ぐったりと長椅子に沈み込む。
廊下で様子を盗み見ていたらしい一団は、こちらが驚いている隙に室内に侵入して部屋の一角を占拠した。
ちゃっかり自分たちの分の茶や菓子を持ち込み、さっさとテーブルの上に広げてくつろぎ始めている。

当初道徳の向かい側の席についていた筈の自分は、いつの間にか彼の隣にまで追いやられてしまった。
…まあ、この席順にあえて異議を唱えるつもりはない。
横目で隣に座る道徳の様子を窺う。
自分とは対照的に椅子に浅く腰掛けていて、真横というよりは斜め前にあるその横顔は少し目を動かすだけでよく見えた。
目を伏せ、茶葉が開くのを待っているのか湯を注いだ急須に手を添えてじっとしている。
あまり見詰めているのもどうかと分かっているのに、ついもう少しだけ、と思うのは見蕩れているからかもしれない。
いいや、ここで目を逸らしてそのまま他の者と目が合うのも気恥ずかしいではないか。
等と誰にするでもない言い訳めいたことを考えながら迷った挙句、テーブルの上に目をやる。
アンマンや桃マンに桃、他にも四不象達がもってきたらしい茶菓子が並べられていて目に鮮やかだ。

幸いにも各々好きなように会話していて、こちらに話しかけるものはいない。
手を伸ばしアンマンを掴み取りながら、丁度良いので気になっていたことに思いをめぐらすことにした。
道徳の台詞と様子から察するに、こやつらが合流する事は最初から決めてあったのだと推測はできた。
ではいったい『いつから』部屋の前にいたのだろうか。

足の踏み場もないほど散らかっていた筈の部屋は、テーブル周りを行き来できるくらいに片付けられている。
書き物に没頭しながらも、道徳があちこちと動き回り片付けてくれていることぐらいは認識していた。
もし部屋の外に他の者がいたなら手伝っただろうから、その時は確かに彼一人だったのだろう。
それはいい、いいのだが問題はその後だ。
どこから、そしてどの程度話を聞き取られていたのだろうか。
それによって今ここで自分のとるべき態度が決まる。
もし全て聞き取られていたのなら即刻この場から走って逃げ出したい、逃げ出すべきだ。
主に話していたのは道徳で自分は殆ど口を開いてはいないが、そんなことは関係ない。
いや、しかし道徳だって流石に他人の耳があるところで軽々しく好きだなどと―――

思い出して、顔が熱くなる。
慌てて俯きアンマンを口に運ぶが、全く味が分からない。
もそもそと機械的に口を動かしていると、ふ、と誰かに笑われた気がして目だけを上げた。
俯く前と変わりなく皆は相変わらずおしゃべりに興じており、道徳はゆるゆると茶を注ぎ分けている。
けれどその道徳の口元に目が吸い寄せられた。
少し、笑っているように見えたのだ。
「大丈夫だよ」
唇の動きを見ていたはずなのに、咄嗟に反応できなかった。
呟きや独り言というには明瞭な声だったが、自分に向けられた言葉なのか。
判断に迷っていると、今度ははっきりそうと分かる笑みが浮かんだ。
「彼らが来たのは本当に君が気付く少し前で、だから会話は聞かれていないよ」
言葉は確かにこちらへに向けられている。
けれど茶を注ぎ分ける手を止めず振り返りもしないので、一見すると独り言を言っているようだ。
「ましてや君が赤面してるところなんか見られていないから、」
すっと急須を置き、茶杯を一つ手に取ったかと思うと振り返ってふわりと笑った。
「安心していいよ?」
「………っ、」
思わず絶句した。
心を読んだかの様な話にもだが、二人だけにしか聞こえぬ声で話しているそつのなさにもだ。
周りの声や音に気を配り、途切れた時には同じように口を閉じる。
それでいて普通に喋っているようにしか見えないのは何故なのか。
いつもはのほほんと、多少抜けているのではないかと思える言動をとるくせに、こういう所は外さない。

憮然とした表情になっていたのか、道徳は少し困ったような顔で首を傾げた。
「黙ってるからどうしたのかと思ってたら、やっぱりそこを気にしてたんだな」
「…っ、か、鎌を掛けたのかっ!?」
叫びそうになった声をすんでのところで押さえたら、声が裏返った。
「んー…というか太公望が気にするならそれだろうな、と」
道徳は目を伏せ、振り返っていた体勢を戻して椅子に深く掛け直した。
こちらに肩を並べるようにしてから、片手に持っていた茶杯を両手で包む。
その様子があまりにも所在なさそうに見えて、不思議に思う―――思い、そこに至って漸く、気付いた。

