硝子の時代考証―1
「弥生時代」
弥生時代前期の遺跡から、ガラス管玉や丸玉、小玉の出土が
報告されており、中期から後期にかけては、その出土例も
急速に増大している。
「製品」
壁、勾玉、管玉、珥璫 、釧、塞杆、丸玉、小玉 垂飾、切子玉、平玉、など
「製法」
勾玉は鋳込み方法によって作られたと考えられている。
「素材」
製法の違いによりソーダ・ガラス(アルカリ石灰ガラス)と
鉛ガラスの2系統がある。
ソーダ・ガラス=ガラスの主原料となる珪砂を溶かしやすくする
ために、炭酸ソーダや木杯を加える。
鉛ガラス=珪砂を溶かしやすくするために、鉛丹を加える。
「制作場所など」
ガラス自体はわが国で作られたものではなく、素材としての
ガラスを中国ないしそれ以西の国で作られたものを使用した、と
考えられている。特にわが国で作られた勾玉に於いてその成分を
調べると、中国で作られた素材としての鉛ガラスを使用し制作
された、と考えられている。
硝子の時代考証―2
「古墳時代」
古墳時代に入ってガラス容器が初めて出現してくる。
「製品」
白色皿、紺色壺、平皿、円文碗、円文カット碗、凸出円文カット碗断片
凸出凹刻円文カット碗断片、円文カット碗(白琉璃碗=正倉院)
「製法」
吹き手が厚手のガラス碗を作り、完成してから別の切子(カット)の
工人が文様を仕上げている。
「素材」
アルカリ石灰ガラス(白琉璃碗)
「制作場所など」
ガラス容器類は、ローマ世界で作られたローマン・グラスとササン世界で
造られたササン・グラス(白琉璃碗等のカットグラス、ササン朝の直接
管理下に置かれた王室工房で作られていた、と考えられている)に
分けられ輸入されている。
トンボ玉類(色紋様のついたガラス玉)もローマン・グラス系統と
西アジア系統のものが輸入されていた。
ガラス装身具類はわが国でも作られたが、ガラス容器を作る技術は
まだ知られていなかった。
硝子の時代考証―3
「飛鳥・奈良時代」
飛鳥時代に入り、仏教関連の現象として、仏教寺院の塔下にガラス製の
舎利容器を埋蔵する習慣が中国より伝えられ、それに伴って緑鉛ガラス製
薄手吹きの舎利容器が伝来するようになる。 製品:1)~3)
飛鳥時代をうけ、古代文化の黄金時代を築いた奈良時代は、外国からの
舶載品が取り入れられ、その中にはガラス製品も多く含まれていた。
西アジアのイスラム世界からはイスラム・グラスが。朝鮮からは
東洋製の鉛ガラス製品が輸入された。 製品:4)~5)
「製品」
1)舎利瓶、濃緑色鶴首舎利瓶、舎利壺、など
2)骨壺、緑ガラス器蓋 など
3)円環文装飾ワイングラス(紺琉璃杯:正倉院)
4)高杯(白琉璃高杯:正倉院)
5)舎利瓶
「製法」
「製品」1)~3)
1)中国から伝来した舎利容器は、薄手吹きガラス
2)鋳造法=パート・ド・ヴェール
3)ササン吹きガラス
「製品」4)~5)
4)~5)宙吹き
「素材」
「製品」1)~3)
1)中国から伝来した舎利容器は、鉛ガラス製
2)鉛ガラス
3)アルカリ石灰ガラス
「製品」4)~5)
4)~5)淡黄褐色透明ソーダ・ガラス
「製造場所など」
「製品」1)~3)
硝子の時代考証―4
「平安時代」
硝子に対する関心は高かったようで、この時代の王朝文学作品
「竹取物語」・「枕草子」・「源氏物語」等の中にガラス作品が登場し
ガラス器物が使われていた状況を知ることが出来る。
またそれらは、中国製もしくはイスラム・グラス類であった、と
考えられる。
玉類だけは日本で生産され、玉によって各種の器物が作られていた
と考えられる。
※玉類を作ったガラス素地の調合法が江戸時代を経て
明治10年頃に至るまで脈々と受け継がれている。
「製品」
1)空海が唐より持ち帰った将来品目として、緑色・瑠璃色・無色
のガラス供養碗がある。
2)舎利瓶残片、
3)把手付水注(白琉璃瓶)、唾壺(紺琉璃壺:正倉院)
「製法」
「製品」1)~3)
宙吹き
「素材」
「製品」2)~3)
2)濃緑色薄手鉛ガラス(酸化鉛:55%を含む)
3)ソーダ・ガラス
「制作場所など」
1)イスラム(アラビア)製
2)中国製
3)イスラム製
1)~3)は、いずれも中国を経由して日本にもたらされた、と
考えられる。
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