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挫折

 

 すっかり暮れてしまった冬の東広島の町を高校三年生の正樹は歩いていた。強い風に吹かれながら大きな橋を幾つも渡るたびに正樹は広島という町はなんて川が多い所なんだろうと何度も思った。実家のある東京を出たのは昨日だった。当時の若者の間ではかなり有名だった夜行電車「東京発−大垣行き」の長距離夜行普通列車に乗り込み一夜を過ごした。第一章

夜が明けてからも更に幾つも普通列車を乗り継いでまるまる一日かけてやっと東広島の駅にたどり着いたところだった。新幹線も特急もあった時代だが、もったいなくてそんな高い乗り物に乗ることは出来なかった。幸い、乗り継いだどの普通列車も乗客は少なく、すべての列車で4人掛けの座席を正樹独りで占領することが出来た。ひじ掛けの下に衣類を丸めて肩に当て、少し体の位置を高くするとちょうど座席のひじ掛けが枕代わりになる。この旅の知恵は以前に乗り合わせた旅芸人の一行がやっているのを見て覚えたものだ。しかし、いくら正樹がまだ若いとは言え、やはり同じ姿勢をとり続ける普通列車の長旅はしんどかった。東広島駅の出口を出た時にはもうへとへとだった。

 東京を出る時に東京駅のホームにあった売店の公衆電話から今夜の宿に予約はしておいた。時刻表の後ろのピンクのページの旅館案内広告の中から素泊まり料金の一番安かった「みどり」という宿を選んでおいた。正樹は広島は初めてであった。東広島の駅を地図を片手に颯爽と街に歩き出したのは良かったけれども、もうとっくに日は暮れてしまっており目的の宿がいっこうに分からずにいた。旅慣れていない正樹は今度から見知らぬ土地を訪ねるときは明るいうちに着くべきだと東広島で道に迷ってそう実感した。心の中でぶつぶつと「みどり、みどり、みどり」と宿の名前を何度も繰り返しながら歩いた。もう三十分ちかく同じ場所をぐるぐると歩き回っていたが、「みどり」という旅館は見つからなかった。正樹の持ってきたバックには受験参考書などがたくさん入っておりとても重たかった。疲れた夜行列車の旅に加えて、休む場所を探すのにまさかこんなに難儀するとは思わなかった。確かにさっきから歩き回っている町の名前は「緑町」で旅館案内のページに書いてあった住所と同じで間違いはなかった。ミドリ湯という古びた銭湯があるだけで、他に旅館らしきものがまったく見当たらなかった。携帯電話のない時代で、公衆電話をみつけるのにも苦労する世の中だったから正樹はさらにもう三十分位小さな路地にまで入って探し続けた。道の両側には東洋自動車工業の下請け工場が隈なく並んでいて町全体が機械油のにおいで満ちていた。東広島の工業地帯をまるで自分の家を忘れてしまった老人のようにうろうろと徘徊していた。擦れ違う人々に道を尋ねることができるほど正樹はまだ擦れていなかった。まだうぶだったのだ。やっと見つけたタバコ屋のピンク電話から「みどり旅館」に電話を入れてみた。呼び出し音は一度ですぐ返事があった。受話器の向こうから出てきた声はやけに明るく調子の良いものであった。

「はい、ありがとうございます。ミドリです。」

「もしもし、あの、昨日、予約をしておいた者ですけれど、道に迷ってしまって。」

「そうですか、それはそれはたいへんでしたね。それで今、どちらからこのお電話をかけていますか?」

「タバコ屋のピンク電話からです。」

「ああ、お客さん、それは行き過ぎだがなもし。今来た道をお戻りになって下さいな。そこから煙突が見えますでしょう。それに向かって来てくださいな。」

その電話の声の主は銭湯ミドリ湯が正樹が探している宿だと言い出した。空いている部屋を利用して銭湯の二階部分で旅館業を営んでいるのだと言うではないか、女将とおもわれるその電話の主は正樹に銭湯「ミドリ湯」の番台でチック・インするようにと短く指示をしてそっけなく電話を切ってしまった。正樹は重たいバックを右と左の肩に何度も掛け替えながら来た道を引き返した。そしてさっきは何のためらいもなく通り過ぎてしまった銭湯の紫のれんを恐る恐るくぐった。そして下駄箱に靴を入れて、分厚い男湯の引き戸を開けて中に入ると脱衣所には客は一人もいなかった。銭湯特有の漂白剤の臭いだけが正樹の鼻に飛び込んできた。正樹が顔を横に向け番台に向かって名前を告げると、さっきの電話と同じ声が聞こえてきた。

