
chapter5
ルネタ公園
ケソン市はマニラ市の東に位置する広大な計画都市だ。現在のメトロ・マニラに統合移行されるまではフィリピンの首都だった。政府の省庁や大学、他にもさまざまな文化施設が建てられ、実に整然とした町並みでマニラ市の雑然としたイメージとはかなりかけ離れていた。ボンボンたちはサンチャゴ通りとオヘダ通りに小さなアパートを二つ借りていた。典型的な庶民のアパートで二階に二つの寝室、そして中央に階段があり、階段を下りてくると右にキッチン兼ダイニングがある。その奥に二つ扉があり、一つはトイレ付のシャワー・ルーム、もう一つの網戸を開けるとコンクリート塀に囲まれた小さな洗濯場がある。階段の反対側にはソファーとテレビが置かれ、入り口に接するようにリビングがある。だから入り口から入るとすぐリビングになり、階段が中央で一階の空間を斜めに仕切っている。階段の向こう側に大きな丸いテーブルが見えて、そこがダイニング兼キッチンである。奥のトイレがあるシャワー・ルームや洗濯場へ出る扉が入り口からすべて見渡せるのである。ボンボンはマニラの生まれではない。マヨン火山の麓のビコール地方の出身で、このアパートのメンバーもほとんどが同じビコール地方の出身者であった。勤めている者もいれば、学生もいる。大学の教授をしているボンボンの姉さんを頼って大都会マニラに出てきた若者の集団であった。サンチャゴのアパートはボンボンが借り、オヘダのアパートはボンボンの姉さんが借りていた。二つのアパートは距離にして二十メートル位しか離れていない。お世辞にもきれいとは言えないこの二つのアパートでたくさんの若い男女が助け合って共同生活を送っていた。東京での新聞屋のたこ部屋暮らしや北海道での厳しい一人暮らしをしてきた正樹にとって、このアパートのにぎやかで底抜けに明るい若者たちの共同生活は大きなカルチャー・ショックであった。そして一夜が明けて、美人三姉妹に加えてかわいらしいお手伝いさんが二人もいることに正樹は気づいた。他のメンバーたちもそうだが、この二人のお手伝いさんたちはとびっきりの笑顔と気遣いでもって正樹の世話をしてくれた。今回の旅行がたった一週間であることを正樹はすでに悔やみ始めていた。安い航空券は変更がきかないのが難点である。ボンボンは忙しい人だから予定通りに日本に帰るみたいだ。しかし正樹は安いチケットは捨てて、また新しく購入してもいいから、自分一人だけここに残ることを考え始めていた。でも初めてのマニラ空港、魑魅魍魎が住んでいるような悪名高きあの場所を言葉もろくに話せない自分がうまく通り抜けて日本に帰国することが出来るのだろうか。それを考えてしまうと期間の延長はありえなかった。
ボンボンは故郷のビコールに帰る準備に入っていて、正樹のことはすでに三姉妹に任せてしまった様子だった。そうそう、いい忘れたが、この三姉妹はボンボンのいとこにあたるらしい。言われる前から兄弟ではないことは分かっていた。ボンボンの独特な顔と違って三人ともきれい過ぎるからだ。
初日は長女のウエンさんが案内してくれることになった。とにかく優しい、何もかもだ。声もしぐさも性格もあたたかくてよく気が利く。そばにいるだけですべてのものが明るくなってくる。こんなに安心できる美しい人がこの世の中にいて良いのだろうかと言いたくなってしまう。病院に勤めているらしいのだが、せっかくの休みにもかかわらず正樹の為に案内をしてくれるという。正樹は日本では女性と二人きりで歩いたことなどは一度もなかった。だから出かける前から正樹の足は完全に宙に浮いていた。遅い朝食を済ませてから、ウエンさんとバス通りに出た。手を引かれるようにしてバスに飛び乗った。二人はマニラ市の中心にあるリサール公園に向かった。地元の人たちはこの公園のことをルネタ公園と呼んでとても愛しているそうである。60ヘクタールもの広大な市民の憩いの場所だ。正樹はウエンさんとバスに隣り合わせで揺られているだけでもとても幸せだった。もう少しこのままバスに揺られていたいという正樹の願いも空しく、バスはルネタ公園に到着した。
