化した焦土から立ち上がり、
日本は、平和憲法第9条を遵守し、軍事力を行使することなく、
平和通商国家として、奇跡的に経済を復興させた。
国民生活のレベルを欧米並にまで向上させた。
インフラを徹底的に整備した。社会保障制度を確立した。
この実績こそ、日本国民が最も誇るべきことである。

国際平和維持のため、国連の活動や、ODA(政府開発援助)等において、
米国に次ぐ財政的貢献を続けている実績こそ、日本国民が最も誇るべきことである。

大多数の日本国民は誇りと自信を失ってはいない
藤原正彦教授の指摘は根本的に間違っている。

日本国民が、今回の東日本大震災と福島原発大事故による痛手を克服して、
経済を再建することは間違いない。

殿様や上級武士や富裕な商人などの特権階級を除いた圧倒的大多数の国民が、
厳しい身分格差・貧富格差で、社会的にも、経済的にも苦しんでいた江戸時代や、
職業軍人以外の善良な一般国民が、戦争に駆り立てられ、無残な死に追いやられた
軍部独裁・軍事国家時代賛美する必要はまったくない。

もし、仮に、一部の若い日本国民が、現在、誇りと自信を失っていると考えるならば、
敗戦後66年間のこの誇るべき実績をあらゆる機会に若い日本国民に訴えなければならない。

世界のどの国と比較してみても、この戦後の日本の実績は素晴らしいものである。
この素晴らしさを、あらゆる機会に若い日本国民に認識させなければならない。

南京大虐殺

藤原正彦教授は第104頁〜第122頁で、南京大虐殺について詳しく述べ、
「これは歴史的事実ではなくて、政治的事実である」と断定している。

筆者は歴史的事実であると共に、同時に、政治的事実でもあると思っている。
犠牲者の人数、惨禍の実態につては様々な記述があるが、
南京大虐殺
が行われたことは事実である。

出典:朝鮮日報オンライン日本語版2011年7月8日配信
日本の機密公電も収録した
『南京大虐殺史料集』が刊行された

「信頼できる目撃者による直接の推算と、信頼できる人物の手紙によると、
日本軍が犯した行為と暴力は、アッティラ王と匈奴(きょうど)を連想させる。

少なくとも30万人の民間人が殺害された。
多くは極度に残酷で、血なまぐさい方式で殺害された。
戦闘が終わって数週間がたった地域でも、略奪や児童強姦など
民間人に対する残虐行為が続いた。」

1937年に、日本軍による南京大虐殺が起きた直後の1938年1月、
日本の広田弘毅外相が、在米日本大使館に送った機密公電の一節だ。

虐殺の事実を隠すため、日本軍は、南京駐在の西側外交官に飲食接待や
演劇鑑賞接待を行ったとの記録もある。

この機密公電は、2011年6月に刊行された
中国の『南京大虐殺史料集』最終巻に収録されている。

2011年7月7日付の【中国青年報】など中国メディアによると、
『南京大虐殺史料集』は、江蘇省社会科学院歴史研究所が、
過去10年間、全世界から集めた南京大虐殺に関する膨大な一次資料の集大成で、
全78巻、合計4,000万字から成る。

今回の『南京大虐殺史料集』は、史記(50万字)の80倍、資治通鑑(300万字)の
13倍に当たり、中国の歴史書としては異例の規模だ。

『南京大虐殺史料集』には、南京大虐殺が日本軍部の組織的な指示によって
行われたことを示すさまざまな史料が含まれているという。

当時の日本軍による残酷行為を報じたイタリア、旧ソ連のメディアの報道も
初めて発掘され、軍上部による虐殺があったという当時の日本軍将校、
兵士の日記や証言も大量に収録された。

ある兵士は、「杭州から南京に至る道の周囲の水たまりには、
遺体が山のように積み上げられていた」という記録を残した。

江蘇省社会科学院歴史研究所は、1946年から48年にかけ行われた
当時の戦犯裁判の検察の公訴記録、弁護人の反論を記した弁護記録なども収録し、
この事件に対する客観的な判断を可能にしたと説明している。

『南京大虐殺史料集』編さんのため、中国は2000年代初めから
調査チームを組織し、世界各国で調査を進めた。

調査チームは、米国立公文書記録管理局、米議会図書館、スタンフォード大学
フーバー研究所、日本の外交史料館、防衛省戦史研究室のほか、英国、ドイツ、
デンマーク、イタリア、ロシアの外交文書保管施設をくまなく調べた。

収録された資料は、中国語だけでなく、英語、日本語、ドイツ語、デンマーク語、
イタリア語、ロシア語など多彩だ。

資料の考証、編集に投入された専門家は100人に達するという。

江蘇省社会科学院歴史研究所の王衛星研究員は
「日本で資料を調査した際、日本側は写真撮影やコピーを禁止した。
資料を全部書き写すのに、手が腫れ上がるほどだった」と話した。

編さんチームは、今回の『南京大虐殺史料集』刊行により、
日本の右翼勢力が南京大虐殺を否定したり、歪曲(わいきょく)したりするのは
難しくなるとみている。

日本の学界は、南京大虐殺を事実として認めているものの、当時の死者数が、
最大でも20万人を超えないとみており、学者によっては2万−4万人と推定している。

史料集の編さんを担当した張憲文・南京大教授は、
「今回の『南京大虐殺史料集』刊行で、多くの歴史的事実がはっきりした。
正しい教育で中日両国の若い世代が友好的な関係を構築する上で役立つことを
期待している」と述べた。


なぜ、内戦相手の蒋介石の国民党政府が関与した南京大虐殺を、
この事件に直接的には関与していない中国共産党政府が煽り立てるのか?

対日憎悪感の権化ともいえる江沢民は、毛沢東の長春市民大虐殺犯罪
毛沢東の大躍進政策犯罪、毛沢東の文化大革命犯罪という厳然たる事実を
中国国民の脳裏から拭い去るため、反日洗脳愛国教育を強化した。

1994年、愛国主義教育実施要綱を制定し、中国全土に150館もの中国人民抗日
戦争記念館を建設した。この要綱に基づいて、幼稚園から大学にいたる全教育課程で
反日洗脳愛国教育を徹底的に強化した。

それと共に、日中戦争の犠牲者数を、【白髪三千丈】式に、ことある毎に水増した。
数千万人といわれる毛沢東の犯罪の犠牲者数より少なくては都合が悪いからである。





米国の罪意識扶植計画
WGIP:War Guilt Information Program

藤原正彦教授が特に強調していることは、「米国の罪意識扶植計画によって日本人の魂は
空洞化されてしまった」との主張である。第65頁・第66頁において、「実はアメリカが日本に
与えた致命傷は、新憲法でも皇室典範でも教育基本法でも神道指令でもありません。
占領後間もなく実施した、罪意識扶植計画に基づく、新聞、雑誌、放送、映画などに
対する厳しい言論統制でした。罪意識扶植計画は、日本の歴史を否定することで
日本人の魂の空洞化を企図したものでした」と述べている。

さらに、第82頁・第83頁では、「画期的成功を収めた罪意識扶植計画は、
7年近い占領が終わり、公職追放令が廃止された後でも、日本人に定着したままとなりました。
洗脳とは真に恐るべきもので、日米戦争の惨禍はすべて軍人や軍国主義者が悪かったため
であり、アメリカには責任はないということに疑いをはさむ人はいなくなりました」と述べている。