「これはこれはいらっしゃいませ。お疲れになりましたでしょう。」

女将は番台の小さな扉を開けて、ゆっくりとその巨体を浮かせながら振り返り、下に降りて来た。愛想良くお決まりの挨拶をして、正樹のバックに手を添えながら言った。

「さあ、お荷物をお持ちしましょう。」

ところが正樹の荷物は重過ぎて、大柄な女将にしてもとうてい運べる代物ではなかった。

「あら、まあ、重たいこと。」

「あ、これは自分で運びますから結構です。」

「そうですか、すみませんね。さあ、ここでは何ですから、お部屋へご案内いたしましょう。さあ、どうぞこちらへ。お部屋は二階なんですよ。」

やたらと天井の高い脱衣所である。その一番奥の扉まで正樹は自分の肩にまた重たいバックを引っ掛けながら女将に導かれて歩いた。脱衣所の扉を出ると長い階段があり、女将のお尻を見上げながら五階か六階まで昇ったような気がした。相当高い二階である。部屋は三つしかなく、正樹は真ん中の部屋に通された。どうやら正樹が最後に到着したようだった。両隣の部屋にはすでに人の気配がする。

「今夜のお客さんは皆さん、あんたさんと同じ学生さんですよ。明日の試験を受けなさる人ばかりです。ああ、それと、相談なんですがね、お客さん。お嫌だったら結構なんですがね、相部屋をお願いできませんかね。もちろん宿泊代は半分で結構なんですがね。」

普通列車を乗り継いできた正樹だ、安ければ安いほど良いに決まっている。考えることはなかった。

「ええ、半額でいいのなら、僕は相部屋でも構いませんよ。どうせ寝るだけですからね。」

「そうですか、そうさせてもらえますか、助かります。すみませんね。」

部屋をぐるりと見回すと、全体的に誇りっぽく煤けた感じがした。広島の銘菓である紅葉饅頭が一つと急須や湯のみがテーブルの上に用意されているのを見て、やっとここが旅館のように見えてきた。女将は座布団を軽く手ではたいてからそれをひっくり返して正樹に差し出した。テーブルの下からポットを引き寄せ、手馴れた手つきでお茶を入れ始めた。そのポットの中のお湯が新しいことを正樹は祈った。銭湯の二階とは言え、正樹は旅館に一人で泊まるのはこれが初めてである。以前、何かの本で読んだことがあったのだが、このタイミングで札を丸めてそっと心づけを渡すのだと書いてあった。しかしどんなにサービスが悪くてもそれに甘んずる覚悟はできていたし、相部屋を頼むくらいなのだから女将も貧乏学生の正樹には何も期待していないはずである。出費は出来るだけ少ない方が良い。正樹は知らん振りをすることに決めた。黙っていると、お茶を勧めながら女将から話しかけてきた。

「まあまあ、よくいらっしゃいましたこと。東京からかね、遠いところを本当によくいらっしゃいましたね。お疲れでしょう。」

「ええ、さっきは道に迷って難儀をしました。でも、ここは明日の試験場に近いものですから。」

「東雲のかね?」

「・・・・・・?」

正樹は女将が何を言っているのかさっぱり分からなかった。仕方なく意味のない微笑みを浮かべながら適当に相づちを打った。女将は話を続けた。

「東京にはぎょうさん大学があるじゃろうがね、またどうしてこんなところまで来る気になったんですか。この辺の子達はみんな東京の学校へ行きたがりますよ。お客さんは変わったお人ですよ。まったく反対ですがな、みんな、東京で遊びたくて学校へ入るのにね。」

 正樹は広島の大学の教育学部に入りたかったのである。学校の先生になりたかったのだ。それも障害者の先生にである。東広島の東雲分校がその試験会場だった。学費の安い大学の中で競争率が一番低かったことがこの学校を選んだ理由であると銭湯の女将に説明する気はさらさらなかった。しかし下の銭湯の番台をこんなにほったらかしにしておいて大丈夫なのだろうか、女将はまだ話をするつもりだった。

「お客さん、あんたも知ってるじゃろうが、広島は戦争の時にピカドンがあってな、当時子供だったあたしも空襲を知らせる警報がありましたから、母と一緒に防空壕に避難しましたがな、そしたら大きなドンという音がして、その後は静まり返ってしまったんです。しばらくしてから防空壕の外に出てみましたがな。そのときはよく分かりませんでしたが、あの時のあの雲は原子爆弾のきのこ雲だったんですね。そんでな、一時間位してから大勢の人たちが広島の中心地からこの東広島の方にも歩いてきましたがね。」