ルネタ公園の敷地内には噴水や中国庭園、それに頓珍漢な日本庭園もあった。その庭園を造った人たちには本当に申し訳ないのだが、どこから見ても日本の庭園には見えないのである。だから、頓珍漢と言わせてもらった。コンサート会場やプラネタリウム、そして緑がとても豊かで、正樹が名前を知らない植物で溢れていた。広大な芝生と樹木の間には博物館や役所なども幾つも涼しげに建っていた。公園の中央にはこの国を訪ねた外国からの要人たちが献花をするリサール記念像がある。二十四時間、二人の兵士によって守られている。日本の歴代の首相たちもこの像に大きな花輪を捧げている。正樹たちはそこの警備兵の動きを見ることにした。まったく表情を変えずにじっと鉄砲を肩に抱えてリサール像の下に立っている。ウエンさんにTシャツの袖を引っ張られて裏側に回りこんだ。しばらくすると像の前で警備をしていた兵隊が足を大きく上げて動き出した。ゼンマイ仕掛けのお人形さんのように歩き、ゆっくりと像のうしろに回り込み、もうひとりの警備兵と交代した。そして休憩に入った兵隊はポケットからやおら煙草を取り出して実にうまそうに一服するのであった。正樹はその様子を飽きもせずにながめていた。その後も、何か困ったことがあるといつもここに来て、兵隊たちを見るのが正樹は好きだった。リサール記念像の周りではアベックが芝生で語らい、家族連れが弁当をひろげている。どんなに貧しい者が来ても、この公園は誰も差別をしない。あたたかく万民を包み込み、やさしく迎えてくれるのである。正樹はあまり意識したことはなかったが、公園とはこういう場所のことをいうのだとおもった。ルネタ公園は最高に素晴らしい公園である。公園の中央にある一等地にウエイターやウエイトレス、料理人もそこで働く者すべてが障害者だけのカフェがある。たぶん国営のカフェだとおもうのだが、注文も身振り手振りで、あるいは紙に書いたり指差したりする。正樹はここで働く障害者の顔を注意して観て見た。皆、生き生きとしていて気持ちが良さそうであった。ない方よりはあった方が良い。ただ、ここで働いている障害者たちはほんの一握りの恵まれた者たちであって、何か政府の広告塔に利用されているような気がしてならなかった。大都会マニラには人知れぬ場所で障害をもって苦しんでいる人々が大勢いることは疑う余地はなかった。正樹とウエンさんはこのカフェで昼食をとることにした。鈴を鳴らすような声でウエンさんが言った。
「マサキ、兄弟は何人いるの?」
「兄さんと妹がいます。三人兄弟です。」
「お父さんとお母さんはお元気ですか?」
「ええ、二人とも元気です。」
正樹の英語力ではまだこんな会話くらいしか出来ない。何ともぎごちないやりとりだが、それでも正樹はとても幸せだった。
「ウエンさんは看護婦さんですか?」
「ええ、病院のレントゲン科で仕事をしています。今度、あたしの病院にも連れて行ってあげますね。」
「ええ、ぜひお願いします。」
あとは二人で何を話したのかをよく思い出せない。それほど正樹はドキドキしていた。公園の歩道をさらに行くとマニラ湾に出た。緑と白のコントラストが美しいスペイン様式のホテルを横に見て、二人はマニラ湾の土手に腰を下ろしたが、その堤防は日光でとても熱く、日差しも更に強さを増していた。午後の三時では当たり前の話である。ウエンさんはパラソルをさしていたが、彼女のTシャツには薄っすらと汗がにじんでいた。同時にほのかな良い香水の香りもしていた。普通ならば、こんな炎天下には女の人は日焼けを嫌って歩かないものだ。案内とは言え、その優しさに再び感激する正樹であった。思い出したようにウエンさんが言った。
「良いところを知っているわ。いつも風が吹いているのよ。海からの風ね。ねえ、行ってみましょうか。すぐ近くだから。」
