「セレクトショップ・ミスティカ」・・・・・・いいものとの出逢い・・・・・・ | ||||||||
食器・洋食器国産ブランドショップ・「セレクトショップ・ミスティカ」へようこそ。 あなたのお探しの商品が必ず見つかります。 「セレクトショップ・ミスティカ」、これからもどうぞよろしくお願い致します。 |
||||||||
|
||||||||
硝子の時代考証ー2 「鎌倉時代」・「室町時代」・「安土・桃山時代」・「江戸時代」へ。 |
||||||||
硝子の時代考証―5
「鎌倉時代」
平安時代にもまして鎌倉時代には、日宋貿易により中国や イスラムのガラス器の輸入が盛んになってきたことは 現存する絵画に描かれた大型ガラス器や文学・文献資料 (正倉院の宝物目録など)の記録によって推知することが出来る しかし残念なことに正倉院のガラス器は大部分が正倉院から 姿を消している。 ガラスがあらゆるジャンルにわたって使われるようになり、 日本でもガラスという素材があり、それらによって色々なものが 作られることが知られるようになった。 「製品」 舎利壺 「製法」 宙吹き / 小型薄手の非徐冷ガラス器 「制作場所など」 宋時代、中国製と考えられている。
硝子の時代考証―6
「室町時代」
室町時代に相対応する中国では、宋が滅び、元が興り やがてその元も滅び、再び漢人の明が興ってきた変転の 時代であったために、鎌倉幕府下の日本と宋王朝下の中国との 貿易のようにスムーズには展開しなかった。 したがって中国やイスラムからのガラスの輸入も鎌倉時代のように 盛行しなかったため、日本に於いては空白の時代とされている。 しかし仏像や厨子その他に、多くのガラス玉が使用されている ことから日本に於いて玉造りの伝統は細々ながらも継承されて いたことがわかる。
硝子の時代考証―7
「安土・桃山時代」
安土・桃山時代は、対外交流面で、ポルトガル人の来航、キリスト教の 渡来、天正少年使節のヨーロッパ派遣、オランダ貿易の開始など多彩な 展開が見られた時代であった。当然なことながら、ヨーロッパ・中国の 文物が盛んに輸入されるようになり、新規な舶来品が数奇者好む処となって 一般の関心を呼び覚ますことになっていった。 「製品」 1)双耳脚付杯 2)変形瓢箪型酒瓶 3)薬瓶3点 4)木造十一面観音座像付属瓔珞 5)春日御正体厨付属瓔子 「製法」 1)ヴェネツイアの装飾的なワイングラスのスタイルを、オランダで模作した ファソン・ド・ヴェニス(ヴェネツィア風グラス(と呼ばれる典型的なグラス / 17世紀末頃。 2)ドイツで「クットロルフ」(悪魔の酒瓶)と呼ばれる特殊なガラス瓶。 「素材」 4)〜5)ともに直径が1cm前後の、青、緑、薄茶、無色系統の透明色の ガラス玉類が使われている。 「制作場所など」 1)オランダ製 2)ドイツ製であるがオランダ人によってもたらされたと考えられる。 1)〜2)ともに当時の流行製品であると考えられる。 3)ドイツ及びオランダ製 4)〜5)ともに桃山時代から琉璃を使った七宝製品が出現していることから 素材を輸入して、玉や七宝類を日本で作っていた可能性が強い。 硝子の時代考証―8
「江戸時代」
江戸時代に入ってから、新しいガラス工芸が始まった 従来は、鋳型の中でガラスを溶かしたり、玉を金属棒に 巻き付けたりすることによって、主として装身具や荘厳具としての ガラス玉類が作られてきたが、江戸時代に入ってから、「吹きガラス」の 技法が導入されて、日本で初めて長崎で、吹きガラスによる中空ガラス容器や ガラス製品の製造が行なわれるようになった。 長崎ガラスあるいは江戸期のガラスとして、今日伝存している作例を 調査してみると、それらは例外なく鉛ガラスで作られていること、 吹きガラスの仕上げ方法が、ヨーロッパのどこの国でも使われていない 中国独自の技法が使われているものが多いことが大きな特色として あげられる。 「製品」 長崎ガラス・大阪ガラス・江戸ガラス(江戸切子)薩摩ガラス(薩摩切子) 「製法」 <中国法>ポンテを使わない口の仕上げ法や、中空の蓋に鍔状のひさしを付けて 鈕をつけた落とし込みの蓋の形式は、平安時代以来の日本で出土している 中国製舎利容器にもみられるように、中国の伝統技法であって、この 蓋の形式はヨーロッパにはなかったものである。 「素材」 <中国系の鉛ガラス> 江戸初期の頃には、ヨーロッパでは鉛ガラスを発明したイギリスでも まだ鉛ガラスは使われていなかったし、ましてポルトガルやオランダでは 鉛ガラスの製法は皆無であったから、鉛ガラスの製法がヨーロッパ人によって 導入されたということはありえないことと考えられる。 「制作場所など」 目立つ物として長崎・大阪・江戸・薩摩。
|
||||||||
大豆イソフラボン |