広島と言えば原爆である。どうやら女将は正樹に原爆の話をするつもりらしかった。正樹は原爆に関してはとても興味があったから黙って聞くことにした。

「それがさ、みんな、市内の中心から歩い来るんですけれど、手に何かをぶら下げて歩いて来よるんだがね。近くまで来てから、よく見てみると両腕の皮がむけて垂れ下がっていて、それが手首のところでひっかかってぶら下がっているんですよ。手に持っていたのは自分の焼け落ちた皮膚だったんですよ。そりゃあ、もう、びっくりしましたがな。本当に恐ろしい光景でしたよ。」

 そんなことは正樹が習った教科書には一つも載っていなかったし、社会科の先生も言わなかった。女将は話を続けた。

広島市内の川は火傷をおった人たちが水を求めて飛び込みましてな、かわいそうなことに、そのままそこで死んでしまいました。川は水面が見えない位に死体でぎっしりだったそうですよ。地獄でもあんなにひどくはないと、あの時、市内を見て回った母が言っていましたよ。でも、それから、長いこと苦しんで死んでいった母の方があたしにとっては地獄の苦しみでしたよ。」

 正樹はただじっと女将の生々しい話を聞いていた。その後も延々と原爆の体験談が続いた。客に当時の話を語り継ぐことでこの女将は戦争の生き証人としての責務を果たそうとしていた。

「お風呂はお好きな時にお好きなだけお入りになって下さい。さっき来た階段の下の扉が脱衣所ですから。そうだ、もう一つ扉がありますけど、間違って女湯の方には入らんようにしてつかわさいよ。何か御用がありましたら、あたしはたいがい番台におりますから、何なりと言ってください。」

 正樹が尋ねた。

「あのう、相部屋のお方はいつ到着になるんですか?」

「ああ、今治の仙波君。あの人は今年で3度目ですよ。今治の西校の秀才なんですよ。3年続けてここを受けなさるそうですがね。さっき突然、電話がありましてな、今年も頼みますとだけ言ってすぐ電話が切れてしまいました。でも今治からの船はもうじき着きますから、もう間もなくだとおもいますよ。すみませんね、もし来たら御一緒してやってつかわさい。」

 3浪か、3年も同じ学部をねらっているとは興味深い奴だ。いったいどんな人物なんだろうと正樹はおもった。どうやらこの旅館では布団は自分で敷くみたいで、女将は布団の説明を一通りして、やっと下へ降りて行ってくれた。疲れきった正樹はその仙波とか言う浪人が到着するまで畳の上で横になることにした。

 