彼女が案内してくれた場所はマニラ湾の納涼船の桟橋だった。桟橋と言っても木材でできた簡単なもので、海に突き出たその桟橋には幾つもテーブルが並べられて、簡易レストランとしても利用されていた。確かに涼しい。マニラ湾を一望出来る秘密のこの場所をいつか親しい人すべてに教えてあげようと正樹はおもった。有名なマニラ湾の夕日もこの場所からならよく見ることが出来る。屋根も付いているので雨に濡れる心配もない。日が暮れると、屋根の内側に豆電球が灯り、薄暗いがその光は簡易レストランを豪華なレストランに変えていた。ああ、来て良かった。正樹はウエンさんとずっとこうして夜の海を眺めていたかった。しかし明日の朝早くから病院の仕事があるウエンさんをこれ以上自分の観光案内に付き合わせるわけにはいかなかった。歩き疲れているウエンさんの為に帰りは奮発してタクシーをひろった。マニラ市内の交通渋滞も騒音も正樹には関係なかった。このままどこまでも二人を乗せた車が走り続ければ良いのにと正樹はおもった。
アパートに帰り夕食をとりながら正樹はボンボンの姉さんと話をした。彼女はまだ独身である。小さな弟や妹の面倒をみるのに忙しくて、まだ良い人に巡り会っていなかった。あるいは自らを兄弟の為に犠牲にしてきたのかもしれない。天才ボンボンの姉さんはその当時は大学で統計学を教えていたが、後に国連の職員になるほどのやはり秀才であった。フィリピンにある大学はフィリピン大学とその他の残りの大学と言われるくらい、国立のフィリピン大学が抜きに出ていて、他の私立の大学とかなりの格差がある。ボンボンもボンボンの姉さんもそのフィリピン大学を出ている。仕事で疲れているのにもかかわらず、ボンボンの姉さんは言った。
「正樹、これから映画を観に行きましょうか。あたしは昼間は仕事だから、こんな時間にしか、正樹の案内が出来ないから、ね、行きましょう。」
「疲れているのに、いいんですか?」
「午後九時が最終だから、まだまだ十分に間に合います。ねえ、行きましょうよ。」
「ええ、もちろん、喜んで。」
話を聞きつけてアパートの学生たちも全員がお供をすることになった。ボンボンの姉さんのおごりだからである。これだけの人数の映画代だけでもたいへんである。正樹は自分が映画代を出すと言ったが、きっぱりと断られてしまった。この国の庶民の娯楽は映画だ。新しいアメリカ映画などは日本よりも早くに上映されるし、どの映画館もとても大きくて涼しい。その数も半端ではない。町中にはいたるところに手描きの映画の宣伝看板が掛けられている。職の少ないこの国では、そんなペンキで描かれた映画の看板によっても多くの人々が糧を得ているのだろう。
正樹たちはクバオと言う繁華街にある映画館に到着した。最終回の直前に席につくことが出来た。すると場内にはドラムの音が鳴り響き、スクリーンにはさっき見てきたルネタ公園のリサール記念像が国旗とともに写し出された。全員が起立し始めたので正樹も遅れて立った。ゆっくりとフィリピンの国歌が流れてきた。胸に手を当てて歌っている者もいれば、じっと目をつぶって聴いている者もいた。毎日の最初と最後の上映の前にはどこの映画館でもスクリーンに号令とともに鼓笛隊が現れて国歌を演奏する。こうやって愛国心が自然と身についていくのだろう。いかにもアメリカ的なフィリピンの一面である。クバオと言う繁華街も計画的に造られた地区で映画館やスーパーなどが幾つも並んでいる。ただ深夜の零時前には人並みは消えうせてしまう。当時は夜間外出禁止令が出されており、戒厳令下にあったからだ。マルコス大統領が好き勝手なことをやっていた時代である。それでも国民はまだ彼に大きな期待を寄せていた。反日感情はほとんどなくなり、マルコス大統領も日本との関係を重視していたから、さまざまな政策を発令した。日本人を保護するために日本人に対する犯罪は罪がとても重かったのもその一例である。そして、この頃から、日本からのあの悪名高き団体ツアーが次第に増え始めていた。マルコス大統領の外貨獲得政策ともあい合わさって、日本人男性、それも中年男性の観光客が目立ち始めてきていた。そして彼らは日本ではおおっぴらに出来ないことまで、ここでは平気でやってのけた。正樹はふざけるなと叫びたかった。
「マヒワガ」