「この罪意識扶植計画は日教組がそのまま教育の場で実践しました。
罪意識扶植計画
国家自己崩壊システムとして、今もなお機能しています」と述べ、
この計画が日本国民から「日本人としての誇り」を奪い去ったと断定している。

藤原正彦教授のこの断定は、1931年9月〜1945年8月の軍部独裁・軍事国家の時代に
行われた旧大日本帝国陸軍の日本国民に対する洗脳教育を肯定・美化するものである。
昭和戦争の惨禍を引き起こし、日本を破滅させた旧大日本帝国陸軍の責任を米国に転嫁する
ものである。呆れ返る他ない。

日本国民が持っている強い【戦争絶対反対意思】は、罪意識扶植計画(WGIP)に基づく
GHQ(=日本を占領・統治していた連合国軍総司令部)の言論統制や、日教組の教育による
ものではない。

戦場や、捕虜収容所での奴隷労働や、無差別焼夷弾爆撃や、原爆投下や、サイパン戦・
沖縄戦等で、最愛の夫、妻、親、子、兄弟を亡くした、癒される事のない深い悲しみ
持っている遺族の方々の強い【戦争絶対反対意思】が広く国民に根付いているのである。

戦友たちの悲惨な死が目に焼き付いている兵卒体験者の深い悲しみ
強い【戦争絶対反対意思】として広く国民に根付いているのである。

兵卒体験者は戦場ソ連の捕虜収容所での地獄体験を忘れることはできない。
引揚者は敗戦国民の無惨な死から辛うじて生き残った幸運を忘れたことはない。


藤田嗣治・サイパン島

2008年4月11日、NHK衛星第2放送から『兵士たちの証言 ガダルカナル繰り返された
白兵突撃』が放送された。日本陸軍が最も得意としたといわれる【白兵突撃による夜襲】の
悲惨な状景と、その後のジャングルにおける悲惨な餓死の状景が、生き残った兵士たちの
証言と共に放送された。

射撃なしで、相手を銃剣で刺し殺す、白兵突撃戦法のあまりにもの愚かさ、
戦うための食糧すら準備せず、「敵の食糧を奪って食え」という方針のあまりにもの無謀さは、
旧大日本帝国陸軍の最高指導者たちと、高級参謀たちの【無謀と愚かさ】を端的に示すものである。
彼らの【無謀と愚かさ】の犠牲となってガダルカナル島で戦死した約5,000人
餓死した約1万5,000人の犠牲者たちに深い哀悼の意を表したい。


ビルマにおける太平洋戦争中の日本軍軍人・軍属の死没者は約17万人といわれる。
犠牲者たちに深い哀悼の意を表したい。

You Tube:インパール作戦

インパール作戦は、旧大日本帝国陸軍・第15軍司令官・牟田口廉也陸軍中将が
麾下の諸師団長や参謀たちの反対意見を強引に押し切って立案・強行した。
あまりにも、【無知で愚かな無謀な作戦】であつた。

投入兵力
8万6,000人に対して、帰還時の兵力は僅か1万2,000人であった。
退却路に沿って延々と続く、ウジの湧いた日本兵の病死者・餓死者の白骨死体が
横たわるむごたらしい有様を、敗走する日本兵は
【白骨街道】と呼んだ。

赤痢などに罹患した病死者・餓死者の遺体や、動けなくなった敗残兵は、
衛生上、敗走する日本軍よりもむしろ危険であったため、英軍は追撃途上で、
生死を問わず、ガソリンをかけて焼却した。

牟田口軍司令官は、無事、日本に帰還した。厚顔無恥の典型ともいえる牟田口軍司令官は
この【無知で愚かな無謀な作戦】について何らの反省・懺悔することなく、自己弁護に終始した。
「自分に責任は無かった」旨を強調する話をパンフレット、ラジオ、テレビ、雑誌などで
機会あるごとに強調していたという。
許し難い卑劣な行為である。

研究資料:信濃毎日新聞 2007年12月11日第1面より抜粋転載
この抜粋文は著作権者と信濃毎日新聞社の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
語り継ぐ生還兵 「戦場は人を狂わせる」


1944年(昭和19年)、当時25歳だった友田浩(88)さんは、陸軍の中隊長として
大敗を喫したインパール作戦のただ中にいた。20日間分の食料と弾薬を入れた
20キロのリユックを背負い、約5カ月間ひたすらジャングルを歩いた。

友田さんの隊は200人。最初から前線にいて生き残った者は5人にすぎない。
死者の7割は餓死だった。
「自分がどうして生きて帰れたか、今でも分からない。狂っていました。」
友田さんは戦場で、逃亡しようとする部下に向かって銃を撃つ中隊長を見た。
「戦争は人をおかしくさせる。でも、そうでなければ戦争なんてできない。」

進めば死ぬ。逃げ出せば、さげすまれ、やはり死が待っている。
その境遇に追いやられ、命を差し出した者を「美しい」と言い始めた日本人。
「死んでいった友のためにも、自分の国をどう守るかは真剣に議論してほしい。」
「負けると分かっていて、どんなに悔しい思いで死んでいったか。
それを語り継ぐため、私は生かされた。」
戦争は人と人とがお互いに殺し合うことしか考えていない。
地上にこれほど無残な犯罪はない。

88歳の友田浩さんは体が動く限り講演に出掛ける。

丸山静雄著『インパール作戦従軍記』 岩波新書 1984年6月発行 第184頁〜第185頁

ビルマ方面軍兵帖参謀倉橋武夫中佐によれば第15軍の状況は次の通りである。

作戦前の総兵力15万5,000人
生還者総数3万1,000人
犠牲者総数12万3,000人
犠牲者率80%

また別の資料によれば、チンドウィン河を渡って作戦に参加した
総兵力は3個師団約10万人、戦闘の結果、戦死あるいは戦傷病死したものは約4万人、
再びチンドウィン河を渡り帰りえた者は約6万であった。
しかし、帰りえた約6万人の中、おそらく約2万人は傷病患者、残る約4万人も、大部分、
マラリア、赤痢に冒されていたであろう。

さらに別の資料によると、インパール作戦の死者は合計13万7,000人に達した
とする数字もある。

高い犠牲率
このように、資料によ.て数字には相違はあるが、共通して指摘されていることは、
犠牲者が驚くほど多かったことである。小部隊ならばいざ知らず、3個師団を擁する
大軍団で、これほど高い犠牲率を出した例が他にあるだろうか。
火器などの損粍についても、倉橋資料によると、チンドウィン河をこえて搬入した火砲、
車輌、馬匹、家畜は、その大半が破壊、殺傷され、あるいは戦場に遺棄された。

初期に退却した部隊は軽兵器(機関銃、郷弾筒、手榴弾、小銃)を持ちかえったが、
遅れて退却したものは小銃、帯剣をも捨て、水筒か飯盒を持つだけだった。
なかには、それすら持たず、杖一本にすがって退却したものも少なくなかった。
惨たる戦いの結末であった。