正樹が受験の時、父の義雄は半導体関係の会社に勤めていたが、大病と交通事故が重なり、正樹の家の家計はまさに火の車だった。父と母は給料日には大喧嘩を絶やさなかった。食って掛かる母と激怒する父の様子はいつまでも正樹の心に残る悲しい思い出だ。一学年上の兄の正俊は小さい頃から勉強が良く出来た。大学も学費の安い日本国の最高学府、校名を聞いただけで大人たちが態度を改めるあの学校に昨年すんなりと入った。出来の良い兄を持つと何かと比較されるものだ。弟の方も同じくらい出来れば何も問題はないのだろうが、正樹の場合は小学校二年の時に赤痢とか言う伝染病に罹って病院に隔離されてしまった。その間に掛け算の九九などの勉強が本格化し、正樹は完全に取り残されてしまった。勉強も嫌い、運動も苦手、運動会の駆けっこなどはいつもビリだった。ところが一方の兄の正俊は成績優秀、運動会でもリレーの選手だったし、ついでに鼓笛隊の指揮などもした。朝礼で賞状が授与されると決まって兄正俊の名前が呼ばれた。正樹も一度だけ賞状をもらったことがある。それはたくさんあった虫歯を何度も塾をさぼって完治させた時だ。塾といえば、二人とも近くの八幡神社の神主が経営する塾に通っていた。この神主先生が生徒たちに通信簿がすべて5になった者に百科事典一式をプレゼントすると檄を飛ばした。兄の正俊は次の学期に難なくオール5を取ってみせた。だから古本ではあったが正樹の家の百科事典20冊は兄正俊の戦利品である。塾でも正樹は兄正俊と比較され、白い眼で見られた。神主先生が終わりに近づいてくると「黒板の問題が出来た者から帰ってよろしい」と言うと、正樹は必ず最後まで残された。友達が一人減り、二人減りしていくうちに窓の外の闇は暗さを一段と増していった。どうあがいても正樹にはどの問題も解けなかった。そんな悲しみと焦りは次第に絶望感に変わっていき涙が自然と溢れ出てきたことは数え切れなかった。「もういいから帰りなさい。」の一言はとても辛く悔しいものだった。正樹は塾も神主先生も大嫌いだった。家にある百科辞典は悔しさの思い出そのものであり、見る度に悲しい気持ちになった。兄正俊は中学に入ると成績はトップ、当然、生徒会の役員にも選ばれた。翌年、正樹も成績は下から数えた方が早かったが生徒会の役員選挙に間違って当選してしまった。理由は簡単、兄正俊の弟だったからだ。正樹の成績を知りうる立場にあった先生たちはきっと肝をつぶしながらこの選挙を見守っていたに違いない。しかし幾度も開かれる生徒集会での正樹の演説は先生たちの間ではとても人気があった。隣人愛、人間愛を偉そうに語ってみせたからだ。そんな正樹のことを校長先生は見ていてくれて、高校進学の時に大きな力となってくれた。正樹は勉強が嫌いで就職することしか考えていなかったから何の準備もしないまま中学三年の三学期をむかえてしまった。両親、担任、進路指導担当の先生たちは慌てた。結局、高校だけは出た方が良いということで新聞を配りながら高校へ行くという結論になった。試験は受けたものの合格点には程遠く、校長先生が高校に直接電話を入れてくれて、やっと正樹の高校進学が決まった。高校の三年間はあっという間だった。朝夕刊配達をしながら学校に通っていたから遊ぶ時間がまったくなかった。食事も新聞屋で他の配達をしている大学生たちと一緒に食べていたから給料は丸々残った。夕刊の配達がない日曜日の夜は実家に帰って寝た。翌朝、朝刊の配達に間に合うようにまだ暗いうちに家を出る時、正樹は振り返り、玄関先でいつまでも見送ってくれる母の正子の姿をみるのがとても寂しく辛かった。でも相当な蓄えが高校三年間で正樹には残った。

 

 少し眠ってしまったようだった。女将の声で正樹は起こされた。

「お疲れのところ起こしてすみませんね、相部屋、お願いしますね。仙波さんがお着きになりましたんで。」

 女将はそれだけ言うとお茶も淹れずにさっさと下に降りて行ってしまった。仙波と正樹の二人だけが部屋に残された。年上の仙波の方から自然と挨拶は出た。

「仙波と申します。相部屋、無理を言いまして申し訳ありません。助かりました。」 

「正樹と言います。今、船でお着きですか。」

「いえ、電車で来ました。女将が言っていましたが、正樹さんは東京からだそうですね。あなたも明日、試験だそうですね。」

「ええ、そうです。」

「東雲のですか?」

「・・・・・・・?」

正樹はまた何を言っているのかが分からなかった。さっきの女将と同じことをこの仙波は言った。正樹はさっきと同じように聞き直しもせずに適当に頷いてみせた。

「いやあ、僕は今年で3度目ですよ。でも今年が最後だ。」

「予備校か何かいってらっしゃるんですか。」

「いえ、同志館は現役で入れてもらえましたから、まあ、一応は大学生です。君はどこの学部を受けるつもりなんですか。」

 結構、正樹は人見知りをするタイプだが、不思議とこの仙波には自然体で話が出来た。何だ、仙波は3浪ではなかった。それにしても私学のトップの同志館なら何の文句もあるまいし、どうしてまたここを受験するのだろうか、やはりこの仙波という男、おかしな奴だと正樹はおもったがまず聞かれたことに答えた。