甲高い軍鶏の声で正樹は目覚めた。誰かが闘鶏に使う軍鶏をアパートの洗濯場で飼っているようだった。部屋の窓はガラスの代わりに板を何枚も重ね合わせたスライド式になっていて、その板の間から外の通りを覗いてみたが、まだ外は暗くて何も見えなかった。少し早くに起きてしまったようだった。覚悟はしていたが、やはりマニラの夜は暑かった。一夜を過ごしてみて南国であることを実感した。全身が汗でびっしょりになっていた。サンチャゴのアパートの正樹の寝室には冷房装置はなかった。と言っても決して正樹が冷遇されているわけではなかった。他のどの寝室にもエアコンなどはなかったし、下へ降りてみると、床の上にはバニッグと呼ばれるゴザが何枚も敷かれており、みんなまだその上で重なり合うようにして眠っていた。ボンボンの弟のネトイなどはトイレの前の床の上に直に寝転がっていた。何度か寝返りを打って、その場所に落ち着いたものとおもわれる。正樹が寝室を独りで占領しているので、普段なら二階の寝室で寝ている者たちがこうして床の上に雑魚寝しているのだ。正樹は皆に苦労をかけさせていた。冷遇どころではない、優遇されていたのだ。正樹はこの国のあたたかくて客をもてなすホスピタリティ、国民性を日本人も見習わなくてはならないと感じた。正樹はそっとドアを開けて外へ出てみた。すぐ近くのオヘダのアパートへ行ってみることにした。昨夜、ボンボンの姉さんから食事はオヘダのアパートに用意しておきますと言われたからだ。行ってみるとオヘダのアパートにはすでに明かりが点いていた。中に入ってみるとお手伝いのリンダがココナッツの実を二つに割って乾燥させたもので床を磨いていた。片足で体を支えて、もう一方の足でココナッツの実をリズミカルに前後させて、床の汚れをココナッツの繊維の中に擦り込ませているようだった。確かにその実で掃除をした後の床はピカピカに輝いていた。面白そうなので正樹もやってみたのだが、これがなかなかの重労働で、少しやっただけで汗が全身からにじみ出てきてしまった。お手伝いのリンダは小柄でニキビ面だが、とてもかわいらしい顔をしている。目が大きくてまん丸で角度を変えて見ると小学生のようにも中学生のようにも見える。リンダは自分ではあくまでも十八才だと言い張ったが、本当の年齢はたぶんもっと若いのだとおもう。ただこちらの女性の年齢を当てることほど難しいことはない、本当に至難のわざだ。一般的に同世代の日本人の女性よりは十歳はさばが読めると考えた方がよい。お手伝いについてであるがフィリピンでは少しお金に余裕ができるとすぐにメイドを雇う。これは日本人のお金持ちがメイドを雇うのとはちょっと意味合いが違うのである。得た収入を少しでも多くの人々に分け与え、お互いに助け合って生きていくという習慣からきている。リンダは掃除を中断して正樹の為にコーヒーを入れてくれた。一口飲んですぐに普段飲んでいるコーヒーとは違うことが分かった。正樹はリンダに聞いてみると、それはお米からつくられたライス・コーヒーであった。それもお金のかからない自家製のコーヒーであった。その味はお世辞にもうまいとは言えなかったが、リンダのあたたかい気持ちはブレンドされていると正樹はおもった。
しばらくすると股の付け根まで見えそうなホット・パンツを穿いた次女のノウミが現れた。パジャマの代わりらしいボロボロのTシャツを着て、階段を一段ずつゆっくりと降りて来た。髪はぼさぼさであったが、ホット・パンツからスラリとのびた長い足が正樹にはとても眩しかった。
「おはよう、マサキ。」
「おはようございます。」
「昨日の映画はどうだった。分かった?」
「ちょっと僕には難しかったみたいです。聞きなれない英語の単語が多過ぎました。」
昨夜、みんなで観た映画はレイプ事件を取り上げた裁判が主題だったので、難解な言葉が多かったから、文法英語ばかりを勉強してきた正樹には聞き取れるわけがなかった。
「そうか、法廷のやりとりはアクション物とは違って確かに難しいわよね。あたしでも分からないところがあったもの。まだ、正樹には無理よね。」
なかなかその後の会話が続かない正樹であった。まだ英語で話すことに慣れていなかった。ノウミはひとしきり一人で喋りまくると台所でリンダが聞いていたラジオの音に合わせて腰を振りながらバスルームに入っていった。ラジオからはラテンのリズムが流れていた。ノウミの明るい朝の挨拶は正樹にとっては一日の素晴らしい幕開けだった。