参考資料:高木俊朗著『インパール』 文春文庫 1975年7月発行

無差別焼夷弾爆撃で家を焼かれ、逃げまどい、どん底生活に突き落とされた人々の
地獄体験による強い【戦争絶対反対意思】が日本国民に定着しているのである。

これらの悲惨な自分自身の体験による強い【戦争絶対反対意思】が定着しているのである。
「戦争についての罪の意識」ではない。

いかなる理由があるにせよ、「二度と戦争に巻き込まれたくない」
「戦争を引き起こしたものを許すことはできない」、
「戦争を引き起こすものは人類の敵である」という日本国民の強い意思である。

以上

付記

敗戦3年目の1947年(昭和22年)、いろいろなことが起きた。

2月1日には、スターリン共産党が支配していた全官公庁労組と民間労組の組合員
合計約400万人による【2.1ゼネスト】が決行される予定であったが、
マッカーサー元帥の指令で中止された。

約400万人というのは、当時でも、今でも、おそるべき数字である。
1946年4月26日の調査では、全労働人口は2970万人であった。
そのうちの約44%=約1300万人が非農業従事者であった。
完全失業者は約160万人。
実質的に失業状態にある者を含めると失業者数は560万人であった。
生活保護受給者は283万7207人であった。
(対日理事会・1947年3月5日英文議事録第15頁)

経済は壊滅状態であった。深刻な食糧不足で、現在の北朝鮮同様
大都市の住民は飢餓状態であった。
【食糧管理法】を遵守し、ヤミ米を食べることを拒否し、
配給食糧のみで生活した東京地裁の山口忠良判事が餓死した。
大都市の住民で生き残った者たちは、大臣・検事・警官、公務員、
教員を含め、全員、【食糧管理法の違反者】ということになる。

労働争議件数は歴史上最高であった。
1947年の労働争議による年間労働損失日は約596万日に達した。
吉田茂首相は「労働組合幹部は不逞の輩
(ふていのやから)」と発言し、
物議を醸した
(ぶつぎをかもした)

3月31日から農地改革による地主の農地の買収が始まった。
小作人は全員、自作農となった。大地主は完全消滅した。
大都市周辺の土地の異常な値上がりにより、かっての小作人のなかから、
実に多数の億万長者が誕生した。

