十二仙会議に出掛けるというので、一緒にくっついて玉虚宮へ向かった。
いつもは洞府で留守番しているのだけれど、
たまには青峯山以外の景色でも観てみようかと思ったのだ。
元々外出は好きだし。

ただ一緒に行きたいと言った時に、師父が妙な顔をしたのが気になった。
反対しているわけではないのに、少し困ったような笑みを浮かべて。

勿論会議室には入れないので、総本山の周りをぐるりと回ってみるつもりだ。
待ち合わせの場所を決める必要はない。
道徳が気配で居場所を探ってくれるからだ。

だから自由に歩き回って存分に楽しむはずだったのだ。
いや、確かに楽しかった。
その場面に遭遇するまでは。










+++
行使う+++










何だか騒がしい。

そろそろ会議も終わるだろうと、会議室へ向かう途中だった。
充分楽しんだし、わざわざ探してもらうよりは自分がそちらへ向かったほうが効率的だろう、と。

気休め程度に気配を探りながら歩く。
自分ではまだごく近い範囲内でしか気配を探る事が出来ない。
精々目の届く範囲くらい。
障害物はほぼ関係ないのだが、人が多いと目標を見失わないようにするのに集中力を要した。
会議は終わっていないか、終わって間もないかのどちらかだろう。
だから気休め。
終わっていたならすぐに道徳のほうが見つけてくれると思っていたし、
終わっていなかったら部屋の前で待っていればいいだけのことだ。


そしてそろそろ会議室かという所で。
何だか騒がしい事に気づいた。
大勢の気配が引っかかって、早々に探るのを放棄する。
殆どが知らない仙道の気配だったことも理由だ。

廊下の角の向こうから、きゃあ、と黄色い歓声が聞こえて。
最初に思ったのは、珍しいな、ということ。

男性に比べ女性の仙道は数が少ない。
道士は大体が自分の師の洞府周辺から離れないものだし、
特に女性ともなれば道士にしろ仙人にしろ外に出るのも稀だった。

そんな女性の歓声。
それも一人二人ではない。
珍しい、そう思うのは自然なことだ。

丁度自分が向かう方向からだし、野次馬根性もあって、気軽にその角を曲がった。
途端、目に飛び込んだのは鮮やかな色彩だ。
女性だけでなく男も居るようだったが、華やかとはこういうことなのだろう、と思う。

見た限りでは道士が殆どを占めているようだ。

―――何だろう。

人ごみとは距離をとり、背伸びしてのその向こうを窺う。
迂闊だったのは、そこが会議室前の廊下だと気づかなかったこと。


最初は、人垣越しに話し掛けられた女性と和やかに話す太乙さんの姿が見えた。


「……………???」


予想外の展開に、頭の中で疑問符と疑問が飛び交う。

あれ?
なに?
何で人に囲まれてるのさ??

背伸びを止め、首を傾げていると周りの人の話し声が耳に入ってくる。



『ラッキー!今日十二仙会議だったんだな。』
『俺、全然姿を拝見したことないんだ。感激だよ!』

『ちょっと、見て!玉鼎真人様よ!!』
『やーん格好良い!素敵よね〜!!』

『きゃあ、普賢様と目が合っちゃった!!!』
『嘘っ、ずるいっ!!』



―――…何さ、これ………。

気持ち半歩ほど足が下がる。
引け腰気味、というか、異様なものを見てしまったというか。
不思議な熱気に、気後れした。

確かに、十二仙は人気があると、知識では知っていた。
が、まさかこれほどまでとは。

天化にとっては師父が十二仙の一員で、その師父の友人も殆どが十二仙だ。
幼い頃から見知った人達が人に囲まれ騒がれている光景は、
何かの間違いではないかと思うのに充分なものだった。


―――…うわぁ、これちょっと離れて待ってたほうが良いかも…


この人ごみの中堂々と入っていく勇気はないし、
そもそも道徳がどの辺りに居るのかさえ分からない状況だ。

諦めて玉虚宮の山頂から景色でも眺めて待っていよう。
自分の考えに頷き、きびすを返した時だ、それが聞こえたのは。


『あのっ、私ずっと道徳様に憧れてて…っ!!』
『私も憧れてました!以前に拝見した剣舞がとても素敵で!』


何か考える前に、思わず振り返った。
今思えば、こういう場面を見たくないがために、
無意識のうちにこの場から離れようとしていたのではないか。
けれどもう遅い。

立ち止まってしまったし、聞こえたし、見てしまった。


『それは、どうもありがとう。』


にこと微笑む顔が、人垣の間から僅かに見えた。

あれは、誰だろう。
あれは、自分の知ったあの人であるのか。

ず、と胃の底が熱を持つ。

動揺してはいけない、気取られる。
落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け。
唇を噛む。
いくら大勢の人に囲まれていても、
これだけ気が乱れれば、道徳に気づかれるのも時間の問題だ。
早くこの場から離れないと。