振り返ったところからずっと、道徳はその茶杯をこちらに差し出していたのだと。

驚いていたからとはいえ、至らなさに顔を覆いたくなった。
―――迂闊。
この際気付いていなかったことにした方がいいだろう。
彼のほうを見ないようにして、テーブルの上に一つ残った茶杯を取った。
気まずい思いをしながら口に運んだお茶は皮肉な事に甘く温かくて、知らずに張っていた気がほぐれていくのが分かる。
肩の力も抜け横目でちらりと窺うと、道徳も茶杯に口をつけていた。

「……オレってそんなに信用ないかな…」
「は……!?」
気が緩んでいたせいもあったかもしれない。
口元を茶杯で隠したまま、ぽつりと言われた言葉が一瞬理解できなかった。
何が、何だって?
「オレが君の嫌がることをするわけがない、という考えにはならないんだと思うとな…」
「ちょ、ちょっと待て、こやつらが来るのは元々決めてあったことであろう?」
道徳の珍しく気弱な声に、動揺する。
どもりながらの問いには軽く頷いたが、こちらを見ようとはしない。
「君の説得にてこずるだろうから、充分時間を置いて来てほしいって頼んではいたんだ…でも、」
説得より部屋の掃除に時間を取られた、と言いながら口を尖らせる。
「そのおかげで話は途中で切り上げることになったし、二人でお茶を飲む時間も取れなかった」

声が、出ない。
そんなことを考えていただなんて、思いもしなかった。
先程茶杯に気付かなかったどころの話ではない。
これでは確かに、彼の気持ちを過小評価していると言われても仕方のないこと。
それに拗ねられているのだと分かった瞬間、嬉しい、と。
そう思った自分が確かにいたことにも焦る。
考えるより先に頬が熱くなった。
何を、考えたらいいのか、わからない。

目を回しそうになっていると不意に道徳がこちらを向いて、額に手を押し当てた。
長い指は茶杯に触れていたにも拘らず、ひやりと冷たい。
突然の行動に意味が分からずどぎまぎしていると、机の向かい側から声が掛かる。

「お師匠さま!顔が赤いですよ?」
「そう、だから今計ってみたけど、熱はないみたいだぞ!」

さっと手を離してしれっと答える道徳に唖然とする。
額に手を当てたのは、無防備にぐるぐる考えているその様子を武吉が見たことに気付いて、先手を打ったということか。
そう分かったら、口から言葉が滑り出た。

「おぬしらがわらわら集まって騒ぎよるからこの部屋の温度が上がっておるのだ」
食べかけのアンマンを口に放り込み、なるたけしかつめらしい顔をする。
「まったく暑苦しくて敵わん!」
「そんな風にいうもんじゃないっスよご主人。お茶もお菓子も皆で食べた方が楽しいっス」
「四不象の言うとおりだよ!ね、ナタクにーちゃん」
「ム」

きゃいきゃいと騒ぎ始めた子供達に気付かれぬよう息をつく。
こんな風に他の者たち相手にはするりと言葉が出てくるのに道徳相手では上手くいかない。

彼の言葉はいつも直球で、だから普通に考えれば口八丁手八丁な自分の方が有利な筈。
なのに何故こうも手玉に取られてしまうのか。
道徳自身は手玉に取っているなどと思ってはいないだろうが、結果は毎回それと同じこと。
これが惚れた弱みというやつなのだと言われてしまえば、それまでだが。

隣に顔を向けると、目が合った。
それまでにこにこと子供たちを見ていたくせに、途端につんと澄ました顔でそっぽを向くので、思わず苦笑する。
どうすれば機嫌を直してもらえるのか、案だけはそれこそ幾つも浮かぶ。
けれど実行するとなると自分の心臓が心配になるものばかりだ。
そう、道徳のような直球は自分には向いていない。彼のようには言えない。
それでも自分も、彼を喜ばせたい。笑ってほしい。
この気持ちを素直に告げたなら道徳は。
笑って、くれるだろうか。

どれだけ考えて、どれだけ入念にシュミレーションしても。
道徳の前では全て脆くも崩れ去る。
焦って、空回って、格好のつかないことばかりだ。

裏を読んで口先手先で相手を動かすのが得意な自分が、裏のない言葉にこんなに弱いとは、思ってもみなかった。
そう道徳に告げて、
「裏とか表とかそんなの関係ないだろ。オレが太公望のことを好きだっていう単純な事実をどうしてわざわざ難しくするんだ?」
とへこまされるのはもう少し後のこと。