4月、【六三制
(ろくさんせい)】と呼ばれる、男女共学と中学校を義務教育とする
新しい教育制度が発足した。

付記2 日本の国際機関等への分担金・義務的拠出金(平成21年度)一覧表

1 国際人事管理機関連合会 52 千円
2 国際刑事警察機構(ICPO) 746,229 千円
3 国際刑事警察機構(ICPO)(特別分)・ 37,292 千円
4 国際刑事警察機構国際児童ポルノデータベース 7,601 千円
5 アジア・太平洋マネー・ロンダリング対策グループ 6,520 千円
6 金融活動作業部会(FATF)(警察庁関係) 7,941 千円
7 エグモント・グループ 6,127 千円
8 証券監督者国際機構(IOSCO)(金融庁) 1,444 千円
9 証券監督者国際機構(IOSCO)(監視委) 1,444 千円
10 保険監督者国際機構(IAIS) 4,876 千円
11 アジア・太平洋マネー・ローンダリング対策グループ 3,260 千円
12 金融活動作業部会(FATF)(金融庁関係) 7,941 千円
13 国際電気通信連合(ITU) 877,680 千円
14 万国郵便連合(UPU) 200,082 千円
15 アジア太平洋電気通信共同体(APT) 34,385 千円
16 国際連合アジア太平洋統計研修所(SIAP) 171,566 千円
17 アジア太平洋郵便連合(APPU) 695 千円
18 経済協力開発機構(OECD)政府間財政ネットワーク 1,374 千円
19 ヘーグ国際私法会議(HCCH) 25,284 千円
20 私法統一国際協会(UNIDROIT), 17,518 千円
21 アジア・太平洋マネー・ロンダリング対策グループ 3,260 千円
22 金融活動作案部会(FATF)(法務省関係) 7,941 千円
23 ユネスコ(UNESCO) 4,673,217 千円
24 世界遺産基金 54,029 千円
25 無形文化遺産基金 54,029 千円
26 国際連合(UN) 37,889,919 千円
27 国連平和維持活動(PKO) 124,270,212 千円
28 金融活動作業部会(FATF)(外務省関係) 7,941 千円
29 アジア・太平洋マネー・ロンダリング対策グループ 3,260 千円
30 軍縮関係条約等 3,407,269 千円
31 国際原子力機関(IAEA) 6,556,367 千円
32 ベルリン日独センター 114,400 千円
33 経済協力開発機構(OECD) 4,555,731 千円
34 世界貿易機関(WTO) 989,450 千円
35 国連食糧農桑機関(FAO) 7,193,055 千円
36 経済協力開発機構(OECD)国際エネルギー機関(lEA) 518,902 千円
37 エネルギー憲章条約(ECT) 145,580 千円
38 国際穀物理事会(IGC) 23,928 千円
39 アジァ生産性機構(APO) 727,532 千円
40 コロンボ計画(CP) 1,792 千円
41 国際移住機関(IOM) 646,026 千円
42 国連工業開発機関(UNIDO) 2,339,031 千円
43 国際熱帯木材機関(ITTO) 97,804 千円
44 アジア・アフリカ法律諮問委員会(AALCO) 6,199 千円
45 常設仲裁裁判所(PCA) 7,636 千円
46 国際刑事裁判所(ICC) 2,935,112 千円
47 国際海洋法裁判所 234,601 千円
48 国際海底機構 129,712 千円
49 国際事実調査委員会(IHFFC) 5,096 千円
50 化学兵器禁止機関(OPCW) 13,938 千円
51 国際原子力機関(IAEA)(技術協力基金) 1,403,952 千円
52 ASEAN貿易投資観光促進センター 185,108 千円
53 朝鮮半島エネルギー開発機構(利子補給分元本返済) 9,471,084 千円
54 南太平洋経済交流支援センター(SPEESC) 38,810 千円
55 アジア欧州財団(ASEF) 8,844 千円
56 ボスニア和平履行評議会(PIC) 0 千円
57 アジア太平洋経済協力(APEC) 41,761 千円
58 太平洋経済協力会議(PECC) 8,680 千円
59 国際エネルギー・フォーラム 9,157 千円
60 オゾン層の保護のためのウイーン条約 10,290 千円
61 オゾン層を破壊するモントリオール議定書 72,985 千円
62 オゾン層保護基金 2,771,745 千円
63 水鳥湿地保全条約 65,400 千円
64 生物多様性条約 238,061 千円
65 生物多様性カルタヘナ議定書 38,010 千円
66 バーゼル条約 89,736 千円
67 南極条約 737 千円
68 ロッテルダム条約(PIC条約) 36,883 千円
69 ストックホルム条約(POPs条約) 53,522 千円
70 国際自然保護連合(IUCN) 41,076 千円
71 北西太平洋地域海行動計画(NOWPAP) 28,325 千円
72 ワシントン条約(CITES) 88,591 千円
73 砂漠化対処条約 165,243 千円
74 気候変動枠組み条約 298,187 千円
75 京都議定書 223,957 千円
76 國際民間航空機関公開鍵ディレクトリ(1CAO PKD) 2,189 千円
77 金融活動作案部会(FATF)(財務省関係) 15,881 千円
78 アジア・太平洋マネーロンダリング対策グループ(APG) 3,260 千円
79 アジア太平洋経済協力(APEC) 13,920 千円
80 関税協力理事会(世界税関機構) 202,986 千円
81 関税表刊行のための国際連合 6,908 千円
82 経済協力開発機構(OECD)政府間財政ネットワーク 1,374 千円
83 日米教育委員会(日米教育交流計画) 330,000 千円
84 経済憾力開発機構(OECD/CERI) 69,755 千円
85 経済協力開発機構(グローバルサイエンスフオーラム) 11,405 千円
86 国際核融合エネルギー樋構 1,320,770 千円
87 国際学士院連合 444 千円
88 経済協力開発機構原子力機関データバンク 92,751 千円
89 世界知的所有権機関(WPO) 26,673 千円
90 文化財保存修復研究国際センター(JCCROM) 87,740 千円
91 経済協力開発機構(日本・OECD事業憶力信託基金) 109,142 千円
92 経済協力開発機構(国際成人力調査拠出金) 68,122 千円
93 世界保健機関(WHO) 7,952,803 千円
94 国際労働機関(IL0) 6,001,120 千円
95 世界保健機関たばこ規制枠組条約締約国会議事務局 90,753 千円
96 国際がん研究機関(CIRC) 193,577 千円
97 国際社会福祉協議会(ICSW) 927 千円
98 経済協力開発機構(OECD)環境委員会(化学品) 9,620 千円
99 経済協力開発機構(OECD)(地域経済雇用開発) 3,933 千円
100 国際かんがい排水委員会(ICID) 680 千円
101 国際種子検査協会(ISTA) 2,108 千円
102 国際養蚕委員会(ISC) 2,033 千円
103 植物新品種保護国際同盟(UPOV) 24,675 千円
104 国際獣疫事務局(01E) 19,949 千円
105 国際捕鯨委員会(IWC) 26,376 千円
106 北西大西洋漁業機関(NAFO) 3,488 千円
107 北太平洋遡河性魚類委員会(NPAFC) 13,485 千円
108 大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT) 24,053 千円
109 全米熱帯まぐろ類委員会(IATTC) 32,015 千円
110 国際冷凍協会(HR) 7,544 千円
111 国際航路協会(PIANC) 257 千円
112 漁業損害賠償請求処理委員会 38,000 千円
113 南極海洋生物資源保存委員会(CCAMLR) 10,659 千円
114 みなみまぐろ保存委員会(CCSBT) 42,501 千円
115 インド洋まぐろ類委員会(IOTC) 16,182 千円
116 証券監督者国瞭機構(IOSCO) 1,444 千円
117 地中海漁業一般委員会(GFCM) 9,422 千円
118 中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC) 104,354 千円
119 北太平洋海洋科学機関(PICES) 10,649 千円
120 アジァ・太平洋種子連合(APSA) 21 千円
121 南東大西洋論業機関(SEAFO) 4,936 千円
122 経済協力開発機構(OECD) 34,749 千円
123 国際熱帯木材機関(ITTO) 22,221 千円
124 国際度量衡中央事務局 152,945 千円
125 国際標準化機構 148,478 千円
126 国際電気標準会議 80,919 千円
127 国際法定計量機関 16,245 千円
128 経済憾力開発機構(OECD)鉄鋼委員会 13,958 千円
129 経済協力開発機構環境政策委員会(化学品プロジェク) 9,620 千円
130 ロッテルダム条約事務局 9,221 千円
131 ストックホルム条約事務局 17,841 千円
132 国際ゴム研究会 8,182 千円
133 国際ニッケル研究会 6,355 千円
134 国際鉛・亜鉛研究会 2,104 千円
135 国際鋼研究会 4,564 千円
136 世界知的所有権機関事務局(WPO) 76,947 千円
137 博覧会国際事務局(BIE) 4,093 千円
138 証券監督者国際機構(IOSCO) 1,444 千円
139 ASEAN貿易投資観光促進センター 245,085 千円
140 アジア太平洋経済協力(APEC) 36,004 千円
141 経済協力開発機構原子力機関(資源エネルギー庁) 62,998 千円
142 経済協力開発機構原子力機関(原子力安全・保安院) 62,998 千円
143 国際エネルギーフォーラム 18,231 千円
144 世界気象機関(WMO) 939,373 千円
145 世界観光機関(UNWTO) 45,472 千円
146 国際海事機関(IMO) 154,803 千円
147 国際民間航空機関(ICAO) 809,291 千円
148 国際航路標識協会 1,831 千円
149 北大西洋流氷監視分担金 0 千円
150 国際港湾協会(IAPH) 740 千円
151 国際航路協会(PIANC) 1,544 千円
152 国際港湾荷役調整協会(ICHCA) 32 千円
153 国際水路機関(IHO) 10,826 千円
154 経済協力開発機構(OECD)造船部会 13,038 千円
155 国際コスパス・サーサット理事会 4,956 千円
156 北西太平洋地域海行動計画(NOWPAP) 14,100 千円
157 ASEAN貿易投資観光促進センター 87,776 千円
158 経済憶力開発機構(OECD) 9,620 千円
159 国際自然保護連合(IUCN) 1,302 千円
160 國際温地保全連合 5,934 千円
161 POPs(残留性有機汚染物質)条約事務局 17,841 千円
162 カルタヘナ議定書事務局 6,335 千円
163 国際軍事医学委員会 418 千円
                            合計 235,333,742 千円

陸軍の石原莞爾が引き起こした満州事変泥沼化した日中戦争になった。
外交の松岡洋右が結んだ日独伊三国軍事同盟が日本を地獄へと導いた。
海軍の山本五十六が敢行した真珠湾奇襲攻撃
軍事国家・旧・大日本帝国の完全破滅決定的なものにした。

石原莞爾、松岡洋右、山本五十六の3人は軍事国家・旧・大日本帝国を
完全にぶち壊した3大功労者
といっても賞めすぎではないと思う。

ちなみに、戦前の、軍事国家・旧・大日本帝国男尊女卑(だんそんじょひ)
社会であった。女性には選挙権はなかった
結婚した男性の不倫は、法的にも、社会的にも咎められることはなかったが、
結婚した女性の不倫は、【姦通罪(かんつうざい)】という犯罪であり、
法的に罰せられた。社会的にも許容されなかった。
赤線地帯の名称で知られる通り、売春業が公認されていた

無資源国・日本が、現在、平和通商国家として生きていけるのは、
海外・国内の数千万人の昭和戦争の犠牲者のおかげであることを
忘れてはならないと思う。

昭和戦争で亡くなった、数千万人の犠牲者の霊を慰めるためにも、
日本国民は、石原慎太郎氏、藤原正彦氏ら、右翼・軍国主義者たちが唱える、
軍部と特権階級が支配し、支配者に絶対服従せよと洗脳されていた
貧しい「戦前の日本に戻れ」という主張に惑わされることなく、

