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幽霊、アメコミ・ヒーロー、宇宙人、カルト・コミュニュニティ・・・そして妖精。妖精かよ。
およその電波系が食いつきそうなネタで映画を作ってきたシャマランではあるが、実は映画自体は真っ当な作りだと思う。むしろ映画の王道ともいえる…かも。

ヒッチコックを教科書にしたシャマランの映像は、王道パターンで観客を導く。ミスリードしておいて落とすプロットは「ノリツッコミ」の芸風を確立(今回は冒頭いきなり虫退治するシーン。会話だけでさぞかし気色悪いデカい虫が潜んでいるかに見せて、結局実体は出て来ない)。真上、水平、仰角、俯瞰、シンメトリーの構図もケレン味たっぷりだ。

だが、その中にふと意味無い隙間カットがある。『サイン』では、開いたドアの向こうをチラリと横切るメル・ギブソンが「見切れました」って感じにフレームインする所。また『ヴィレッジ』では、部屋のクローゼットに隠れたエイドリアン・ブロデイがやれやれ、と出てくるのをこれも家の外から捉えてる。そんなカットは切っても構わないはずなのに(何の伏線でもないし)何故?でも、妙に印象に残ってしまう。

さて、突っ込み所は数あれど「お伽話ですから」と言われてしまえばどうしようもないこの作品。ってゆうか、「鶴の恩返し」じゃないかコレ。 ポール・ジアマッティ扮する主人公は、不法侵入者に「妖精です」と言われたらとりあえず信じて話が進んでしまう。信じるなよ、電波女じゃん、などと思うのは観客だけ。

せめて水の精ブライス・ダラス・ハワードがもっと色っぽくて魔力を持ってたらソレも有りかと思えるが、ガタイのいいミア・ファローにしか見えないのが辛い。マッパにシャツ一枚ってビジュアルが貧相で、太い脚が生々しすぎる。

水の世界に帰そうと奔走する主人公とアパートの住人達。それぞれのドラマとか、必然性があればもっと面白くなりそうなのに皆単純すぎ。観てて何となく『コクーン』とか『E.T.』を思い出す。観客が意地悪く突っ込みを入れたりしない80年代。そういや、『コクーン』はロン・ハワード監督だ。その娘を起用してシャマランはロン・ハワードになりたいのか。なってどうしたいんだ。

でもね、キライじゃないんだシャマラン映画。今どき真っ当な映画を真っ当すぎる芸風で作るのは、かえって異色。騙されて観るのも悪くない。
これに懲りずに、次のネタは何が来るのか期待します。


(2006/10/21/Minaco)



Minaco illustrations.