そう思うのに身体が動かない。
視線は人波の向こうに見える姿に固定されていた。

不意に、その頭がひょい、と動く。
何かに ―恐らく先程の気の乱れに― 気づいて、探す仕草。

咄嗟に足を引いたが、顔を逸らすのが遅れて、



―――目が合った。



おかしなことにその瞬間、それまで動かなかった身体が動く。
さっと踵を返して早足に駆け始めた。

何でも良いから早くこの場から。
彼から。

逃げなくては。

きっと道士達に引き止められる。
大丈夫。
あの人は他人の好意を無下にすることなど出来ない。

さっきの言葉だって、微笑だって、そうなのだ。
そんなこと、分かっている。

分かっている、けど。

じゃあ、何で。
何でこんなに腹が立つのか。





*





充分に離れたところで駆け足を止め、歩みに変える。
しかし歩みとはいえ大股で早歩きだったので、軽く駆ける程のスピードはあっただろう。

闇雲に進んできたので、自分が今どの辺りにいるのかさっぱり分からなかったが、
そんなことは全く気にならない。
感情のコントロールが利かないのが何より苛立たしく、
自分の足音とは違うものが後ろから聞こえ始めて口の中で悪態をつくのに忙しかったから。

ぎゅ、と拳を握る。
絶対に振り返らないし、ましてや立ち止まってなどやるものか。

見当違いの怒りに、息が詰まりそうだった。
眩暈がする。

これが子供のような嫉妬と独占欲によるものだと解っていれば尚更、腹立たしい。




「やっと追い付いたっ!」

弾んだ息と声で後ろから両肩を掴まれ、身体が傾ぐ。
しまったと思うより先に、すぐに追ってきてくれて嬉しい、と思った自分に苛立つ。

振り返って、皮肉を隠しもせずに口にした。

「"憧れの道徳さん" が、こんなとこに何の御用さ」
「何って…」

目を丸くしておどけるような…そう、余裕の態度。
宥めようというのが見え見えなのは皮肉に対する反撃のつもりか、単に何も考えていないのか。
たぶん後者だが、それを言うなら自分が拗ねているのもばれているのだろう。
咄嗟の行動だったとはいえ、隠せなかったことに舌打ちしたい気分だった。

「あーたのことだから無下に断って出て来たんだろ?さっさと戻れば」
「失礼な。丁重に謝って辞して来たぞ」

真面目に憤慨している。
そういう問題ではないのだ。
この人が人の好意を無下にすることなど出来るわけがない。
そんなこと、分かっている。

「何にしても人気者のあーたを独占してるわけにいかないんでね。戻るさ」
「…やだ」
「やだって…子供じゃねーんだからさぁ、」

溜息をついて顔を上げると、存外に真剣な道徳の表情に怯んだ。

「天化にはその権利があるよ?」

きら、と空色の瞳が深さを増す。
こういう時、ずるい、と思う。心の底から。

「…権利って何の…、」
喘ぐように呟くその微かな抵抗は、微笑んだ道徳の言葉の前に消えた。



「オレを独占する権利」



瞬間真っ赤になった顔で言い返そうと睨んだのに、相手はのほほんと笑んでいる。

「っ…に言ってんのさ!」
言いようのない恥ずかしさからくる苛立ちに、天化は乱暴に自分の頭を掻いた。
まともに言い返しても無駄だ。

「権利に伴い発生する義務はっ?」
「…ん?えーと……オレを蔑ろにしない、とか?」

怒ったような問い方にも道徳はのんびり答えた。
ほら、やっぱりまともな反論じゃ黙らせられないのだ。

「あーたにばっかり優しい権利と義務さね」
「そうかな?天化にとっても結構お得だと思うけど」

ほや、と笑う顔に抗う気も失せ、怒鳴る代わりに人差し指でひょいと手招いた。
その些か尊大とも言える態度に道徳は怒りもせず、寧ろ楽しげに首を傾げる。

「何かな?」
「義務を果たしてやろうってんだから、さっさとこっちくるさ」

呼べばとことこと歩み寄りながら、
『何だろうこの子は何をするのかな?』 とでも思っているのか楽しげな表情が見て取れる。
子供のような人だと思う。
そのくせに、酷く狡猾であったりする。

けれどそれも全て天化に対してだけだ。

そのことが、微かな優越感を与える。
何のことはない、自分は欲が深いのだろう。
どんなに違うと分かっていても、例えば彼が友人と楽しそうに話している時でも。
穏やかではないものが心の奥底に湧きあがる。
それを表に出さないだけの分別と、理性はあった。
でもそういう風に、醜い思いを抱えているということさえも彼は知っているのだろう。
その上で言うのだ。
自分を独占する権利をやろうと。
呆れるほどに寛大で、その上狡猾だ。