「盲学校の教員になりたくてやってきたんですが。」

「また、どうして障害者に拘りたいんだね。それともあれか、競争率でここの学部を選んだのかね?」

 ずばり的中してしまった。仙波の言う通り、受験のガイドブックを調べて、ここが比較的に入るのが簡単そうだったから受験しただけだった。しかし正樹は別のことを言った。

「僕がこの学部を選んだのにはあまり大した理由はないのです。ただ高校へ行く途中でスクールバスを待っている養護学校の生徒さんがいたんです。高校に入ってからの一年間、毎朝、僕は彼女とすれ違っていたわけなんですがね、高校二年の時にいつものように彼女の前を通り過ぎようとしたら彼女の方から突然にオハヨウと声をかけてきたんです。それは健常者のしゃべり方とは明らかに違うオハヨウでした。それで次の日から僕は遠回りして学校に行くようになったんです。障害を持っている彼女とただ挨拶を交わすことすら自分には出来ませんでしたよ。月日はどんどん経って、次第に、僕は、そんな自分が嫌になってきましてね、また彼女の前を歩こうとしたんです。勇気を出してまた元の通学路を歩いてみました。でももう、彼女はそこにはいませんでした。バス待ちの他の生徒さんの付き添いのお母さんに聞いてみたら、彼女は以前から白血病も患っていたらしくて、もうこの世にはいないということでした。しばらくの間、落ち込みましたね。彼女がどうのこうのと言うのではありません。挨拶すら出来なかった自分が恥ずかしくてね、本当に自分が嫌になってしまいました。」

 仙波は正樹の話を聞きながら、布団を正樹の分まであっという間に敷いてしまった。三度も同じ宿から受験していると手馴れたものである。そしてぽつりと言った。

「でも、それがここの大学を選んだ理由ではないでしょう。障害者の教員を育てる学校なら東京には幾らでもありますからね。正樹君、ぼくも君と同じ学部を受験しますが、競争率が低いからといってあまり甘く見ない方がいいですよ。受験した全員の成績が悪ければ定員割れしようが一人も取らないことだってある。結構、ここは難しいですよ。」

「仙波さんはどうしてここを何度も受験されるのですか。何か特別な理由があってこの学校を。同志館といえばここよりも知名度も偏差値も上にランクされている学校だとおもいますが。」

「合格したい。ただ、それだけですよ。同志館を出て、大学院はここにすることも考えています。」

まるで趣味で受験しているような仙波の話は正樹にとっては随分と贅沢に聞こえた。

「僕はちょっと、一風呂浴びてきますから、どうぞお先にお休みになって下さい。」

 仙波はさっさと手ぬぐいを持って降りて行ってしまった。完全に仙波の方が上である。まったく彼の言う通りである。何故、この大学を選んだのか、下手な理由付けをして偉そうにいってしまった自分自身を正樹は反省した。学費が安くて競争率が低い、他の条件を考えずに絞り込んでいくとこの学校にたどり着く、ただそれだけの理由だった。もっとも明日とあさっての試験ができなければどんなに偉そうなことを言っても何も始まらないのだから、選んだ理由なんてどうでもよいことだった。その為にも今夜は早く眠らなければならない。正樹も下の風呂に入って長旅の疲れをとることにした。東京でも正樹は銭湯を利用していた。夕刊の配達を終えて銭湯に行くのが唯一の楽しみだった。ここは東京の銭湯と比べると規模はかなり小さい。でもちゃんとした銭湯である。そして銭湯の裏側というのはずっと以前からあこがれていた秘密の場所だった。しかし、わざわざ受験のために東京から広島にまで来て、女湯を覗いてしまい、捕まってしまっては長い間の苦労も銭湯の泡とともに消えてしまうというものだ。正樹はせっかくのチャンスだったが夢にまでみた覗きは断念することにした。長い階段を下りてみると、仙波が女湯の扉についている小さな覗き窓にかぶりついていた。正樹が階段を降りて来たのに気づいた仙波は慌てて覗き窓から顔をはずして言った。

「なんだ、今夜は婆さんばかりだよ。楽しみにしてたのに残念だったな。」

あっけらかんとして悪びれた様子はちっともなかった。正樹にはとても出来ることではなかった。毎年、仙波がこの旅館を利用する訳が分かったような気がする。

 湯船に入りながら仙波は銭湯についての自論を展開し出した。正樹も肩までお湯に浸かりながらじっと彼の話を聞いた。

「独特の匂いが銭湯にはある。特に排水溝から流れ出てくる垢をその匂いとともに見ていると僕はほっとするんだよ。銭湯の横の路地には洗い流された石鹸や垢がお湯とともに流れ出てくるでしょう。小枝とかゴミにせき止められて垢だけが排水溝の上の方にどんどん波紋を描きながら溜まっている様子を見たことがありますか。」

「ああ、ありますよ。僕の通っている東京の銭湯の横の路地にも小さな溝があります。大きな銭湯ですからね、大量の垢が時々溜まっていますよ。幾重にも重なるように垢が水の上の方に白黒く流れずに溜まっていますね。でもそれを見ても、僕にはただ汚いとだけしか感じませんけれど、他に何の感情も湧いてはきません。」