模範的国際平和貢献国家であり、
模範的民主主義国家である日本

国際平和主義民主主義
核兵器や侵略軍事力ではなく、
情報・知恵・工夫に基づく自衛戦略
守りぬかねばならないと思う。

以上

資料1:坂口安吾 『続堕落論』 1946年初出

敗戦後、国民の道義頽廃たいはいせりというのだが、然らば、戦前の「健全」なる道義に
復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。

私の生れ育った新潟市は石油の産地であり、したがって石油成金の産地でもある。
私が小学校のころ、中野貫一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、
停車場から人力車に乗ると値がなにがしか高いので万代橋ばんだいばしという
橋のたもとまで歩いてきて、そこで安い車を拾うという話を校長先生の訓辞に於て
幾度となくきかされたものであった。

ところが先日郷里の人が来ての話に、この話が今日では新津某という新しい石油成金の
逸話に変り、現に、なお新潟市民の日常の教訓となり、生活の規範となっていることを知った。

百万長者が五十銭の車代を三十銭にねぎることが美徳なりや。我等の日常お手本とすべき
生活であるか。この話一つにての問題ではない。問題はかかる話の底をつらぬく精神であり、
生活のありかたである。

戦争中、私は日本映画社というところで嘱託をしていた。そのとき、やっぱり嘱託の一人に
という新聞聯合の理事だか何かをしている威勢のいい男がいて、談論風発、吉川英治と
佐藤紅緑が日本で偉い文学者だとか、そういう大先生であるが、会議の席でこういう映画を
作ったらよかろうと言って意見を述べた。

その映画というのは、老いたる農夫のゴツゴツくれた手だとか、ツギハギの着物だとか、
父から子へ、子から孫へ伝えられる忍苦と耐乏の魂の象徴を綴り合せ映せという筋だ。

彼は、日本文化は農村文化でなければならず、農村文化から都会文化に移ったところに
日本の堕落があり、今日の悲劇があるからだ、というのであった。

この話は会議の席では大いに反響をよんだもので、専務(事実上の社長)などは大感服、
僕をかえりみて、君あれを脚本にしないかなどと言われて、私は御辞退申上げるのに苦労した。

この話とても、この場かぎりの、戦時中の一場の悪夢ではないだろう。戦争中は農村文化へ
返れ、農村の魂へ返れ、ということが絶叫し続けられていた。それは一時の流行の思想である
とともに、日本大衆の精神でもあった。

一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、
耐乏精神だのの、本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、
農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。

農村にあるものは、排他精神と、他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が
発達しているだけである。農村は淳朴じゅんぼくだという奇妙な言葉が無反省に使用せられて
きたものだが、元来、農村は、その成立の始めから、淳朴などという性格はなかった。

大化改新以来、農村精神とは、脱税を案出する不撓不屈ふとうふくつの精神で、
浮浪人となって脱税し、戸籍をごまかして脱税し、そして彼等農民達の小さな個々の悪戦苦闘の
脱税行為が、実は日本経済の結び目であり、それによって荘園が起り、荘園が栄え、荘園が衰え、
貴族が亡びて、武士が興った。

農民達の税との戦い、その不撓不屈の脱税行為によって日本の政治が変動し、日本の歴史が
移り変っている。人を見たら泥棒と思えというのが王朝の農村精神であり、事実、群盗横行し、
地頭は、ころんだときでも、何かんで起き上るという達人であるから、他への不信、排他精神
というものは農村の魂であった。

彼等は常に受身である。自分の方からこうしたいとは言わず、又、言い得ない。その代り、
押しつけられた事柄を、彼等独特のずるさによって処理しておるので、そして、その受身のずるさが、
孜々ししとして、日本の歴史を動かしてきたのであった。

日本の農村は、今日に於ても、尚、奈良朝の農村である。今日、諸方の農村に於ける相似た
民事裁判の例、境界のウネを五寸三寸ずつ動かして隣人を裏切り、証文なしで田を借りて返さず、
親友を裏切る。彼等は、親友隣人を執拗に裏切り続けているではないか。

損得という利害の打算が生活の根柢で、より高い精神への渇望、自我の内省と他の発見は
農村の精神に見出すことができない。他の発見のないところに真実の文化が有りうべき筈はない。
自我の省察のないところに文化の有りうべき筈はない。

農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。
必要は発明の母と言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起り、
文化が起り、進歩というものが行われてくるのである。

日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、
兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残極まる大敗北となっている。

あに兵隊のみならんや。日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、
憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を
受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。

必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、
耐乏を美徳と称す。一里二里は歩けという。五階六階はエレベータアなどとはナマクラ千万の
根性だという。

機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。
真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、肉体の勤労にたより、
耐乏の精神にたよって今日亡国の悲運をまねいたではないか。

ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの
勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。しかも日本全体が、日本の根柢そのものが、
かくの如く馬鹿げきっているのだ。

いまだに代議士諸公は天皇制について、皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、
大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、
天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。

藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。

何が故に、彼等自身が最高の主権を握らなかったか。

それは、彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、
彼らは、自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が、先ず、
まっさきにその号令に服従してみせることによって、号令が更によく行きわたることを心得ていた。

その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、
彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、
自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を
人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。

自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。
だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、
それを人民に押しつけることは可能なのである。

そこで、彼等は、天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、
自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。

それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。

見給え。この戦争がそうではないか。

実際、天皇は知らないのだ。命令してはいないのだ。

ただ軍人の意志である。

満洲の一角で事変の火の手があがったという。
華北の一角で火の手が切られたという。

はなはだしいかな、総理大臣までその実相を告げ知らされていない。

何たる軍部の専断横行であるか。

しかもその軍人たるや、かくの如くに天皇をないがしろにし、
根柢的に天皇を冒涜ぼうとくしながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。

ナンセンス! ああナンセンス極まれり。

しかもこれが日本歴史を一貫する天皇制の真実の相であり、
日本史の偽らざる実体なのである。

藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。
彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、
我が身の便利の道具とし、冒涜の限りをつくしていた。

現代に至るまで、そして、現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、
国民は又、おおむねそれを支持している。

昨年(1945年)8月15日、天皇の名によって終戦となり、
天皇によって救われたと人々は言うけれども、
日本歴史の証するところを見れば、
常に、天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史の編み出したあみだした独創的な作品であり、
方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を
本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が8月15日となった。

たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、ちんの命令に服してくれという。

すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。

嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!