暑い、なにしろ暑い、だからこの国の人々はあまり歩きたがらない。そのせいなのか街には乗り物が溢れている。その代表は何と言ってもジプニーだろう。派手な色使いにゴテゴテした飾り物を沢山つけた元軍用ジープは至る所に走っている。その料金は安く、ジプニーは間違いなく庶民の大切な足になっている。そしてドライバー、あるいはその車のオーナーが全財産をはたいて買ったとおもわれるガタガタの音楽カセット・プレーヤーから流れ出す激しいサウンドはちょっと古い表現だがディスコ調のものだ。もう誰にもその音は止められない。音楽を聴くことで渋滞も排気ガスも辛い日々の生活さえも忘れようとしている。それはドライバーも乗り合わせた乗客も皆一緒だろう。この国では音楽はすべてを忘れさせてくれる大切な魔法なのである。音楽はすべてに優先されていた。正樹はノウミと二人でそのジプニーを三回乗り継いでフィリピン大学の広大なキャンパスにたどり着いた。ノウミはフィリピン大学の学生ではなかったが、別の大学で化学を専攻していた。彼女は遠慮をするということを知らない。まるでマシンガンのように英語を正樹にぶつけてくる。もう、たじたじである。ノウミはストレートな性格のようで、おもったことは何でもハッキリ言ってくる。まだ英語があまりよく聞き取れない正樹にとって、遠慮なく発せられる言葉には確かに困惑するが、逆にそのキツイ言葉の意味が分からないことはかえって幸いだったのかもしれない。しかし、何度も言うようだが、ノウミの素晴らしくバランスのとれたナイス・ボディはそんな性格を見事にカバーしている。例え、どんなに失礼な言葉を彼女から言われたとしても、正樹はそれだけですべてが許せた。
フィリピン大学のディリマンキャンパスは広大な敷地に建物がポツリポツリと離れて点在している。一箇所に建物を集めた方が学生たちは教室を移動するのが楽だろうに、でも何故かそうなっていない。炎天下での教室の移動は大変である。このキャンパスの中でもジプニーが走っている。当時はキャンパス内であれば、どこまで行っても何回乗っても無料だったが、現在は分からない。とにかく広すぎなのである。歩いていたのでは次の講義に間に合わないのだ。ただフィリピン大学の医学部はルネタ公園の近くにあり、農学部は郊外のロスバニョス、水産学部は別の所にある。残りの学部がこの広大なディリマンキャンパスにあった。廊下を歩くだけで涼しげに感じるスペイン風の建物や天井が高く落ち着いた雰囲気の教室もフィリピンの頭脳の集積所にふさわしい。ノウミはそのディリマンキャンパスで正樹を数人の男友達に紹介した。超エリートばかりだったがノウミの友達は皆がっちりした体型をしていた。それが彼女の好みなのかもしれない。自分に日本人の知り合いがいることを自慢しているかのように正樹にはおもえた。
「ねえ、正樹。この近くにウエン姉さんの勤めている病院があるのだけれども、ちょっと行ってみない。」
「ええ、行きましょう。でもウエンさんの邪魔にはなりませんか?」
「大丈夫よ。アメリカの資本で建てられた病院だから、とても大きくてきれいよ。」
「レントゲン科で働いていると言っていましたが、あの僕は素人でよく分かりませんが、年中、X線の近くにいると危険はないのでしょうか?」
「そうね、ちゃんと管理はされているとはおもうけど、あまり健康には良くないとあたしはおもうけどね。まあ、その分、お給料は高いのだから仕方がないかな。」
行ってみると話の通りアメリカナイズされた立派な病院だった。とても庶民の病院にはおもえなかったのでノウミに聞いてみると、やはりお金持ちの病院だという返事がすぐに返ってきた。もちろん病院の門戸はすべての人々に開かれてはいるのだが、現実問題として日本のように保険制度は整っていないわけで、治療費は目の玉が飛び出るほど高いのだから自ずとこの病院の患者は限定されてくる。正樹の知っている当時の日本の病院とも比較にならないほど実にすばらしい設備が施されていた。