「僕はあの垢を見ているとね、人も生き物なんだと強く感じるんだよ。日々、体のあちらこちらで新しい細胞が生まれて、そして古い細胞と入れかわって生命を維持しているんだからね。銭湯から流れ出てくる垢を見ているとなんだか安心するんだよ。人はさ、毎日の生活の疲れや嫌な出来事があってもね、ああやって垢と一緒に過去を洗い流すことができるんだ。嬉しいことじゃないか。」

 部屋に戻ると仙波はビールを飲み始めた。仙波は同志館大学の二年生である。趣味で受験しているようなものである。正樹にとっては大事な試験の前であるから、誘われたが断って先に寝た。

 しかし運命とは残酷なものである。試験が終わった翌日、今回の試験は例年よりは難解であったと地元の予備校の速報が出た。自己採点をしてみると仙波は見事に満点であった。そして後日もらった手紙によると、彼はやはり合格していて、その広島の大学をけって、同志館の三年生に進級したと書いてあった。広島の大学の東雲分校の名前の「東雲」を「しののめ」と正確に読めなかった正樹が天下の広島の大学に入れるはずがなかった。まったくと言っていいほど歯が立たなかった。正樹の人生最初の挫折であった。

 高校を卒業すると正樹は再び広島に戻った。来年、もう一度同じ学部を受験するために地元広島の予備校に入った。広島でしばらく過ごしてみることにしたのだ。平和公園に展示されている背中が焼けただれた人物の写真パネルは強烈なまでに正樹の心に焼きついた。市民球場の外野席は老朽化しており、ボロボロの木製のベンチだった。所々が割れて釘の頭も出ていた。そのボロボロの外野席で巨人戦を観戦しているとホームラン・ボールが目の前に飛んで来てポトリと落ちた。そのボールがあの世界の王選手の記念すべきホームランだったことは後になってから分かった話だ。正樹は広島市から少し離れた廿日市という場所にある予備校の寮に入った。古くなったアパートを借り受けただけの寮だったがここでの仲間との暮らしはとても思いで深いものとなった。

 受験も追い込みの時期、晩秋の寒い夜に、同志館の仙波が正樹を訪ねて来た。何度か手紙でやり取りをしていて仙波の気心は知れていたし、障害者に関しての彼の考え方は尊敬するところがあり、同じ道を目指す正樹にとっては非常に興味深いものであった。二人は寮のすぐ裏手にある堤防まで歩き、夜の瀬戸内海を眺めながら話をした。

「なあ、正樹。障害者が一番望んでいることは何だと思う?まあ、人それぞれ違うだろうとはおもうけれど、大切なのは学校だろうか?それとも仕事か?自分の体の障害を取り除いてくれる医者もそうかもしれないな。あるいは精神的な支えとなってくれる宗教も必要だろう。もし彼らの親が死んでしまったら、いったい誰が彼らの面倒をみるというのだ。社会はそうした障害者を受け入れてくれるのだろうかね?」

「僕には難しいことは分かりませんが、今、彼らの学校の先生になるつもりで大嫌いな勉強をしています。でも、もし、来年、また広島の大学に失敗したなら、どこかの農場にでも入ろうかとおもっています。そして将来、自分の農場を持つことが出来るのであれば、障害者たちと一緒にその農場で暮らそうと考えています。」

「農場か、いつだったかな、ラジオの番組で障害者が養豚農家で働いている様子を耳にしたことがある。養豚は外部からの菌の侵入を徹底的にくい止めれば出来るかもね。そうね、なかなか良いかもしれないな。他の仕事と比較すると障害者だからという問題は少ないように思えるけれど、僕は養豚の専門家ではないので何とも言えないな。まあ、どんな仕事であれ、障害者も健常者もそれぞれに困難はあるものだよ。」

「ねえ、仙波さん。毎日、豚でも牛でも、家畜に一年365日餌を与え続けなければならないという責任感、これは大切ですよ。畜舎を清潔に保つために掃除をしたり、家畜たちが病気にかかっていないかどうか常に観察することも重要だ。自分がやらなければならないという義務感、世話をされている立場から世話をする側に立たされることは障害者たちにとって、彼ら自身の存在価値を高めることにもなりはせんか。」

「まったくその通りだと私もおもう。でも農家も商業活動をしている以上、家畜に死なれては困るわけで、なかなか障害者を雇いたがらないだろうな。商品を誤って壊すのとは訳が違うからな。家畜たちは生き物だから、雇う側はより慎重になってしまう。正樹、僕の今治の実家はみかん農家だけれど、家畜は鶏くらいで他には飼っていません。みかんだけで食っているようなものです。どちらかというとそっちの方が障害者にはむいているかな、ただ、農業というのは自然との闘いですからね。楽な時もそうでない時もある。そうだ、兄貴が北海道で大学院の先生をしています。障害者は無理としても、君が働ける農場くらいは紹介してくれるかもしれないよ。どうします、手紙を書いておきましょうか。」