我等国民は戦争を止めたくて仕方がなかったのではないか。

竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかった
のではないか。

戦争の終ることを最も切に欲していた。

そのくせ、それが言えないのだ。

そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。
何というカラクリだろう。

みじめとも、又、なさけない歴史的大欺瞞ぎまんではないか。
しかも我等はその欺瞞を知らぬ。

天皇の停戦命令がなければ、実際、戦車に体当りをし、厭々ながら、勇壮に、
土人形となってバタバタ死んだのだ。

最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、
我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、
天皇を利用することにはれており、
その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、
天皇の尊厳の御利益を謳歌している。
何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。

我々はこの歴史的カラクリにかれ、
そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。

人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、
要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、
不義は御法度ごはっとだの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、
この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、
そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。

日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。
日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。

天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、
日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。人間の正しい光は永遠にとざされ、
真の人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を訪れる時がないだろう。

私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、
そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪ちんりんしているのであって、
我々はかかる封建遺性のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ
降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、
真実の人間へ復帰しなければならない。

天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、
かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。

さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。
先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。
未亡人は恋愛し地獄へちよ。復員軍人は闇屋となれ。

堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。
表面の綺麗きれいごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、
真実の悲鳴を賭けねばならぬ。

堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。
血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。
手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。

堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには
孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。即ち堕落は常に孤独なものであり、
他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外にすべのない
宿命を帯びている。

善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、
社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。
だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野こうやを歩いて行くのである。

悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。

キリストが淫売婦にぬかずくのも、この曠野のひとり行く道に対してであり、
この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、
むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。

悲しいかな、人間の実相はここにある。然り、実に悲しい哉、人間の実相はここにある。
この実相は社会制度により、政治によって、永遠に救い得べきものではない。

尾崎咢堂がくどうは政治の神様だというのであるが、終戦後、世界聯邦論ということを
唱えはじめた。彼によると、原始的な人間は部落と部落で対立していた。明治までの日本には、
まだ日本という観念がなく、藩と藩とで対立しており、日本人ではなく、藩人であった。

そこで非藩人というものが現れ、藩の対立意識を打破することによって、
日本人が誕生したのである。

現在の日本人は日本国人で、国によって対立しているが、明治に於ける非藩人の如く、
非国民となり、国家意識を破ることによって国際人となることが必要で、
非国民とは大いに名誉な言葉であると称している。これが彼の世界聯邦論の根柢で、
日本人だの米国人だの中国人だのと区別するのは原始的思想の残りに憑かれてのことであり、
世界人となり、万民国籍の区別など失うのが正しいという論である。

一応傾聴すべき論であり、日本人の血などと称して後生大事にまもるべき血などある筈がない、
と放言するあたり、いささか鬼気を感ぜしむる凄味があるのだが、私の記憶に誤りがなければ
彼の夫人はイギリス人の筈であり、日本人の女房があり、日本人の娘があると、
却々なかなかこうは言いきれない。

だが、私はあえて咢堂に問う。咢堂いわく、原始人は部落と部落で対立し、
少し進んで藩と藩で対立し、国と国とで対立し、所詮対立は文化の低いせいだというが、
果して然りや。

咢堂は人間という大事なことを忘れているのだ。

対立感情は文化の低いせいだというが、国と国との対立がなくなっても、
人間同志、一人と一人の対立は永遠になくならぬ。

むしろ、文化の進むにつれて、この対立は激しくなるばかりなのである。

原始人の生活に於ては、家庭というものは確立しておらず、多夫多妻野合であり、
嫉妬もすくなく、個の対立というものは極めて稀薄だ。

文化の進むにつれて家庭の姿は明確となり、個の対立は激化し、尖鋭化する一方なのである。

この人間の対立、この基本的な、最大の深淵を忘れて対立感情を論じ、世界聯邦論を唱え、
人間の幸福を論じて、それが何のマジナイになるというのか。

家庭の対立、個人の対立、これを忘れて人間の幸福を論ずるなどとは馬鹿げきった話であり、
然して、政治というものは、元来こういうものなのである。

共産主義も要するに世界聯邦論の一つであるが、彼らも人間の対立について、
人間に就て、人性に就て、咢堂と大同小異の不用意を暴露している。
けだし、政治は、人間に、又、人性にふれることは不可能なのだ。

政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚である。
天皇制というカラクリを打破して新たな制度をつくっても、それも所詮カラクリの
一つの進化にすぎないこともまぬがれがたい運命なのだ。人間は常に網からこぼれ、堕落し、
そして制度は人間によって復讐される。

私は元来、世界聯邦も大いに結構だと思っており、咢堂の説く如く、
まもるに価する日本人の血など有りはしないと思っているが、
然し、それによって人間が幸福になりうるか、人間の幸福はそういうところには存在しない。
人の真実の生活は左様なところには存在しない。

日本人が世界人になることは不可能ではなく、実は案外簡単になりうるものであるのだが、
人間と人間、個の対立というものは永遠に失わるべきものではなく、しかして、
人間の真実の生活とは、常にただこの個の対立の生活の中に存しておる。

この生活は世界聯邦論だの共産主義などというものが如何ように逆立ちしても、
どう為し得るものでもない。しかして、この個の生活により、その魂の声を吐くものを文学という。
文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、
その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。
これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。

人間の一生ははかないものだが、又、然し、人間というものはベラボーなオプチミストで
トンチンカンなわけの分らぬオッチョコチョイの存在で、あの戦争の最中、東京の人達の大半は
家をやかれ、壕にすみ、雨にぬれ、行きたくても行き場がないとこぼしていたが、
そういう人もいたかも知れぬが、然し、あの生活に妙な落着おちつき訣別けつべつしがたい
愛情を感じだしていた人間も少くなかった筈で、雨にはぬれ、爆撃にはビクビクしながら、
その毎日を結構たのしみはじめていたオプチミストが少くなかった。

私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして
皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。

闇の女は社会制度の欠陥だと言うが、本人達の多くは徴用されて機械にからみついていた時よりも
面白いと思っているかも知れず、女に制服をきせて号令かけて働かせて、その生活が健全だと
断定は為しうべきものではない。

生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、
その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなど
チョコザイ千万なナンセンスにすぎない。

無限又永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。
我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、
その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。

何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、
そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の
実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。


資料2:坂口安吾 『堕落論』 1946年初出 

戦争が終わって半年のうちに世相は変った。

「醜(しこ)の御楯と出で立つ我は、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ。」

若者たちは花と散ったが、同じ彼らが生き残って闇屋となる。

「百歳(ももとせ)の命願わじ、何時の日か御楯と行かん君と契りて。」

健気な(けなげな)心情で男を送った女たちも、半年の月日のうちに、
夫君の位牌に額ずく(ぬかずく)ことも事務的になるばかりであろうし、
やがて、新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。

人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、
変ったのは世相の上皮だけのことだ。

昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、
彼らが生きながらえて、生き恥をさらし、せっかくの名を汚す者が
現れてはいけないという老婆心であったそうな。

現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には
多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたい
ということは一般的な心情の一つのようだ。

十数年前だかに、童貞処女のまま愛の一生を終らせようと、
大磯のどこかで心中した学生と娘があった。世人の同情は大きかった。

私自身も、数年前に、私ときわめて親しかった姪の一人が、
21歳で自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。
一見、清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり、真っ逆さまに
地獄へ堕ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに
堪えないような気がしていたからであった。

この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。
戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で、
彼女たちに使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。

軍人たちの悪徳に対する理解力は敏感であって、彼らは女心の変りやすさを
知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止事項を
案出におよんだまでであった。

日本の武人は、古来、婦女子の心情を知らないと言われているが、
これは皮相の見解で、彼らの案出した武士道という武骨千万(ぶこつせんばん)
法則は、人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。

武士は仇討ちのために、草の根を分け、乞食となっても仇敵(かたき)
足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情熱をもって、
仇敵(かたき)の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。

彼らの知っていたのは、仇討ちの法則と、仇討ちの法則に規定された名誉だけある。

元来、日本人は最も憎悪心の少ない、また、憎悪心が永続しない国民であり、
「昨日の敵は今日の友」という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。

