chapter2

北へ
正樹が青森駅のホームに降り立った時、外は雪だった。到着したばかりの列車の屋根に雪がぶつかり、ホームの中程まで綿のような雪がふわふわと舞い込んできていた。気が遠くなるくらいの長い時間をたっぷり列車に揺られてきた。急行列車は特急列車に何度も抜かれる運命にある。その分、余計に時間がかかってしまった。いつの日か東京に戻る時、またこんなしんどい長旅をするのかと思うと正樹はちょっと気が滅入ってしまった。青森駅のホームの階段をのぼり青函連絡船への連絡通路を渡って待合室に入ると、そこには大きなストーブがどでんと中央に置かれてあり、皆それぞれ、おもいおもいの方向を向きながら座っていた。酒を飲んで騒いでいる者もいないし、大きな声でおしゃべりをしている者もいない。皆、ただ、じっと黙り込んでいる。これだけ大勢の人がいるというのに、こんなに静まりかえっているのも、かえって不気味ですらあった。皆、何か大きな苦難に必死に耐えているように正樹にはおもえてきた。「北帰行」という歌が正樹の脳裏をよぎった。
「窓は夜露に濡れて、都、はるか遠のく。北へ帰る旅人一人。涙、流れてやまず。」
正確には思い出せないが、故郷を捨てて、意気揚々と都に出たものの、やがて都会の厳しい風に吹かれて夢が破れてしまい、再び北の故郷に帰るという歌詞であったと正樹は勝手にそう思い込んでいる歌である。何故かこの待合室にいる人々を見ているとその歌を口ずさみたくなった。この青森の青函連絡待合室の人々は正樹も含めてみんな「北帰行」の主人公だったのかもしれない。ところが津軽海峡の反対側、函館の青函連絡船の待合室は違う。これから上京して一旗揚げようとする者たちで溢れていて、内地へ向かう函館の待合室は青森の待合室とは打って変わって騒がしい。そう感じるのはおそらく正樹だけではあるまい。海峡を挟んで様々な人間模様がこの両岸の青函連絡船の待合室では毎日繰り広げられていたのだ。
今はもう、その姿を消してしまった青函連絡船は大きな船であった。その船底や甲板に列車や車を何台も積んで津軽海峡を行き来していた大型貨物客船のくせに、ところが大きな図体の割には人が歩けるデッキは意外と小さく、けたたましい音をたてて煙を吐き出す煙突のまわりに申し訳なさそうにちょこっと付いているのがデッキなのである。正樹はそのデッキに出て五分も経たないうちにデッキが狭い理由が分かった。津軽海峡の風はとても強い、誰もこんな寒いデッキに出てゆっくり景色など眺める気にはならないからだとすぐ納得した。正樹は津軽海峡の海底に列車も車も通ることが出来る大きなトンネルを掘っていることやこの情緒溢れる青函連絡船がいずれ廃止になることも知っていた。長い間、人々を見守り続けてきたこの青函連絡船がただの交通機関ではなく、血も涙もある、あったかい船であるということを実感出来たことを感謝した。
函館から列車に乗って、しばらく行くと函館本線は大きくカーブを描く。そして列車の前方には大沼公園の湖面となだらかな馬の鞍の形をした駒ケ岳がせまってくる。この雄大でやさしい景観は内地からはるばるやって来た人々に安らぎと北海道の美しさを十分に満喫させてくれる。正樹はその景色に触れて自ずと気持ちが大きく広がるのを感じた。大沼公園の中央にある大沼公園駅を過ぎると列車は駒ヶ岳を回り込むようにして走る。車窓から見る駒ケ岳の姿は見る度にその姿を変えていく。さっきはあんなにも優しく迎えてくれた駒ケ岳の表情がだんだんと厳しくなってくるのである。今度は一転して切り立った駒ケ岳は北海道の厳しさを旅人に容赦なくぶつけてくるのである
「あまったれた奴はこの北海道にはくるな!受験勉強から逃げて来たな、北海道はそんな奴の来るところではないぞ!」
正樹はこの駒ケ岳がそう自分に語りかけているようにおもえた。列車はまるで北海道の門番のような駒ケ岳から解放されてさらに進むと大きく開けて海に出た。左に向きを変えて列車は海に沿ってしばらく走った。単調な海岸線
国費留学生