「ええ、ぜひお願いします。北海道か、まだ行ったことはありませんがきっときれいでしょうね。仙波さん、すぐそこにお好み焼き屋があるのですけれど、広島風のお好み焼きはお嫌いですか?」

「いや、大好物だよ。」

「それでは今夜は僕におごらせてください。ビールくらいならお付き合いしますよ。」

「そりゃあ、いいね、じゃあ、お好み焼きが焼きあがるまで少しビールで乾杯しようか。」

 大きな鉄板が一つあるだけの小さな店で、鉄板を囲むように椅子が両手で数えるほどしか置かれていない。席に着くと正樹とは顔見知りのおやじさんが折り紙を一束差し出した。仙波がそれを見て正樹に聞いた。

「何ですか、その折り紙は?」

「広島のお好み焼きはお店の人が焼いてくれるんですがね、この折り紙はお好み焼きが焼きあがる間に折鶴を折りながら平和について考えてみようというものです。出来上がった折鶴はまとめて千羽鶴にして平和公園に飾られます。」

「いやあ、素晴らしいことじゃないか。広島のお好み焼きと平和か。感じ入ったよ。」

その夜、仙波は飲みすぎてしまって、正樹の部屋のコタツに足を入れるとそのまま眠ってしまった。そして翌朝、まだ暗いうちに京都に戻って行った。

 

 年末年始は寮は空になった。みな、それぞれの家に戻って新年を迎えるためだ。寮にいる何人かは隣の山口県から来ており、正樹は東京には帰らずに彼らを頼って山口を旅行した。秋芳洞、津和野、萩、そして松下村塾、どこも東京とはまったく違った情緒が溢れていた。

 年が明けてまもなく、京都にいる仙波から連絡が入った。底冷えのする京都だが、観光客の少ないこの時期に一度、遊びに来てはどうかというものであった。正樹は喜んでその日のうちに京都へむかった。広島にいると京都は通り過ぎてしまうことが多く、中学の修学旅行の時に訪ねて以来だった。正樹も日本人である以上、京都への特別の感情はある。それが何であるのかはよく分からなかったが憧れと呼ぶには少し軽すぎる、もっと心の奥の方のとても懐かしいおもいが京都の街を歩くと湧いてくるのであった。正樹は駅前の広場から仙波から指示された番号のバスに乗り、金閣寺の近くのバス停で降りた。さっきからバスの窓の外には小雪が降り始めていたが、バスから降りてみると風がなかったので雪が降っていてもそんなには寒くはなかった。仙波が丁寧に書いてくれた地図を頼りに彼の下宿を探した。迷うことなく仙波の下宿はすぐ見つけることは出来た。やはり想像していた以上に彼の部屋は汚かった、下宿そのものも農家の庭にただベニヤで仕切ったような安い作りで、本気で冷え込んだらきっと部屋の中でも凍り付いてしまうだろう。彼の部屋の中には食べ散らかしたインスタント・ラーメンの袋や雑誌が散々しており足の置き場もないくらいだった。臭いも慣れるまでは口で息を吸っていた方が良さそうであった。

「よく来ましたね。汚くてびっくりしたでしょう。まさか、こんなに早く来るとはおもわなかったから、掃除をする時間がありませんでしたよ。」

「いえ、突然、お邪魔をした方がいけない、こちらの方こそすみませんでした。」

「この下宿はね、石油ストーブが使用禁止なものだから、このコタツで古都の寒さをしのいでいるんですよ。さあ、そんなところに立ってないで、どうぞコタツの中に足を入れてくださいな。」

正樹がコタツ布団を開けるとむっと、それも様々な異臭が入り混じった風が出てきた。正樹は努めて平静を装って言った。

「仙波さんが羨ましいですよ。日本人の憧れの街、京都で勉強が出来るなんて、本当にいいとおもいますよ。僕も京都にある大学に入りたいな、でも、それだと何のために広島くんだりまで行ったのか分からなくなっちゃいますよね」

「この下宿の前の道ね、きぬかけの道と言うんですよ。それで道の向こう側が衣笠山。近くに金閣寺、正式なお寺の名前は確か鹿苑寺だったかな、あのピカピカの建物が金閣だから、みんなこのお寺のことを金閣寺と呼んじゃってるわけ。」