昨日の敵と妥協、否、肝胆相照らすのは日常茶飯事である。

仇敵(かたき)なるがゆえに、、いっそう肝胆相照らし、たちまち二君に仕えたがるし、
昨日の敵にも仕えたがる。

「生きて捕虜の恥を受けるべからず」というが、こういう規定がないと
日本人を戦闘に駆り立てるのは不可能なのである。我々日本人は、
規約に従順であるが、日本人の偽らぬ心情は規約と逆なものである。

日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史である。歴史の証明に
まつよりも、自我の本心を見つめることによって、歴史のカラクリを
知り得る。軍人政治家が未亡人の恋愛について執筆を禁じたごとく、
古の武人は、武士道によって、自分自身と部下たちの弱点を抑える必要があった。

小林秀雄は、政治家たちを、独創性を持たず、ただ管理し支配する人種と
呼んでいるが、必ずしも、そうではないようだ。
政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才政治家は、
管理や支配の方法に独創性を持ち、それが凡庸な政治家の規範となって、
個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で、巨大な生き者の意志を示している。

政治の場合、歴史は、個を繋ぎ合せたものでなく、個を没入せしめた
別個の巨大な生き物となって誕生し、歴史の姿においても、
政治においても、巨大な独創を行っているのである。

この戦争をやった者は誰であるか。東条であり軍部である。
しかし、また、日本を貫く巨大な生き物=歴史の、抜き差しならぬ意志で
あったに相違ない。

日本人は、歴史の前では、ただ運命に従順な子供であったにすぎない。

政治家たちに独創性はなくとも、政治は歴史の姿において独創性を持ち、
意欲を持ち、止むべからざる歩調をもって、大海の波のごとくに歩いて行く。

何人が武士道を案出したか。これもまた歴史の独創性、または嗅覚であったで
あろう。歴史は、常に、人間を嗅ぎだしている。そして、武士道は、
人性や本能に対する禁止条項であるために、非人間的、反人性的なものであるが、
その人性や本能に対する洞察の結果である点においては、全く人間的なものである。

私は、天皇制は、極めて日本的な、あるいは、独創的な政治的作品と見る。
天皇制は天皇によって生み出されたものではない。天皇は、時には、自ら
陰謀を起したこともあるけれども、概して、何もしておらず、その陰謀は
常に成功した試しがない。天皇は、島流しとなったり、山奥へ逃げたりしている。
そして、結局、常に、政治的理由によってその存立を認められてきた。
社会的に忘れられた時にすら、政治的に、担ぎ出されてくる。
その存立の政治的理由は、いわば、政治家たちの嗅覚によるものである。

政治家たちは、日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。

それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも、釈迦家でも、
レーニン家でも構わなかった。ただ、それらは、代り得なかっただけである。

日本の古代の政治家たち、すなわち、貴族や、武士の統領たちは、
自己の永遠の隆盛を夢み、それを確保する手段として、絶対君主の必要を
嗅ぎつけていた。平安時代の藤原氏は、天皇の擁立を自分勝手にやりながら、
自分たちが天皇の下位であるのを疑りはしなかった。迷惑とも思っていなかった。
天皇の存在と利用によって、御家騒動の処理をやり、
弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。

日本の古代の政治家たち、すなわち、貴族や、武士の統領たちは、
本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉しければよかった。

朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、それに大満足していた。
天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、また、自ら威厳を感じる手段でもあった。

我々にとっては、本当に馬鹿げたことだ。我々は、靖国神社の下を電車が曲るたびに
頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、ある種の人々にとっては、
そうすることによってしか自分を感じることができないのである。

我々は、靖国神社については、その馬鹿らしさを笑うけれども、他の事柄について、
同じような馬鹿げたことを、自分自身でやっている。自分の馬鹿らしさには気づかない
だけのことである。

宮本武蔵は一乗寺下り松の決闘の場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって、
思わず、拝みかけて、思い留まったという。「吾、神仏を頼まず」という彼の教訓は、
この自らの性癖に発し、また、この自らの性癖に向けられた悔恨深い言葉である。

我々は、自発的に、ずいぶんと馬鹿げたものを拝んでいる。ただ、それを意識
していないというだけのことだ。道学先生は、教壇で、まず書物を推し頂くが、
彼は、そのことで、自分の威厳と、自分自身の存在を感じているのであろう。
そして、我々も、何かにつけて、似たようなことをやっている。

日本人のごとく権謀術数を事とする国民には、権謀術数のためにも、
大義名分のためにも、天皇が必要で、個々の政治家は、必ずしも、
その必要性を感じていなくとも、歴史的な嗅覚において、彼らは、
その必要を感じ、自らのいる現実を疑る(うたぐる)ことがなかった。

秀吉は聚楽に天皇の行幸を仰いで、自ら、盛儀に泣いた。自分の威厳を
天皇の行幸によって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。

権謀術数が、悪魔の手段であったにしても、悪魔が、幼児のごとく
神を拝むことは必ずしも不思議ではない。どのような矛盾もあり得る。
天皇制というものは武士道と同種のものである。

女心は変りやすい。「節婦は二夫に見えず(まみえず)」ということは、
非人間的禁止、反人性的禁止であるけれども、洞察の真理においては
人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、また自然でも
ないが、天皇制成立と定着に至る歴史的な発見や洞察においては、
軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでいる。表面的な真理や、
自然法則だけでは割り切れない。

まったく美しいものを、美しいままで終らせたいなどと希うことは
小さな人情で、私の姪の場合も、自殺などせずに生き抜き、そして、
地獄に堕ちて、暗黒の曠野を彷徨うことを希うべきであるかもしれぬ。

現に私自身が自分に課した文学の道とは、かかる曠野の流浪であるが、
それにもかかわらず、美しいものを美しいままで終らせたいという
小さな希いを消し去るわけにもいかぬ。

未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落(りんらく)
自体が美でありうる時に、始めて、美と呼びうるのかもしれない。
二十の処女を、わざわざ、六十の老醜の姿の上で、常に、見つめなければ
ならぬのか。これは私には分らない。私は二十の美女を好む。

死んでしまえば、身も蓋もないというが、はたしてどういうものであろうか。

敗戦して、結局、気の毒なのは戦没した英霊たちだ、という考え方も、
私は素直に肯定することができない。

けれども、六十過ぎた将軍たちが、なお、生に恋々として、法廷に曳かれる
ことを思うと、何が人生の魅力であるか、私には皆目分らない。しかし、
おそらく、もしも、私自身が六十の将軍であったならば、やはり、生に
恋々として法廷に曳かれるであろうと想像せざるを得ない。私は生という
奇怪な力に、ただ茫然(ぼうぜん)たるばかりである。

私は二十の美女を好むが、老将軍もまた二十の美女を好んでいるのか。
そして戦没の英霊が気の毒なのも二十の美女を好む意味においてであるか。
そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、そこから
一途に二十の美女を追っかける信念すらも持ちうるのだが、生きることは、
もっとわけの分らぬものだ。

私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、
私はクルリと振向いて逃げだしていた。けれども、私は偉大な破壊が好きであった。
私は、爆弾や焼夷弾に戦き(おののき)ながら、狂暴な破壊に劇しく(はげしく)
亢奮(こうふん)していたが、それにもかかわらず、このときほど人間を愛し、
懐かしんでいた時はないような思いがする。