レントゲン室の隣の扉が開き、合成の皮のような緑色した大きなエプロンを首から下げて、溢れんばかりの笑顔でもってウエンさんが中から飛び出て来た。明るい、すべてが急に明るくなった。昨日、ルネタ公園を案内された時に感じた、あの優しさにまた正樹は包まれていた。ウエンさんの存在そのものが明るかった。何というすばらしい人なのだろうか、そばにいるだけで嬉しくなってくると正樹は再び感じた。ウエンさんは挨拶をした後、いったんレントゲン室に戻り、緑色のエプロンをはずしてから廊下に出て来た。ノウミとウエンさんに挟まれるようにして病院内の案内が始まった。正樹の聞き取れない難しい英語の解説が始まってしまった。彼女が広い病院中を案内して説明してくれた内容は正樹にはほとんど分からなかったが、生き生きと自慢げに説明してくれるウエンさんの横顔をながめているだけでとても幸せな気分になった。ウエンさんは同僚たちとすれ違う度に、日本人である正樹を誇らしげに紹介して回った。正樹はこちらに来る前にとても反日感情を心配していたのだが、それはもう若い人々の間には存在していないようにさえおもえた。あるいはそれは正樹の勘違いであって、他の隣国のように感情をあからさまに表に出さない国民性なのかもしれない。正樹はあまりウエンさんの仕事の邪魔をしてはいけないと気づき、ノウミにそっと耳打ちして病院を引き上げることにした。
大通りに出てバスに乗った。すると突然のスコールである。強烈な雨が降り始めた。乗客はいっせいに自分の近くの窓を閉め始めた。窓と言ってもベニヤ板である。だから最後の一人が窓を閉めた時、バスの車内は完全に真っ暗になってしまった。愉快な体験であった。おんぼろバスは普段は窓がなくて風通しがすこぶる良いのだが、雨の時はこうして板で閉め切ってしまうので車内は地獄のように蒸してしまう。留め金が馬鹿になっている窓はそこに座った乗客が手で押さえることになる。不運にも正樹の横の窓もうまく引っかからなかったので、正樹がベニヤ板を押さえ続けた。バスはマニラ市に向かって快調に走り続けた。
十六世紀に入り、スペインがフィリピンを占領するとマニラの中心に彼らがこの国を支配する拠点として城壁都市を築いた。それが現在も残っているイントラムロスだ。城塞の中には教会や歴史的な建物が数多く残っていて観光客で賑わっている。そしてマニラ湾へ流れ出る川のほとりにあるサンチャゴ要塞は時の権力者たちが大砲を構えた場所だ。太平洋戦争中、日本の憲兵隊も本部としてそこを使用した。現在ではその要塞は沢山の花が咲き乱れる公園として整備されているが、正樹はノウミに敷地内の奥の地下牢に連れて行かれて言葉を失ってしまった。その牢獄は海の潮が満ちてくると海水が川を逆流してきて、牢の中を海水でいっぱいにしてしまう水牢だったからだ。潮が引く時に鉄格子を引き上げておくと、獄中で水死した遺体は川から海へと自然に流れ出ていくしくみになっていた。誰がこんな残酷な水牢を考え出し造ったのだろうか。造った者だけではなく、実際に使った者すべてに天罰が下ればよいのにと正樹はおもった。先の大戦でも、たくさんのフィリピン人とアメリカ人が日本軍によってこの水牢で命を落とした。水牢の前には犠牲者を慰霊する十字架が立てられており、そのことを何も知らない日本人観光客たちが十字架の前で大声ではしゃぎ、そして記念写真を撮っていた。正樹はその悲しい史実を知った者は誰であろうとすべて平和を祈り末代までも語り継がねばならないと強くおもった。