「そうなんだ、僕も金閣寺は金閣寺だとばかりおもっていましたよ。」

「でも、みんながそう呼ぶんだから金閣寺でいいんですよ。バス停にだって金閣寺と書いてあるしね。世界的にあまりにも有名になり過ぎて、この鹿苑寺というお寺が何宗の何派なのか訪れる観光客にとっては与り知らぬこととなってしまいましたね。そうだ、昔は金も銀も同じ位の価値だったそうですよ。銀の方が好まれていたという説もあるくらいです。ほら、銀閣寺の銀閣が昔にどんな色をしていたのか、僕は知りませんがね、たしか予算不足で銀箔が貼れずに今のあのような渋い色になったと聞いたことがありますが、確かではありません。僕はどちらかというと枯れた感じの銀閣寺の方が好きですね。正樹君はどうです?」

 正樹は大学生の仙波の話を聞いているだけでとても楽しい気分になった。

「僕も銀閣寺も好きですけれど、金閣には違った意味で興味があります。実は、今のあの金閣と僕の年齢は同じなのですよ。昭和25年に金閣のあまりの美しさに嫉妬した寺の徒弟の放火によって国宝金閣は焼失してしまいましたよね。今の金閣はその放火犯の師にあたる当時の住職が自分の弟子の放火を嘆き悲しみ全国を托鉢行して集めたお金で再建したものだそうです。戦争が終わって世の中は荒廃していた時ですよ。金持ちも貧乏人もみな、またあの美しい金閣を見たいと願ったそうです。だから足利将軍が建てた道楽の為の金閣よりも今の金閣の方が万人の願いが籠もっていて意味が深いと僕はおもいます。そんな庶民の為の金閣が再建されたのが昭和30年、僕もその年に生まれました。でも仙波さん、美しさに嫉妬して放火しちゃうなんてありなのですかね。建物ですよ。美を追求する三島由紀夫も金閣寺という小説を書いていますよね。そんなことで僕にとって金閣寺は大切なお寺なのですよ。」

「そうですか、正樹君と金閣が同じ歳だったとはおもしろい。僕は今の金閣は新しく建替えられたものだから、あまり価値がないものとおもっていたのですよ。そうですか、そんな話があったのですか。昔、時間を持て余した貴族たちが光り輝く金閣を眺めながら、贅沢三昧したあげくに陶酔していた。ところが今の金閣はそれとは違う、貧乏人も金持ちも関係ない、焼け落ちてしまった、あの美しい金閣の姿をもう一度見たいと願って再建されたのですね。いやあ、良い話を聞きました。」

「しかしあまりに有名すぎて、人が多過ぎます。いつ行っても金閣寺も銀閣寺も観光客でいっぱいで、ゆっくりと落ち着いた気分には浸れませんよ。」

「金閣も銀閣も比較的、冬場のこの時期だけは空いていますよ。行ってみますか?それとも、どこか他に訪ねたいお寺があったら案内しますけれど。先輩の車を借りることが出来ますからね、遠慮しないで言ってください。」

「お寺か、特に拝観したいお寺はありませんけれど、きれいなお庭には興味はありますね。」

「よし、分かった。お庭なら任せてください。良いお庭へ案内しましょう。」

 

仙波が正樹の為に選んだ京都の庭は「詩仙堂」と「大河内山荘」だった。それも二人で時間の経つのを忘れて、「詩仙堂」の縁側で半日、「大河内山荘」でもまるまる一日かけて散策した。山荘にある高台の庵で古の都を見下ろしながら暗くなるまで様々な事を話し合った。

 仙波と別れて、正樹は再び広島に戻った。正直言って、正樹は二ヶ月先の試験で広島の大学に合格する自信はなかった。学校の先生は学力がある奴に任せて、正樹は障害者の為に何か他の方法で彼らの手伝いが出来ないかと模索していた。かりそめにも障害者は障害のゆえをもって他人から差別される生活を送ってはならないと正樹は考えていたし、人間としての喜びや悲しみを彼らと分かち合えたらどんなにか素晴らしいのではとおもっていた。正樹の頭の中では次第に障害者との農場経営が大きくクローズアップされてきていた。北海道にいる仙波の兄から連絡が入った。北海道の知り合いの農家で人を探しているがどうかというものであった。京都にいる仙波が電話でそう正樹に伝えてきた。その知らせは苦しい正樹の受験勉強を結果的に終わらせることになった。

 

 夢が破れた者は何故か北へ向かう。それも当時の流行だったのかもしれない。