ごちゃごちゃと考えている間に、道徳が目の前に立ち首を傾げて微笑む。
人畜無害そうな笑み。
これに皆騙されるんだろう…騙すも何も実際、無害なんだけどさ。

でもやっぱり。
「不公平さ。」
その呟きが聞こえたのか、道徳は軽く片眉を上げて微笑んだ。
優しいだけではなく、ぞっとするほどにきれいな笑みだった。
雰囲気に呑まれそうになるのを堪え、もう一度言う。
「不公平、さ。」
自分だけが相手を好きでたまらないような。
みっともない所ばかり見られている気がする。
それは気だけで、道徳が自分を好いてくれていることぐらい自惚れではなく知っている。

歳の長さの分だけ見栄や思慮や理性、それに臆病さが増す。
そして道徳はただ、天化ほど素直に気持ちを出さない、出せない。
そのくらい長い時間を生きているだけ。
長生きが取り柄なもんだから、仙人なんて面倒な性格の生き物が出来上がるんだ。

「そんなに不公平かい?」
「さっきからそう言ってるさ。」

だからこうやって自分が。
我侭言って拗ねて怒って。
そんな風に譲歩しないと手を出しもしない。
無害も無害すぎて逆に有害だ。

「じゃあ、こうしよう」

きれいな指先が天化の頬に触れる。
その手に触れられることが嫌いではないと知っているくせに、
いつもはじめは窺うようにそっと手を伸ばして、拒絶しないのか試し確かめる。
道徳は屈んで耳元に口を寄せて囁いた。

「天化にはオレを独占する権利をあげるから、
 オレには天化を独占する権利を頂戴?」

天化は呆れて溜息をつく。
屈んでいる道徳の首に腕を回し、抱きついた。

「…そんな権利くれなくても、コーチはとっくに俺っちを独占してんじゃんか。」

本当にこの人は無邪気で狡猾で、無害で有害だ。
道徳が屈んでいた姿勢を戻すと、天化の足が宙に浮く。
腰に添えた手で、抱きかかえられる格好になった。

「天化はオレのこと独占してくれないんだ?」

些か拗ねたような口調。
仙人って…だから性質が悪い。

「俺っち自分のことで手一杯だから、そこまで面倒見きれないさ。」

溜息をついたら、頭の上から不満そうなうめきが聞こえた。
ああホント、面倒見きれない。

何度も言うが、自分は欲が深い。
独占する権利なんてもらったら、次は何が欲しいと思ってしまうか分からない。
きっと望めば全て叶えてくれるだろう。
その命さえも。


「コーチの中で俺っちが一番の位置に居るんなら、それで良いさ。」


欲しいのは、彼らが言うところの "憧れの道徳さん" などではない。
今、ここにいる、この人だ。

「それならもうダントツぶっちぎりで一位なんだけど…。」

頭の上から降ってくるのはまだ不満そうな声。
あんまりはぐらかすと、本格的に拗ねてしまうかもしれない。
仙人って、大人って、なんでこんなに面倒なんだろう。

溜息をつく。

廊下の先から聞こえてきた足音に、首に回していた腕をするりと外す。
道徳は一瞬、引きとめようとしてそれでも最後は腕を解いた。

―――この、臆病者め…

心の中で悪態をついてさっと背を向けて歩き出す。
そうさこの人、こう、イマイチ押しが弱いというかなんというか。
最後の最後で何故躊躇するのか。

背後で困ったような、捨てられた子犬のような気配がする。
肩を落として、十二仙の威厳はどうしたんだっていう姿が見なくてもはっきりと浮かぶ。

―――ああ、もう…本当に手の掛かる……!!

ぴたりと立ち止まり、苛々と自分の髪をかき混ぜた。

「コーチさぁ、俺っちを独占する権利持ってんだろ。」

振り返らないままに問いかける。

「それ、使わないんなら………俺っち何処にでも行っちまうかんね。」

やはり振り返らずに歩みを再開した。
でも知ってる。
すぐに追いついてくるって。

「って、天化天化天化っ」

ほら、来た。
音からして、一回躓きかけたみたいだ。

「そんな何回も言わなくても聞こえてるさ。」

不機嫌な声で返せば途端にしゅんとなる。
子供?

「だって………天化?」

すがるような問いかけに、
それはもう本日最大級の溜息をこれ見よがしについてみせ立ち止まった。

「……何さ。」

ついでに振り向けば、ぱっと笑顔が広がる。
こちらは半眼だというのに、関係ないようだ。

「オレ、天化が大好きだ!」

抱きつかれ抱き上げられる。

―――はい、よく出来ました。

心の中で一人呟き、胸の位置にきた頭を抱きしめた。

「そりゃ、ありがとさん。」






歳の長さの分だけ見栄や思慮や理性、それに臆病さが増す。
長生きが取り柄の仙人サマは、それが顕著だ。
だからこうやって自分が。
我侭言って拗ねて怒って。
そんな風に譲歩しないと手を出しもしない。


でも、もしかして、もしかしたら。
それが全て演技なのではなかろうか、と。
そんな恐ろしい可能性に気がついた。

ああ。
大人って、仙人って、コーチって。

―――ずるい。