私は、疎開を勧め、また、進んで田舎の住宅を提供しようと申出てくれた
数人の親切を退けて、東京に踏み止まっていた。大井広介の焼跡の防空壕を
最後の拠点にするつもりであった。そして九州へ疎開する大井広介と別れた時は、
東京のあらゆる友達を失った時でもあった。

やがて、米軍が上陸し、四辺に重砲弾の炸裂するさなかに、その防空壕に
息をひそめている私自身を想像して、私はその運命を甘受し、待ち構える気持に
なっていた。私は死ぬかもしれぬと思っていた。しかし、同時に、より多く生きることを
確信していたに相違ない。

しかし、廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかといえば、私は、ただ生き残ること
以外の何の目算もなかったのだ。予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心は、
私の一生で最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても、
東京に留まることに賭ける必要があるという奇妙な呪文に憑かれて(つかれて)いた。

そのくせ、私は臆病で、昭和20年の4月4日という日、私は始めて周囲に、2時間にわたる
爆撃を経験した。頭上の照明弾で、周囲が昼間のように明るくなった。その時、次兄が、
防空壕の中から、焼夷弾かと訊いた。いや照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は、
腹に力を入れた上でないと声が全然、出ないということを知った。

また、当時、日本映画社の嘱託だった私は、銀座が、爆撃された直後、爆撃機編隊の来襲を
銀座の日映の屋上で迎えた。5階の建物の上に塔があり、この上に3台のカメラが据えてある。
空襲警報が出ると、銀座の路上、窓、屋上から、あらゆる人の姿が消え、屋上の高射砲陣地
すらも掩壕に隠れて人影はなく、ただ天地に露出する人の姿は、日映屋上の十名ほどの一団
のみであった。

まず石川島に焼夷弾の雨が降り、次の爆撃機編隊が真上へ来る。私は足の力が抜け去る
ことを意識した。煙草を咥えて、カメラを爆撃機編隊に向けている、憎々しいほど落着いた
カメラマンの姿に驚嘆したのであった。

けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
麹町のあらゆる大邸宅が嘘のように消え失せて余燼(よじん)をたてており、上品な父と娘が、
たった一つの赤皮のトランクをはさんで、濠端の緑草の上に坐っている。片隅に余燼をあげる
茫々たるたる廃墟がなければ、平和なピクニックと全く変るところがない。

ここも消え失せて茫々と、ただ余燼を立てている道玄坂では、坂の中途に、どうやら爆撃ではなく、
自動車に轢き殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンが被せてある。傍らに、
銃剣の兵隊が立っていた。行く者、帰る者、罹災者たちの蜿蜒たる(えんえんたる)流れが、
まことに、ただ、無心の流れのごとくに、死体を摺り抜けて行き交い、路上の鮮血にも気づく者すら
おらず、たまさか、気づく者があっても、捨てられた紙屑を見るほどの関心しか示さない。

米国人たちは、終戦直後の日本人は、虚脱し、放心していると言ったが、爆撃直後の、
罹災者たちの行進は、虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、
素直な運命の子供であった。

笑っているのは、常に十五六、十六七の娘たちであった。彼女たちの笑顔は爽やか(さわやか)
だった。焼跡を穿り返し(ほじくりかえし)、焼けたバケツへ掘り出した瀬戸物を入れていた。
僅かばかりの荷物の張番をしながら路上で日向ぼっこをしていた。

この年頃の娘たちは、未来の夢でいっぱいで、現実などは苦にならないのであろうか。
それとも高い虚栄心のためであろうか。私は焼野原に娘たちの笑顔を探すのが楽しみであった。

あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。
猛火潜って(くぐって)逃げのびてきた人たちは、燃えかけている家のそばに群がって(むらがって)
暖をとっており、同じ火に、必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで、全然、
別の世界にいるのであった。

偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。
それに比べれば、敗戦の表情は、ただの堕落にすぎない。

だが、堕落ということの驚くべき平凡さや、平凡な当然さに比べると、あの凄まじい(すさまじい)
偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間たちの美しさも、泡沫のような虚しい幻影にすぎないという
気持がする。

徳川幕府は、四十七名を殺すことによって、彼等を永遠の義士たらしめようとした。しかし、
四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が、常に、義士から凡俗へと、
さらには、地獄へと堕落し続けていることを防ぎ得る由もない。

節婦は二夫に見えず(まみえず)、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定してみても、
人間の堕落は防ぎ得ない。よしんば、処女を刺し殺して、その純潔を保たしめることに成功しても、
人間の堕落の、平凡な跫音(あしおと)、ただ打ち寄せる波のような、その当然な跫音に気づくとき、
人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは、泡沫のごとき虚しい幻影に
すぎないことを見出さずにいられない。

特攻隊の勇士は幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。
未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのでは
ないのか。そして、あるいは、天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の
天皇の歴史が始まるのかもしれない。

歴史という生き物の巨大さと同様に、人間自体も驚くほど巨大だ。生きるという事は、実に、
唯一の不思議である。六十七十の将軍たちが切腹もせず、轡(くつわ)を並べて法廷に曳かれる
などとは、終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、
堕落という真実の母胎によって、始めて、人間が誕生したのだ。生きよ、堕ちよ、その正当な手順の
ほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか。

私はハラキリを好まない。昔、松永弾正という老獪陰鬱な陰謀家は、信長に追い詰められて
仕方なく城を枕に自殺した。死ぬ直前に、毎日の習慣通り延命の灸をすえ、それから鉄砲を
顔に押し当て、顔を打ち砕いて死んだ。その時、松永弾正は七十をすぎていた。
松永弾正は人前で平気で女と戯れる悪どい男であった。この男の死に方には同感するが、
私はハラキリは好きではない。

私は戦き(おののき)ながら、しかし、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。
私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。
実際、泥棒すらもいなかった。

近頃の東京は暗いというが、戦争中は真切闇で、そのくせどんな深夜でも
追い剥ぎ(おいはぎ)などの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締りなしで
眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ戯しい美しさが
咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が
考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。

たとえ爆撃の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、
人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておればよかったのだ。
私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、
自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に
自由ではあり得ない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、
そして人間は考えるからだ。

政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうはいかない。
遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、
どれほどの変化を示しているであろうか。

戦争の凄まじい破壊と運命をもってしても、人間自体をどうすることも
できない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はす
に新たな面影によって胸を膨らませているではないか。人間は変りはしない。
ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
それを防ぐことはできない。防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外に人間を救う便利な近道はない。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、
生きているから堕ちるだけだ。だが人間は、永遠に堕ち抜くことは
できないだろう。なぜなら、人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくでは
あり得ない。人間は可憐であり、脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、
堕ち抜くためには弱すぎる。人間は、結局、処女を刺殺せずにはいられず、
武士道を編み出さずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなる
であろう。だが、他人の処女でなしに、自分自身の処女を刺殺し、
自分自身の武士道、自分自身の天皇を編み出すためには、人は正しく
堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

そして人のごとくに、日本もまた堕ちることが必要であろう。
堕ちる道を堕ち切ることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

政治による救いなどは、上皮だけの愚にもつかない物である。