次にノウミが案内してくれたのはマニラ大聖堂であった。抜けるような青空の下を二人は歩いて教会まで行った。教会とはその大きさやきれいさでその存在を差別してはならないのだが、マニラ・カテドラルはフィリピンで最も重要な教会である。カトリックの大司教が本拠地を置いており、イントラムロスのランドマーク的な存在だ。主要教会の中では唯一ここだけ冷房施設がある為に結婚式場としてかなりの人気がある。それも高額所得者たちの結婚式である。ちょっと名の知れた芸能人たちは馬鹿の一つ覚えのように競ってここで式を挙げる。正樹とノウミがマニラ・カテドラルに入った時も結婚式が行われていたが、聖堂への出入りは自由である。ノウミは教会の入り口にある聖水に指を浸し、その水を自分の額と正樹の額につけてから中に入っていった。お清めの水は神社にもあるなとおもいながら正樹もノウミの後から聖堂の中に足を入れた。一番後ろの席に二人で並んで腰を下ろすと結婚式は広い教会の前の方で淡々と進行していた。正面横には聖歌隊が陣取り、セレモニーが進行する度にいろいろな曲を歌っていた。賛美歌に限らず正樹の知っているポピュラーな曲も含まれていた。何曲かその聖歌隊の歌を聴いているうちに正樹は背中がゾクゾクっとふるえるのを感じた。そのハーモニーのすばらしさは教会という建物の音響効果と重なり、とてもきれいなメロディ、旋律となって正樹の耳に飛び込んできていた。歌を聴いていて体が震えたのはこの時が初めてであった。正樹はノウミにその歌の曲名を尋ねてみた。
「ノウミ、この歌、いま聖歌隊が歌っているこの歌は何というのですか?」
「ああ、この歌ね、これはマヒワガというフィリピンのラブソングだわ。ミステリアスな、何か恋とは不思議ですばらしいものだと歌っているわ。きれいな歌よね。あたしも好きだわ。」
「マヒワガですか。いい歌ですね。」
「マサキ、知っている?カトリックはね、いったん結婚すると、もう離婚はできないのよ。」
「それ、本当ですか?」
「本当よ。もしマサキがフィリピンで結婚するなら、もう離婚は出来ないって訳よ。いい、だからちゃんとした良い人を選びなさいよ。」
ノウミは自分の胸を大きく張って、さも自分と結婚しろとでも言いたげな素振りをした。
正樹とノウミはマニラ・カテドラルを後にして大通りに出た。夕方の交通渋滞に巻き込まれる前にアパートにいったん帰ることになった。正樹はノウミと一緒の時はタクシーよりも体を寄せ合うバスの座席の方がいいと一瞬そうおもった。と同時にノウミは手を挙げてバスを素早く止めてしまった。ところがバスに乗り込んでみると空いている席は一つだけしかなく、仕方なく正樹は立ちノウミだけが座席に座った。アパートがあるケソン市に着くまで途中で誰一人として席を立つ者はいなかった。鼻の下を伸ばした正樹が悪かったのである。
だいぶ早くに二人はケソン市に着いてしまった。アパートに戻る前に近くのパブに行かないかとノウミが正樹を誘ってきた。文句なくオーケーであった。そのパブはオルガンが一台あるだけのインドネシア調の色彩と独特な表情をした大きなお面で溢れた店だった。店内は少し暗かったけれども、とても落ち着いた雰囲気の良いお店だった。運ばれてきた料理は白身魚の酢漬けで、実にサンミゲール・ビールとよく合った。少し酔いがまわってきた頃だった。突然、ノウミがマイクを手に取りオルガンの横に立った。彼女はこの店の常連客らしく、オルガンの所に座っているミュージシャンとも顔見知りで、しばらく二人で打ち合わせをした後、ノウミはマイクに向かってゆっくりと歌い出した。静かなオルガンの音色が彼女の後に続いた。そしてその旋律は再び正樹の背中を激しく震わせ始めたのだった。ノウミが選んだ曲はさっき教会で聞いたフィリピンのラブソング、「マヒワガ」だったからだ。何という素晴らしい世界に正樹は入り込んでしまったのだろうか。甘く切なく歌い上げるノウミの歌声は柔らかなオルガンの調べと調和して、歌のタイトルのように幻想的な世界へ正樹を引きずり込んでいた。
正樹はおもった。隙間だらけの北海道のぼろアパートにいて、玉葱だけの味噌汁をすすって寒さにじっと耐えてきた生活はいったい何だったのだ。ここは以前にまったく想像することが出来なかった別の世界ではないか。環境がどうのこうのと言うのではない。ウエンさんやノウミ、アパートにいるすべてのあたたかい人々が正樹にそうおもわせたのだった。今日も素晴らしい一日になった。フィリピンに来て本当に良かったと正樹は心の底からそうおもった。まだ写真の美少女ディーンは本格的には登場していないというのに正樹のドラマはすでにクライマックスに近かった。