おそらく正樹は高校を出た時点では日本一の金持ち青年だったに違い。高校時代は新聞屋の二階に住み込み配達をしながら高校へ通ったからだ。毎月の給料からわずかばかりの食費を払い、残りは無駄遣いをすることもなく、すべて貯めていたものだから相当な貯えになった。大学をあきらめた正樹にとって、八雲の吉田農場で働く前の北海道旅行はそれこそ贅沢をして一流旅館を泊まり歩いても尚余るほどであったが正樹は北海道に来るのにも時間のかかる急行列車に乗ったし、宿泊にも安く泊まれるユース・ホステルを好んで利用した。しかも二泊目からは掃除でも何でもするからとペアレントさんを拝み倒して泊めてもらったりもした。布団部屋でもいいので泊めて下さいと申し出たことも一度や二度ではなかった。炊事、洗濯、掃除、何でもしますからと無理を承知で何泊も泊めてもらった。運が良い時はバイト代もおちょうだいすることが出来た。もう、以前のような、恥ずかしくて道を尋ねることも出来なかった初な青年ではなかった。しっかりと正樹は図々しく成長していた。居心地が良いと一週間でも二週間でも連泊した。特にきれいなおねえさんがいるユース・ホステルは追い出されるまで居候を決め込んで動かなかった。北海道のように厳しい自然の中に入ると人々の心の温かさがちょっとしたことでも身にしみるものだ。この旅行を通して正樹は厳寒の地に根を張り住む人たちの心の温かさを実感することが出来た。洞爺湖が女なら支笏湖は男だ。洞爺湖のやわらかさと支笏湖の荒々しさからそう感じた。阿寒湖のにぎわいと人を寄せつけない霧の摩周湖。どちらも神秘的で湖は透き通っていた。美幌峠からの屈斜路湖の大パノラマは息を呑むほど雄大で美しかった。天人峡の羽衣の滝はその見事さに言葉を失い、何時間も見とれてしまった。日本海から突き出た利尻富士はとても威厳があり勇ましかった。訪ねてみると結構いろいろなものがあった襟裳岬、まだ紫色のラベンダーの花は咲いていなかったが富良野の広々としたお花畑。風連湖の数万羽の白鳥たち、函館の百万ドルの夜景はその名のとおりの価値のあるものだったが、あまり知られていない藻岩山からの夜景も函館に負けてはいなかった。札幌にある商店街の狸小路は庶民的で入りやすかったが、もう一つのススキノはどこかお高くとまっていて正樹には取っ付きにくかった。もちろん歓楽街の敷居は高過ぎて、どこのお店にも入ることは出来なかった。札幌の赤レンガの道庁本庁舎は父の兄、正樹にとっては伯父にあたるお人が勤務していた場所だ。正樹にとって北海道という地はまったくの無縁ではなかった。正樹はその伯父さんとは一度も会ったことがなかった。正樹が生まれる前に病に罹り、父が遠路はるばるやって来て、背負って家まで連れて帰った。しかし、もう再び北海道には戻ることはなかったという話を聞いたことがある。その亡くなった伯父は横浜の大学を出て道庁に勤めた。父は父で千葉の大学を出たし、そして兄は最高学府に在籍している。家族はみな良く出来るのに正樹一人だけが受験に脱落してしまった。なんとも面目のないことである。
札幌からバスでちょっと入った所に中山峠がある。北海道は内地の人がおもうほど雪は多くはないのだが、ただ場所によっては雪の吹きだまりができる。中山峠はそんな雪の多いところだ。冬場は札幌から近いせいもあり、スキーのメッカとなって若者たちで大いに賑わう。正樹は北海道を巡り巡って、この中山峠のユース・ホステルで皿洗いをしていた。ボンボンというフィリピンからの国費留学生と一緒に肩を並べて皿洗いをしていた。ボンボンは学校の休みを利用して正樹と同じように北海道中を回っていた。ボンボンは東京にある教育の大学にフィリピンの国費でもって留学している超エリート学生だった。国費留学生たちはその国を代表する頭脳集団と言っても過言ではないだろう。実際、ボンボンも天才だということが正樹にもすぐ分かった。彼は非常に頭が良く、英文の本を一度読んだだけでその内容を完全に頭の中に入れることが出来る本物の天才だった。本の見開き二ページを写真のようにして頭の中にどんどん入れていく才能の持ち主だった。正樹は彼と皿洗いの合間や食事をしながら話をした。ボンボンに正樹は言った。
「ボンボン、アフリカで医療活動をしたシュバイツアー博士を知っていますか?僕は彼にとてもあこがれているんですよ。」
「ええ、知っていますよ。彼は実にすばらしいお医者さんです。以前、本で読んだことがあります。日本では野口英世とシュバイツアー、この二人の偉人は小学校の教科書にちょこっと載っていますよね。日本語を勉強する時に府中の日本語研修所でその教科書を拝見したことがあります。」
