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映画イラスト/シティ・オブ・ゴッド
リオの貧民街に生きる少年たちを描いた本作(2002)。

公開時には「バイオレンス!」「問題作!」「ブラジルの暗部を暴く社会派犯罪ドラマ!」・・・そんな触れ込みだった記憶が。

でも僕には清々しい青春ドラマに思えた。
「ブラジル版『トレインスポッティング』だね」と。
青春ドラマがバイオレンス作品にカテゴライズされる国・・・それがブラジル。フッチボーにカーニバル、美しい海岸・・・それだけがブラジルではない。

知った風に書けば、『トレスポ』も『シティ〜』も、少し道を逸れた、しかし等身大の少年たちの日常を描いている。それが別物に映るのは、単にイギリスとブラジルの日常がちょっと違うだけの話に過ぎない。
例え、その「日常」が子供が銃を持ち殺し合う日常であっても、リオの少年たちは英国の少年たちと同様にそこで無邪気な欲望のままに生きているのだ。

こんなにも死が描かれながら、なおも生き生きとしている作品を他に知らない。
それは、ブラジルだからこそなのだろう。全てに情熱が溢れている。スクリーンに流れる血、死に様にさえも。

『灰とダイヤモンド』を思わす、警官に撃たれながらも恋人の下へ疾走するシーンは忘れられない。ベネの生き様、死に様には心を打たれた。今まで見た映画の中の誰よりも。

皆がサッカー同様に愛称で呼び合い、「ブスカペ」と呼ばれる主人公。彼があくまでも童貞喪失にこだわるってのもよかった。

リオの貧民窟(ファベーラ)生まれのロマーリオが、大金持ちになっても未だにこの地を愛し、当時の仲間を大切にしているのは分かる。ここは何物にも代え難い「人間の本能的な情熱」の故郷なのだ。

全てでは無いにせよ、セレソンの選手たちの多くがこの日常や、その周辺をくぐってきた。
そこにブラジルの強さがある。もしも現日本代表選手がここに放り込まれたら三日と持たないだろう(除・アレックス)が、彼らはそんな修羅場を日常として生き抜いてきた。その逞しさに、誰が敵うというのか。

僕がブラジルサッカーを好きなのは、決してその超人的なプレーや強さからだけではない。彼らの背景にある純粋な欲望が好きなのだ。

ブスカベは言う---
『“神の街”では逃げたら負け 立ち止まってもだ』

死や暴力に溢れても、それでも前に進む彼らの情熱を愛する。間違っても、その一員になろうとは思わないけど。

さて、この『シティ〜』からはもう一点、ブラジルフッチボーの強さの裏側を伺える(少し強引だが)。
実は本作、大半の役者が「ちょっと訓練した素人」なのだ。

これには驚嘆しか無い。上手すぎるもの。やはりブラジル人は生まれながらの狡猾な役者。ブラジルの強さには必ず「ズルさ」が付随する。

しかし、僕が思うブラジルのズルさは違う所にもある。例えば日本の基幹産業、電子機器、自動車、鉄鋼・・・もしもそれらに傾ける情熱をサッカーに継ぎ込めれたら、日本はW杯で優勝出来るだろう。だが、それは出来ない。生活が壊れてしまうから。
でも、それをブラジルはやっているのだ。 フッチボー同様に彼らが情熱を傾けるカーニバル。それも元を正せばお祭りのパレードが、この国民にかかると世界最大の祭典になる。労働、治安、貧富の差はそっちのけ・・・そういう狂気じみた、僕らからすれば間違った情熱の注ぎ方をしているのだもの、勝てっこないよ。ずるいずるい。


記/なるほ堂
(2006/06/08/ブログ『totottitta』/映画で語るW杯出場国)
“『シティ オブ ゴッド』で読み解くブラジル代表”より



Minaco illustrations.