「僕は本当は医者になりたかったんですがね、学力もお金もありませんから、学校の先生になろうとしたんです。障害者の先生になら簡単になれるだろう、くらいのいい加減な考えで受験に望んだんですがね、ところがまったく僕には歯が立ちませんでしたよ。とんでもない勘違いでした。完全に失敗しました。結局、大学には入れてもらえませんでした。」
「それで、正樹さんはもう夢をあきらめてしまったんですか?」
「いえ、完全にはまだあきらめてはいません。北海道の農場で働くことになっていますが、これからも勉強だけは続けていくつもりですから。」
「そう、それはそうした方が良いでしょうね。働きながらでも勉強は続けた方がいい。医者か、そうね、日本では確かに医者になるのは難しいかもしれませんね。でも、正樹、ごめんなさいね、そう呼んでもいいですか?」
「ええ、もちろんかまいませんよ。そう呼んでくれた方が親しみが湧きますからね。僕もボンボンと呼びますから。」
「私には分かるんですよ。正樹は頭がとても大きいですよね。きっとその中には脳みそがたくさん詰まっているんですよ。まだ開発されていない脳みそが眠ったままの状態になっているんだ。」
「そう言われても頭が大きいのはあまりうれしくありませんよ。見た目も良くないし、ヘルメットも帽子もサイズがないから、探すのが大変なんですよ。」
「いや、そうじゃないんだ。私は正樹ならきっと良い医者になれると言いたかったのです。」
「まあ、そう言われると嬉しいですけれど、でも何か引っかかりますね。」
正樹は皿洗いの仕事や朝食の下準備を終えて、二人の寝場所であった布団部屋で夜遅くまでボンボンと話をするのがとても楽しかった。毎晩、ボンボンの口から次から次へと出てくるフィリピンの話に真剣に耳を傾けた。それは日本とはまったく違った文化であり、正樹の知らない別の世界だった。日本という小さな島国だけで育った正樹の考え方は明らかにボンボンの世界的な視野の広さよりも劣っていたし、あまり型にはめ込まないで物事を考える彼の頭の柔らかさは大らかで素晴らしいものがあった。ボンボンは正樹に日本で医者になることが出来ないのであれば、フィリピンに来て医者になればいいではないかと助言した。
そんなある日、ボンボンが自慢げに見せてくれた一枚の写真、ボンボンの家族が写っている小さなスナップ写真が正樹の人生を大きく変えてしまうとはこの時の正樹には知る由もなかった。その写真には正樹が今までに見たこともない、テレビや雑誌も含めて、とにかく、これまでにお目にかかったことがないような美しい少女が微笑んでいたのだ。正樹はその少女の笑顔を見た瞬間、周りのもの全てが止まってしまった。その様を何と表現すればよいのか適当な言葉が見つからなかったが、心の奥深いところからふつふつと湧き出すその感情は恋と呼ぶものに違いなかった。しかし正樹はそのことをボンボンに打ち明けることも、その少女が誰なのかということも聞くことすら出来なかった。
次の朝、ボンボンは急に東京に帰ることになり、別れ際に彼は正樹にこう言い残した。
「正樹、いつかあなたに僕の国を案内してあげますよ。あなたの医者になりたいという希望は僕の国ではきっと叶えられますよ。僕には分かりますよ、あなたは力のある人だから、努力次第で医者になることは十分可能です。あなたが話してくれた障害者の為の農場は実にすばらしい発想ですよ。でも彼らは働く場所と同時にまた医者も必要としていることも忘れてはいけないとおもいますよ。農場の経営者が教育者であり、そして医者でもあったら、それに越したことはないじゃないですか。それだけあなたは彼らと喜びや悲しみを分かち合うことが出来るということではありませんか。」
まるで大波が引いた後のように、ボンボンは中山峠のバス停から姿を消してしまった。道の両側には五メートル位はあるのではないかとおもわれる雪の壁が続いており、正樹はしばらくボンボンを乗せて走り去ってしまったバスのタイヤの跡を見つめていた。
その夜、正樹は皿洗いを終えた後、独りで布団部屋に戻り、ボンボンが見せてくれた写真の美少女のことを考えながら眠った。しかし残念ながら夢の中にはその少女は現れなかった。